うな丼<前編>
仮家に戻った私は、リビングでニナとアリサの魔法をぼーっと見ていた。
ウナギは持ち帰った花瓶に入ったままだ。
今、花瓶の上に二人は手かざし、何やら小声で唱えていた。
ぼんやりと紫、薄緑と花瓶から様々な光が放たれては切り替わっていく。
これがいわゆる下処理らしく、調理中にも魔力を逃がさなくなるらしい。
「魔力は栄養素にゃ。普通に調理するとなくなるにゃ。かといって生でも駄目にゃ」
「だから下処理が必要なんですね」
もう五分以上、二人は下処理をしていた。
さっきの転移の手間暇を考えると、かなりの作業と言えるかもしれない。
ウナギも川魚なので泥臭さを抜くため日を置かなくてはいけないけれど、それはちゃんとしてあるということだった。
「あとは魔法さえかければ、普通の食材として扱えるにゃ」
「……それなんですけど、ちょっといいですか?」
私は手をちょこんとあげた。言うかどうか迷ったが、これはれっきとしたお仕事なのだ。
しかも王様から頂いたという、名誉の食材でもある。
決して無駄にはできない。
「この魚はウナギって言うんですけど……私はウナギを扱ったことがありません。知り合いにはちゃんと料理できる人がいます。その人に依頼した方がいいと思うんです」
「……だめ」
即座にきっぱりとした口調で、アリサから却下された。
ニナも私に向きなおり、右手で顔をごしごしと擦りながら話しはじめる。
「<料理の神>の加護を持ってない人間が調理しても、意味ないのにゃ。」
「……彼方は<料理の神>の加護を持ってる」
初耳だ、私にそんな神様がついていたなんて。
でも、私らしいと言えば、私らしい。
「ストイックで真面目なのはいいことにゃけど、この仕事は彼方しかできないにゃ。<料理の神>の加護を持つ人は、本来は神が食すべきものを、人の食せるものに変えられるのにゃ」
でも私にはウナギをきちんと調理する自信はまるでなかった。
俗にウナギ料理の難しさは串打ち三年、裂き八年、焼き一生と言われるくらいなのだ。
「調理に失敗しても……魔力は取り込める。重要なのは、彼方が調理するということだから」
「そ、そうなの……?」
「効率は悪くなるけど、その通りにゃ」
ニナが私の足元にすり寄り、右腕でびしりと私をさした。くわっと、私を見上げる。
「成功か失敗じゃないにゃ! やるか、やらないかなのにゃ!」
アリサも、こくんと頷く。失敗の経験のうち、ということだろうか。
確かにウナギを調理する機会が、そうそうあるわけじゃない。
それに雇い主がここまで言ってくれるなら、やらないわけにいかなかった。
私は気持ちを切り替えるため、両の手の平で、頬をはたいた。
顔がじんじんとするけれど、気合は入った。
丁度、花瓶から紅い光が放たれ、それを最後にすっと光が消える。
「……はい!」
私は覚悟を決めて、勢い良く、二人に返事をした。
◇
処置が終わったウナギを、長い木のまな板に載せる。
ウナギの長さは測ったら六十センチほどだった。これなら一匹でも、かば焼き数枚は取れる。
そう、私はやはりウナギ料理の王道、うな丼を作るつもりでいた。
最初に注意することはウナギの血には、毒があるということだ。
加熱すれば毒性はなくなるけれど、調理中は気を付けなければいけない。
感覚は鈍るけど、私は念のためビニール手袋を装着した。
プロの職人はもちろん素手でやるんだけど、私にそんな技量はなかった。
まず背がこちらに向くようにウナギをまな板に固定して、刃を入れる。
関東では一般的な、背中から刃を入れる背開きだ。
骨があって一気にいけないので、刃を寝かせノコギリのように前後して裂いていく。
技量がないと、ここで身がギザギザになってしまい、味も見た目も落ちてしまう。
