彼女の写真
めったにない機会だった。運動会の時の悔しい気持ちを思い出す。あの時はちょうど前後になってしまったのだ。お遊戯の定位置まで行くために男女で手をつないで入場する。彼女の手の温もりを感じることに儚い希望を抱いていた。それが……一つ前の奴に取られてしまった。
給食の時間だった。僕と彼女は今週当番ではない。塗装が剥がれ傷んだ机にテーブルクロスを敷いて待っていると、友人に便所に誘われたのでついて行った。頭の中にあったのは、給食の献立だったり、朝に良いところまで進めたゲームのことだったり、放課後の友人との待ち合わせ時間だったり。もちろん、自分を彼女にどうアピールするかということも常に考えていた。
小便の臭いが染み着いた便所で用を足すと早々に出てきた。手を洗って友人を待っていると、隣の女子便所から彼女が出てきた。実は分かっていた。
「あっ」
彼女は僕を指さして言った。それだけで少し体が熱くなった。大げさに目を見開き、ゆっくりと口を開く。
「どうしたの?」
キザに思われることは気にしなかった。格好をつけたかった。よく見られるように表情を作る。彼女は近くに寄ってきて、そばの手洗い場で手を洗いながら言った。
「えっ、先生に言われてない? 写真のこと」
「えーっと。何だっけ?」
両手を使って分からないことを示した。
「私と○ ○ 君さ、昨日休んでたでしょう? それで写真選んでないから、給食の間に選んできてって先生言ってたじゃない」
「へぇ~。聞いてなかった」
「あんまり時間無いから行くよ」
彼女は僕の袖を引っ張った。ちょうど、友人が便所のスリッパをきれいに揃えて出てきた。
「ちょっとごめん。写真選ばなきゃ」
彼女のあとを小走りで追う。輝かしい気分だった。写真はこの階の余った教室に展示されているらしい。二人きりの空間だ。胸の奥が熱かった。
数多くの写真があった。教室の四面のうち、ほとんど二面が写真で覆われていた。この前の運動会の写真だった。
「書く紙とかって、どこにあるのかな?」
彼女が自然な口調で言った。
「え~、いや~、どこだろう?」
きょろきょろと周りを見回しながら、雑然とした教室を歩く。照れていた。この状況に。冷静に探すことが出来なかった。ここにはないよね、と言って、去年の学芸会で使われたであろう道具を動かして見ていたら、彼女があった、と言った。扉のそばの箱に写真の番号を書く欄のついた茶封筒があった。鉛筆もその中にあった。
「こんなにあったら間に合わないよ~」
「そうかな? こんなのすぐだけど」
率先する形でそそくさと写真の一番左端に行って、一番からざっと目を通し始めた。大して興味は無かったので、目につくものだけをテキトーに書いた。彼女はじっくりと選んでいるようだった。
「もう終わったよ、僕は」
「え~。そんなに早く選んで大丈夫? 自分の写った写真、見落としてるかもしれないよ」
「そんなの別にいいじゃない」
「だめだよ、そんなの。○ ○ 君はテキトーに考えてるからいいかもしれないけど。じゃあさあ、ひましてるんだったら手伝ってよ。そのテキトーな目でも引っかかるかもしれないし」
うんいいよ、と内心とは裏腹にそっけなく言った。さっきとは違ってざっと見ることはしなかった。彼女のためになるように、注意を払って探し、封筒の欄の余ったところに番号を書いていった。真ん中に大きく写ったものから、端の方に申し訳程度に写ったものまで。それでも彼女のスピードは遅く、一番右端で追いついた。もうここはいいや、と思って、黙って近さを感じることにした。
「どう? 一応どうだった?」
僕らは教壇で向かい合った。もう少しで頭が当たるほどだ。
「僕のテキトーな目で探した限りはこれだけだったよ」
封筒を見せた。彼女の番号は僕の番号の下に一段空けて書いてある。鉛筆についた小さな消しゴムで、かぶっているたびに彼女が僕の封筒の番号を消していく。息づかいが聞こえる。ずっと下を向いているので、やわかい長髪が教壇に乗せたままの僕の右手を撫でる。しばらくして、あれっ、これないよね、と彼女が僕へ目を向けた。無いね、と即座に答えた。え~、うそぉ、と漏らしながら、僕しか書いていなかった番号の写真を彼女は探した。結局、それは満面の笑みを湛えてピースをした彼女ただ一人の写真だった。
「どうして、見落としたんだろ、でもよかった」
「よかったね、まったく」
僕は微笑をした。彼女のためになれたことが嬉しかった。いそがなきゃ、と彼女が言った。走らなくてもいいんじゃない? と言うと、彼女は意外に、そうだね、と答えた。そして、手が触れそうなほどの距離で並んで、歩いて教室まで帰った。
数日後、クラスで各々に写真が配られた。家に持って帰り両親に見せた。そんなに多くなるとだめだと思ったからよく写っている写真だけ選んでおいたよ、と言っていた時だった。違うものがそこにはあった。一瞬のうちに、どうしてだろう、という思いと、しめた、という思いと、納得があった。ただ忘れていただけだったのだが。ただ消しわすれていただけだったのだが。少ない僕の写真の中に、彼女のピース写真があった。可愛かった。あっと声を上げる間もなく、その写真は、母の「誰の写真よ」という声と共にゴミ箱の中に入った。