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幽鬼混線のブラッドコール  作者: nieyu
1-2 ex 人間 (たとえばにんげんのようにとくべつな)
8/14

[1]

 鼻先がじんじんと冷えて痛い。顔の皮膚、耳からも冷気は伝わって堪らずに目を開く。

 意識は立ち上がってくるものの、身体は重くコンクリートから離れてはくれそうにもなかった。

 先ず目についた自分の手を見る。力なく投げ出された右手は血で汚れている。

 その一本一本を確かめ、ゆっくりと動かして握りこぶしをつくる。一度身体の自由を制御すると、徐々に感覚が掴めてくる。ぐっと腕に力を入れ上体を起こす。

 間違いがなければ夕斗は致命傷を負った。しかし意識は鮮明に回復していき、あの血の失われる悪寒も感じなかった。

 ――自分の身に何が?

 はっとして己の身体を検分するより先に周囲を、冬木の姿を探す。

 絶命を傍に感じたあの時に起こった、より不可思議な出来事は覚えていた。それがもし、正しいのならば彼女はきっと――。


「冬木!」


 彼女は居た。しっかりと両の脚で立って、生きている、筈だ。

 冬木は自分の名にピクリとも反応せず、あらぬ方を見据えている。そして片腕を持ち上げ、緩く前へ突き出していた。


「冬木…?」


 よろめきながら立ち上がり、近づいて行くと彼女が薄ら笑っているのが分かる。声も立てず、にやにやと厭らしい口元に思わず息が跳ねる。冬木はこんな顔をする人間だったか。

 まだよくも知りはしない間柄だが、つい否定してしまいたくなる程におぞましい表情だった。

 つと視線を冬木の腕の先、その五指には西洋の甲冑の一部の装飾――アーマーリングにほぼ等しい装具が着いていた。青白く光る白銀は彼女が能力で顕現させているのだと分かる。

 装飾の先は鋭く獣の爪のよう尖っており、そこから例の光糸が伸びている。糸は微かに揺れている。蜘蛛の巣に獲物が絡みついた時の映像を夕斗は思い出す。思い出し、目にしている惨状にぐっと胃の辺りを腕で押さえつける。


「…あ、あ……うう…っ」


 離れた場所に膝をつき黒髪の少女、能星が光糸によって拘束され締め付けられていた。その糸は能星の身体に巻き付いている部分だけ形状が異なり、彼女の肉を抉っている。十字架を並べたような棘が生えて、全身に張り付いている。

 棘は深くは食い込まず、痛みと急速に死に直結しないだけの流血を与えているようで、能星は絶えず痛々しい声を漏らす。周囲には逃れようとして這いずった跡、掠れた血痕が幾重にも重なっている。


「やめろ…、やめてくれ!」


 これは拷問だ。冬木が愉悦をもって能星を痛めつけている、その悪意を察して声を荒げるが何の反応も返ってこなかった。寧ろ懇願すら聞き入れた上で愉しんでいるようだった。

 冬木が拘束を解けば、能星は再び自分達を殺しに動くかもしれない。実際冗談では済まされない程の襲撃も受けた。

 けれど。

 これが報復だというのなら夕斗は冬木を許すことが出来ない――自分を救ってくれた人間が非道に転ぶのなら、黙って見ている事も出来ない。

 震える膝にぐっと喝を入れて意を決する。


「―おおおおおおおお!」


 わざとらしく声を、自身を奮わせる為にも大きく上げて冬木の身体を強く肩で突き飛ばす。小柄な身体はぐらりとよろめいて、無抵抗なまま倒れ込むように見えた。

 能星を捕らえていた能力は解除されたのを横目に確認する。


「……っ危ない!!」


 鬼気迫る「誰かの声」。恐らく能星のものだろうと推測し――刹那、右腕に圧迫感を覚えぞっと青ざめる。自分の意思とは関係なく持ち上がる腕の先、倒れるかと思われた冬木は既の所で体勢を制している。

 夕斗を見て、相変わらずあの笑みを浮かべていた。

 右腕に絡んでいる光糸の棘は既に制服を引き裂いている。皮膚を、肉を虐めるまでに時間はかからなかった。


「ぐうっ、う、あああ…っ!!」


 鋭い痛みが腕からびりびりと駆け巡る。皮膚が幾重にも引掻かれて痛みの波が途切れる事はない。逃れようのない苦痛に嘆声を我慢出来ず、苦しげな呼吸に喉の奥が浮く。


「どうして…?!それは自分の……」


 何故か能星は当惑し二人を見上げている。手足が言うことが聞かないのか腕を支えに立ち上がろうとも途中でぐしゃりと床に滑り落ちる。

 それでも尚、信じられないと驚愕を表情に露わにしている。

 夕斗がその真意を図るには余裕は毛程も足りず、今も右腕の責め苦に喘ぐしか無かった。


「ふ、ゆき……!」


 激痛に歪んだ視界がぼやけ、次第に鉄錆の臭いが再び鼻につく。自分の右腕からいよいよ滴るほどに出血しているのだろう。酷く熱された針が腕の内部まで、何度も刺し込まれ続けているようだ。右肩を強く掴み抑えていなければ意識が保てそうにない。

