奥多摩へ!
それは、ある日の巴姉さんのメールからはじまった。
『今度の休み、どこか行かないか?』
先の一件以来、メールでやりとりをしている巴姉さんからのお誘いだった。
社会人になって以後、巴姉さんとは連絡が途絶え気味で、一緒に遊びに行くこともなくなっていた。
たんに忙しいんだろうなと思っていたけれど、今ではレムガルドへの出張で連絡ができなかったとわかっている。
なにせ、電波が一切入らない。かなり心苦しかったと、後に告白されたのだ。
今では私もレムガルドを知っているので、そのあたり調整しながら連絡を取っていた。
『行きます! ぜひぜひ!』
久しぶりに、巴姉さんの技も見たくなったのだ。
それに、巴姉さんが大切な家族であることは、ちっとも変わらない。
私が二つ返事でオッケーすると、話はトントン拍子に決まった。
今度の週末、一泊二日、奥多摩!
というわけで、私は久しぶりに遠出をすることになったのだった。
土曜日の朝、私は荷物を持って家の前に立っていた。
麦わら帽子に、日焼け防止の薄いけれど長袖の服。
もちろん奥多摩へ行くのでしっかりとしたスニーカーも履いていた。
私の家は、生活道路に面したマンションだ。
ゆっくり気をつけないと、車がすれ違いできない程度の道幅しかない。
じりじりとコンクリートが夏に熱せられており、ぼんやりと蜃気楼を生み出してきた。
セミの鳴く声が、けたたましいほどに、コンクリートジャングルに反響する。
時間になると巴姉さんは、道の向こうから小型のレンタカーでやってきた。
運転免許を持っていない私だけれど、『わ』ナンバーの車がレンタカーであることくらいは知っている。
黒で飾り気のない、ちいさい車だった。
それでも女の二人旅なら、こんなのでも十分だろう。
「ここでーすっ!」
私が手を振ると、巴姉さんも右手を上げて応じてくれる。
そのまま私の隣で車を止めようとするけれど、ものすごいブレーキ音が鳴った。
ぐぐっと黒光りする車体が沈みこんだ気さえする。
おやおや? 私に横付けするだけで、どうしてこんな音がするのかな?
巴姉さんが窓を下げて、私に挨拶してくる。
「よ、よし。時間通りだな。行こうか」
声がちょっと震えてませんか、巴姉さん!?
「そんなことはないぞ……ブレーキが急すぎたのは事実だが」
「結構な問題だという気がします」
「大丈夫、免許点数は十分残っているからな」
「減る前提は駄目ですよ!?」
なんということだ、まさか巴姉さんともあろう人が……!
とはいえ、うだうだ言っても始まらない。
私はすでに釣り道具やら巴姉さんの荷物やらが置いてある後部座席に、自分の荷物を放りこむ。
車の楽な点はやはりここだ。貴重品だけを持つだけでいい。
私は助手席に、ちょこんと座る。
「最近、レムガルドへの出張続きでな。元々ペーパードライバー気味だったのが、すっかり運転をしなくなってしまった」
「……急ぐ旅でもないので、安全運転でお願いしますっ」
「わかっているさ」
巴姉さんはアクセルを踏み込み、車を発進させた。
グオオッっと危険な音を立てて、車が走りだす!
「……すまん、すこし吹かせ過ぎた」
私が何か言う前に、巴姉さんは謝ってくるのだった。
◇
その後、巴姉さんとのドライブは特に問題はなかった。
左車線をずっと、ちびちびと走行するだけだったのだから。
煽られようが、追い越されようが、動じずにマイペースに走っていた。
奥多摩は高速道路を使えば、私の住んでいる東京二十三区から数時間で到着する。
同じ東京都だけれど、奥多摩はまさに大自然の恵み溢れる土地だ。
一面の山と、そのふちに張り巡らせた道路、渓流釣りやバーベキューが楽しめる観光地だ。
手ぶらでもいいところが多く、まさに夏にぴったりのアウトドアが楽しめる。
奥多摩湖はぐるりと回るだけでも、水面と樹木の対比が素晴らしい。
紅葉のころには、ツーリングに方々が大勢集まるのだ。
奥多摩がそういった環境であることを物語るのに、一つ面白い話がある。
コンビニに薪が売っているのが、奥多摩なのだ。
私も子どものころは、親戚で結構行ったものだった。
最後に行ったのが高校生だから、数年ぶりということになる。
「本格的な渓流釣りにしようかと思ったんだがな。腕もなまっているし、管理釣り場で構わないよな?」
「もちろんです、私も……正直、あまり釣りはできていませんし」
釣りには、二種類ある。渓流釣りは本格的に楽しめ釣る魚の数は自由が利く半面、許可外の魚や規定サイズ以下の魚は釣り上げてはいけない。
釣れるかもしれないが、まるで成果のないこともある。
管理釣り場は、自然の釣り堀と言った方がいいかもしれない。
釣る魚の数には決まりがあるけれど、定期的な放流があるので全く成果のないことは珍しい。
一泊二日程度で手軽に楽しむなら、後者だろう。
青梅を過ぎるあたりから、民家の数はめっきりと少なくなる。
その代わり、木々と畑が増えてゆくのだ。
梅の産地を越えてゆくと、段々と道路に傾斜がつきはじめる。
いつの間にか、杉が増えてくる。気温もちょっとだけ下がっていく。
窓の外を見ると、一面に濃い緑の世界が広がっていくのだ。
橋とトンネルが続き、山に囲まれた地域に入る――いよいよ、奥多摩に到着したのだった。




