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「うげっ、本当に来た・・・」
バークリー侯爵家に着いたジークムントを出迎えたのは、栗色のふわふわした髪に緑の目の優男、ジークムントの1歳年上の友人でもある侯爵家三男ーーエルマーの嫌そうな声だった。
カールハインツに全てを押し付けたその日のうちにジークムントは城を出た。
後ろからカールハインツの呻き声が聞こえた気もするが、まあ、これもいい勉強だ。カールハインツの抗議は捨て置く。
向かうバークリー侯爵領は王都から南東へ下ったところにある。
先触れを出し、バークリー侯爵の屋敷に着けば、侯爵夫妻は他領に出掛けていて不在。長男次男は王都へ帰ったらしい。
好都合だ。
ジークムントは屋敷内をエルマーに案内されながら口の端をあげる。
陰険な長男、堅物な次男よりは、目の前の軽薄な三男の方が口を割らせやすい。侯爵夫妻がいない今なら、多少の怪我は友人同士の戯れ合いで済むだろう。
どうやって口を割らせようかと手段を色々考えていると、エルマーが両腕を摩り、身震いした。
エルマーは振り返り、
「何かよからぬことを考えてないかい?」
「勘がいいな。まあ、色々とな」
「・・・」
エルマーは顔を引き攣らせた。
「ぐ、具体的には?」
「俺を謀るとどうなるかをその体をもって、知ってもらおう」
エルマーの顔からさっと血の気が引く。エルマーはパクパクと口を動かし、何か言おうとしたが、ぐっと口を閉じ、再び歩き始めた。
二人は二階の廊下を歩いていた。わざわざ奥まった部屋に案内するのは何か意図があるのだろう。ジークムントは黙ってついていく。
一つの扉の前で止まり、中に促される。
部屋に入ると、そこには先客がいた。その人物を見たジークムントは虚を突かれ、呆然と立ち尽くした。
大きな窓から木漏れ日が射し込む、重厚な焦げ茶色の家具が並ぶさほど広くはない応接間。
シンプルな白いシャツ、深緑色のベストと黒のズボンのその人は、緑の目と肩あたりまでの白い髪を持っている。
ジークムントは室内の扉近くに立ち、小さく呟いた。
「兄上、やはり生きていたのですね・・・」
呆然と呟くジークムントに、兄はあの夜に見たような、困ったような笑みを浮かべた。
ソファに座り、王宮にいた兄の侍女が茶を淹れ退室するまで二人は無言だった。
ジークムントは兄を見つめる。
兄の長かった髪は肩口あたりまでになっている。それは遺髪として切られ、神殿に奉納された為だ。白蛇の姫の愛し子の髪は聖遺物として祀られる。
長い綺麗な髪が似合っていたのに残念だ。ただ、髪の短い兄は何時もより幼く、少年の様で親しみ易くこれはこれでよい。
ジークムントがじーっと見つめていると、兄は紅茶のカップを置き、口を開いた。
「ジーク、君、陛下に無断で城を出たんだって?」
「! なぜその事を?」
「陛下から早文が来た。『猪がそちらに向かった』って。猪は猪突猛進。僕が生きていると気付いて、まさかそのまま城を出たんじゃないよね」
「・・・・」
ジークムントはぐうの音も出ず、黙り込んだ。
無断で城を出たのは本当だが、なぜ王から兄に連絡が行く? しかも息子を猪扱い。さらに兄は猪でジークムントが来ることが分かったのだ。
尊敬する父と兄からの猪呼ばわりに軽くショックを受けていると、兄は小言の様に続ける。
「今の君は前と違って、気軽に出掛けられる立場じゃないんだよ。しかもいつものように城下をうろつくのとは訳が違う。ここは王都から離れた地だ。旅の途中でなにがあるかも分からない。自重してもらわないと」
「・・・」
「聞いてるの? 王太子殿下」
軽く魂を飛ばしてたジークムントは兄の一言に、ハッと意識を戻した。今の言葉は聞き捨てならない。
「兄上、兄上が生きておられるのなら王太子は兄上です」
「話を逸らさないで。今は君の無謀な行動についてーー」
「兄上こそ話を逸らさないで下さい。私は兄上の生存を確認し、王宮に戻っていただくために来ました。無謀な行動は承知の上です」
