釣れない筈はない釣り
東京とは違い日光が樹木に遮られる奥多摩は、いくぶんか過ごしやすい。
道路のコンクリートも影になっているので、熱を持たないのだ。
信号も少なく一定の速度で走れるので、窓を開ければ冷房は必要ない。
道路はカーブが続き、ガードレールのすぐ向こうは崖になっている。
山の間には渓流が見え、石に覆われた河川敷ではバーベーキューをやっている人がそこかしこにいる。
山の見上げれば伐採の後か、ところどころ剥げているのが奥多摩らしい。
これも、生活に根ざした山だからこその風景だ。
「ゆっくり行きましょうね、巴姉さん」
「わかってるさ、おおっと」
ぐいいっと巴姉さんがハンドルを切りそうになる。
怖い。ガードレールを突き破れば、崖下に真っ逆さまなのだ。
奥多摩の道路では競輪とかの練習の為か、たまに自転車が爆走している。
それを避けようと巴姉さんが、過剰に反応したのだった。
ちなみに私の目からは、ハンドルを切る必要はないように見えたんだけどねっ。
曲がりくねる道をしばらく走ると、目的地の釣り場へと到着した。
駐車場にはすでに結構な車がいる。
巴姉さんは比較的空いているところにいくと、私に先に降りるように促した。
「カナ、先に降りてくれないか?」
「それはいいけど……」
「バックで駐車するという、高等技をやるんだ。不安だから間隔を見てくれ」
いや、それはむしろ基本技では。
と思ったが、今さら口には出さなかった。
四苦八苦する巴姉さんを誘導し、なんとか駐車させる。
「ふう……」
なんかすでに一仕事終えたみたいな、巴姉さんであった。
◇
管理釣り場では、釣り餌以外にも貸し竿なんかもあり、手ぶらで釣りをすることもできる。
まあ、私たちは自分用の釣り竿を持ってきてるけど。
餌は現地で買ったイクラを使うことにする。
「最近はこういう餌があるからいいですよねぇ……」
釣り針にイクラを刺しつつ、私がつぶやく。
生餌よりもはるかに気は楽だ。
「これも裾野を広げようとする試みの一つだな。さて、準備もできたし行くか」
巴姉さんはさすがの手際だった。
パンツルックに、髪にかけたサングラスも妙に似合う。
大小さまざまな石の川原を、素早く飛び移っていく。
ごうごうと力強く流れる川に落ちる気配もなく、あっという間に移動する。
お昼前の時間でも週末だからか、かなりの人出だ。
すでに釣り終えた人は川からちょっと離れた場所でバーベキューをしている。
ここでは鉄板も燃料も有料で貸し出してくれる。まさに手ぶらでアウトドアだった。
「あまり密集してもしょうがないからな、この辺りでいいか」
巴姉さんは周りを見渡し、釣り竿を構え、ひゅんと糸を垂らす。
入口に比べると足場の石は不揃いで、あまり物も置けない。
そのせいか、人は格段に少ない。
岩と川のぶつかるところ、いわゆる溜まり的な石の上に陣取る。
後ろは完全な森で、目線が普段よりもかなり高いのがいい感じだ。
こういう水の音と、ひんやりとした木の間に立つのは、都会ではなかなかない。
車や鉄筋の音からも解放され、聞こえるのは人と虫、バーベキュー、あとは自然の音だけだった。
私も隣に並び、釣り糸を垂らしはじめる。
ここからが根気と、一瞬の駆け引きの時間だ。
「時にカナ、向こうは大丈夫か?」
巴姉さんが釣り糸に集中したまま、問いかけてくる。
「……うん、大丈夫。返礼品もちゃんと渡せたし」
「それなら、いい。カナも成人だからな。頼っては欲しいが、自立も必要だ」
巴姉さんはそういうと、釣り糸を引き上げた。
目を細めて見ると、針の先からイクラが消えている。
あれ、今当たりがあったかな。
竿が動いた気配はなかったし、喋りながらとはいえ巴姉さんが見逃すはずがない。
そう思っていると、巴姉さんは流れる川を覗きんで、肩をすくめる。
「流れが急すぎたな。イクラが吸い込まれただけだ……」
「あっ……!」
私も引き上げると、釣り針からイクラはなくなっていた。
どうやら岩と岩の間、流れが強すぎるところに来てしまったらしい。
「ま、場所を変えればいいだけさ」
巴姉さんはまた足取り軽く、ぴょんぴょんと移動していく。
見かけは出来る都会のOLなんだけど、やっぱりアウトドアにはめっぽう強い。
そうしてポイントを移動して釣り糸を垂らし始めた私たちだけれど、成果はほとんどなかった。
釣れたのは小さなニジマスが一匹だけ。
すでに入漁料として二人で五千円以上払い、小一時間の成果としては残念極まりないものだった。
このままでは帰れないが、私たちは焦ってはいない。
管理釣り場では、もう少しで<アレ>が始まるのだった。
それは、上流から始まった。途端に歓声が上がり、遠くの人から次々とニジマスを吊り上げていく。
子ども連れのなかには、初めての子もいるのだろう。おおはしゃぎだ。
親も子どもに手を貸しながら、自分も釣り上げていく。
熱気が私たちの近くまで押し寄せて来た時、釣り竿に当たりがきた。
くいっと竿が引っ張られるのを感じた瞬間、ぱっと腕を振り上げ、ニジマスを釣り上げる。
「ほぅ、うまいじゃないか!」
巴姉さんも当たりが来ていたようだけれど、すでに釣り上げて針を魚から外していた。
早くも次のイクラを針にセットしている最中だ。
「……やっぱりここは<これ>があるからいいですよね」
「釣りからすれば、多少邪道かも知れんがな。ま、レジャーとしては楽しいさ」
そう、管理釣り場では定期的に魚を放流しているのだ。
その瞬間からしばらくは、入れ食い状態である。
お腹を空かせた魚の量が増えれば、当然釣れる量も増えるのだから。
とまあ、しばらくの間、私と巴姉さんはニジマス釣りを堪能したのだった。




