第2話 シンシア王国と残念な救世主
「殿下、もうこれしか道はありません」
「なりません殿下!これはあまりにも理不尽な要求です!!」
シンシア王国、国王執務室。横長で長方形の、奥に40メートル、横に60メートルほどの空間。部屋そのものこそ大きいが、国の最高権力者である王が執務をするにしては、装飾などは思いの外質素であった。これは国王が無駄な贅沢を嫌い、国の民とともにありたいと言う意志の表れであった。そこに二人の声が響く。
この場にいる二人の意見を聞いたまま、国王ティレウス・ロラ・シンシアは静かに目を閉じている。短く整えられた真っ白な髪は、代々シンシア家に受け継がれてきた由緒ある血統の現れだった。
「......民を見殺しにはできん。皇国が国境付近に5000もの兵をチラつかせているのだ」
「陛下!!」
「モリス、仮に戦ったとしても、結果は見えている」
「ではマリーの言う通り降伏するのですか!?」
「降伏ではない。属国となるのだ。王国そのものは残る」
「それを降伏というのです殿下!!」
「モリス、殿下に対してその態度、改めなさい」
「......殿下、大変失礼いたしました。ですがっ!!」
現在執務室には王のティレウスが部屋の一番奥にある階段を5段ほど登った所にある玉座に座り、補佐官のモリス、マリーの2人が階段のすぐ下でティレウスと深刻な顔をして向き合っている。そして近衛兵20名が10名づつそれぞれ側壁に待機していた。
「モリス、これ以外に道は......」
ティレウスが結論付けようとしたその時、突然執務室の中心からとてつもない突風が生まれた。
「何よこれ!?」
「敵襲か!?」
モリスは突風になんとか耐えながら、周囲を警戒していた。だがこの風以外、何も怪しい痕跡などは見つけられない。一方のマリーは何が起こったのか分からないまま、風圧に負け側壁まで飛ばされる。転がりながらでも中が見えないようにライトブルーのスカートを押さえ続けたのはさすが女子といったところか。
やがて突風が静かに収まっていく。そこで執務室にいる人間一同の視線が一点に集中する。
先ほど台風のような風を吐き出していた執務室の中心に、一人の男が立っていた。長身で黒髪、戦闘用の魔術師ローブを身につけている。
男は周囲を効率よく見渡し、王の玉座に向かって跪き、頭を下げた。
「お初にお目にかかります、ティレウス・ロラ・シンシア殿下」
「何者だ貴様!!」
モリスが叫び、それに応えた近衛兵が男の周りを取り囲み槍を突き付ける。その動きは洗練されており、王を守るために普段から厳しい訓練に耐えてきたが故の賜物だった。
それに全く憶する事なく言葉を紡ぎ出す。
「突然の、このような形での謁見をどうかお許しください」
「何者だ?」
ティレウスは全く動揺しなかった。ただ彼の心の中を今支配していたのは、この男がどうやってここへ侵入したかという点だった。
「それを申し上げる前に、この兵を下げてはいただけないでしょうか。私は陛下に害を加えるつもりはございません」
「突然現れた素性の知れない男の言葉を信じろと?」
「仮に陛下のお命を奪うつもりなら、あえて突風を発生させずに転移し、首を落とすこともできました」
「転移魔法だと!?そんな形跡などどこにも......」
モリスが俄かに信じられないといった表情で男を見つめる。壮年の男性本来の精気溢れる顔つきは鳴りを潜めていた。
「私がこうして無理やり謁見の機会をいただいておりますのには、訳がございます」
「......聞こう」
「陛下、そのような男の言うことなどに耳を傾けてはいけません!!それに、言葉で催眠をかける魔法もあります
、耳を傾けては」
そう叫ぶマリーをティレウスは右手を上げて制する。
「陛下、先ほど申した通りでございます。陛下を殺める機会は何度でもありました」
「......配置に戻れ。よし、申してみよ」
その命令を受け、近衛兵は取り囲んだ時と同じように、無駄のない動作で所定の位置に戻った。
「私、正確には、私達はシンシア王国への亡命を望んでおります」
「......亡命だと?」
その言葉にティレウスの眉がわずかに歪む。
「はい。殿下。その訳を申し上げたいのですが、その前に、名乗らせていただいてもよろしいでしょうか?」
「......」
ティレウスは改めて目の前の男を見た。コバルトブルーの瞳は、底がないのではと思えるほど、澄んでいた。一方で疑問に思われるのは、この男がかもし出す雰囲気は、幾多もの戦場を、それも相当の修羅場を潜り抜けてきたのではないかと確信できるほどのオーラを持っていた。。ティレウスの中で何かが警鐘を鳴らした。
「名を名乗れ」
「はっ。私はユラ・ラフィエルと申します。以前はテラスフィア皇国にて闇の鴉の総隊長を務めておりました」
「闇の鴉だと!?」
ティレウスのこれまで微動打にしなかった不動の心が鷲つかみにされ揺り動かされた。モリーは自分の手で自分の体を抱きながら、震え、マリーに至っては腰が抜けていた。
