男と劇場
初投稿作品です。「夢と現実」をテーマにした作品創りを目指しています。
今回は何かを書こうという衝動で作りました。尻切れトンボと思われるかもしれませんが、よろしくお願いします。
廃墟と成り果てた劇場に1人の男が訪れた。
男は羽織っていたジャンパーを脱ぎあたりを見渡す。誰も居ない。
男が建物の奥に進んでいくと人影が見えてきた。
誰であろうか。
人影に近づいてみるそれは十代半ばの少女だった。
「はじめまして。あなたのお名前は」
「君こそ名前は」
男は聞き返した。
「わからない。それで、あなたのお名前は」
「実は私も名前が分からなくてね。似た物同士だな」
「そうなんだ。似た物同士だね」
少女は男に微笑み掛ける。だが男は笑わない。
「ここに住んでいるのは君だけか。他に大人は居ないのか」
「今は誰もいないよ」
「今は? じゃあ昔は誰か住んでいたのか」
「えっとね」
少女は右手の指を折ったり開いたりして人数を数えているようだ。
男は不思議に思った。少女の指の動きを目で追いながら数えてみると30人以上いたことになる。
「37人かな」
少女が言った。
「30人以上も居たのか。君をおいて皆何所に行ったんだ」
「覚えていない。一緒に過ごしたのは覚えているのに」
男は適当に空いている席に腰を掛けた。改めて見渡すと大きな劇場である。
しかし、廃館になってから何年の月日が流れたのか分からないが、今でも電気がつき少女が1人で過ごすことが可能な設備は一体どういうことなのだろうか。
「ねえ、これからどうするの」
少女が男に質問した。
「そうだな、明日にはここを出るつもりだ。その後の事はまだ考えていない」
「えっ」
少女が首をかしげて男を見る。
「どうした」
男が言う。
「だってこの劇場からは出られないよ」
当たり前の事かのように少女は言った。
「出られないだと? そんな事はないだろ」
男は立ち上がり入り口に戻った。入って来た時と同じ扉である。
男は扉を押して開ける。
「ほら、空いたじゃないか」
ついて来た少女の方へ振り返る。
「でも出られないよ」
「何を言っている扉は開いた。この先は外だ」
男は扉の外へ出て行った。
すると男は並んでいるもう1つの扉から出てきた。
「どういうことだ」
男は出てきた扉を開けもう一度外に出ようとする。すると並んでいるもう1つの扉から出てくる。まるで2つの扉から出たり入ったりを繰り返しているようだ。
「なぜだ、なぜ外に出れない」
「さぁ、元々こういうものなんだよ」
少女はいたって冷静である。
「くそっ、どうやったら脱出できるんだ」
男は焦る。何度も行き来するが結果は変わらない。
「だから、無駄だよ」
「そんなはずないだろ。君は出口を知っているんじゃないのか」
男は少女に詰め寄る。
「知らないよ。ここから出れた人は誰もいないもん」
「何だと、まさかここに住んでいた37人は…」
男はその先の言葉が出てこなかった。口にしてしまうと自分にも同じ結果が待っている気がしたからだ。
「慣れれば何てことないよ」
「慣れって、…いや待てよ。君、学校や食事はどうしている」
男の質問に少女は首をかしげる。
「がっ…こう…? しょくじ?」
男は戦慄した。この少女は学校も食事も知らない。
「君は何なんだ。まさか人間じゃないのか」
「そうだけど」
少女は平然と言い切った。
「一体君は何者なんだ。人間ではないと分かっているんだろ」
「ここだよ」
少女は天井を指差した。
男も天井を見上げる。
「まさか、この劇場そのものだと」
「そうだよ」
少女は相変わらず男に微笑み掛ける。男はとても笑える状況ではない。
男は走ってきた道を引き返す。
「あっ、ちょっと待ってよ」
少女も男の後を追う。
男は適当に扉を開けて部屋の中に入り辺りを見渡す。部屋には誰もおらず埃が溜まっているだけだ。
1つの部屋を見渡すと男はまた別の部屋の扉を開ける。
「何してるの。探し物?」
少女が男に話しかけるが男は無視して部屋の中を見渡す。
「探し物なら手伝うよ」
「私の前にここに居た人はどれ位前のことだ。」
男はやっと少女の言葉に反応した。
「ちょうど一ヶ月前だよ」
