オレンジのカクテル
王様に先導されて、私たちは歩き始めた。
履きなれない靴で踏みしめる芝生は柔らかく、空気は重く湿っていた。
対して、空の明るさはどうだろう!
神様が手から星を落としたみたいに、満天の輝きを放っていた。
転ばないようにちゃんと足元を確認しながら歩いていた私は、地面に傾斜があることに気がついた。
一歩ごとにゆっくりと上に登っている。
人の声がさらに遠ざかるけれど、たいまつのはぜる音は近くなっていた。
湿った風がわずかに弱まると、燃えた木の芳香が漂っている。
どうやら普通の木ではなく、香木をたいまつにしているみたいだ。
胡椒のような、唾がでるような香りだ。
さらに坂を上ると両脇の林も途切れ、目の前がぱっと開けた。
「うっっっわ……すごいっ!」
私は声に出して驚いてしまった。今、私がいるのは山の中腹だった。
胸のあたりまでの石壁の先には、夜に包まれた天山の街並みが、米粒ほどの小ささで広がっていた。
それは煌々とした、光の点だった。
人の営みが数えきれない明かりになっている。
黒く染まった山々はそれぞれ雲まで達する高さで、私と街並みを囲っており私はこの国の名前を初めて実感した。
視界の端にいくつもたいまつで照らされる場所があった。
どうやらそこが目的地らしい。
「お待ちしておりました、お嬢様がた!」
大声をかけてきたのは、二メートルはあるかという巨体の男性だった。
髭と髪は白く染まっていたが、逞し過ぎる筋骨のせいか、非常に若々しく感じる。
濃い紫の前掛けを掛けているけれど、体格とかなり釣りあっていない。
そんな彼の前には大きな茶色の台と椅子が四脚、揃えられていた。
王様は台に近づくと、彼の紹介を始めたのだった。
「彼は黒の騎士の団長、ベルツ殿です。今宵はぜひとも彼の料理をお楽しみください」
「……騎士が料理するのにゃ?」
ニナの疑問は最もだけれど、武人だからといって料理通でないということはない。
日本でも伊達政宗の食通は有名で、自分の考えた献立で時の将軍をもてなしたのだ。
いざというときの生存術、あるいは処世術として料理への造詣が深い戦国武将は、何人もいた。
「こと、この料理に限っては宮廷料理人よりも、素晴らしいものがでてきますよ」
「お任せくだされい!」
ベルツさんはそう請け負うと、胸をどんと叩いた。
心強いのもあるけれど、すごい安心感だ。
何の料理を作るのかと思った私は、台の上を見て悟ってしまった。
台の上には、椅子に近い側に白いお皿が並んでいる。
その向こう、ベルツさんの側には鉄の板が敷かれていた。さらに金属のへらが置かれている。
そして、彼の手元には鍋もない。
この状況、野外で出来る料理は一つだけだった。
「鉄板焼き……」
ごくり、と私の喉が鳴った。
現代料理としての鉄板焼きは、戦後生まれだ。
でも似たような料理はある。遊牧民族は旅の間に料理するため、野外での料理術を磨いた。
しっかりとしたかまどがなくても、水が乏しくてもできる料理だ。
まさかレムガルドでこんな似た料理に出会うとは、同じようなことを考える人はいるものだなぁ。
従者に椅子を引いてもらい、私は一人で得心しながら腰掛けた。
ふわっとした毛で飾った椅子は、座り心地もいい。
「お飲み物はいかがしますか、彼方様? 良いワインがありますが」
「へっ!?」
ア、アルコールがでるんです!?