「今から我らを侵略しようと目論んでいる皇国の暗部が何をしにきた」
「それはもはや昔の肩書、今はフリーの冒険者でございます」
「闇の鴉の総隊長ということは、貴方はあの虚無なのか?」
「今まではそう呼ばれておりました」
それを聞いたモリスはスキンヘッドにしていたその頭が文字通りそう見えるくらい青白くなっていた。
「その元皇国最強の虚無がなぜ我が国へ亡命を求める?」
「皇国、そしてその先兵である闇の鴉が今まで何をしてきたか、陛下はもちろん、ここにいる皆様もご存知でしょう。私はその所業にもはや耐えられなくなりました。私達が求めるのは無益な殺生をせずとも良い、平穏な暮らしでございます」
「私達、というのは?」
マリーが少し落ち着きを取り戻し、おさげにしている自分の髪を整えてながら質問した。
「私には妻と2人の子供がおります。家族も一緒に亡命を希望いたします」
モリスは驚いていた。このユラという男はどこからどう見ても年齢は20代そこそこにしか見えなかった。それが皇国の先兵を務めながら所帯を持てるのか。その疑問が顔をよぎった時、ユラが口を開く。
「私が所帯を持つに至った慣れ初めは時を改めてお話しします」
「お主、なぜ私の考えていたことが分かったのだ......」
「魔法によって貴方様の考えを読み取らせていただきました」
「人の思考を読み取れる魔法ってことは、天上からの拡大鏡を使ったってこと?その魔法は第8等級魔法で並大抵の魔術師じゃ使えないはずよ?」
こいつは一体何者なの?という怪訝なマリーの疑う様子に、ユラが口を開く。
「ギルドカードを提示してもよろしいでしょうか」
兵士、冒険者はどのような身分、事情があっても必ず世界共通の組織であるギルドへの登録が義務付けられている。それはユラとて例外ではなかった。そしてギルドカードにはその者のランク、ステータスが記載されている。
「よろしい。ギルドカードを見せろ」
「はっ」
ティレウスの命令に従いユラが両手を前に出しお茶碗のように形を作る。そして一瞬手の中が光った後、そこには横幅12センチ程度のギルドカードが載せられていた。そのギルドカードを見て、モリスが怪訝な表情を見せた。
「真っ黒なギルドカードだと?どういうことだ?」
そうモリスが考えこんでいた時、ティレウスが声を発した。
「マリー、ユラとやらのギルドカードを改よ」
「はっ」
キレのある声でマリーは返事をしユラの元へ早歩きで近づき、手の中にあるギルドカードを受け取った。それを見たマリーは驚愕の表情を浮かべた。
「これは!?」
ユラのギルドカードにはこう書かれていた。
ユラ・サフィエル
冒険者ランク SS
剣術技量 S
魔術師技量 SS
槍術 SS
格闘術 S
特記事項
この者は魔術師技量SS程度の実力を持つと同時に、第10級魔法の使い手であることを
ここに記す
「ランクSSだと!?そんな馬鹿な......それになぜ我が国のギルド本部へ情報が来ていないのだ!」
「やはりそうでしたか。あそこにいましたので、そのせいかと思われます。それともう1つ。私の妻ミユリも冒険者で、ランクは私と同じSSでございます。情報がこちらへ届いていないのは、私と同じく皇国の軍に所属していたためだと思われます。今は子供の世話をしているため、殿下の元へ参上することができません。改めて機会を設けていただければありがたく存じます」
ランクS以上の冒険者は通常、世界各国のギルドへと情報共有、周知される。最も今回のように大国が情報をストップさせ無理矢理隠蔽することがあり、正確な人数は分かっていない。
そしてランクSSまで到達した冒険者はここ100年の以上の間おらず、ユラは今世紀最初でもしかしたら最後になるかもしれない頂点に立っていた。
「ユラ、お主が亡命を希望するならば、タダでというわけにはいかん。お主は我が王国へ何をもたらしてくれるのだ?」
「殿下!?」
「殿下、この者を受け入れるのですか?」
モリスとマリーは怪訝そうな表情で、それぞれ言葉を発した。その意見にティレウスが僅かに笑みを浮かべて補足する。
「ユラを受け入れるか決めるのは、この主がもたらしてくれる恩恵を聞いてからだ。ユラ、申してみよ」
「はっ、殿下。私達を受け入れてくだされば、テラスフィア皇国、延いては王国に害を為す存在からの安全を確保いたします」
「そんなこと貴方達だけでできる訳ないでしょ!!」
叫びながらマリーの金髪がブンブンと揺れた。それをティレウスが再度手を上げ制した。
「どうやって安全を確保するというのかね?」
「まず私と妻ミユリの存在そのものです。私達2人は戦力として必ずこの国に貢献できます。そしてもう1つございます。私は皇国を抜けてから昨日まで、少々旅をしておりました。その旅で得た知識と今まで研究して来た魔法理論を元にした、オリジナルの魔術を提供できます」
