ジャガーノートのフィレ肉<前編>
野菜もぞくぞくと焼き上がってきていた。
手つきは早いものの、ベルツさんはこちらを急かすことなく皿へと盛っていく。
まず出てきたたまねぎは辛さがなく、甘いとさえいえる。
白身魚と異なり、塩コショウだけで味付けがされている。丁寧に下ごしらえがされた白身魚に比べると、荒々しいまでの大自然の味だ。
にんじんもさくっとしつつも、野菜本来の食感、豊かな大地を感じさせる。
本来であればこれだと武骨過ぎるけれど、鉄板焼きはコース料理だ。ひとつの味ではなく、交響曲のように全体を味わうのだ。
そういう意味では、この野菜たちは白身魚の繊細な味を一旦リセットし、舌を別方向に向ける作用があるはずだ。
それと、この強い塩コショウの味は喉が乾く。ソースもみんなかなり濃い目、スパイスが利いているのでなおさらだった。
一口、舐める程度ならいいよね。
私はグラスを傾けて、喉にオレンジカクテルを流しこむ。
オレンジの酸味が野菜と溶けあって、涼やかな後味を残す。くあっと体に熱が入ってしまうけど、まだ酔うほどじゃない……たぶん。
星空の下、たいまつで照らされる今は、気分も高鳴っている。微風がときおり肌をかすめ、一定の形にとどまらない炎が、心ごと揺らめかせる。
しかも隣には、正真正銘のイケメンの王様がいる。雰囲気に酔いそうになる。現実味なんてない。下手すると、いつもの半分の酒量でも酔っぱらいかねない。
「盾の会の料理はどうですか?」
自制の念を新たにした私に、王様が静かだけどもよく通る声で問いかけてくる。
「とても、おいしいです。味もしっかり、焼き加減も完璧です」
「それは何よりです。盾の会の料理は味は素晴らしいですが、天山の国でも独特ゆえ、少し心配しておりました」
「盾の会……とはなんでしょう?」
私にとっては、高度だけでも普通の鉄板焼きだ。料理人の宿命か、独特といわれると続きを聞きたくなる。
王様はオレンジジュースを一口飲み、私の顔を見つめてきた。
「今日この日に語るには、ちょうどよい小話かも知れません。料理のついでに、お話ししましょう」
そう語り始めた王様は、童話を話すように盾の会の由来を話し始める。
綺麗な横顔の赤い唇が動き、私のために言葉を紡ぐ。
「祖父の代のことです。巨大な火竜が、天山の国に襲ってきました。竜は何カ月にもわたって天山の国で暴れまわりました。数え切れない村々をその、炎の吐息で燃やしたのです」
鉄板焼きの油と薪が燃える音に、王様の声が良く響いた。
「当時の黒の騎士団長は竜に対抗するために冒険の末、神祖より盾を借り受けました。ついに竜が王都に迫ってきた日、騎士団長はその盾で炎を防ぎ切り、竜を打ち倒したのです」
「……その勝利を記念して、この会が始まったんですね」
王様は満足げに頷いた。
「その通りです。その盾は平べったい、この鉄板のような盾でした。以後、竜を討ったこの日に、黒騎士団が総出で祝いの宴を催すのです」
「騎士団が……」
ベルツさんは本当に料理好きだろう。手つきを見ていても、嫌々やって身につく技じゃないとわかる。でも騎士団全部がそうとは想像できない。
そこに、ベルツさんが語りかけてくる。高温の鉄板焼きをしているせいか、額には汗がにじんでいた。
「黒騎士団は、モンスター退治専門の騎士団ですからな。人里離れて、モンスターを追うことが非常に多いのです」
つまり、城を守る騎士ではないのか。珍しい、私の読んだファンタジーでそういうのって、あまりなかった気がするけれど。
「モンスターの生息地は魔力が濃く、牛馬は連れていけませぬ。手持ちの食料だけでなく、その土地ごとに現地調達することもよくあるのです」
