私の大切な家族
巴姉さんは、仲の良い親戚というだけではなかった。
大の釣り好きで、彼女が社会人になる前はよく一緒に釣りをした。
その釣りの中で、この前のうなぎみたいな魚の捌き方も教わったのだ。
私にとっては、良き姉であり料理の師匠同然でもあった。
だけど、その巴姉さんの口からありえない人名が飛び出していた。
確かに、アリサ殿と言ったのだ。
彼女は大学卒業後、官僚として外務省に勤めていたはずだ。
いつも海外を飛び回っていて、年始休みの集いで会ったのが最後だった。
「……巴姉さん、どういうことなの?」
「立ち話では駄目だな、あそこの喫茶店に入ろう」
巴姉さんは、有無を言わさぬ風で私たちに促した。
いつもの巴姉とは違う、突き放すような言い方だ。
さらにアリサのことを知っているということは、多分政府の役人として来たということだった。
私はついに来てしまったと思った。詳しくは知らないけれど、レムガルドと地球は交流があるらしい。
そのうえ二人のレムガルドでの扱われ方を見れば、政府が動くのも仕方ない。
こんな重要人物をいつまでも放って置くわけがなかった。
私は後悔した。連れ出したのが間違いだったかもしれない。
「大丈夫、彼方……彼女に敵意はない」
「当然だな。心が読めるアリサ殿がいるんだから」
読心術も知っているけれど、アリサが断言するのなら、多分その通りなんだろう。
巴姉さんから何を言われるのか、頭の中ではぐるぐると色々なことが巡っていた。
彼女たちを引き渡せ? それとも今すぐレムガルドへ帰れ? あるいは、私はお役御免?
どんどんと顔から血が引いていくのが、自分でもわかった。
そんな私を見て、巴姉さんはふっと笑いかけた。
記憶にあるよりも、薄く固かったけれども。
「私は日本政府外務省、レムガルド対応局の者として来ている。なに、そんなに時間は取らせないさ。せっかくのアリサ殿の滞在時間を、無駄にさせるつもりはない」
政府の要請なら、私が言葉で拒否しても、どうにもならないだろう。
横に立つアリサは、何も言わずじっと私の顔を見ているだけだ。
「わかりました……。行きましょう」
巴姉さんは、それを聞くとしっかりと頷いた。
「ああ、その方がきっといい」
◇
案内された喫茶店に入ると、初老のウェイターが丁寧に、黒革のバッグを巴姉さんに手渡した。
それをさも当然のように、巴姉さんは受け取る。
年代ものの濃い木目が特徴的な、雰囲気の良い喫茶店だ。
各座席はゆったりと離されており、確かに周りを心配する必要はなさそうだった。
「この店は信頼できるいい店だ。内緒話にはよく使う」
「……政府の息がかかってるんですか?」
「手厳しいな。まぁ、そんなところだが」
あっさりと悪びれずに認め、奥の座席に腰掛ける。
「好きなものを頼んでくれ、遠慮するな」
これからのことを考えるととてもじゃないが、頼める気分ではなかった。
とはいえ店に入って何も頼まないのも座りが悪い。
仕方なく、一杯だけ頼むことにする。
「エスプレッソコーヒーで」
「……彼方と同じもの」
あ、しまった。エスプレッソはアリサに飲ませたことがなかった。
大丈夫かなぁ。
しかし言及する間もなく、初老のウェイターは見事なお辞儀をして去ってしまった。
「しかし、驚いたぞ。ニナ殿とアリサ殿のこともそうだが、天山国王との謁見をしてしまうとはな」
「……どうやって知ったの?」
「種明かしをすれば、どうということはない。あの大広間に私もいたのだ」
ええっ!? 全然気づかなかった。
あそこに居たのはてっきり、レムガルド人だけだと思っていた。
巴姉さんは苦笑し、続きを話し始めた。
その顔は、釣りで全く獲物がかからなかった時のようだった。
「私だけではない、主要国と国連の担当官もいた。最も、全員レムガルドの貴族衣装だったからな。私も化粧が濃かったし、遠目では気づくまい」
「なんと……」
「念を押したかったのは、まずこれだ。レムガルドと日本は意外と近い関係にある。実はレムガルドへ行くより、宇宙へ行く方が遥かに難しい。ツテと金、ほどほどの体重なら問題なく行けるのだ」
魔法というから、てっきり難しいものだと思っていたけれど。
でも確か王様は魔法使いが大勢いないと、行き来はできないと言っていた気がする。
「魔法使いが、地球人にもいるんですか?」
「その通り。かくいう私も、駆け出したが魔法が使える」
