第十四話 保健室の桃色
薄桃色のウェーブ掛かった頭髪は左右に結ばれ、ふわふわとした丸い毛だまりが桃の様にその人物の側頭部にくっついていた。ツーブロックに剃られた耳元は全くのムダ毛はなく、ともすれば奇奇怪怪な盆栽の様であった。
その盆栽頭の巨躯なる人物は素肌の上から白衣を着て抑えきれない胸毛を零れさせていた。
「あら!目が覚めたのね。よかったわぁ~あんな時間帯に巴ちゃんから連絡来たときはどうなるかと思ってたのよ。まぁ目が覚めたってことはもうダイジョウブみたいね」
目の前の桃色盆栽頭は一方的にそうまくしたてると、たくましい腕を伸ばし、ゴツゴツとした手の平で俺の頭部を撫でる。力が強すぎて首がもげそうだ。
「あの、ここは......というかあなたは......」
気が付いた時、目に入った者の刺激が強すぎたため失念していたが、俺はあの夜に死蟲に全身を貪られて死ぬ直前であった筈だ。では天使が迎えに来ているのか。だとすれば俺は今まで天使を描いていた過去の名だたる画家たちに一言も二言も物申したい気分である。描かれていたものとの共通点など、髪の毛の捻じれだけではないか。
「ここは高校の保健室よ、そして私は巴ちゃんから連絡を受けてあなたたちを治しに来たわけ。あれから半日経ってるけど具合はどう?」
「保健室、会長......そうだ、あの時巴会長が丕業で」
「おわああああぁーー!」
記憶を探り、一つ一つ順に思い出していた時、横で眠っていたであろう白間が目を覚ましたらしい。けたたましい声をあげ、飛び起きた。
「なな、なんだあんた!会長はどうした!」
「だーかーらー、そのかいちょーさんにお願いされてあなたたちを治しにきたのよ!」
盆栽頭とスキンヘッドがお互いに喚き散らしている。
「よかった!二人とも目が覚めたのね」
保健室の扉を開け、中に入ってきた巴会長が、安堵のため息とともにそう漏らす。少しばかりその目の下に隈が出来ており、肌艶もより青白くなりいつも以上に幽鬼的である。
「ちょっと、巴ちゃん!この子たちに説明してあげて!私不審がられ過ぎじゃない!?」
「ええ、勿論よ。それとありがとう渚ちゃん」
向き合い、頭を垂れる巴会長。先ほどまで騒がしかったこの部屋が、巴会長の次の言葉を待っているかのように静けさを保つ。
「先ずはみんなに謝らせて、本当にごめんなさい。あなたたちが学校に入っていたのは知っていたの、それに喧嘩をしていたことも。私は自分の好奇心からそれを止めず眺めようとしてたの。まさか死蟲が学校に現れるなんて思ってもみなかったけれど......」
「会長!会長が謝ることなんてないですよ!これは俺らが、というか俺が勝手にふっかけたことで......」
「それでも、よ。この学校の生徒会長として止めるべきだった。そうすれば死蟲が現れるより前に二人をあの場から帰すことが出来たはずよ」
後悔を吐露する巴会長。実際あの喧嘩は俺と白間のとの問題であり、原因があるとすればその二人だ。
だが会長は許せないんだろう、怪我を負ってしまった俺たちを目の当たりにしたから。
「巴ちゃん、確かにこの二人は怪我をしたわ。それこそ普通では取り返しがつかないほどの。けどね、この二人は取り返しがついたの。ピンピンしてるわ。それでいいじゃない。その後悔は次に生かしなさい。それにねあなたは生徒会長である前に、一人の生徒よ。私たち教師を頼りなさい。その為にいるんだもの、あなたが優秀な子だって関係ないわ。また怪我を負った子がいたら私に言いなさいな。いくらでも治してあげるわ。あ、でも次からはもっと余裕をもって、ね?」
優し気なまなざしで、労わる様に巴会長の背中をさする盆栽頭。先ほどの俺の首をもごうとするかのような豪快な時と違い、繊細なものに触れるかのような慈愛をもった接し方。
「えぇ、そうねありがとう渚ちゃん。二人は会ったことないわよね?この人は渚ちゃん。二、三年生ならみんな知ってるんだけど、今年の入学式前に少し出張しててね。近頃またこの学校に戻ってくる予定だったの。この学校の非常勤の先生よ」
