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「俺達は人間とは言い難いが、思想や情操はほぼ変わらない。いい人間もいれば、悪い人間も居るように――特異さを振りかざして人を虐げたりするのは、個人の問題って事だ」
夕斗は深く頷いた。自分の周りにいる者達が信用できる存在であると、信じたいからだった。
西巻は満足げに目を細め、組んだ両手に顎を乗せる形で少し身を乗り出す。
「言い方は胡散臭いがその良い吸血鬼、穏健派が集まって出来たのが俺達の組織なんだ。……なんでも結成されたのは気が遠くなるような大昔らしいが、目的はずっと変わってない」
穏健、という単語に少し引っかかったが黙って聞いていることにした。
「同胞――吸血鬼として生まれた奴に”正しく”生涯を送らせること。そして、現代に化物として生きる事を選んだ吸血鬼の排除。大雑把に言えばこんなところだ」
「……正しく、ね」
隣から聞こえた冬木の呟きはやや皮肉が込められていた。
西巻の言う通りなら、彼女にもその手が差し伸べられたのだろうが、先日の襲撃を鑑みると後者に切り替わった、と言うことなのだろう。
では、その線引はなんなのか。
「冬木は今後もその、排除の対象になり得るんですか?けれど俺にはそういう風にはとても……」
「その話も追々させてもらうけどね、今はノーと言っておこう。でもかつてはそうだった」
返答に一先ず胸を撫で下ろすが、冬木は眉を顰めたまま難しい顔をしている。細やかに棘ついた空気が足元を滞留している。
能星すばる程ではないが、冬木と両者の関係はその組織を通じて良くないものらしい。
背筋を伸ばし身を正して居心地の悪さを誤魔化す。
「じゃあ、そうじゃない吸血鬼……を正しく生かすっていうのは?」
「うん、さっきは生きるのに必要な電磁波に苦労はしないと言ったが、それはあくまで供給量の話なんだ。俺達が安全に暮らすにはもう一つ条件がある」
「安全に?」
「そう、安全に。こんな特異な身体を持っているせいか自身から出る線量のバランスが安定しないんだ。その影響は少なければ著しく精神を害したり衝動的な凶暴性を持つ。大きければ大規模な通信障害、電子機器の破壊……って簡単に言ってるけど。大事なのはわかるだろう?」
次第に大きくなる話にごくりと唾を飲み込む。電磁波の線量によって干渉する強さ、と表現するべきかそれが大きくなるのは容易に想像できる。
しかしたった一人の存在から発生するというのは――吸血鬼はそこまで強大な生命なのか。
西巻の説明はまだ続く。
「その人災を防ぐには似通った磁波を持つ者同士を傍に置くこと…俺達はこれを”ペアリング”と呼んでる。明確なロジックは分かってないが、ペアリングをすることで互いに干渉し、力の暴走を抑えられるんだ。これで多くの吸血鬼たちは平穏無事に一生を終える事が出来る」
一呼吸置き、西巻も姿勢を戻す。パイプ椅子が細い声で軋んだ。
視線が冬木の方を向いて、それに気付いた冬木は反対に視線を逸す。
「式乃ちゃんとはうちのすばるちゃんがペアリングする予定だったんだけどねえ。大分前からアタックしてたのに、するする逃げられて――こんな事になるとは」
「…………」
思い返すと親しい事をあの屋上で、能星が冬木に対して言っていた筈だ。
当の冬木はだんまりとしたままだった。西巻は西巻でのらりくらりと笑うだけで特に彼女を責めるわけではないようだ。
「えっと、冬木がペアリングを拒んだからこの前みたいな事が起きたんですか」
「いいや。それは排除対象には当て嵌まらない。暫くは本人に気付かれないように監視をしながら、説得を続ける。大抵は自分の異質さに耐え切れず、対処し切れずにOKしてくれるんだけど」
「……それが貴方だったわけね」
「その通り。説得役はあくまでもすばるちゃんだけどね」
自分の与り知らぬ所で監視されていた、という事実に冬木は嫌悪感を露わにして吐き出す。気持ちは分からないでもない。知らなければ感じることはないが、一度知れば常にその気持の悪さは付きまとうだろう。
「さて、じゃあ具体的にどういった吸血鬼が組織の排除対象になるのか。これは簡単だ。夕斗くんも目にした異能――あれを私利私欲に使い、他者を虐げる者が対象になる」
人間の社会、機関では彼らを裁くことは出来ない、と西巻は続ける。
