ニナとアリサの卵かけごはん
これは、彼方と巴が奥多摩へと旅行へ行っている間の話である。
ニナとアリサは、いつも通り仮家でのんびりしていた。
映画を観たり、本を読んだり、ゲームをしたり。
では、食事はどうなのであろうか。
彼方がいない時、二人は作り置きをメインで食べていた。
あるいは、料理とはいえない料理――きゅうりをまるかじりしたり、オレンジの皮をむいて食べたり等だ。
最近では電子レンジという小技を覚えたので、食べられる品数が増えたのだ。
とはいえ、彼方なしでの調理はしたことがない。
神祖たるもの、人間ほど食事をとる必要もない。
なので、こんな粗食でも大丈夫なのだ。
しかし、今日は少しばかり様子が違った。
「ニナ、ごはん食べよう」
「んにゃ? それはいいにゃけど……」
ニナが訝しんだのは、アリサがお米の入ったお椀を持っているからではない。
炊飯器からご飯をよそうのは、今では珍しくない。
炊くのは彼方がいなければ出来なかったが。
後は冷蔵庫から二、三品小鉢を持ってきて食べるのが、普段の食事だった。
コンロは怖いので、まだ使えない。
ひねれば火が出るということに、まだ二人は慣れることが出来なかったのだ。
それでも彼方のこと、おひたしから煮付け、あるいはチーズと野菜をあわせた冷菜等、飽きさせない様に工夫を凝らしてはいた。
今、アリサはそういう小鉢をお盆に乗せていなかったのだ。
あるのは、お椀と……小さなお皿に卵だけ。
冷蔵庫にあった卵は当然の生卵、殻がついたままだった。
ニナに生卵を食べる野蛮な趣味はなかった。
思うに、たまに彼方は妙な料理を出してくるのだ。
この前は「かつおぶし」なるものが出てきた。
削って調味料に使うのだという。触ってみると、まるで固い木のようだった。
魚を乾燥させたものらしいが、あまりに奇妙な食べ物だった。
アリサが今持ってきた卵も、そんな雰囲気がする。
ニナは、レムガルドでは想像もつかない料理の気配を感じた。
「卵をどーするのにゃ?」
「……割る」
アリサは皿にこんこんと卵を軽く打ちつけて、殻を割る。
強く打ちすぎて、ばしゃっとはならなかった。
卵くらいの扱いなら、アリサも問題なくできるのだ。
「醤油を卵にかける。あんまり多くはだめ、ちょっとだけ」
醤油を黄色いぷりっとした卵に一周させる。
ニナには、アリサが何をしたいのかわからなかった。
次に箸を持ったアリサは皿を持って、勢い良く卵と醤油をかき混ぜ始めた。
十秒ほど混ぜると箸を置いて、アリサは皿をお椀の上に持って、傾ける。
「ご飯にかける……」
「待つにゃ」
肉球をアリサの前に出して、ニナはストップをかけた。
「なんで、かけちゃうのにゃ?」
「これは、そういう料理。彼方は卵かけごはんって言ってた」
「どうして、生卵にゃ?」
ニナはうなだれていた。時たま、日本人の感性はわからない。
卵は煮るか焼くかだ。生で食べる習慣は、レムガルドにはなかった。
生で食べざるを得ないのだとしたら、それは餓死寸前の時だけだ。
ニナの認識は、そういったものだった。
「私も彼方に聞いた……そうしたら彼方はこう答えた。口を、へにゃっと曲げながら」
アリサが困ったような、考えるような微妙な表情で口角を上げた。
どうやら彼方の真似らしい。割と、似ているかもしれなかった。
「日本人は、素材を大切にする。新鮮で、そのままの味わいを楽しむんだって」
「……本当かにゃ~」
ニナはあからさまに疑わしいという目をアリサに向けた。
そうだとしたら、この前のかつおぶしは何だったのか。
赤身を極限までかちかちにして、素材そのままとは言い張れないだろう。
「本当だって……じゃ、かけるね」
アリサは躊躇なく、醤油混ぜ生卵を白いご飯へとかけた。
「あ……にゃ……あ……にゃ……」
ニナは声にならない声で、恐ろしいその行為を見つめる。
長い時を生きてきたニナでも背筋が震える所業だった。
アリサはさらに、もう一つの生卵を割り、同じように醤油を混ぜる。
「あっ、私は別にかけなくていいにゃん!」
「……だめ、ニナも私と同じものを食べる」
アリサははっきりと言うと、生卵をもう一つのご飯へと投じた。
アリサはニナの戸惑う心を読んでいたのだろう。
止める間もない。
「ふう……これが、日本料理」
「卵かけただけにゃん」
「でも、レムガルドではやらない」
地球でも、生卵を供することは日本以外でもある。
多いのはフランス料理だろう。タルタルステーキ、カルボナーラなどなど。
しかし無数の卵料理からすれば、やはり生卵を使うのは非常に珍しいのだ。
「ご飯が冷めるとおいしくない。すぐ食べよう……」
「……うにゃ~」
『いただきます』
アリサはお椀を手に取り、早速食べ始めた。
濃いダークブラウンの黄色がご飯を覆っており、生の白身が揺らめいている。
匂いは、ほとんどない。生臭いわけではない。
わずかに醤油の匂いがするだけだ。
口の中にかきこむと、不思議な味がする。
甘みがあるお米とまろやかな生卵、ちょっとした酸味、コクのある醤油味。
全てがばらばらなようでいて、舌の上ではうまく融合していた。
噛んだ感触はぬめっとしているが、醤油が緩衝材になり、米を助けてくれる。
生卵は食べないという観念さえ捨てれば、アリアリな料理だった。
ご飯以外のパンでは、きっとこううまくはいかないだろう。
醤油と卵というパートナーあって、ふんわりとしたご飯が生きるのだ。
ニナもおっかなびっくり、箸をつけて食べ始める。
「……うにゃ……!?」
目を見開き、一度ニナはお椀をテーブルに置いた。
「だめだった……?」
「そういうわけじゃないにゃ……」
ニナはため息つくと、じっとお椀を見た。
また一口分食べると、ニナはほうっと息を吐く。
「……卵かけご飯はおいしいにゃ。でも、日本人はやっぱりちょっと、変にゃ……」
そういうと、ニナは抑えが外れたように勢いよく食べ出した。
アリサも、かなりの速度で、食べ進める。
たまごかけご飯だけの食事だったけれども、二人にはそれ以上いらなかった。
このあと、二人ともおかわりをして、炊飯器のご飯はなくなってしまった。
彼方が帰ってくるまで、もうご飯は食べられない。
その事実に、少しだけ尻尾が垂れるニナとアリサなのだった。