婚約破棄の現場で~誰もが幸せになる婚約破棄~
王子は自身と側近たちの婚約者たちを呼んでお茶会を催した。
出席者は大きく分けて二種類の表情をしている。王子を中心に座る側の笑顔と令嬢たち側の嫌なものでも見るかのように嫌悪で彼らを見る顔。
本来なら笑顔で感情を見せないぐらいはできないといけないのだが、令嬢たちはそんな気がまるでない。
それもそのはず。令嬢たちは婚約者を嫌っていた。政略結婚なのだと割り切っていたので、パートナーの必要な催しの中でも最低限出席しなければいけないものしか、婚約者と出席しなかった。それほど、王子たちを嫌っていた。
王子が輝くような金の髪に聡明そうな青い目をしていても、王子の側近たちが艶やか黒髪に整った鼻梁の涼やかな目元をしていても、銀髪に優しげに垂れた目をしていたとしても関係ない。
好きになれないのだから仕方ないだろう。
多くの者が令嬢たちに同情した。
同じ年頃の若い娘たちですら、王子たちの婚約者に同情した。そして、王子らと婚約していない自らの幸運に感謝している。
王子側の席に座っている異世界から召喚された聖女だけがそれがどうしてなのか、わかっていなかった。
「レディ・バーバラ。そなたが気付いているように、私とそなたはうまくいくとは思えない。それぞれの幸せの為に婚約を解消してくれないだろうか? 形としては、私の我がままによる婚約破棄で構わない」
王子はお茶の用意をしていた給仕がテーブルを離れるや否や本題を切り出してきた。非常に無作法だったが、令嬢たちはそれに今更眉を顰めたりなどしない。
令嬢たちは王子たちとこうして至近距離で真正面から話をすること自体が嫌だったからだ。むしろ、手っ取り早く用件を終わらせてもらえるなら、それはそれでいいという具合だった。二時間も王子たちの顔を見ているなど拷問でしかない。
「そのお申し出、喜んでお受けいたします。ところで、殿下は聖女様と生きていくということで、お間違いありませんか?」
レディ・バーバラは王子の目を見ながら、その真意を問うた。
「ああ。彼女と生きていく。そなたには今まで苦労をかけたな」
王子の返答に視線を伏せ、レディ・バーバラは小さく頭を下げる。
「いえ。これもレディ・バーバラ公爵家に生まれた者の務め。殿下の幸せをお祝いいたします」
祝福の言葉に王子もホッと胸をなでおろした。気の緩みから輝かんばかりの微笑みが零れる。
「ありがとう、レディ・バーバラ。そなたの次の縁談には私も力を貸そう。それがそなたへの唯一の償いだ」
ひっと、どこかで女の小さな声が上がる。
「ありがたくお受けいたしますわ」
なんとか口の端を痙攣させるだけにして、レディ・バーバラは言う。
「おめでとうございます、レディ・バーバラ」
やや引き攣った表情で側近たちと婚約していた令嬢たちがレディ・バーバラに声をかけた。
「ありがとうございます、皆様」
レディ・バーバラの声は心なしか本当に嬉しそうだった。
王子は令嬢たちの反応を丸っと無視して声をかける。
「レディ・レナータ、レディ・フィオナ。キャメロンとクレイグもそなたたちとの婚約を解消したいと言っているが、それで構わないか? そうなった場合、レディ・バーバラ同様、良縁を用意しよう」
「勿論でございます」
さっきまで引き攣っていた令嬢たちの表情は喜色満面だった。
「おめでとうございます。レディ・レナータ、レディ・フィオナ」
「ありがとうございます、レディ・バーバラ」
婚約解消を申し出た婚約者たちを前に、令嬢たちははしたないことながら互いに喜び合う。
王子とその側近たちは仕方がないとばかりに力なく笑って、令嬢たちのその様子を見ていた。聖女としてこの世界に召喚された娘だけが、令嬢たちに険しい目を向けている。
「ほの花、そんな顔しなくていい」
「ですが、殿下。これではまるで・・・」
王子に窘められるが、異世界の娘だけは納得がいかなかった。この世界に召喚されて何ヵ月もたつが、それでもこの世界の常識が未だに受け入れられない。
それでも、本人の前で婚約が壊れたことを喜ぶなど、二つの意味で信じられなかった。王子と言えば、婚約していたレディ・バーバラの父親よりも上の地位を持っているはずだ。それにこちらに召喚されてから何度も社交の催しに連れ出されている彼女の目から見て、こちらの貴族の女性はいつも笑顔を絶やさないようにしているか、澄ましていて、決して人前で自然な感情表現が少ないのが特徴だ。