地球だと特殊部隊のサバイバル術みたいなものだ。敵地に潜入して何日でも生きられるように、様々な食べものの知識が必要だったはず。それと同じことだ。
「モンスターが暴れれば、国中のあらゆるところに行きますでな。うまい料理は、人の心を奮い立たせます。ご飯があればモンスターに襲われた人々も、生きる気力を失わないで済みますからな」
私は、びびっときてしまった。日本人なら、災害の後の炊き出しは欠かせないとわかる。ベルツさんは、それを騎士として全うしているのだ。
戦うだけが騎士じゃない、人々を食で元気づけている。それは、とても崇高な仕事のように思えた。
「……すごい、素晴らしいお仕事をされてますね」
本心から、私はそう言う。ベルツさんの瞳が、優しく私に向けられる。
それは料理人から客というよりも、数十年歩んできた料理人から、まだ若すぎる私という料理人への眼差しだったかもしれない。
「一生懸命になれば、誰しも素晴らしい仕事をするものですぞ」
ベルツさんの言葉を、私は噛みしめる。ニナとアリサも、微かに頷いている。
「野菜は一通り、焼き終えましたぞ。では――次の焼き物を始めますかな」
ベルツそう言うと、台の下から次の食材を取り出した。
「お肉にゃん!」
そう、それは鉄板焼きでは外せない定番食材だ。ほとんどの鉄板焼きでメインにおかれている。
台の上から出てきたのは分厚い、赤く霜が網がかったフィレ肉だ。多分、五センチくらいの厚みがある。サーロインと並ぶ高級部位であるフィレ肉は、もちろん日本でも食べられることは食べられる。けれども鉄板焼きでは、私も一回しか食べたことはない。
もし食べようと思えば、一万円は覚悟しなければならないのだ。
ベルツさんはへらで油を引き、躊躇なくフィレ肉を鉄板焼きに乗せる。
「このジャガーノートは、二日前に黒の騎士団で獲ったものでしてな。肉質は極上、しかもちゃんと熟成させておりますぞ」
うわぁ、まさに今日の為に用意された肉だ。アリサも、尻尾がぴくぴくと動いている。
桃に白がさっと入っているフィレ肉は、すぐに色が変わっていく。
フィレ肉からにじむ肉汁を油とからませ、肉の周りへと戻していく。
肉が焼けるぱちぱちという音が、本能に呼びかけてくる。
二分もしないうちに、ベルツさんは肉を裏返す。表になると、見事な焼き色がついている。そのままちょっと焼いたと思うと、ベルツさんは鋭いナイフとフォークを取り出した。
銀の輝きが、夜と炎に映えている。そのまま、ベルツさんはナイフでフィレ肉を半分にする。そう、これでさらに早く肉は焼きあがるのだ。
半分にされた肉を、それぞれ縦に置き、まんべんなく焼き上げていく。
厚みのある肉だからこそのやり方だ。さらに裏返し、三十秒もいらない。
その時、従者の人が何気ない風でベルツさんに、小さなグラスを渡す。
紅い液体が、わずかに注がれている。
あっ、まさかと思った時には、ベルツさんは液体をフィレ肉にかけ、肉のそばで指をぱちんと鳴らした。
瞬間、ぼわっと蒼い火柱が鉄板焼きに立つ。
「にゃ、にゃん!?」
食い入るようの見ていたニナは転げそうになる。だけれど、火柱は数秒ですぐに消えた。
フランベまでやってしまうとは、すごいとしか言えない。
フランベは料理の技法のひとつでアルコール飲料をかけて火をつけ、風味づけをする作業だ。旨みを閉じ込める効果もあるけれど、家庭では簡単にやれるものではない。
フランベは最後に行う作業だ。ベルツさんは火が消えると、フォークとナイフでサイコロのように、切り分けていく。
断面の中央には見事なピンク色が残っている。文句ないミディアムレアだ。
ベルツさんは、フィレ肉を各人へと盛りつける。実は四人に分けたので、一人分はかなり少なめだ。でも、私にはわかっていた。
フィレ肉は数切れでも、特別というにふさわしい肉なのだと。




