桃のコンポート
おにぎりを食べ終えて、そのまま私たちは家へと帰ることにした。
アリサの様子は、もう普段の様子に戻っていた。
手乗りサボテンの入った袋を大事そうに持ち運ぶのだけが、アリサが来る前と違うことだった。
帰り道、アスファルトの硬く味気ない道を歩いていたとき、唐突にどうしてアリサがサボテンを好むのか理解できた気がした。
サボテンには刺があるけれど、それは自然のまま、生きるために必要なものだ。
棘をなくしては、サボテンは生きられない。たとえ、誰も近寄れないとしても。
アリサは、サボテンを自分と重ね合わせたのかも知れない。
私はふと、お出かけでの彼女を思い出した。
彼女が欲しがったのは、アクセサリーや服や宝石や本やDVDや、まして街中でしか食べられない料理でもなかった。
ほんの千円程度の、小さなサボテンだけだった。
初めて歩いた異国の雑多な街中で、彼女が欲しがるのが手に乗るサボテンだけならば、 果たして私は彼女の何なのだろうか?
アリサは可愛い、ただ物静かな女の子だと思っていた。
でも、その内面を垣間見た半日だけで、私はアリサとの距離が、月よりも遠いかもしれないと思った。
(宇宙に行く方が遥かに難しい――)
巴姉さんの言葉を反芻し、それが正しいか私は考え始めた。
でも、結局答えを出せないまま、家へとたどり着き、アリサは仮家へと帰っていった。
家についてからも、私は今日の事をずっと考えそうになっていた。
しかし、そういうわけにもいかないのだ。
そろそろ、王様への返礼品を考えなければならなかった。
自分一人でぱらぱらと料理本をめくると、色々なアイデアが出てくる。
クッキー、パイ、チョコ、アイス。おまんじゅうや最中といった和風のものも贈答品としてはふさわしい。
ある程度アイデアを絞り込んだとき、私は今日の巴姉さんからの言葉を思い出した。
そこで私は夜、私は巴姉さんに相談のメールを送った。
王様からの贈呈品のお返しをしなければならず、そのネタに困っていると書き送ったのだ。
巴姉さんから返事は、すぐに来た。
「カナは何がいいと思う?」
ある意味、予想通りの答えだった。私もカンニングしたいのではなく、答え合わせをしたいのだ。
まるで、小テストに答えを書いて提出する気持ちだった。
「ゼリーにしようと思ってる」
「どうして、それがいいと思った?」
「近代に生まれたゼリーは、レムガルド人には新鮮のはず。でも、煮こごりみたいに似ている料理は、地球でもローマ時代からあるから、全く理解が得られないわけじゃない……と思うんだけど」
その他にもゼリーは常温で食せる、冷蔵技術がなくても味が極端に悪くならないといった利点がある。
あと消極的な理由だけど、流石にクッキーやパイといった焼き菓子の部類で、王様を満足させられる自信はなかった。
ニナとアリサに聞いても、ゼリーのようなデザートは知らないみたいだったし。
外務省に務め、レムガルド人との交流が私よりも断然多い巴姉さんは、ゼリーをどう判定するのかだろうか。
私はちょっとどきどきしていた。
「私もそれでいいと思うよ、カナ。ゼリーにふさわしい食材を見繕って、送らせる」
おお、大丈夫なようだった。でも送らせるとはまた大仰な。
相談に乗ってもらっただけでも、大助かりなのにっ。
「えええ、そこまでは別にいいよ」
「……またほっぺたつねるよ、カナ」
きっと冗談交じりのメールだろうけど、それは勘弁願いたかった。
まだ何のゼリーにするか決めていないけれど、確かにフルーツが適当なのは正しかった。
「ごめんなさい、やっぱりお願いします」
「うむ、それでよし」
どうやら私のほっぺたは守られたようだ。
とりあえず一つのテーマを決めた私は、なんとなく気が晴れたのだった。
最も、肝心の中身をどうするのかまだ、決めていなかったけれども。
