うな丼<後編>
ウナギは日本人にとって馴染み深い食べ物だ。
すし、てんぷらと同じように、土用の丑の日が近づけば、どのスーパーでもコンビニでも見かけることができる。
それだけじゃない、ウナギを食べることは「ちょっと高い食事をする」と同義なのだ。
学生である私にとって、おいそれと口にできる料理ではない。
今日のうな丼に使ったお米は、魚沼産コシヒカリだ。
旨みと粘り、そして見た目に優れるコシヒカリは、がつんと味の強い丼物と相性がとってもいい。
かば焼きの外からちょっとだけ見える、つやつやとしたお米とは、まさに最高の組み合わせである。
お新香も京都から取り寄せた一級品だ。
気候に合わせて、丁寧に塩加減や石を変えることで、老舗にふさわしい味を引き出している。
さっぱりとしたナスと白菜のお新香は、箸休めとしても重要な役割を果たすだろう。
まず箸を持って、ゆっくりとかば焼きに触れる。
ふむ、いきなり崩れて掴めない、ということはなさそうだった。
よしよし、いきなり身が掴めないようではうな丼としては大失敗だが、そこは大丈夫だ。
ふんわりとした手応えと、舞い上がる香りがたまらない。
早速かば焼きを一口、噛む。じわっとした甘いタレと、まだ熱い身が合わさり、さらに脂の旨みが押し寄せてくる。
この複雑な味わい! これこそがウナギだ。
普段店で食べるものより、味が濃いのに柔らかい身なのは、レムガルド産だからだろうか。
多分、そうだろう。
私の技量で、専門店より美味しくなるはずがないのだから。
「濃い味の料理なのに、不思議と歯応えはないにゃ」
ニナは箸をふよふよと魔法で浮かせながら、器用に食べていた。
アリサもよく噛んで味わっているようだ。
もぐもぐとするたびに尻尾がくいっと動く。
アリサは美味しいときは犬耳や尻尾が動くので、わかりやすかった。
「タレがしみこんでいて、とても美味しい……脂は後から塗るの?」
「元からこういう魚なんです。逆に脂を落とさないと、固くなっちゃいます」
脂を落とし過ぎるくらいだと、逆に焦げて、おいしくなくなっちゃうんだけどね。
火加減と返しのタイミングが実に難しい。
さて、二口目はいよいよご飯と組み合わせて、口に運ぶ。
タレと脂がほどよくお米に移り、しっとりとした食感が素晴らしい。
噛めば噛むほど、口の中においしさが広がっていく。
お米とウナギの味が互いを高め合い、煮詰めたタレが彩りを添える。
うな丼は濃い料理だけれど、お新香がいいアクセントになっている。
今度は山椒をかけてみる。
ぴりっとした香りが、ウナギにまた違う深みを与えてくれる。
口に入れると、辛みと甘さが響き合い何重もの旨みを生み出している。
他の魚では味わうことのできない、重厚さがうな丼のおいしさだった。
そうこうしているうちに、あっという間にうな丼を食べ終わってしまう。
夏前だし、ちょうど食べたい料理でもあった。
出来映えを確認しながら食べていた私と違い、二人はとっくに食べ終わっていたらしく、今は茶を啜っている。
ほくほく顔なので、きっと二人の味覚にも合ったんだろう。
ウナギは外国人にも人気なメニューでもあるのだ。
「焼き魚とは思えない料理だったにゃ。神の髭と言われるのも納得にゃ」
「あぶるようにじっくりと焼く。それが秘訣……」
「プロは炭火で焼くんですけどね」
私が何気なく言うと、ニナが驚いた顔でまじまじと見つめてくる。
「ひねれば火が出るコンロがあるのに、すごい執念にゃ」
「言われれば……確かに」
「……おかげで、またレムガルドでは食べられない料理に出会えた。おいしかった」
「その通りにゃ、満腹にゃ!」
良かった、心配だったけど好評だったようだ。
残念なのは、肝吸いみたいなサイドメニューができなかったことか。
今度はちゃんと、挑戦したいなぁ。
褒められて気分が良くなった私は、もう前向きに次回のことを考えているのだった。
◇
後片付けに食器やまな板を水洗いしていると、珍しくニナが近寄ってきた。
邪魔しないように気を使っているのか、そろりそろりとした足取りだ。
「ちょっとお願いがあるにゃ、彼方」
「かしこまって、なんです?」
ニナはリビングのアリサの方を振り返り、意味ありげな視線を送った。
当のアリサはご飯を食べて眠くなったのか、力を抜き切ってソファにもたれ掛かっているようだ。