「その人が居なくなる直前の出来事を覚えているか」
「特に何もなかったかな。皆いきなり消えちゃうんだよね」
「どんな些細な事でもいい。空腹に耐えていたとか、体調が悪そうだったとか」
男の息づかいは荒くなっており、顔も赤くなっている。
「体調が悪くなった人は今まで居ないかな。皆健康そうだったよ」
「皆どれ位の期間ここに住んでいた」
「期間はねバラバラだよ。最短では3日で居なくなった人もいたし、長い人では1カ月ぐらいの人もいるし」
少女は健康のように見えたと言ったがおそらく嘘である。人間が1カ月近くも食事なしで健康を保つことなど不可能だ。
建物の何所かに屍でも転がっているかと思ったが見当たらない。この劇場そのものと名乗る少女が発見できない場所で誰もが力尽きたのだろうか。
「そういえば消える前にこんなこと言っている人達がいたよ。『ここは心の迷宮だ』って」
「心の迷宮だと。何のことだ」
「他にも『魂の迷路』とか『自分自身が作り出した迷路』とか。表現の仕方は違うけど言いたいことは同じだと思う」
確かに表現がとても似ている。問題はその人達がどうなったかだ。無事に脱出できたのか無理だったのか。
男は頭を抱える。今までいた人達が少女に気づかれることなく脱出できたのならどの様な方法があるのだろうか。
「あなたも同じだよね。自分探しをしているのでしょ」
「まぁ、そうだが。……まさか」
男の思考が一気に活性し1つの答えを導き出した。
「君のお陰でこの劇場から出られる条件が分かったよ。自らの悩みや迷いから抜け出すことだ。」
「へえー、そうなんだ。じゃあ皆悩みや迷いから解放されたんだ」
「少なくても一時は開放されたんじゃないか。私の答えが合っていればだが」
「でも同じ人が2度来たことはないよ。皆悩みから解放されたんだよ」
少女はいつもの様に微笑んでくれた。男も少し笑うことが出来た。
男と少女はホールに行きステージ前列の椅子に腰を掛けた。
「冷静に考えれば君に名前が無いのも当たり前のことだ」
「どうしてそんなことが分かるの。教えてよ」
男の心に少女と会話する余裕が生まれたのか、彼から話しかけた。
「君も知っているだろこの劇場はすでに廃館になっている。そのため名前を記した看板が撤去されているんだ」
「でも、そのかつてはあった名前も思い出せないんだよ」
「この劇場についていた名前は別の劇場に引き継がれた。だから名乗らないように、思い出さないようにしているのだろ、かつてここに付けられていた名前を汚したくない一心で」
「……それはあるかもしれない」
男はこの劇場が盛り上がっていたころの雰囲気を想像する。ホールに人が大勢いて席が満席で拍手喝采が飛び交う賑やかなころ。廃館になるなど誰が思ったであろうか。
今この劇場は悩める人達がたどり着く未知の所だ。かつての名誉とはかけ離れている。
ここに居る少女も悩みを抱え出られないでいるのかもしれない。
以前この場に現れた人達は自分の悩みを解決して姿を消したのかもしれないが劇場の悩みを解決はしてくれなかった。いや、出来なかったのだろう。
おそらく劇場の悩みはどうしたらもう一度ショーを行いお客さんに来てもらうかだろう。これを叶えるのは一般人では不可能だ。まして、悩んだあげくよく分からない空間に飛ばされるように人が救済できはずない。
「あなたは何日位ここにいてくれるのかな。さっさと出て行っちゃうのかな」
「私にも分からない」
「あなたの悩みは自分の名前を見つけることでしょ」
「いや、そんなことはどうでもいい。私はどうしたら君を解放することが出来るのか悩んでいる」
少女はまた首をかしげて男を見つめる。
「自分の事はどうでもいいの。悩みを解決しないと出られないんだよ」
「君はこのままでいいのか、このまま悩める人間達を見送るだけでいいのか。何か願いがあるんじゃないのか」
「願い……。願いならあるよ」
「どんな願いだ。叶うか叶わないか別にして言うだけ言ってみるんだ」
おそらく男に叶えられるような事ではないだろう。それでも男は何らかの手助けは出来るかもしれないと思った。
「この劇場を取り壊してほしい」
