抱き枕、珍しきもの
名前を呼ばれた気がして、私は眼を開けた。
喉がいがらっぽく、眼はしょぼしょぼする。
ベッド際の壁が、足の裏に当たる感覚がする。
「……起きた?」
「ふぇ……?」
くもぐった声が聞こえてくる。
しかも私の隣、布団がもっこりと膨らんでいた。
アリサだ、アリサが同じベッドに寝ている。
掛け布団をそっとめくると、そこには案の定アリサがいた。
私の腕を枕がわりにしているみたいだった。
見慣れた可愛らしい耳が、私の胸のなかに収まっている。
犬耳はぴくぴくと動いており、周りをうかがっているみたいだった。
野原というか草の乾燥した、いい匂いが彼女からしていた。
この状況は、私が彼女を抱き枕にしてるも同然だった。
どうしてこんな状況になったのだろう?
でもそんな自問自答とは裏腹に、私は昨夜のことを思い出しつつあった。
それは確か、戻ってきた後のことだ。
カクテル一杯で、もう私はほろ酔い気分だった。
さらに緊張の糸が切れたせいか、戻ってくるなりどっと酔いが回ってきたのだ。
「向こうに行っていたのは一時間だったけど、お疲れにゃーよ」
ニナの言葉を聞いている余裕は、もうその時にはなかった。
私はくらくらになり、ふらふらだった。
さっさとベッドに倒れこみたいだけの、私だったのだ。
「せめて、歯を磨いてから寝るにゃん」
「……はい……」
ニナとアリサに半ば抱えられ、私は歯磨きをした。
鏡に映るのは、目がなかなかに死んでる私だ。
「しゃこしゃこ……しゃこしゃこ……」
歯ブラシを持った右手をニナが支え、左肩をアリサに抱えられる始末だったのだ。
我ながら、呆れる状態だった。
いくらなんでも、お酒を飲み慣れてなさ過ぎた。
いや、言い訳をするとあまりに物凄い夜だったのだ。
私の頭の容量をオーバーフローしてしまっていた。
そうして歯磨きが終わると、アリサは仮家の自室まで運んでくれたのだ。
のみならず、ベッドまで肩を貸してくれていた。
私はそのまま彼女を抱きしめたまま、眠ってしまったのだ。
ひらひらの服も着替えず、ベッドに倒れこんだのだ。
つまり、百パーセントこの状況は私のせいだった。
「えーと……お、おはよう……」
とりあえず、アリサに声をかける。
「おはよう……」
アリサは、かなりはっきりとした声で答えた。
いや、まあアリサは酔っているはずもないからね。
アリサは顔をあげると、そのままベッドから出た。
ベッドから出るとき、尻尾が私の顔先を通り過ぎる。
ちゃっかりとアリサは、青白のしゃぼん玉のパジャマに着替えていた。
むう、なんというか胸のあたりが私と違って容量ある気がする。ぬうう。
いや、それよりも聞きたいことがあった。
私はなにか、夢を見ていた。
誰かになったような、誰かと一緒にいたような。
……聞かなくちゃいけない、夢のような。
でもどうしてだろう。夢の中でははっきり、<何か>を見た気がするのに。
今はもう、おぼろげな記憶しかなかった。
「……どうしたの?」
「う、ううん。なんでも、ない……」
自分が思い出せない夢の話なんて、聞かれても困るだけだ。
私は自分に言い聞かせた。
胸の奥でちらりと思うことは、やめにしよう。
もしかして――アリサが私に、見せたのではないか、なんて。
でも横顔も後姿も、アリサに何も変わった所はないのだった。
◇
天山の国では、彼方たちが帰った後も盾の会が続いている。
鉄板焼きは終わっているものの、軽食とアルコールは出され続けていた。
夜が続いているせいか、暖かさは和らいでいた。
むしろ参加者の心持ちとしては、肌を撫でる生暖かい風が心地いいくらいだった。
「ふう……」
ブレイズ六世は挨拶回りを終えて、ベルツのところへと戻ってきた。
黒の騎士団は国王直下の特別軍、慣習により彼らは騎士ではあるが、領地は持たない。
国内外を行き来するがゆえ、疑念を持たれないための措置だった。
ただ王族にとっては、これは実にありがたかった。
他の貴族のように、顔色をうかがわなくて済む相手なのだ。
ブレイズ六世にとっても、それは変わらない。
「若、お疲れですかな?」
ベルツも、すでに椅子に腰掛けワインを堪能していた。
彼はブレイズ六世にとって、剣術指南役にとどまらない。
配下の騎士たちによって、国内の情報を集める腹心でもある。
「……さすがに、緊張しましたよ。盾の会に招くのは、止した方がいいと言われましたからね」
「ふうむ、御三方とも料理は堪能されたようですが」
「ええ……恐れ過ぎなのです、私も含めて皆がね」
ブレイズ六世は、自嘲気味に笑った。
彼の目の前には、彼方から渡されたゼリーが置いてある。
「本当ならここで一緒に、目の前で食べれば良かったのでしょうが……」
ブレイズ六世はゼリーのカップを手に取り、持ち上げた。
はじめてではないが、見れば見るほど、不思議な食べ物だ。ぐっと押すと軽くゆがむ。
たいまつにかざすと、中にブドウの実が浮いている。
「重臣に見せ毒見をさせないと、後がうるさいですからね」
ブレイズ六世は、名残惜しそうにカップを台に置く。
その様子を見ていたベルツは、意外そうに言った。
「……珍しいですな、若。神祖様からのものとはいえ、食べ物を手に取り、すぐ食べられないことを嘆くとは」
「そうでしょうか……はて」
自分では、思いもよらなかったことだ。
しかし、ブレイズ六世は金髪をかきあげて思い直した。
ブレイズ六世は王の御子として育てられて、順当に天山の王になった。
他国の献上品も含め、幼い頃から多くの珍品や名産物を見てきたのだ。
このゼリーも入れ物は違えど、初見ではない。
「確かに……いつもの私からしたら、珍しいかもしれませんね」
優しく夏の風が、たいまつの炎を揺らす。
認めざるを得なかったブレイズ六世は、静かに呟いたのだった。