「うちのすばるちゃんみたいに力を顕現出来る吸血鬼はそうそう居るもんじゃないんだ。ペアリングしてない個体の暴走で力が使えたとしてもその時だけで、偶発的な事故に近い
。だから、自分を化物と認識し、且つ異能を自在に行使出来る吸血鬼は同じ生き物として淘汰することに決めた」
これは吸血鬼という、一つの種族としての問題だと厚い壁をもって説明されていた。
少なくとも人間の夕斗にはそう感じられた。内容のせいか陽光で温んだ空気がひやりと鋭さを含んでくる。
「此処で式乃ちゃんの話になる。俺達は彼女が排除対象になったと思ったんだ。確証を得る要因になったのは――君だよ、夕斗くん」
「俺……ですか。どうして、って教えてくれるんですよね?」
「勿論。君は式乃ちゃんに何かされた覚えはないだろ?でもそれは肉体の外面的な話だ。彼女が君を侵したのは精神的、いや、魂なんだ」
また実感の沸かない内容だった。魂を侵されるなんて生まれて始めて耳にする上に、常識的にそんな事は有り得ないと断じていい具合の話だ。
事の難解さに寄っていく眉間の皺を、額に手を当てて解す。落ち着いて考えても該当する出来事は無かったように思うのだが。
ちらと冬木に首を向ける。一瞬だけ目が合うも彼女は苦々しい表情をし、すぐに夕斗から視線を外してしまう。
「夕斗くんは吸血鬼伝説については詳しい方かい?」
「いや……日光が苦手だとか、ニンニクと十字架がとかぐらいにしか」
「成る程。じゃあ例え話は良くないな。……吸血鬼の中には人を洗脳に近しく、自分の支配下に置ける力を使える者がいる。この力は大昔に、人間の血を大きな糧にしてた頃に得たものだと言われて――現代に近づくにつれ失われていったんだが――本当に低い、極稀に存在するんだ」
間違いなく、その稀な存在が冬木なのだろう。
そして西巻が言っていた確証と自分が繋がるならば、もう一点しかない。
「この力を”魔声”と呼んで、希少さと人間に及ぼす危険性から速やかな排除が承認される。
理由は問わずに、だ。無条件に他者を隷属させることの出来る力なんてチートもいい所だ」
「……俺はその状態になっているんですか?その、あまり変わった様子は無いですが」
嘘だ。
自分には明らかな変化が、冬木と関わってからあるのだ。しかしそれは自身の先天性の症状と相俟ってのものだから、説明がややこしくなりそうなので口を挟もうとは思わない。
でも逆に言えばそれだけだ。
西巻の語り草だと、きっと身体だけでなく精神さえも意のままに出来るのだろう。だがそのような干渉や強制を受けた覚えはない。
もし操られている時は記憶がない、なんて付加があるのならアテにはならないのだが。
「いやー、だって、夕斗くんはかかってないもの。ほんと、どうなってるのかこっちが教えて欲しいよ」
「は……?待って下さい。それじゃ、おかしいでしょう?だって冬木が魔声を俺に使ったから、排除することになったって」
「確かに彼女は魔声を発した。その場には夕斗くんしか居なかった――当然、君がマーキングされた筈だ。でも実際は違う」
西巻は大きく深呼吸をし、話を区切った。そして冬木と夕斗を交互に見比べる。
「魔声に魅入られると主人の命令は絶対だ。でも特に命令が無ければ尊厳が失われることはない――ないが、その状態でも主人を傷つけたり、不利になるような行動は出来ないようになっている。無意識下でね」
ふと、隣の冬木が自身の片腕を掴んでいる。力が入っているのかその指先はブラウスの布に埋もれて見えなかった。
「すばるちゃんが驚いてたよ。あの時君が式乃ちゃんに刃向かう、いや、彼女を止めようとした上にそれは結果的に敵であるすばるちゃんを助ける事になるんだから。先ず、有り得ない」
「それで、西巻先輩が出てきたんですか」
「そうそう。俺は監視役兼連絡役兼処理役だったから――迅速に対応させてもらったわけだ」
「……もう充分だわ」
急に割って入った冬木の声は低く、顔をやや俯向かせているせいで篭って聞こえた。
何かを堪えるような長く、深い息を吐いているのが側にいる夕斗だけに分かる。
「殺す筈の化物を生かす理由はそこじゃないでしょ。染谷君が魔声にかかっていないのは喜ばしいけど、彼は」
冬木は言葉を躊躇う。
再び開こうとする唇は何度か震えて、掠れ気味の声でようやく先を紡いだ。
「――彼は人間なの?」