「取り壊し……。君はそれで満足するのか」
予想外の返答だ。なぜこの様な事を願うのだろうか。
「古い建物を何時まで残しておいても良いことなんてないよ。ただ苦しいだけだよ」
「君は今まで苦しかったのか」
「絶対に叶わない願いを抱き続けるぐらいならここを壊して新しい建物を建てたほうが皆喜ぶよ。持っていかれた名前を受け継いだ劇場もきっと賑わっていると信じているから」
この劇場が良くなること以上に少女は人の幸せの事を考えている。
「それは君の願いなのか、誰かの願いじゃないのか」
「そうかもしれない。でもあなたも誰かの願いを自分の願いにしようとしているでしょ。やっぱり似たもの同士だね」
少女の言う通りだ。男に反論の余地は無かった。名前も捨て、己を捨て、全てを他人のために捧げていた。いまさら自分の願い等ないと思っていた。
しかし、この劇場に居るということはまだ己の中に悩みがあるということだ。
「無理言っちゃたよね、劇場を取り壊すだなんて普通の人には出来ないよね」
「ああ、私にはそんな権力ないからな」
男は少女の願いを叶えたいのだが妥協してもらうしかない。
「じゃあ違う願いにする。新しい願いはあなたが名前を持つこと」
「結局他人の願いを叶えることじゃないか」
「いいのいいの。誰かの役に立つことが出来ればそれで満足」
「そうか、君がそれで満足するなら私に新しい名前を付けてくれ」
少女は男の名前決めを始めた。少女は今までここに訪れた人の名前やそれを元にした名前を考えてくれた。
そんな話をしている間に男は急な眠気に誘われてきた。
「すまんな、少し眠くなってきたようだ。君と話しているのは実に楽しいが今は寝かしてくれないか」
「いいよ、お休みなさい」
少女から許可を取ると男は目を閉じた。
少女との会話は楽しく久しぶりに自分に親身になってくれるものだった。男はとても優しい気持ちに包まれているような満足感があった。
次に男が目を覚ましたのは劇場の正門前だった。日が上がり目を開けるのが辛いほどに光が入ってくる。
振り返ると男が居たはずの劇場がそびえ立っている。昨晩は屋敷に居たはずなのに知らないうちに外にいた。
男は正門を空けようと扉に触れた。扉は押しても引いても動かない。昨日はすんなりと空いたのに今はビクともしない。
劇場に居た少女はどうしたのであろうか。居なくなってしまった自分を探し回っているのではないか。男は何度も扉を開けようとする。
「出られてよかったね」
扉の向こうから声が聞こえた気がした。
「君はまだそこにいるのか」
男は扉の向こうに少女が居ることを願って声を発した。
「きっと壊されるまでここに居るよ」
少女の返事が聞こえた。男は一層力をこめて開けようとする。
「なんで扉を開けようとしているの。せっかくここから出れたんだよ」
「君がまだ残っているじゃないか」
「ここに戻ってきたらダメだよ。あなたは答えを導くことが出来た、後は踏み出すだけ」
いや、まだ終わっていない、君がそこに居るじゃないか。君が劇場そのものだとしても魂はある。苦しんでいる魂をほったらかしには出来ない」
ガチャッ、と扉から鍵が開くような音がした。男がゆっくりと扉を開けるとそこには昨日と同じ少女が立っていた。
「お人よしですね。こんな建物のことはすぐに忘れればいいのに」
「あんな体験忘れられるわけないだろ」
男は少女に手を差し出した。
少女は差し出された手を見て黙っていた。拒むわけでもなく、握るわけでもない。
「君の名前を受け継いだ劇場を見に行かないか」
「確かにそれは気になるかな。でもそんなことは願っていなよ」
「やはり願いは取り壊されることか」
「うん、そうだよ」
「これは私の予想だが、この劇場が壊されようとも君は残り続けると思う。それが君の本当の願いではないはずだから」
「じゃあもう一度沢山のお客さん連れてきて賑やかにすることができるの」
男は一歩進んで少女の手を握った。
「ここに連れてくることは出来ない。でも、君を連れて行くことなら出来る」
「連れて行ってくれるの、大勢のお客さんで賑わうところへ」
「君が望むのなら」
少女は男に手を引かれる様に歩き出した。