「オリジナルの魔術だと?それはどういうものなのだ?」
「この魔法を説明するのは極めて難解なことなのですが、分かりやすく申し上げれば、国力を底上げさせる魔法でございます」
「ふむ......」
ティレウスは思わず唸る。一口に国力と言っても、あまりにも抽象的すぎる。
「もう少し具体的に説明はできないのか?」
モリスがキョトンとした顔で尋ねた。
「例を挙げます。現在シンシア王国を端から端まで旅するのに魔道車で約2日かかります。転移魔法を使うという手もありますが、扱えるものは世界でも極一部の魔術師のみです。ですが私のオリジナル魔法を用いて作られた特殊な魔道車なら、入念な準備が必要ですが最終的には数時間以内で移動できるようになります」
「それは!?......それは真にできることなのか?」
それを聞いて、ティレウスがめて驚きの声を出した。
「はい、真でございます。魔道車以外にも、この殿下が住まわれております王城の4倍以上の高さを持つ建造物を作る魔法など、生活、軍事ともに技術の底上げが可能になります」
ティレウスは目を閉じ右手を口元を覆い考える。もしこの男ユラの言っていることが本当ならば、この国を生き永らえさせることができる。そしてユラは皇国最強の突撃部隊総隊長の座を蹴って亡命を求めてきた。安息の地を求めて。
「......その言葉、偽りはないな?」
「はい、殿下。信頼は結果を出し、勝ち取る所存です」
「わかった。お主を受け入れよう。ユラ・サフィエル、シンシア王国は貴殿を歓迎する」
ティレウスの決定にモリスとマリーは納得のいかない気持ちでいたが、表情には出さなかった。我が主である王が決断したことだ。臣下である我々はそれを支えるのが役目、そう割り切れる程度には頭の柔らかい2人であった。
「はっ、ありがたき幸せ!」
そう言いユラはさらに深く頭を下げた。その態度にティレウスは若干の安心感を得た。だがその直後。
「殿下、1つよろしいでしょうか」
「うむ、どうした?」
ティレウスがユラの質問を聞こうと少し姿勢を前のめりにしたその時、ユラはマリーの目の前へ突然転移した。
「ひっ!?」
突然目の前に現れたユラにマリーが思わず恐怖で後ずさる。
「殿下、この超絶美人なレディは殿下の臣下様なのでしょうか??くりっとした丸くて可愛いエメラルドグリーンの目、形の良いバスト、官能的なまでの腰にかけてのくびれ」
「へっ!?......」
一体この男は何を言っているのだろう。だが、自分の容姿を褒めてくれているのだと脳が時間をかけて認識した途端、マリーの顔が熟したトマトのように真っ赤になる。
「そして何よりこちらから引き寄せられそうになる圧倒的な存在感を誇るヒッあがっ!!!!」
ヒップと言い終わる直前、突然ユラが頭を抱えて地面に蹲る。
「どうした!?大丈夫か!!」
突然苦しみ出したユラを反射的にモリスは心配したが、ユラは地面を転がりながら頭を押さえ苦しみ続ける。
「いっ!!!!すまんミユリ!!これは断じて浮気ではなあああ!!痛い痛い!止めてくれ!これはただの親睦を深めるために相手の女性を褒めただけなんだあああ痛い痛い!!あがっ!!!!」
それが30秒ほど続くと苦しみ続けていたユラの動きが止まった。どうやら痛みは治まったようだ。その途端、スッと何事もなかったかのように立ち上がると、改めてマリーに向き合った。
「先程は大変失礼いたしました、」
「い、いえ......私はマリーよ。殿下の素で筆頭補佐官を勤めているわ」
「マリー殿ですね、たとえ生まれ変わっても貴方のことは忘れません」
何とか、何とかどころかかなり強引であるがマリーから許しをもらい自己紹介をすませると、今度はモリスの前に転移した。
「うおっ!!」
「あなた様の鍛えあげられた筋肉、何よりその見事なスキンヘッド。これからはミラージュ殿とお呼びしても?」
「なぜ私の名前がそんな魔法のようなものにならんといかんのだ。普通にモリスと呼べ。マリーと同じ、筆頭補佐官を務めている」
「やはりミラージュ殿とお呼びするのは......」
「断じて許さん!!」
先程とはあまりにも違うユラの様子に3人とも、こちらがこいつの地か、こんなちゃらんぽらんな性格で本当に大丈夫なのだろうか、と言った不安が思わず心に芽吹く。
「......おい、ユラ」
「はっ!!!」
ティレウスがユラを呼ぶ、すると瞬時に玉座の元の定位置に転移し、再び跪いた。
「これからどうするのだ?何か策があるのだろう?」
その問いにユラは頭だけを上げ、こう応えた。
「はい殿下。現在我が国は皇国から宣戦布告を受け、国境付近に約5000人の兵が陣取っております。先程私が申した平穏な暮らしがしたいという発言とこれから行うことは矛盾しますが......」
そう言うと、フランは頭だけを上げ、微笑を浮かべた。
「その兵をこれから叩き潰します」