王様の願い、いつかの夢
きゅっと、胸がしめつけられる。何の話だろう。
「ニナ様とアリサ様へ献上する食材が見つかったのですが……いささか問題が」
あ、その類の話か。私は安堵する。
石壁に、私も左手をそっと乗せる。
「問題……とは?」
王様は私の後ろ、ニナとアリサを一瞬見た。
「見つけたのは貝殻の国という、ここ天山より東の国です。貝殻の国は、いくつもの島でできた海運と商人の国。問題は、見つけた相手なのです」
そう言い切ると、王様の瞳にいささか迷いめいたものが浮かんできた。
「見つけたのは、大公と呼ばれる島主の一人です。彼は食材を我々に引き渡すことには同意しましたが、それとは別に要望を出してきました」
「……それに私が関係するんですね」
でなければ、わざわざこうして話はしないだろう。
「ええ、ご推察通りです。大公は一度、あなたの料理を食べて――比べてみたい、と。自分お抱えの料理人と競わせたいと通達してきました」
王様は深くため息を一つ、ついた。彼にしては珍しい態度だった。
「料理対決、とでも言いましょうか。彼方様の料理に興味があるようなのです」
「なるほど……」
う~ん、まさか料理対決とは。そんな話は、当然初めてだ。
面と向かい合って勝負なんて、佐々木家でも珍しいだろう。
テレビや漫画ではよくあるけれど、実際やっているのはほとんど聞いたことがない。
「神祖様は、彼方様がやるというなら構わない。という返事でした。外交関係もあるので、食材も含めて私に任せるということだったのです」
「……彼女たちらしいと言えば、そうですね」
「あくまで、私から話を進めよということなのです。今日は、ちょうど良い機会でした」
ふう、私は軽く息をついた。
「大丈夫です。それで食材がちゃんと手に入るなら、私はやります」
覚悟はとっくにできている。対価を受け取った初めての日から、だ。
専属料理人ともなれば、ある程度の無茶振りは当たり前だ。
フランス料理の帝王、アントナン・カレームがパトロンから「1年間、季節もので重複しない料理を作れ」と言われたことに比べれば、ちょっとした冒険に過ぎなかった。
「本当ですか……!」
王様が明らかにほっとした様子を見せた。なんか、ちょっと大げさだ。
台所を借りて料理するだけなのに。
「では先方に受諾する旨を伝えましょう」
「ええ、そうしてください」
「場所は貝殻の国、大公の屋敷で行われます。神祖様は天山より離れられないので、彼方様だけで行って頂くことになるでしょう」
「……え?」
あれ、ニナとアリサが一緒じゃないの!?
「ご安心ください、ペガサスの馬車ならほんの一日で着きます。もちろん、私も同行いたしますゆえ!」
ぐっと、ガッツポーズをする王様。
あ、つまりこれは私だけでレムガルド旅行ということかな?
ちょっとそれは想定外だった。
だけど断られるかと思っていたのか、王様はかなり喜んでいる。
いまさらやっぱり……とは言い出せなかった。
「大公も無礼な男です。彼方様、目に物を見せてやりましょう!」
しかも大公に因縁があるのか、うきうきな王様だ。
もしかしたら普段から、こんなやり取りが続いているのかもしれない。
「……はい」
顔がひきつっていたかも知れないけれど、精いっぱいの笑顔で、私は返事をしたのだった。
結局、王様の話は本当にこれだけだった。どきどきを返して欲しい気がする。
しかも話が済むと、もう時間だと王様に言われたのだ。
もうかなりぎりぎりの時間だったらしい。
ベルツさんは名残惜しそうにしていたが、戻らなければならなかった。
ニナ、アリサと私は改めてお礼を言うと仮家へと、帰ったのだった。
◇
これが、夢だということは――すぐに気がついた。
風が吹く草原の中、私の目線はいつもより低めだった。
雲一つないけれど全く暑くはない。ただ、晴れているだけの草原だ。
奇妙な感覚だ。まるで、誰かの中にいるようだった。
腕を出すと、案の定、私の腕じゃなかった。細くて、日焼けもしていない。
くるりと右腕を回転させる。
はて、でも見覚えのない腕じゃない。
「どうしたのにゃ? 自分の身体を物珍しそうに」
私のすぐ右に、一人の女の子が立っていた。
ひらひらの質素だけど、貴族風の茶色の服。
私よりちょっとだけ背が低いけれど、目が覚めるような可愛らしい女の子だ。
ただ、ぴょこんと頭にある白い猫耳と白い尻尾が、彼女が普通の人間ではないと示していた。
彼女の顔や体に見覚えはないけれど、猫耳と尻尾だけは見知っている。
不思議だ、そんなことがあるのかな?
「……なんでもない」
驚くほど、感情のない言葉が私の口から発せられた。
平坦で、抑揚のない声。
私の声じゃないけれど、最近よく聞く声だった。
「不安になるのも、わかるけどにゃあ」
そう言うと彼女は、私の肩を抱く。
いまや、そんな気楽に私に接してくれるのは、彼女くらいしかいない。
ということを、私は知っている。
「何百年ぶりかの、新しい神祖にゃん。新しい仲間にゃん」
彼女は、実に愉快そうに笑う。
待ち望んだ同胞に、期待しきっている風だった。
でも私は知っている。決して、私たちは――。
なんだろう、思考にもやがかかる。
考えがまとまらない。
「最古にして最強の神祖、アリサでも不安があるのかにゃん?」
彼女が、面白そうに私の顔をぐいっと、覗きこむ。
あ、そうだ。これはアリサの記憶、アリサの夢だ。
古い、古いいつかの思い出。
あれ? なら、私は誰だっけ。
「彼方」
突然呼ばれる、名前を。私の名前を。
引き戻される、草原から太陽へ、青空の上へと。
意識が浮かび上がり、霧散していく。
「……朝だよ」




