[4]☆
遠くから響いていた活気が引いていく。きっとどの部活動も昼休みに入ったのだろう。
教室内に差し込む陽光と影が随分と動いていた。
身体の殆どを影に飲まれた冬木はゆっくり視線を上げ、じっと西巻を見据える。
「今日来て驚いたわ。私一人が呼ばれたものだと思ってた。……だって”まだ4日しか経ってない”のよ。それなのに」
語尾がすうっと途切れ残った(そこな)ように伸びて、僅かな間が生まれる。
しかし割って入る者はなく、冬木が続けざるを得なかった。
「……それなのに染谷君には怪我の痕跡が全く感じられない。その上、自分が有り得ない速度で快癒している事に初めて気付いた風だった。これじゃまるで――吸血鬼になったみたいな」
ああ、やっぱり――。
冬木の言葉が耳に入っても新しい驚きは無かった。西巻の説明を受けながら、自分自身でも考えていたのだ。
4日間。96時間。
それだけの時間で人間は何処まで自己再生が進むものだろう。勿論、怪我の具合のにも寄るだろうが、襲撃を受けたあの当日は全く動けなかった。
正しくは意識が無かった。目覚めたのは病院のベッドで、傍らには腕を手当してくれた女生徒が居たが、彼女の目的は自分の監視役だった。
意識が戻ったのは翌日だ。しかしもうその時点で兆候は出ていた。
あれだけの大立ち回りをしたのに体調はとても健やかだったのだ。前日に早寝し、且つ洗い立ての布団で快眠が出来たような――。
そして脱臼しかけていた肩の気怠さも、腕の裂傷の痛みさえ無かった。
最初は薬か何かが効いているのだろうと思ったのだが、意識が明朗としているのを確認されるとすぐに病室を放り出された。
既に自分の身体の変化を知っていた、のだと思う。
その後に替えの制服や今日の件の告知――事務的な対応を経て、自分の足で自宅に帰った。
一日ぶりに会った父親には「男同士だから深く詮索はしないが、二度目はないぞ」と笑顔で叱られた。夕斗の父親はあまり笑顔が似合わない、知っててわざとしているのだった。
やられる方はそのちぐはぐさがかえって心臓に悪い。本当に二度目はないのだ、と深く刻み込む。
と、直ぐに戻ったのはそれだけではない。
帰宅してから自室で腕から上半身にかけて充てられた包帯を解いてみたのだ。
そこには、どこかで分かっていたが。
ほぼほぼ傷のない身体があった。よく顔を近づければ傷の線らしきものが見えるぐらいだった。
一体、自分の肉体はこれ以上どうなってしまったのだろうか。
その答えも聞きたくて、この場に臨んでいる。
「夕斗くんは吸血鬼じゃない。これだけは断言する、彼の生体電波は人間のものだ」
「それじゃ説明が……」
直ぐに食い掛かる冬木を片手を上げて西巻は制す。
「しかし、普通の人間じゃあない。そして何度も言うが、普通の吸血鬼ですら無い。何と言うべきか、吸血鬼には特別な人間、が妥当かね」
「どういう…ことですか?」
「式乃ちゃんはね、君と血の交わりがあったから心配してるんだ。君が異形に――グールかゾンビにでもなったんじゃないかってね。夕斗くんも覚えているだろう?」
自分の死の間際に起こった現象。覚えてはいるがはっきりとしない部分もあった。
正確には思い出そうとしても思い出せない。あの時聞こえた声が本当に式乃のものだったのか、そして自分になんと呼びかけていたのか。
必死に記憶を掘り返しても手応えのない暗闇として欠落しているのだ。
しかし、確かに、「それ」は起こったのだ。
自身の血の巡りを感じることは出来ないが、夕斗は膝上で手を握り込んだ。
「吸血鬼は中々死ににくい生き物でね。死に至らない怪我なら酷くても3日で治る、死んだように見えて実は自己再生をしてる…なんて具合にな。それで、君が死んだと思ってた式乃ちゃんはなんとか、それこそ髪の毛一本程度の命があった」
完全に身体を貫かれていたが。それでも生きていたというのには驚きを越して畏怖すらも覚える。