「改めて、みんなから渚ちゃんって呼ばれてるわ。あなたたちもそう呼んで?私の丕業はちょっと特殊でね、あちこち駆り出されるの。もう大変よぉ」
大げさな身振りで肩を竦める盆栽頭、もとい渚ちゃん。
「俺も......俺もいいか八夜」
おずおずとベッドから立ち上がり俺に向き合う白間
「俺が余計なちょっかいかけなきゃお前があんな怪我を負うことはなかった。渚、ちゃん......のおかげで治ってるとはいえ。だから今回のお前の怪我の責任は俺にある。お前が学校を辞めろというならそれも受け入れる。だから会長は許してやってくれねーか、頼む」
そういって深々と頭を下げる白間。見た目で判断されるものの辛さは俺も知っている。見た目よりこいつはずっと律儀な奴だ。
「許すも何も、俺はまだ何も言っていないが......」
そう、俺もこいつの挑発に乗ってしまったわけだし、そもそも死蟲の出現、ひいてはその怪我は俺の慢心だ。丕業が発現し調子にのって返り討ちにあった。ただそれだけだ。
そのことを伝えると白間はばつの悪そうに、艶のいい頭部を掻く
「まぁー、なんだ。結局お前も丕業を発現させたわけだし、認めるよ。お前の生徒会入り」
「いや、入るとはまだ言っていないが。そもそも断ったからお前が文句言いに来たんじゃないのか」
勝手に入れられそうになるのを何とか食い止める。ぎゃーぎゃーうるさい白間をよそに、巴会長が口を開く。
「あの時、死蟲が侵入してきたのはまぐれでも偶然でもなく、必然だったの」
その言葉にまたも静謐が保健室を占領する。
「本来はね、この学校に死蟲は侵入できない。そうなる様に仕掛けがしてあるし専属の教師が一人常に見て回っているの。けれどその教師が殺されていたわ。勿論仕掛けのほうも壊されていた」
なるほど、その仕掛けを見て回っていたから先ほど会長は保健室に居なかったのか。
「何者かがこの学校に侵入して、教師を殺害し、死蟲を引き連れてきた。それは確実よ」
嫌な予感がした。そもそも死蟲は引き連れることが可能なのか......?
「やぁっぱりそうだったのね。殺されてた彼、ホイホイと殺されるようなタマじゃなかったわ」
物憂げな顔でそう吐き出す渚ちゃん。
「このことは、校長に報告するわ。巴ちゃんにも手伝ってもらうけどいい?」
「ええ、勿論」
「それと、白間ちゃんと、八夜ちゃん?あなたたちはこのまま夜が明けるまでここで寝てなさいな。両親には私から連絡入れてあげる。安心して」
そういうと、渚ちゃんは部屋を出て行った。
「私はそろそろ家へ帰るわ。あなたたちもゆっくり休んで。明日また会いましょう」
言って巴会長は少しふらつきながらもこの場を後にした。
薬品の匂いが微かに香る保健室で、俺たちは夜を明かすこととなった。
丕業に目覚めた時、俺が俺でなくなってゆくのを感じた。そう、変質だ。あの高揚感、快楽は人の身では無くなったようであった。
「なぁ白間。丕業ってのは使うと気分が良くなったりするものなのか?」
「はぁ?んだよ突然」
「いいから答えてくれ」
互いにベッドの上で仰向きになり天井を眺めていた。天井のシミが真っ白な部屋に散らばり、それが幾重もの小さな星に見え、反転した夜空の様であった。
「人によってちがうんじゃねーかー?俺の場合は、そんな感情よりもただ痛みのほうがつえーけどな。そもそもそんな事考えたこともねぇよ」
「そういうもんか......」
俺の周りにいる丕業持ちといえば他には阿南しかいない。あいつは、あいつはきっと。
死蟲を殺し死蟲に殺されかけて、身を削られ、なおも生きている。その全てが丕業によるものだ。じゃあこの丕業とは一体。
頭の中をそういった問答で埋め尽くしていると次第に意識が薄れ、その解へ辿りつく前に、眠りに落ちた。まるで何者かがその道を阻むかのように。