 限界の瀬戸際を感じたその時、唐突に刺痛が和らぐ。急な解放に右腕が重力に従って勢い良く下がり、徐に転びそうになるが、踏み止まった。

 まさか能星が、と思ったが黒髪の少女は床に這い蹲ったままだ。

 冬木はその場に立ち尽くし――夕斗の新しく流される血を凝視していた。音も無く、緩やかに床に雫となって垂れ落ちる血を、双眸を見開いて。


「と…うま…」


 冬木自身の消え入りそうな呟きにはっと震えて――ほんの一瞬だが瞳が青白く揺らめき――がっくりとその場に膝を折った。

 苦しげに胸もとを抑えている様に、意識はあるようだが先刻の異様さから近づくことは憚られた。

 かくいう自分も満身創痍だ。出来れば一歩も動きたくないどころか、今すぐ横になって治療を受けたい。

 下を向いて重く息を吐き出すと半身に目が行く。能星に貫かれた筈の傷などは見当たらなかった。

 ただ衣服はしっかりと攻撃の損傷を受けており、夢や間違いでないことを示していた。恐らく、自分が死んだ事も――。


「これは…どうなってるの。私は一体……」


 声の主は冬木だった。彼女もまた疲弊しているのか言葉は掠れて、途切れ途切れに大きく呼気が交じる。

 戸惑いの声に能星は大きく顔を顰めた。視線をあちこちに外し逡巡しているようだ。


「眷属が主の意に反する行動を取れる筈がない…、染谷夕斗は「本当に」眷属ではない?だとすればさっきのは――いや、それじゃ説明がつかない」

「……なあ、ちょっといいか?もう全員が動ける状況じゃない。もし余裕があるなら少し話をしてくれないか。俺にはもう、どうしてこんな事になってるのかさっぱりなんだが」

「…………」


 それが踏み込んで良い領域なのか現時点での判断はつかないが、彼女たちの特異過ぎる能力、そして眷属と言う言葉の意味――自分の身体に起こった現象。知らずにいるどころか何も分からぬまま死ぬかも知れなかったのだ。

 無知でいるのは到底納得の行かない事案だ。 

 尚も能星は険しい顔で考え込む。暫しの沈黙、それを破ったのは声ではなく校内へと続く屋上の扉の錠が落ちる音だった。


「俺は彼の意見に賛成だなー、すばるちゃん。大丈夫?生きてる?」

「……質の悪い冗談はやめて下さい。任務失敗を笑いに来たんですか」


 開かれる扉から現れたのは双星高校の制服を着た男子生徒――無難に着崩した格好は何処にでも居る、普通の高校生だ。馴れ馴れしい軽い口調で能星に話しかける。

 能星とは対照的ににこやかな表情を絶やすこと無く、冬木と夕斗を一瞥しうんうんと一人頷いてみせた。


「失敗?とんでもない。想定外――いや、任務遂行に支障にきたす程の重大な見落としがあった。だから仕方がないって、寧ろ死人が出てないのは最高の結果だ」

「そうですか。それで、もう本部から新しい命が出ているのですね」

「相変わらずドライだねえ、まあ、そうなんだ。この後は俺が引き継ぐよ」

「………話はもういい?良い加減こちらにも説明が欲しいのだけど」


 冬木が痺れを切らしたのか、警戒をし続けるのに疲れた両方で苛立った様を隠さずに割って入る。


「了解、俺は2年の西巻早海(にしまき はやみ)。言わずもがな、そこの能星すばると同組織の者だ。キミは少しは知ってると思うけど、彼には一から話さないとだな」


 西巻は名乗りながら片手を上げる。それが合図だったのか同じ扉から生徒が数人出て来る。全員何故か学校指定のサブバックを手にしており、西巻が目配せをするともう一つの施錠された扉に向かい、そうして鞄の中から工具類を次々と手にして南京錠を破壊し始めた。

 彼らも「組織」とやらの一員だと思うが、それは同時にぞっとする。今までの学校生活に得体の知れない何かが傍に居たのだ。


「その姿で校舎内を通って帰れないだろ?非常階段が屋上まで繋がってて助かったな」


 破壊作業に加わらなかった残りの数人は能星の元に寄って、応急処置を施している。勿論サブバッグから充分過ぎる医療用具が覗いていた。

 その一人の女子生徒が夕斗にも近づいてくる。


「腕を」

「あ、ああ……」


 ここで気を許してしまうのは弱っているせいか、されるがままに右腕を任せると適切に手際よく処置された。用意された黒いポリ袋に、ボロボロの制服を何の躊躇いなく捨てられてしまった。

 制服を買い直すとしたら幾ら掛かるのだろうか。場合によっては染谷家の3食がオールもやしになりかねない。


「流石に今この場で、――は体力的に辛いだろうから後日にしたいと思う。君達の治療はこちらが責任を持つ。無論、新しい制服、今日の授業内容、交通費なんかも」

「えっ!」

「信じられないわ。治療と言ってまた殺されるかも分からないじゃない」


 若干歓喜の混じった声は冬木の言葉に無残に斬られる。その可能性にそろりと自分の右腕に包帯を巻く女性とを窺うが、我関せずと続けている。


「そこは信じてもらうしかない。今、この時点でそうなっていない事を理由に、だ」

「…………いいわ。私も聞きたいことがないわけじゃないもの」


 冬木は夕斗を見て、ばつが悪そうに俯いた。巻き込んだことを悔いているのか、それは本人に聞かないと分からないだろう。

 聞きたいことは夕斗にも沢山ある。ただ今は流されるしか無い。全てが明かされることを祈って――緊張と痛みが緩んだ身体は急激な睡魔に襲われ、意識はぼんやりと泥濘んだ。


 

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