本当に生命としての作りが違うのだと、思い知った。
西巻はパイプ椅子に深く背中をくっつけた。最初に比べると段々と体勢が崩れてきているが、二人に構うこと無く話を続ける。
「悲しいかな吸血鬼は死に近いほど生きようとする……本能的に。そして更に悲劇的なことに――先人の吸血鬼達が求めていたのは人の血だ。血は鉄、生きる導体だ。瀕死だったからこそ生き血に惹かれ、求めた本能が夕斗くんの血と呼応してしまった」
ふーっと大袈裟な息を吐き出してから西巻は一度、背後の窓を振り返った。
秋も深い時期だ。昼間の日差しでも夕の色を僅かに帯びて、時間以上に時の進みを錯覚させる。
「これは誰にでも、そう簡単に起こり得る事じゃない。特異な性質を持つ吸血鬼と、更にその希少な吸血鬼に適した人間が偶然に居合わせて…そうなってしまった、としか言えない。ほぼ奇跡に近い確率でね」
「じゃあ本当に、染谷君には何の影響もないの?」
「驚異的な治癒力も恐らく一時的なものだ。血は吸血鬼にとって根源的な物であるけど、人間に対しては力は強くない。……ただ、夕斗くん。これは組織がとても気にしてることなんだが」
「は、はい」
呼びかける西巻が、ややだらしない格好にも関わらず双眸だけは冷え切って夕斗を射抜く。
言葉の先にも正面の相手にも、緊張で喉が鳴りそうだった。
「君がどうして、よりにも寄って魔声なんてレアな吸血鬼と相性が良いのか。俺達はどうしても、知りたい」
「それが…生かされた理由ですか」
「そもそも君は眷属じゃなかったし、人間を無意味に蹂躙する意は無いよ。是非、協力願いたいんだ」
西巻は途中からにこやかに言うが、夕斗には響いてこない。
話を追うと共に湧いた謎が此処で明かされるものだと、密かに期待しての緊張も混じっていたからだ。
そして今、確実に自分は非日常の影へと引き込まれている。真相を知れる可能性があるとは言え、そう易易と軽率に首を縦には振れない。
返しにまごついていると西巻はやれやれとまた長い息を落とす。
「夕斗くん、魔声を有する吸血鬼は問答無用で排除すると教えた筈だ。この状況で、この提案と加味して考えて欲しいんだけどね」
「な……!」
「やめて!!」
自身の驚嘆は痛烈な声によって遮られる。
声の主、冬木は椅子から立ち上がり今にも泣き出しそうな、悲憤に満ちた瞳を湛えていた。
「彼は人間よ…、私達の良い様に干渉していいわけがない」
「普通はね。俺達だってそうしたい。しかし特例ってのは唐突に起きるから困る」
「なら私は今すぐここから――この土地から出るわ。染谷君が私を気にすることがないようにね」
「冬木…!」
「染谷君、今更だけどごめんなさい。でももう、こんな事に振り回される必要はないわ。絶対に」
冬木の言葉は直情的で、痛々しかった。
西巻に憤っているより感情も自分を巻き込むまいとしている必死さが伝わってくるからだ。
その想いが分かるからこそ、歯がゆい。
冬木を劇的に救えるような切り札が自分には無いことを。
「式乃ちゃん、悪いけどそれは許されない。と言うよりおすすめ出来ないな。君の身体は夕斗くんとペアリングされているようだ、今から極端に離れるとまた力の暴発を招きかねない」
西巻の声は鋭く冬木を牽制する。体勢は相変わらずだが、返ってガラが悪く映って圧を増していた。
と言うより、どこか具合が悪そうだと夕斗は感じた。室内の陰りが濃くなったせいでそう見える、わけではない。何度も深く息をするのも無理をしているからだろうか。
「それじゃ、最初から有無を言わさないつもりだったのね」
忌々しげに冬木は吐き捨てる。彼女の眼下の西巻は力なく口元を歪ませて笑う。
「まあまあ、一度は失礼な事を言ったが本当に手荒なことはするつもりはないんだ。その辺の話は…」
「交代の時間です、西巻」
背後から引き戸を開く軽快な音がする。驚いて反射的に振り返るとそこには。
能星すばる。間違いなく、彼女の姿があった。