この世界の常識を王子たちに教えてもらっている彼女には、彼らが如何に優しいか知っている。その彼らが諦観しながら生きるしかないことが、もどかしくてたまらない。
「殿下の言う通りです。気にしないでください」
侍従を務めるキャメロンが労わるように言う。
「キャメロン様・・・」
貶されているのは自分なのに労わってくるキャメロンに彼女は唇を噛んだ。
王子たちは誰も悪くないのに、こうしてひどい扱いを受けてもそれを受け入れるだけだ。抗っても無駄だとわかってしまっているくらい、彼らの心は傷付いているのだろう。
「そうですよ。わたしたちにはあなたがいてくれるんですよね、聖女様」
「・・・ええ」
銀髪を揺らしてお道化て言うクレイグに異世界人の娘は頷くしかできない。
彼ら三人はこうして心を守ってきたのだろう。気にしないように注意し、労わり合い、軽口で吹き飛ばす。
王子たちも自分たちの世界に入っていたが、令嬢たちもいつまでも今の状況を忘れるわけではなかった。
レディ・バーバラは婚約破棄の元凶である聖女に話しかける。
「聖女様も殿下だけでなく、キャメロンやクレイグも引き受けていただき、ありがとうございました」
そう言われてしまえば、異世界人の娘も令嬢たちの婚約者の心を奪った形になるので、殊勝な態度に出るしかない。実際、令嬢たちが婚約者たちを邪険に扱っていても、その婚約を駄目にした原因は異世界人の娘本人なのだから。
「いいえ。こちらこそ、皆様の婚約者を横取りするような形になってしまって、申し訳ございません」
「右も左もわからない世界で頼りにするのは当たり前ですわ。わたくし共も覚悟しておりましたもの」
「そんなをおっしゃっていただけるなんて思っておりませんでした。てっきり、web小説の悪役令嬢婚約破棄みたいに、この泥棒猫と罵られたり、嫌がらせを受けると思っていたのに、祝福してくださるなんて」
「ウェb?はよくわかりませんが、わたくしたち、聖女様に感謝こそすれ、悪意はございませんのよ。ねえ、レディ・レナータ、レディ・フィオナ」
側近の元婚約者たちにレディ・バーバラが同意を求めて見せれば、令嬢たちは飛び付くように同意した。
「ええ」
「レディ・バーバラのおっしゃる通りですわ」
レディ・バーバラはゆったりと笑いながら、異世界の娘に言う。
「聖女様。これからも困ったことがお有りならいつでも相談に乗りますわ」
「本当にありがとうございます、レディ・バーバラ」
異世界の娘は王子たちに対しても上から目線で語るレディ・バーバラの態度に腹を立てながら、テーブルの下で彼女の手を握ってきた存在の為に耐えた。
こうして、一見にこやかに婚約破棄はなされた。
非があるはずの王子側を元婚約者たちは別の相手と結婚後も支え続けていた。それはひとえに王子の妻となった聖女へのお礼の気持ちと、婚約していた間に王子たちを避けていた贖罪からだった。
輝くような色の髪よりもくすんだ色の髪。艶やかよりも枝毛のある髪が美しいとされる世界。
聡明そうな目よりも死んだ魚のような目。涼やかな目元や優しげに垂れた目よりも酷薄そうな三白眼が素晴らしいとされる世界。
整った鼻梁よりも団子っ鼻や豚っ鼻のほうが称賛される世界。
そう、この世界は聖女から見て美醜逆転した世界だった。聖女にとって目が潰れそうな美形の眩い笑顔も、令嬢たちにとっては目をそむけたくなるような気持ち悪い笑みに映る。
だからこそ、令嬢たちは王子たちと結婚せずにすんだ聖女の恩を実家にも婚家にも返させようとした。自身が結婚をしたからこそ、粗略に扱っていた王子たちへの扱いに良心の呵責をおぼえ、贖罪をする気にもなった。
異世界人の聖女召喚で王子とその側近として集められて高位貴族に養子縁組された青年たちは自分たちの容姿を受け入れてくれる理解者を得、王家は王子の側近にした高位貴族の養家、彼らと婚約していた令嬢たちの家、令嬢たちの嫁いだ婚家によって、高位貴族の家の忠誠をほぼ握ることができた。
この為に王家に不細工な王子が生まれた時に異世界人を聖女召喚する仕組みがある。
そして、聖女はこの世界で不細工な貴族の男たちを引き受ける為に一妻多夫が許されている。