身を裂いたら内臓をとり、中骨も同じように刃を前後させ取り除く。
本当なら肝は肝吸いに、中骨も揚げて食べることができる。ウナギは本当に無駄がない。
だけれど今回はかば焼きだけで精いっぱいなので、泣く泣く捨てるしかない。
ここまで終わったら、後は洗うだけだ。血合いも取り、身をしっかりと水で洗う。
血のついたところは、熱湯で消毒しなくちゃいけない。
達人だと白身に血をつけないで捌けるらしいけど、とても私には無理そうだった。
捌くのですら一苦労だけれど、ウナギ調理の大変さはここからが本番だ。
金属串を身に通していく。一番の失敗は身が崩れてしまうことなので、間隔を短くし多めに打っておく。
焼くのは炭火が主流だけど、当然そんな設備はない。私はガスコンロに置ける、魚焼きを使うことにした。
良く熱した網の上に、串を通したウナギの身を置き、焼きはじめる。
しばらくすると身から透明感がなくなり、クリームみたいな色になってきた。
そうしたら身を返して、表側を焼きはじめるのだ。
数分したら、また身を返して裏側にする。両側を均等に焼いていく。
もちろん、この焼きだけでも三十分以上かけなくちゃいけない。
汗が額から浮き出るし、腕も強く熱せられる。タオルで汗を拭きながらの調理だった。
この工程を十数回繰り返すと、脂も焼けて焦げ目ができ、全体がきつね色になる。
良く知る、かば焼きの色だ。この頃には、落とした脂の匂いが濃厚に立ちこめている。
やっとタレをつける状態になったのだ。
タレはオーソドックスに、醤油、日本酒、みりん、砂糖を煮詰めたものにした。
専門料理店では、出汁として頭や骨も使うのだ。……なんて奥深いんだろう!
タレをつける頃には、身はかなり縮み半分くらいになっていた。
ハケにタレをつけ、さっと全体に塗る。おわっ、脂がタレを弾く!
一瞬、手が止まるけれど、これではタレは乗ってない。
さらに二回、タレを塗っては返し、裏側も同じように塗って焼く。
しっとりとタレがしみれば、焼きも終わりだ。
甘辛いタレと脂が混じり合り、ほどよく焼けた香りが食欲を否応なく刺激する。
焦げ茶色のふっくらとした身は、まさに夏の風物詩だ。
これで、やっと完成と言っていい。ウナギのかば焼き!
ほかほかの白米をお椀によそって、かば焼きをそっと一切れごとに丁寧に乗せる。
身が少し崩れ気味にほろろっとなるけれど……もう、気にしない。
でも、形と色はそれなりのように見える。
最後に私は、なすと白菜のお新香を冷蔵庫から取り出した。
甘さと脂が濃密なうな丼と、塩味が効いてるお新香は、江戸時代からセットで食べられている。
私もここは伝統に従おう。
リビングにうな丼三つとお新香、お茶を持っていくと、ニナが床にごろりと寝そべっていた。
なんとも猫らしく、だらーっと手足を伸ばしている。
「こんないい香りで待たせるとは、罪な料理にゃ……」
「……この料理も、レムガルドにはなかった。不思議なにおい、でもおいしそう……」
アリサもぱたぱたと、尻尾が激しく揺れている。
二人とも、待ちきれないようだ。私も大変だったけど、最後のほうはずっと匂いを嗅がされつづけていた。
緊張しっぱなしの料理だったけど、お腹はぺこぺこだった。
テーブルに配膳し、三人とも席に着く。
目の前に置かれたうな丼を見て、意外にも二人は目を丸くした。
「……焦げてるっぽいにゃ?」
「気持ちはわかりますけど、元々こういう料理です」
なるほど、ここまでじっくりと丹念に焼く魚料理は珍しいかもしれない。
「匂いのもとは、このタレ……」
舌なめずりをしたアリサはじーっと、うな丼を見つめる。
私も、もう待ちきれなかった。
手を合わせ目配せをすると、二人も手を合わせた。
「じゃあ、食べましょう――いただきますッ!」