いや、日本であっても年齢的に飲めるんだけれども。
最高の夜景と鉄板焼きなら、どんなワインでもぐいぐい飲めるだろう。
怖いのは、飲み過ぎで我を失うことだ。
あくまでも私は付属品、ニナとアリサの付き添いでしかない。
「あの……私はワインはちょっと」
私が言うと、王様はにっこりと微笑み、お付きの者に小声で指示を出す。
良かった、アルコール以外が来るに違いない。
「私はジュースがいいにゃ」
「……同じく」
二人はあっさりと、ワインを無視して好きなものをリクエストする。
なんということだ、私もはっきりと言えば良かった。
アリサの視線が、一瞬、私に向けられた気がする。
「あと……この前のお礼の品」
アリサは流れる星々の小箱を開けると、ゼリーを取り出した。
たいまつの揺らめく光が、ゼリーのカップを縁どる。
ブドウ色が明滅するのが少し幻想的だ。
ふぐっ、だけれど肝心の王様からはどういう反応が返ってくるだろうか。
「ほう……これは本当にご丁寧にありがとうございます。ふむ……?」
王様は差し出されたゼリーを一目見ると、唸ってしまった。
そのまま一つ手に取ると、くるっと回して見ている。
「貝殻の国からの献上品で、見たことがあります。柔らかい半透明の食べ物でしたね」
「ご存じだったんですね」
「いえ、まぁ……数度見たことがあるだけです。天山の国では作られない貴重品ですよ」
良かった、ありきたりと言われては色々残念過ぎる。
というより文化的には中世と思っていたのに、国ごとに違いがあるのだろうか?
ニナもアリサの反応からすると、ゼリーが全くないと思ったんだけれど。
「貝殻の国は、私たちとはあまり縁がないのにゃ」
「……昔から、私たちを神祖とは扱わない国」
あっ、なるほど。レムガルド全ての国が二人を神様扱いしているわけじゃないのか。
二人の知識にも、偏りがあるというわけだ。
「さて、ドリンクが来たようですね」
闇の奥から、従者が飲み物をトレーに載せてやってくる。
ニナとアリサは黄色いジュースだ、匂いからしてオレンジジュースだろう。
あれ、一つ多い……と思っていると王様にもオレンジジュースが配られる。
どうやら、王様も二人の前でアルコールは飲まないらしい。
王様は最後の一つ、やや桃色がかったワイングラスを私に手渡してくれた。
グラスの縁には、オレンジの切った実が挿してある。
「女性にも飲みやすい、オレンジのカクテルですよ」
「あ、ありがとうございます」
ヤバい、汗が背中を伝ってきた。
アルコールを飲んでしまうのは、私だけのようだ。
全員に飲み物が行きわたったことを確認すると、王様はグラスを小さく掲げた。
「では、大いなる神々の祝福があらんことを! 乾杯!」
王様が乾杯の合図をすると、グラスの中身を一気に飲み干す。
いや、オレンジジュースだけどね。
私も口をつけないわけにはいかない、くいっとグラスを傾ける。
まず傾けた時だ、濃厚な柑橘系の香りが一気に来た。
酒精の刺激的な豊潤さも、一緒だった。
舌に触れるとフルーティな痺れるような酸味と、絡みつく甘さがある。
だけれど、なんだろう。ただのオレンジカクテルじゃない。
くらっとくる、濃厚なうま味が喉元から脳天に来る。
とても飲みやすいのに、度数は高めだ。
多分、ウォッカみたいなお酒と、はちみつのような甘味料を混ぜている。
しかも恐らく、どれがかなり自己主張が強い、いい素材を使っている。
閉じ込められ、圧縮されたアルコールと、ストレートに高められたオレンジとはちみつが、一つのグラスに共存しているのだ。
まずい、飲みやすくおいしいのに、酔いやすいお酒だ。
後に残るオレンジの酸っぱさが、さらにもう一口と呼びかける類のお酒だった。
しかも、まだお酒の知識が不十分な私でも、これは髙い酒とわかってしまう。
普段の私なら、まず飲めない値段だろう。
ニナとアリサも酒の類は一切口にしないので、料理に使う以外で私も気軽に飲むわけじゃない。
自制しよう。これは危険だ。
「では、そろそろ始めましょうかな! まずは……これですぞ」
ベルツさんが、台の下からごそっと第一の素材を取り出す。
鉄板の上に載せられたのは、魚の白身だ。
レモンとスパイスで下処理されているのが、わかる。
「深き川に住むソードダンサーという魚で、この季節でしか食べられませんでな」
ヘラを持ったベルツさんが、にやっと微笑みかけてくる。
うわぁ、これはお酒が飲みたくなってしまう。
そんな鉄板焼きコースの、始まりだった。




