アリサの耳
私がそう言うと、ニナは上半身だけを起こした。
普通の猫じゃ見ることができない、レアなシーンだ。
正直回り込んで、もふりたくなった。
「流石に疑問をもつにゃーね」
「思い返すと、王様と会った大広間でもニナのような、猫まんま、はいませんでした」
もしかしたら、他のエルフやドワーフなんかはいたのかもしれない。
全く見慣れない中世風衣装だったから、判別はできなかったけど。
化粧のやり方やセンスも地球とはかなり違うのだ。
印象はがらりと変わってしまう。
「そうにゃね。私みたいなのは、珍しいにゃん」
「……ニナ」
そのアリサの声には、わずかに咎めるような響きがあった。
アリサがニナにこういう態度を示すことは、珍しい。
「前に言ったにゃね、私たちは、ここに魔法で縛られてるにゃと」
「うん、聞いた。誰がそうしたかは……多分聞いてないけど」
「ずっと昔の話にゃ。私たちはものすごく強い悪の魔法使いと、戦ったのにゃ」
ニナはぴょんと飛び跳ねて、四つん這いになると、そのまま私に近づいてきた。
いつもと変わらない、少しお調子者っぽい感じだ。
「私たちは勝利したけど、相打ちだったのにゃ……。そいつの死に際の力で、私たちはここに閉じ込められたのにゃ」
「仮家に……?」
「元々、ここは悪の魔法使いの本拠地だったのにゃん。コピーの仮家で上書きしちゃったから、面影はなにもないけどにゃ」
そういう事情だったのか。王様たちが二人を神のように崇め、低姿勢なのも納得できる。
本当に世界を救った英雄だったんだ。こうして接するだけでは、とてもわからない。
特にニナは、ぽふぽふとクッションに猫パンチしながら、この話をしてるのだ。
「私も本当は、アリサと同じ獣人族にゃん。当然、猫のにゃけど。縛られるとき、猫の姿だったせいで、今もこんな姿なのにゃ」
「じゃあ、今すごく不便じゃないです?」
「私は割と昔から、獣の姿には慣れてるからにゃ。こっちの方が楽にゃん」
「……私には、無理」
ぺたん、と尻尾をフローリングに落とし、アリサがつぶやく。
「獣の姿でいると人に戻った時、苦労するから……逆もしかり」
「アリサも、完全な犬になれるんですか?」
なんてこった、ちょっとどころでなく見てみたい。
そして、もふもふしたい。ニナは、もふろうとしても逃げないけど、アリサはやっぱり人の姿だ。
触りまくるのは、気が引けてしまう。
「なれるけど……ならないから、ね」
私の意図を読み取ったのか、あっさりと断られた。
自分は私の服や身体に触ってくるのに、私にはあまり触らせてくれないアリサなのだった。
「触らせたくないわけじゃない、けど……」
ああっ、しまった。うっかり日頃の感想を思い浮かべてしまった。
本当は思いっ切り、耳や尻尾を触りたいなんて――あ、まずい。
「……じーーっ」
読心術はオンオフができるらしく、常に使っているわけじゃないらしいけど、今は違うようだった。
そして人の心は止まらないもの。
連想がはじまると、次々に心に浮かんできてしまう。
猫カフェはよくあるけれど、犬カフェはすごく少ない。
散歩が必要だったり吠えるのが問題だからだ。
なので、犬を愛でる機会は自然と限られてしまう。
うぐ、また私は余計なことをっ!
