第十三話 蠢
好奇心に突き動かされるのは珍しいことではなかった。兼ねてより計画的に行動することのほうが珍しくはあった。けれど今回に至ってそれは、取り返しもつかないところまで来ていた。
気に入った一年生をもっと見てみたいという単純な好奇心に胸中を支配され、一年同士の喧嘩を放置してしまった。
案の定、白間君は八夜君を夜の学校に呼び寄せ、喧嘩を誘った。白間君が圧勝するのは目に見えていたが、伊織先生の「未知数の爆弾」という発言に興味があったのだ。もしかしたら何か面白い事が起こるかもしれない、と。
泥臭い喧嘩は白熱し、両者とも引くことはなくただただ限界まで手足を振るっていた。キリのいいところで声をかけ止めようと思っていたその時、奴らが姿を現した。
死蟲である。そもそもこの学校には死蟲が侵入できぬように特別な仕掛けとそれに付随する丕業を持った教師が一人常に警備している筈であった。なのにこの場に死蟲がいる、ということに違和感があった。
ただ迷い込んで入れるような場所ではないのだ。一度、確認の為にその場を離れてしまった。そう、離れてしまったのだ。
喧嘩していたとはいえ白間君は私の見込んだ生徒会のメンバー。丕業を持たない八夜君を置いて逃げ出すことはないだろうと信頼していたし、一分もすれば戻ってくる予定であった。
急ぎ、警備担当の教師がいるはずの職員室に向かう最中、中庭の草陰で何かが蠢くのを見た。嫌な予感がし、草陰に顔を向けるとそこに青黒く変色したズタズタの布きれと細切れの肉に群がる死蟲がいた。
警備担当の教師は一目でわかる様、特別な服を貸し出されていた。その服は青を基調としていたはず。
ではこれは今私が呼びに向かった、警備担当の教師であったもの。かつて人であったもの。
服の上から体躯を切り分けられ、人という原型なんか保っていない。ミキサーにかけられたかと思うほどだ。現実にこの場で人ひとり入れるようなミキサーなんてない。では答えは一つ。何者かがこの学校に侵入し、警備担当の教師を殺し死蟲を引き入れた。
その解にたどり着いた時、もう一つの疑念が思い浮かぶ。では先ほど白間君たちの元にいた死蟲は本当にあれだけなのかという疑念。
ここまで侵入し、封の要である教師を殺し死蟲を引き入れるような計画を立て、この学校に対し強大な憎悪ともとれる何かを持った人物がそれだけで止まるだろうか、否。
まだ何かあるはず。計画者の姿形すら見受けされないが今私が行くべき場所、それは先ほど白間君と八夜君がいたあの場。
そして来た道を全力で引き返し見た、光景。
死蟲を蹂躙する雨雲色の骨のような鎧に覆われた巨大な蟲とも騎士とも呼べる姿に変質した、私が興味を持った一年生、八夜千草。
西洋の甲冑の様に体は骨の鎧に包まれている。けれど所々殺意が具現化したかのように鋭利な棘が生え揃い、触れただけで死蟲を絶命させている。
頭部は骨の根が蔓延り、その隙間からおおよそ八夜君とは思えぬほど喜色の溢れる目が見えた。まるでこの場を楽しんでいるかのような狂気染みた目。
漸く伊織先生の言いたいことが分かった。確かにこれは未知数で爆弾だと。
そうあっけに取られていると件の一年八夜君の丕業が解かれ、元の姿に戻る。これは本人も予想だにしていなかったのだろう、次々と飛来する死蟲になすすべなく身体の一部を弾き飛ばされていく。
私自身も急いで丕業を発現させ、その場の死蟲を薙ぎ払ってゆく。どこで先ほど教師を殺した犯人がいるか分からない現状辺りに注意を放ちつつ、ゆっくりとを見渡しながら負傷した八夜君の傍に寄る。
「ごめんなさい、本当に。後は私たちに任せて」
もう少しで大事な尸高校の後輩を見殺しにするところだった。いつも周防君に言われていた、好奇心だけで行動するなと。本当に私は生徒会長に向いていない。不意に涙が零れ落ちそうになる。
本当に情けなくて、脆い。けれどそんな顔、猶更後輩に見せられないし、今はそういった反省は何の意味も持たない。今この場で必要なのは、生徒の中で一番死蟲を屠ったこの丕業と、信頼する生徒会の後輩。
「白間君、生徒会長たる私が許可します。あなたの力でこの場の死蟲を消して。私が後はなんとかするから」
努めて冷静に、生徒会長然として後輩にそう指示する。
「会長......わかりました、後は頼みます。俺とその馬鹿野郎を」
ふぅ、と一つ息を吐き右足を引く。白く白く発光するその脚を死蟲ではなく地に穿った途端、その地から耳を抉る轟音が鳴り響き、亀裂が死蟲に向かいその先から爆発してゆく。
白間君の丕業は爆撃に近い。彼自身もその巨大な力を制御できずに辺り一面を巻き込んでしまうしその爆発の余波で怪我を負ってしまう。だから普段は私が許可しない限り使用を控えてもらっている。
「ぐぅ.....がっ!」
余波で地を穿っていた彼の右脚が焼けたように黒ずみ、顔中に脂汗を掻き息を荒げる白間君。
あれほどいた死蟲は私と白間君の丕業で木っ端すら残ってはいなかった。
「本当にごめんなさい、白間君、八夜君。あなたたちの怪我は決して残したりはしないから」
スマートフォンを取り出しとある人物の番号にかける。彼ならばこの負傷した後輩たちを完治させてくれるだろう。
「もしもし渚ちゃん!」
「~~!~~~!!」
「そう、できるだけ早くお願い!」
用件だけ言うとすぐに通話を切り、横になっている二人の後輩に声をかける。
「私はいま謝ることしかできないけれど、それでもここに、傍に居させて」
きっと二人には聞こえていないだろうが、それでも吐き出さずにはいられなかった。
死蟲が蔓延っていた校庭は形を崩し、強大な何かに蹂躙されたかのように荒れ果て、数百の命は僅か三つばかりの鼓動を残し、辺りは凪いでいた。