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兄が亡くなった。
その知らせを受けた時、ジークムントは暫く動くことが出来なかった。
つい2日前、やっと話すことが出来た。やっと笑顔が見れたと思ったのに。
兄は夕方、執務室で倒れ、その日のうちに亡くなってしまった。
兄は心の臓が悪かったらしい。
兄の死に顔はやはりとても美しく、精巧な人形のようだった。
葬儀もあらかじめ取り決めてあったかのようにスムーズに進み、あっという間に兄のいない日常が始まった。
ジークムントは新たなる王太子として、昼夜となく忙しく過ごしたが、ふとひとりになると、悲しみと後悔、色々なものが綯い交ぜになったものに襲われた。
なぜ、もっと兄と話をしなかったのか。話す機会は沢山あったのに。
幼い時の記憶がよぎる。王宮の中庭で友と遊んでいると、時折兄が階上の窓から顔を出してこちらを見ていた。あれは一緒に遊びたかったのだと思う。だが、王太子という立場と身の安全のために自分のように友達と遊び転げることは許されなかったのだ。
ずっと我慢をしてきた人だと思う。遊びたいのも、出掛けたいのも、体が弱いことも。それでも腐らず、ずっと前を向いていた人だった。
自分は兄に恥じない人間でありたいと思う。
そんな決意も新たに日々を過ごすうちに、ジークムントは気がついた。
なにかおかしい。
兄は王太子だったため病弱とはいえ執務は少なからずあった。それをジークムントが引き継いだのだが、殆んどの件がキリのいいところになっている。引き継ぎ書類もあり、問題なく引き継げた。
執務室は綺麗に片付いていて、何も途中になっているものがない。書類一枚さえも途中のものがなかった。
これだけならあり得ることだ。兄は几帳面な人で、たまたま執務が一息ついていたというのなら。しかしーー
兄の部屋は今誰も入れないようになっている。だがジークムントは兄の思い出に浸りたくて、秘密裏に鍵を手に入れた。
そして入ってみれば、兄に長年仕えていた侍女が、続き部屋のほうで兄の荷物を整理していた。様子を伺っていたらなんと、鼻歌を歌っていた。呆気にとられて何も言えなかった。
その侍女はもう城にいない。どこに行ったのかと問えば、兄の母であるバークリー侯爵夫人のもとへ行ったらしい。
そういえば兄の母のバークリー侯爵夫人は葬儀の最中にあくびを噛み殺していた気がする。
バークリー侯爵夫人はどうしたのかと問えば、夫妻で領地に戻ったという。王家に引き取られたとはいえ自分が産んだ息子を亡くし、気落ちしたかと思えば、夫人は嬉しそうにしていたという。
兄の護衛の近衛の一人はバークリー侯爵の次男だった。見かけないのでどこに行ったのかと問えば、休暇で実家に戻っているらしい。
バークリー侯爵の長男は遊学先から急遽帰国した筈だ。なのに見かけない。何故だと問えば、登城する前に実家で一休みしているらしい。
ジークムントの友人であるバークリー侯爵の三男は、兄の葬儀が終わって早々、実家に戻った。気落ちするジークムントを軽い態度で慰め、笑いながら軽い足取りで。
「・・・・・・・・」
そもそも、あの夜の兄は変だった。思い返してみれば、別れを言っていた気がする。
「まさか、兄上は・・・」
一つの予感がよぎる。
だが、でも、あり得るのだろうか、こんなことが。
「しかし、それならば全て辻褄が合う」
ジークムントは陰鬱に呟いた。
どこまでの人間が絡んで、どんな思惑があるのか知らないが、こうなれば、やることは一つだ。
ジークムントは昏い眼差しで窓の外を眺め、侍従に弟ーーカールハインツを呼びに行かせた。
兄が使っていた執務室は三階にあり、庭が見える。行き交う人々を見るともなしに見ながら、この茶番の真意は何なのかつらつらと考えていると、やがて弟がやってきた。
「お呼びですか、兄上」
声をかけられ、ジークムントは窓の外から室内へと目を向ける。
そこに居たのは焦げ茶色の髪に青い瞳の、もうじき16歳になる少年だった。
まだ幼さの残る顔立ちは生真面目な性格を表すかのように引き締められている。細い身体で、剣を握るより本を好むこの弟は大人しく人前に出ることを好まない。今も図書館にでも居たのだろう、眼鏡をかけたままだ。
「きたか、カール。さっそくだが俺は具合が悪い」
「は? えっ、ええ? 兄上、すぐ医者を呼びます」
カールハインツは慌てて踵を返すが、ジークムントはそれをとどめた。
「いや、それには及ばない。俺は・・・、そうだな、流行病のため1ヶ月ほど離宮で静養する。うつる可能性があるから何人たりとも面会謝絶だ。その間お前が代わりを務めろ」
「へ? それはどういう?」
「どうもこうもない。そういうことだから後は頼んだぞ」
ジークムントはカールハインツの横を通り、扉へと歩を進める。カールハインツも慌てて後を追ってきた。
「ちょ、待ってください。いきなりなんですか?」
カールハインツはジークムントの前に回り込むと、顔を困惑に染め、ジークムントを見上げた。
「流行病って今特に病は流行ってませんよね。それに兄上、今朝方兵たちに混じっての鍛錬で、何人かを足腰立たなくなるまで叩きのめしたとか。兵たちから嘆願が来ています。毎日毎日叩きのめされるとそのうち使える兵がいなくなるので、兄上には自重して頂きたいと」
言いながら、だんだんとカールハインツの声が低くなる。ジークムントはそれに舌打ちを返し、カールハインツを見下ろす。
「兵の質が悪いな。たまに来る王子に遅れをとるのはたるんでいる証拠だ。一度バルツァー将軍あたりに言ってやるか」
自身の剣の師でもある将軍のしごきを思い出しつつ言うと、カールハインツは目を剥き、慌てて手を振った。
「やめてください! それこそ兵たちが使いものにならなくなります!」
「つまらんな。まあ、いい。俺はしばらくいなくなるから後をたのんだぞ」
「まってください! それについてもまだ話が終わってません!」
「うるさい。つべこべ言うとテレーザ嬢にお前が懸想してることをバラすぞ」
うっとおしく話を続けるカールハインツに、最近掴んだネタを突き付ける。見る見る間にカールハインツの顔が赤くなった。
「な、な、なにを。べ、べつに僕はそんなこと」
「ほう、そうか。なら部屋にあるテレーザ嬢の絵姿はなんだ? 毎日眺めてニヤニヤしてるそうじゃないか」
カールハインツの顔が今度は青くなった。
「さらにお前はその絵に向かって毎夜毎夜ーー」
「わああああーー! やめてください! それ以上はいわないでぇぇぇー」
カールハインツは面白いくらいに取り乱し、頭を抱える。ジークムントはそれに特に感慨も湧かず、淡々と続ける。
「そうか、なら言わんが。兄はその行為はどうかと思っていると言っておく」
「ううう、誰から聞いたんですか、その事」
涙目で見上げてくるカールハインツに、ジークムントは軽く肩を竦める。
「さあ、だれかな。まあ俺の情報網を甘くみないほうがいい。ではそういうことだ」
「ううううぅぅぅぅ」
カールハインツの悲痛な叫びが聞こえる。まあ、構われ体質の弟にはいつものことだ。ジークムントは構わず部屋を後にした。