「いつもの買い出しなんだけどにゃ……」
ニナの声は、ぎりぎり聞こえるくらいの大きさだ。
仮家の買い出しは、全般的に私の仕事だった。
食材はもちろん、細々とした生活用品、それに二人の暇つぶしアイテムまで。
地球よりもレムガルドの方が魔法的に遠いらしく、極力やり取りは控えているらしいので、このようなやり方になったのだ。
いつもは欲しいものは紙に書いてもらっている。
なので、内緒話みたいに話しかけてくるのは不思議なことだった。
「アリサもちょっと、連れ出してほしいにゃ」
「……それはいいですけれど、大丈夫なんですか?」
少し説明されたのは、二人は仮家に魔法で縛られている状態で、無制限に地球やレムガルドへは行くことができないらしいということ。
移動だけでなく滞在にも魔力を使ってしまうので、今もレムガルドからすぐ戻ってきたのだ。
そして、その束縛の魔法を解くのに大量の魔力が必要――それが、魔力を含む食材が必要な理由だったはずだ。
「魔力はちょっと余裕があるにゃ。……アリサにとって、ずっと仮家にいるのは多分良くないのにゃ」
そういわれると、アリサは一人で暇なときは割と寝ているか、運動をしているかだった。
ニナは対照的に本を読んで、書き物もたくさんしていたと思う。
仮家での過ごし方は、二人で対照的だった。
「彼女に気分転換させてあげたいってことですね」
「そういうことにゃ。アリサは魔法使いにゃけど、元々は自然や生き物を対象にした魔法が専門にゃ。仮家にこもりっぱなしだと、調子が狂うと思うのにゃ……」
耳と尻尾で、どうしてもアリサを見ると犬を想像してしまう。
性質まで犬に近くても違和感はないけれど。
犬はたいてい、散歩させる必要がある。
猫は品種によっては、散歩の必要性はない。
むしろ、外出を怖がる品種もいるくらいなのだ。
人間でもずっと不本意に家にいなくちゃいけないのは、苦痛だろう。
尻尾と耳は……まぁ、転移するより隠すのが大変ということはないと思う。
「気にしないでください、私は大丈夫ですよ。アリサはいい子ですし、買い物がてら、出かけるのも楽しそうです」
これは本心だった。
あまり感情を顔には出さないし物静かだけど、ストレートにおいしいものはおいしいと言ってくれる。
それに本人は気づいてないかもしれないが、私に対するスキンシップも多い。
可愛い妹分か後輩のようだった。
「良かったにゃ……。それと、もう一つ頼みたいことがあるにゃ」
先ほどとはうって変わり、気楽な口調でニナは話しはじめる。
おおっと、ちょっと嫌な予感がしましたよ。
「アリサとのお出かけの後でいいから、さっと渡せるような小さい何かを作って欲しいのにゃ。次会うときに、王様にお返しするのにゃ」
「な、なーーー!」
思わず、大声を出してしまう。
今、なんと言いました!?
「わ、わたしに王様に渡す料理を作れと!? いやいやいや、無茶でしょ!」
「逆にちゃんとした料理は控えてほしいにゃ。仮家から持ち込むのにゃから、大きければ大きい程魔力を使うにゃ。小さければ小さい程、いいにゃ」
「そういうことじゃないですっ!」
ニナは深いため息を一つした。
言い聞かせるように、ゆっくりとした口調だ。
「王様と話をしたにゃ? なら、そうそう怒ったりする性格じゃないとわかるにゃ」
「……そ、それは、まぁ」
なにせ、正装もしてない私に眉をひそめることもなかった。
わたわたと敬語も怪しかった私にも、丁寧過ぎる物腰だった。
思い返しても、人当たりの良さは半端ない王様だ。
「それにレムガルド人の料理事情は、地球に比べたらお粗末にゃ。彼方が作ったものなら、泣いて喜ぶにゃん」
少しひどい言草だったけど、覚えはある。
二人が褒めるには、地球の料理はレムガルドより遥かにレベルが高いらしい。
文明度に違いがあれば、作れる料理にも差ができるのは当たり前なんだけれど。
それに王様もお世辞だろうけど、私の料理を食べたいと言っていたのも確かだった。
お返しをしなくちゃいけないのも、その通りではあるけどさ!
「だから、気負わずにやれば大丈夫にゃん!」
ぐるぐると頭の中が揺れ動く私に、軽々しくニナは言い放つ。
夢にも見ない恐ろしい展開だった。
正直、気が重い。
しかしニナはいい笑顔で、私の脚をぽふっと触るのみだった。