兄の話を遮り、強い口調で言う。兄は一瞬顔を強張らせ、息を吐いた。
「僕は戻らないよ。王太子だったアレクシスは死んだんだ。死んだはずの王太子が戻ったらどれほどの混乱を巻き起こすか分かるだろう。僕のことは君の胸にとどめておいて欲しい」
兄は真っ直ぐにジークムントを見つめる。その言葉に懇願の色を見つけるがジークムントは首を振った。
「出来ません。私は兄上が生きておられると知っている。正当な次期国王の存在を隠すことは出来ません」
「それがどれ程の混乱を招くとしても?」
「はい。ーーそれに兄上に兄上として戻っていただくとは言ってませんよ」
「? どういうこと?」
兄は心底分からないという顔をする。ジークムントは肩を竦めた。
「死んだはずの兄上が戻ったらそれは混乱を招くでしょう。王家への不信や非難、その他諸々、あまり利のある話ではない。それならば兄上の双子の弟として戻ればいい。神殿に預けられていた双子の弟で神聖な白蛇の姫の愛し子。さらに私があなたを支持すれば文句を言う者もいなくなるでしょう」
「・・・・そこまでする?」
「ええ、しますよ。あなたに戻っていただくためならば」
兄は疲れたように大きく息を吐き、背をソファに凭れさせた。
「そこまでする必要はないよ。僕は戻る気はないし、そもそも今回の件だって理由あってのことだ。戻る必要もない」
「いいえ、戻ってもらいますよ。ーー例えあなたが陛下の子じゃなくても」
「っ!!」
ジークムントがさらりと告げた言葉に、兄は息をのみ、目を見張った。
「誰からそのことをーー」
「カマを掛けただけです」
「・・・え?」
兄は目を見開いたままポカーンと口を開いた。兄のそんな顔は初めて見た。ジークムントは口角が上がるのを抑えられなかった。
「カマを掛けたんですよ。誰からも聞いてません。今までそんな事思いもしなかった。しかし今回の茶番の真意はなんだろうと考えていて、この可能性に当たったのです。あなたの父親が陛下ではなく、バークリー侯爵であるなら、陛下の子である自分を王位につけるためにあなたを排する事もあるのかなと」
「・・・・」
引っ掛けられたことが気に食わないのだろう、睨むように見つめられ、ジークムントはさらに口角を上げた。こんなに強い目で兄ーーアレクシスに見られたのは初めてだ。
「こういう場合、普通ならバークリー侯爵家が王家を乗っ取るために仕組んだとか、バークリー侯爵夫人が自分の子を王位につけるために陛下の子と嘘をついたとかなんでしょうね。
しかし、侯爵夫人はあなたが戻って来るのを楽しみにしていたようだし。陛下の元愛人という割りには侯爵夫人は母上ととても親しい。母上と侯爵夫人が笑い合っている様子は、どう見ても禍根があるとは思えないのです」
「さあね、人の心は複雑で難しい。憎みあってないと断言も出来ないだろう」
アレクシスは上体を起こし、紅茶を飲んだ。もう冷めているだろうお茶を飲み干し、立ち上がった。
「僕は陛下の子じゃない。それは認めよう。だから追い出されたんだよ。陛下の怒りを買った僕は死んだことにされた。それが真相だ」
硬い声で言い放ち、アレクシスは扉へと向かう。
「もし!」
ジークムントは鋭く声をあげ、立ち上がった。アレクシスは歩みを止める。しかし振り返らない背中に続きを語る。
「もし、陛下と母が、あなたは陛下の子ではないと知っていて、あなたを王太子にしたのだとしたら? バークリー侯爵夫人が泣く泣くあなたを王家に預けたのだとしたら?
あなたは白蛇の姫の愛し子。呪われた王太子という役目を負うために陛下の子ということにされたのだとしたら?」
アレクシスの肩が揺れる。
「あなたはーー私の命を守るために王太子として生きてきた」
「・・・・」
アレクシスは振り返らない。ジークムントはアレクシスの背に向け、懇願を口にする。
「本当の事を教えてください。私をなにも知らない恩知らずにはしないでください」
「ジーク・・・」
振り返ったアレクシスは迷うように瞳を揺らしていた。