「ご、ごめん……」
気まずくなり、私は潔く謝ってしまうことにした。
どのみち嘘やごまかしは無意味なのだ。
「尻尾はダメだけど、耳なら……いい」
意外にもアリサから意外な台詞が飛び出してきた。
アリサはそう言うや、、ちょっと小走りで私の膝元に来るのだった。
頭を傾け、耳を私の顎先に差し出す形になる。
ぴくぴくと動く明るいブラウンの耳が、すごく可愛らしい。
バラの香りがするのは、シャンプーのせいだろう。
「触るなら、早く触って」
少し早口に咎めるような、照れるような言草だった。
私は右手をわなわなと震わせながら、まず指先で彼女の犬耳をつんつんした。
その爪の先だけでも、もふっとした感触と体温が伝わってくる。
私はさらに五本の指で、犬耳をわしゃわしゃと無遠慮に触り始めた。
耳の毛との部分と固い部分で、アリサの体温がかなり高いとわかる。
そのまま、触り続けてもアリサの様子は傍目には変わらない。
ただ、肩が少しだけ私の指の動きと一緒に揺れるだけだ。
「そろそろ……終わり」
数分間じっくりと触り、ついにアリサが私から離れたのだった。
振りむいて、私を見る目つきに、ほんの少し非難するような色を感じる。
触り過ぎっ!みたいな視線だった。
でもしかたない、犬耳なんだもの。もふりたかったのだ。
「んにゃ~。満足したかにゃ?」
まだクッションに猫パンチをしているニナの声で、はっと我に返る。
コンポートはまだ出来上がってなかったけれど、とりあえず聞きたいことは聞けた。
今日はなんだか、アリサから話を聞かされたり耳を触ったりと、妙な一日なのだった。
◇
一方その頃、レムガルド天山の国、王宮では首脳会議が行われていた。
ブレイズ六世以下、先の大広間にて、ニナとアリサへ直接話しかけた面々が揃っていた。
彼らが全員揃うのは、極めて珍しい。
ニナとアリサの件を除けば、せいぜい月次会議と戦争などの重大事項のみだろう。
彼らは、ゆったりと金銀で飾られた椅子に腰掛けていた。
長机は象牙でできており、卓上には珊瑚、真珠で作られた杯が置かれていた。
それらは、ろうそくの明かりで煌々と照らし出されていたのだった。
会議室の中で、ブレイズ六世は端正な顔の眉間にしわを刻んでいた。
大臣たちも、一様に落ち着きがなく、しきりにハンカチで顔を拭いている。
会議と言っても、議論を戦わせている雰囲気ではなかった。
決まりの悪い沈黙が、部屋を覆っていたのだ。
だが、太った年かさの大臣が意を決したように、ブレイズ六世へと声を上げた。
「やはり此度、神祖を盾の会に招かれるのですか?」
「それしかない。先の返礼ゆえ歓迎無用と言われても、最低限の礼というものはある」
「お怒りになられるやも、知れませぬ」「然り」「やはり、見送られた方が」
他の大臣も口々に同調する。それを手で制し、ブレイズ六世はゆっくりと語りかけた。
その言葉は緩やかながらも、威厳に満ちている。
「皆の懸念はわかる。神祖殿は久遠の英雄にして、真の賢者たち。決して俗世を好まない、まして我らの歓待を心より受けるはずもない」
「ならば……!」
「だからこそ我らの方よりへりくだり、縁を結ばなければなりません」
きっぱりと、ブレイズ六世は断言をした。
その宣言を聞き大臣たちも、もごもごと口を閉じる。
もとより、王に異議を通し続けるほどの覚悟はないのだった。
それほどに、神祖の話題は危険すぎるのである。
「黒の騎士団を、ここへ呼んでください」
誰もそれ以上言い立てないのを見て取ると、ブレイズ六世は従者に声を掛けた。
招集を受け、ただちに会議の場に三人の騎士が参上した。
鎧のこすれる金属音が会議室へと響き渡った。
三人の騎士は各々が巨躯であり、帯剣こそしていないものの、見事な漆黒の鎧に身を包んでいた。
彼らは会議場の入り口で、さっと王と大臣たちにひざまずいたのだった。
それを確認すると王は頷き、騎士たちに声を掛ける。
「任務は承知していますね」
「はっ、心得ております」
三人の中で、最も年経た男が顔を上げて快活に答える。
その眼は、忠義と苛烈な戦闘心が激しく燃えているようだった。
「ご心配なされませんように。必ずや、仕留めてご覧に入れましょう……!」