時計を見ると、すでに夜の九時を過ぎていた。そろそろ、仮家へと行く時間だった。
私はいそいそと準備すると、いつも通り仮家へと向かったのだった。
◇
今日は、献上品の試作を作るだけの日だった。
私にはちっともわからないのだけど、ニナとアリサは魔力を使わないとお腹も空かないようなのだ。
なので、常に三食を用意しなければならないということはなかった。
買い出し品を両手に抱えた私は、もう慣れっこの仮家の玄関に到着すると、キッチンへとまっすぐ向かう。
リビングでは、ニナとアリサがチェスに興じていた。
「んにゃ、こんばんにゃー」
「……こんばんわ」
かなり集中してるのだろう、盤面から離れずに二人が挨拶してくる。
私もそれにこたえると邪魔をしないよう気を付けながら、色々な買い出し品を仮家へと納めていった。
こういう卓上のゲーム類は、ほとんど互角らしかった。
ニナは理論派で定石を踏まえて堅実に攻めてくる。
アリサは感覚派だけれど、崩れたところや急所を見るや一直線に畳みかける思い切りの良さがあった。
前に将棋で戦った時は、もう私じゃ敵わないほど二人とも強くなっていたのだった。
とりあえず、ゼリーは具材待ちだった。
なので今日は、候補の一つだった献上品を作ることにする。
桃のコンポートだ。コンポートは要はシロップ煮のことで、ヨーロッパでは伝統的なデザートでもある。
果実そのままの食感とおいしさを、シロップで高める堅実なデザートだ。
中世風のレムガルドでは、まず拒絶されることはない料理だろう。
家庭でも盛んに作られるデザートであり、作り方は難しくない。
みずみずしい桃の皮をむき、種を取り半分こにする。
一人一個の割合でいいだろう。立ち上る桃の香りが、すぐに私の鼻をくすぐる。
それだけで、いいコンポートになるとわかるのだ。
そのあとは二百ミリリットルの水を鍋に入れて、火にかける。
大さじ六杯の砂糖と、小さじ一杯のリキュール、それと風味付けのクローブを加えて沸騰させる。
これがシロップになるのだ。リキュールと風味付けの香辛料により、味は大きく変化する。
このレシピが、いわば店の秘伝になるわけだ。
沸騰したらすでに甘く、ややツンとした匂いが立ち上ってくる。
ビンに入れた桃に、加熱したシロップを入れて、少し粗熱がとれるのを待つのだ。
実際は、もうこれで作るのは終わりだ。粗熱がとれたら、冷蔵庫へと入れて半日待つ。
ワンポイントは取り出して食べる時にも、香辛料で味を微調整することだ。
それだけでぐっと完成度は高くなる。
シロップの量がかなり多くなるけれど、桃の味が沁みているシロップは色々なところで使えるだろう。
これもコンポートの副産物として、大きなものの一つでもある。
冷蔵庫にビンを入れて、片づけをしてリビングに向かうとすでに決着はついたようだった。
アリサがちょっと得意気になっており、ニナがお腹丸出しで仰向けになっている。
どうやら、勝負はアリサが勝ったようだった。
「あの手がまずかったのにゃ。もうちょっとだったのににゃ!」
「ニナは、時に焦り過ぎる……」
「……アリサの勝負勘が鋭すぎるだけにゃ」
うにゃにゃ~といいながら、リビングで手足をばたつかせるニナ。
折角の毛並みがもったいない。
どうやら結構悔しい負け方をしたらしい
そしてコンポートができるまでしばし、私は待機しなければならなかった。
一つ深呼吸をすると、私はとうとう疑問の一つを口にした。
「ニナって……なんで喋れるの?」
巴姉さんから渡されたガイドブックは、言われた通り一読していた。
その中で、レムガルドの人種みたいな項目があったのだ。
ヒューマン、エルフ、ドワーフ、ヴァンパイア、多様な獣人族がレムガルドには住んでいると書いてあった。
猫人族はいるらしいけれど、それはアリサに似た種族らしかった。
レムガルドの犬猫が喋るとは、どこにも書いていなかったのだ。




