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「おはよう、冬木」
「…………」
爽やかな秋晴れに相応しく、明るく掛けた挨拶は報われずに冷えたアスファルトに撃沈した。
行き場のない笑顔を張り付けたまま冬木と並行して歩き出す。なんとも気まずい空気だ。
二人は学校に来ている。普段と違うのはそれが休校日だということだ。早朝から活動しているであろう数々の運動部の小気味いい掛け声を背に校舎へと進む。
休日に訪れたのには勿論理由がある。
今日が指定された、説明の日だった。
「体の方は”やっぱり”何ともないのか?」
「……そうね、染谷君と同じよ」
「うん……取敢えずは冬木が元気そうで良かった。本当にあの時は――」
死んだのかと――言い掛けて口を噤む。一瞬で屋上での惨劇が脳内に蘇る。言葉にすると再び彼女を失う気がして恐ろしかった。
冬木はやや呆れたような表情をし、また気恥ずかしいのかふいと正面を向いた。
「染谷君って案外、人懐っこいわよね。私程じゃないけれど、あまり人付合いを好むように見えなかったから」
「まあ、なんと言うか……自分から進んで声かけるタイプじゃない、から」
「そう?引っ込み思案にも見えないけど」
冬木の言う事は間違っていない、と思う。人と関わるのは嫌いではなかった。特別一人きりが好ましい訳じゃなく、人が集まる場所に居るのも苦痛ではない。夕斗の場合、本当に居るだけに限るが。
忌まわしい症状さえなければ恐らく自分も何らかの部活に所属していた筈だ。休日は多くの友人に囲まれて遊ぶのも――幼い頃から密やかに憧れている。
今やそれを期待する心も薄れて、気にはしていないつもりだったが、つい口にした大したことのない嘘に胸中で一人自嘲した。
校舎内は屋外と違って柔らかい静けさに満たされていた。窓から差す陽光にきらきらと塵が揺れている。
ご丁寧に指定された場所は一年の教室からは離れた実習棟だった。その教室の一つ、ドア上部のプラカードには”ホラー研究会”と手書きの文字が挟まっている。
多少のきな臭さを感じながら、冬木と顔を見合わせる。彼女は特に気にすることも無い様で、寧ろドアを開けない夕斗に首を傾げている。
ここでたじろいでも居ても仕方がない。短く息を吐き出し、ドアをがらがらと引き開けた。
「お、来たな。お疲れ様ー、まあ適当に座ってくれ」
室内は通常の教室より狭く、あまり物を必要としない文化部用に適したものだ。そこに据えられた折り畳み式の長机にパイプ椅子。無造作に積まれた段ボールにロッカーは壁側に寄っている。
そして既に椅子に腰かけて二人を迎えて人物――西巻早海が居た。
勧められるままにパイプ椅子に座り、西巻と対面になる形だ。西巻は以前と違って縁の太い眼鏡をかけていた。そのアームを指で軽く押し上げながら人の好さそうな笑みを浮かべている。
のこのこと来てしまったがこの上級生も例の、能星すばると同じ組織の人間だと言った。
ならば西巻も何らかの異能を持っているのではないか?
そんな不安を余所に西巻は口を開き始める。
「さて、どこから話すのがいいかね。私的にはキミ達がどういう存在なのかを、先に説明した方が彼にも分かりが良いと思うけど」
キミ、と指したのは冬木のことだろう。西巻はちらりと冬木に視線を送った。
「……ええ。順序もそちらに任せるわ」
「オーケー。じゃあ、夕斗くん」
「あ、はい」
急に下の名前で呼ばれ、馴れ馴れしさに戸惑いつつ返事をする。
そういう人なのだろうか。確か能星の事もそう呼んでいた気がするが。
「先日に見た能星すばるを含め、冬木式乃らは人間だと思うか?」
「は……いや……」
すぐには是非が出ない、出てくるはずがない。
確かに自分が体験した事は常識では計れない、人智すら越えたものであると思う。
しかし、冬木が横にいる状態で判断するのは苦渋を極める。どう見ても隣りに座る冬木は人間だ。
返答に窮していると西巻がにこやかに引き継ぐ。それは少し薄ら寒くも感じる。
「はっきり言おう、彼女達は人間じゃない。姿形はそのものだけど、性質が大きく違う」
「それはあの、不思議な力と関係があるんですか?」
「そう。異能も要因の一つ。では何故、それが使える存在なのか」
話の最中に横目で冬木を窺う。彼女はすっと前を見て特に変わった様子はない。
人では無いと告げられた後でも、にわかには信じがたい。
あの姿――冷血に自分を傷つけた青い目の冬木――と対峙した後でも、だ。
「夕斗くん、人間から電磁波――微弱な赤外線が出てるのは知ってるかな。筋肉やらを動かす指令に電流が走ってるってぐらいは授業でも聞いたことあるだろう」
「はあ……」
思わぬ話の展開に生返事をしてしまうが、知識はあった。身体に走る電気信号を利用して装着した義手の指を動かす、なんて光景をテレビで見た程度だが。
「人から発生する線量なんてたかが知れているし、自分の意志でどうこう出来るもんじゃない。こう言ったら察しはつくと思うけど、俺達はそれが可能な上に本来とは異なる電磁波を有しているんだ」
西巻は対象に自分も含めて説明をする。やはり彼もまた、何かしらの力を持つ――異能者、とでも言うのだろうか。
照明の点いていない、陽の光が頼りの室内がゆっくりと暗くなる。太陽に雲がかかったのだろうか。室内の影の境界を曖昧になり、目を開けているのに閉じているような錯覚に陥る。
「キミが見た能力――あれは可視化出来る電磁波だと思ってくれていい。体外に放出するタイプは光を帯びる。光子と呼ばれる状態に近しく、それに似た――」
「あー、西巻……先輩。普通の人間とは違う電磁波を持つから人じゃないと言うのは……」
「ん、ああ。漫画やアニメなんかじゃそれぐらいだと一応中身は人間っていうパターンだろ。残念だがそうじゃない」
「……吸血鬼」
「え?」
黙っていた冬木が久々に声を発したその言葉は、更に思わぬ方向へと飛んでいった。
「私達の身体は特異な電磁波は作り出してる。同時に吸収、と言うより食べているのよ」
「食べる…?まさか、人の血を?」
ぞっとして声が裏返るが、冬木が首を振って否定してくれた。
しかしそれならば吸血鬼と言った理由と合わない。かの吸血鬼も伝説や創作では並外れた異能力を持っているのが殆どだか――まさかその部分のみで比喩しないだろう。
「食べるのは同じ電磁波だ。昔は直接生き物から、それこそ生き血を啜ったみたいだけど。今は潤沢に電波が溢れてるからね。余程の未開地にでも行かなきゃ不自由は――血を好んだりしないよ」
「ちょっと待って下さい。つまり、昔から……吸血鬼と呼ばれていた人種が現代まで生き残ってるって事で…それが冬木達……?」
「その通り、吸血鬼のモデルになった存在だ。他に呼び方がないからそのまま拝借してるんだが、今風に言えば電波吸血鬼?なんて」
「はああ…」
一気に詰められた情報に相槌と大きな息が吐き出される。許されるならノートでも開いて一から整理したいところだった。
吸血鬼と呼ばれる存在――特別な電磁波を放ち、食べる生き物で、人には持ち得ない能力を行使できる――が現代にも生きている。
「此処まではいいか?吸血鬼の存在を踏まえて、次は俺達の組織の話をしよう」