ジャガーノートのフィレ肉<後編>
「……おいしそう」
アリサがまじまじと皿の上のフィレ肉を見つめる。
掛け値なしに、このフィレ肉はおいしそうだ。
フランベのおかげで、最後の肉汁が逃げていない。
ブランデーのほのかな熱をもった香りが、さらなる食欲をそそってくる。
「まずは、そのまま食べてみましょう……」
口から思わず、そんな言葉が漏れてしまう。
ソースをつけるのもいいけれど、本当にいい肉はそのまま食べたくなる。
フォークにそっと乗せるだけで、柔らかさが伝わってくる。
中まで火は通っているけれど、決して固くなってはいない。
ぱくり、と一口でフィレ肉を食べる。
く~~、濃い、柔らかい、肉の旨みが弾ける!
フィレ肉はもともと柔らかく、脂が少ない食べやすい赤身肉だ。
口に入れただけで、胡椒とフランベの風味が一気に広がってくる。
歯で噛む前に、じわっと溢れる肉の旨みが、もうたまらない。
舌で肉を味わえる、味わってしまうのがフィレ肉だ。
あごに力を入れなくても、まるで薄切りのように噛めてしまう。
厚みからすると、信じられないくらいだ。
一気に飲みこみたくなるが、数回噛んで良く味わう。
「ほうっ……」
そこそこのものを作って、食べている私でもため息が出てしまう。
まさに肉の中の肉、一頭からわずかしか取れないだけはある。
しつこくない濃密な一味が口内を駆け回る。
噛む以上に、牛の味が舌先に触れるのだ。
まさにさっぱりとしながらも、ひたすらにおいしい。
そんな至福の時間も飲みこめば一旦はおしまいだ。
次の一切れはガーリックとたまねぎソースをつけて、食べてみよう。
こってりとしたソースの匂いが、さっきまでとは違う味を連想させる。
思った通りだ、にんにくの腰の入ったコクのある味が、フィレ肉を引っ張っていく。
そのまま食べる味わいとは逆に、ソースが肉汁とあわさったのがすごくいい。
たまねぎの甘みが少し顔を出し、それがまた憎らしいほどにフィレ肉の味を高めるのだ。
二口目を食べて最後の三口目を食べようと思った私は、ふと横からの視線に気がついた。
振り向くと、アリサがぷいっと顔をそらしてしまう。
私は、その反応で少し察してしまった。
「……食べます? この一切れ……」
ああ、わからないふりをしても、だめなのだ。
アリサの読心術は、外れたことがない。
私が知ったことは、アリサも知ってしまう。
こちらに恐る恐る顔を向けたアリサの顔は、ほんのりと頬が赤く染まっていた。
耳はこころなしか、少し垂れ下がっているようだ。
「…………うん」
アリサは本当に小さな声で言うと、私のお皿をすっと持って肉をひょいと食べる。
照れ隠しの為か、迷いない早業だった。
盾の会に呼ばれたのは、ニナとアリサの歓迎を含めての話だ。
そのアリサがもっと食べたいのなら、全然惜しくはなかった。
ベルツさんは、へらで鉄板の焦げ目を落とし始めている。
すでに火は消したようだ。
つまり、鉄板焼きはこれで終わりということだ。
地球で食べた鉄板焼きより、食材のせいもあって美味しかった。
シーンを考えれば、もうこんな食事は食べられないかも知れない。
カクテルをちょっと口に含み、一息つく。
私にしては珍しく正直、もっと飲みたい気分だった。
心の底からそう思わせるほど、素晴らしい料理なのだ。
王様にも感謝しないといけない。まさかゼリーと引き換えにこんな食事ができるとは。
ちらっと見ると、王様もフィレ肉を食べ終えたようだ。
お礼を言わなくては、と口を開いた瞬間。
王様の方が先に私に話しかけてきた。
「彼方様、少し夜風に当たりに行きませんか?」
「ふぁ……っ!? あ……え……」
なんてことをいきなり言うんだ、この王様はっ。
肉の余韻が吹っ飛んでしまった。
しかも、王様はいつもの微笑んでいる顔じゃない。
いくぶんか押しているというか、有無を言わせない目つきだった。
私の左手がグラスに触れると、かたりと音がした。
そこで私は、自分の手が震えていることに気が付いた。
「まだちょっとは時間大丈夫にゃん。行ってくるといいにゃん」
ニナが気軽に、口を挟んでくる。ニナは結構物怖じしないというか、万事が軽いノリなのだ。
今の私の気持ちをもうちょっとだけ推し量って欲しかった。
「どうです?」
王様が台の下に隠すように、手をそっと差し出してくる。
そこまでされては、私は断れない。
「……はい」
私は椅子から立ち上がる――ものの、アルコールのせいかくらっと、態勢がぐらつく。
それを王様が、片腕で受け止める。
がっしりとした、男の腕だった。
「おっと、危ない」
何をやっているのだ、私は。かあっと、全身が焼けつくようだ。
そんな思いとは裏腹に、王様は腕を伸ばすと私をしゃんと立たせてくれた。
「さぁ行きましょう、彼方様」
さっきの醜態は、見て見ぬ振りをしてくれるらしい。
その辺りの対応は心底ありがたかった。
私が小走りで王様に並ぶと、彼はゆっくりと歩き出した。
座っている時とは、影のつき方が異なる王様に、私はどきりとしてしまう。
そのまま石壁にそって、私たちは歩き始めた。
生暖かい風でも、今は頬に当たるのが気持ちいい。
壁の向こうの街明かりは少なることなく、闇の中に輝いていた。
ベルツさんたちから少し離れると、王様は石壁に手をつきこちらに振り向いたのだった。
「盾の会はどうでしたか? 彼方様」
「とても、良かったです……ありがとうございました」
ぺこり、と私は膝に手を当て深くお辞儀する。
「それなら良かった。実は心配していたんですよ。我々の料理でご満足頂けるかどうか、わからなかったので」
王様は、明らかに安堵したようだ。
でも私にとっても、今日の料理は滅多に食べられないごちそうなのは変わらなかった。
それと、ベルツさんも忘れてはいけない。
「ベルツさんのような料理人に出会えて、いい勉強になりました」
「そう言って頂ければ、彼もこの上なく喜ぶでしょう」
暗がりの中にわずかになびく金髪、光を放ち続ける月と星、黒く地平を覆う漆黒、全てが絵になっていた。
でもだからこそ、私は図りかねていた。
王様が私を連れ出す意味を。
王様は一度ぐっと口を引き結ぶと、私に一歩近づいた。
「お願いがあるのです、彼方様」
それはこれまでにない、真剣な王様の言葉だった。