あっさりと認めた。まさか、こんな身近に魔法使いがいたなんて。
全然気づかなかった。
というよりも、かなり長い付き合いだけれど、そんな力があるようのは見えなかった。
「それに数十年前から電力式転移法のおかげで、安定して転移を行えるからな。詳しいことはこのガイドブックを読んでほしい」
「……ガイドブック?」
巴姉さんはバッグから大判のハードカーバー本を取り出し、テーブルに置いた。
本は綺麗に装丁がされていて、「はじめのレムガルドガイドブック」と書かれていた。
まるで旅行会社の品物のようだ。
「数十年前から行き来をしていると言ったろう。アリサ殿がいるからまず心配はないと思うが、気をつけるべき点も多い。熟読してくれ」
「は、はぁ……」
なんだろう、まさかガイドブックを渡されるとは。
いやまあ、遠く離れた未知の国といえば未知の国。
外務省として注意点をまとめるのは、ある意味当然だけれどもっ。
私の頭のぐるぐるが急速におさまってきた。
「それと日本政府として、佐々木彼方個人に通達事項がある」
来たッ。何を言われるんだろうか。
私はまだ自分の仕事を、途中で投げ出す気はなかった。
「日本政府及び国連は、佐々木彼方を全面的に支援する。必要なことがあれば、なんでも言ってくれ」
「……へ?」
「事情はある程度、把握している。代替する人員もいないし、レムガルドとの関係強化のためにも、それが最上だと判断したとのことだ」
「そ、そうなんですか?」
じゃあ、巴姉さんのちょっと怖い雰囲気はどういうことだろう。
今のところ、私にとってはありがたい話ばかりみたいだけども。
「私がこうなのはな、カナ」
私の表情から察したのか、巴姉さんがテーブルの反対側からぐっと顔を近づけてきた。
眉が釣りあがり、綺麗な顔だからこその怖さがあった。
そのまま巴姉さんは両手で、私のほっぺたをぐいっとつまんだ。
あまりの早業に、私は全く反応できなかった。
「私にも佐々木の誰にも相談しなかっただろう、カ~ナ~」
そのままぐにぐにっと、腕を上下に揺すってくる。
「いひゃい!」
「全く、いつも一人で抱え込む! 少しは周りの大人を頼れ!」
「ひゃ、ひゃい……」
ほっぺたをつままれてるせいか、うまく喋れなかった。
「聞こえない!」
「ひゃい!!」
そのまま、さらにゆさゆさと揺らして、やっと巴姉さんは手を放してくれた。
ぽっぺたがじんじんとする。
きっと、かなり赤くなっているに違いなかった。
「やれやれ、すっきりした」
椅子に座りなおした巴姉さんは、今までと打って変わり、リラックスした雰囲気だった。
どうやら、私に言うべきことを言って、気が晴れたようだ。
「大ぴっらにはいかないが、政府も出来る限り、情報収集に努めている。天山の国以外にも交流はあるからな。近いうち、魔力を含む食材の情報が手に入るかもしれない」
「……とても助かる」
成り行きをずっと見ていたアリサが、はっきりと端的に感謝に言葉を口にした。
巴姉さんはそれを見て要件は終わったとばかり、バッグと伝票を手に立ち上がった。
「もう行かなければな、邪魔をした。アリサ殿、最後に」
「……?」
「私の大切な家族です。……どうぞよろしくお願いします」
深々と巴姉さんはアリサにお辞儀をして、店から颯爽と去っていったのだった。
◇
残された私たちは、せっかく頼んだエスプレッソコーヒーを飲んで帰ることにした。
極細の豆にぎゅっと圧力をかけたエスプレッソは、独特の味わいと酸味、苦みのあるコーヒーだ。
「うん、いい香りだね……」
まず、私が先に一口飲むことにする。湯気だけでも、このコーヒーの香り高さが伝わってくる。
口に含むと、いっぱいにコーヒーの織りなす深みが広がっていく。
さすがに街中一等地にあるお店、レベルが高いコーヒーだった。
それを見て、アリサもぐっと一口飲む。
瞬間、アリサの眉がきゅっと動いた。それは、初めてみる反応だった。
「……なにこれ」
物凄いそっけない声だった。かなり、気に入らなかったらしい。
表情は戻ったが、カップを持つ手が微妙に震えていた。
「え~と、ちょっと口に合わない時は砂糖を……」
そういうや否や、アリサはばさーっと、砂糖をカップへと投入した。
当然、コーヒーの風味は即死、台無しになった。
初老のウェイターが悲しい目でこちらを見た気がしたのは、気のせいだと思いたかった。