一日五分でSave the Earth.
ある朝、有里 光がなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で魔法少女に変っているのを発見した。彼女は絹の様に柔らかな背を下にして、あおむけに横たわっていた。頭をすこし持ちあげると、アーチのようにふくらんだスカートの裾が見える。
「きゃああああああっ!」
「何の騒ぎだ!?」
思わず悲鳴を漏らすと、すぐさま勢いよく扉が開け放たれた。
「君は……?」
「お、お兄ちゃん……」
入り口から光を凝視するのは、兄の陽だった。隆々とした上背のある体躯に、男らしい厳つい顔つき。意思の強さを感じさせるキリリとした眉。常ならば猛禽を思わせるような鋭い瞳は、今は驚きに大きく見開かれていた。
彼はスムーズに膝を折ると、そのまま流れるような動作で腰を降り、両手を床について頭を下げる。
「結婚を前提にお付き合いしてください」
「何言ってんの!?」
思わず見惚れてしまう程の滑らかな土下座に、光は叫んだ。
「お兄ちゃん落ち着いて。僕だよ、光だよ!」
光はベッドから這い出して、その全身を余すことなく陽に晒した。
艶やかな髪は後頭部で髪飾りによって纏められ、ポニーテールは芸術的な弧を描きながら腰の辺りまで長く伸びている。身体はフリルのあしらわれた可愛らしい服で包まれ、その控えめな胸元を大きなリボンが彩っていた。ふんわり膨らんだパフスリーブ、そしてミニスカートから伸びるすらりとした手足はどこまでも華奢で、肌は白く染み一つない。
完全無欠の美少女の姿が、そこにあった。
陽はそれを余すところなく眺め、改めてその額を地面に擦り付ける。
「それでも一向に構わん!」
「弟相手に、何を言ってるんだっ!」
光の投げた魔法の杖っぽい棒が、陽の後頭部に突き刺さった。
「しかし、一体どうしてこんなことに……」
数分後。止血を終え、どうにか落ち着いたらしい陽はしげしげと光の姿を見ながら腕を組んで唸った。
「どこまで変化しているか気になるな。おい光、ちょっと服を脱いでお兄ちゃんに見せてごらん」
「嫌だよ!?」
意識としては、男のままである。上半身くらいなら裸を晒すことに何ら抵抗はないが、現在の陽に見せるのは何となく嫌だった。と言うか下手に隙を見せればそのまま襲われてしまいそうで、光はじりじりと陽から距離を取る。
と、その時。
「それについては、僕が説明するニダ」
光が瞬いたかと思えば、声と共に小さな生き物が現れた。
幾重にも折り重なった赤がね色の甲殻。小さな頭左右に伸びる触覚。体からはにょっきりと伸びた、数えるのも嫌になるくらいの何本もの足。
それはそれは見事な、ダイオウグソクムシであった。
「キモい!」
「な、何をするニダ!?」
即座に手元にあった杖を叩きつける光に、意外にも俊敏な動作でそれをかわすダイオウグソクムシ。その素早い動きが尚更気持ち悪かった。
「ぎゃあ、喋った!」
「待つニダ! 暴力反対ニダ!」
半狂乱になって杖を振り回す光に、ダイオウグソクムシはガサガサと壁を這い回り、天井の角に逃げる。
「僕は妖精! 君のサポートをするために派遣された妖精ニダ!」
「妖精に謝れ!」
天井の隅っこに丸くなりながらそう主張する甲殻類に、光は叫んだ。
今にも飛びかからんばかりの彼女を、陽は腕で制する。
「まあ待て光……つまり、光をこの姿にしたのはお前と言うことか?」
そして、その猛禽を思わせる鋭い視線で、ダイオウグソクムシを睨んだ。
「その通りニダ」
「なるほど……ならば」
滑らかに、陽は行動に移る。居合いの達人を思わせる動きで足を引き、彼は全身の筋肉を怒張させると、床を蹴って宙に舞う。
「ありがとうございましたああああ!」
そしてそのまま、大地よ割れよと言わんばかりの勢いで床に額を打ち付けた。彼の生涯最高最大、全力全開のジャンピング土下座であった。
一切のブレを見せぬ兄に、光は深く深く息を吐く。ともかく、気は落ち着いた。
「ええと……妖精、だっけ?」
「そ、そうニダ。僕の名前はシトリン。君の相棒ニダ」
「相棒?」
怪訝そうに眉をひそめる光に、シトリンと名乗ったダイオウグソクムシは器用にこくこくと頷いて見せた。
「魔法少女と言えば、相棒となる小動物。常識ニカ?」
「節足動物は嫌だよ。というか、何なのその語尾は」
シトリンは触覚をふよふよと彷徨わせた。どうやら困惑しているようだったが、そんなジェスチャーをされてもこちらの方が困惑する。
「おかしいニダ。人気のある生き物と、語尾を選んだつもりだったニダ」
「……人気がない、とは確かに言いにくいけど……」
光は頭痛を堪えるかのように頭を抱えた。両方とも、頭に「ある意味で」をつければの話だが。
「とにかく、この格好恥ずかしいし。早く戻してよ」
「何を恥じる必要がある! 最高だ。最高だ!」
「お兄ちゃんは黙ってて」
「そう言うわけにもいかないニダ。この世界は、危機に瀕しているのニダ」
シトリンは重々しく、そう言った。しかしそれは、予想していた展開でもある。光とて、日曜の朝にやっているような類の「魔法少女もの」の話のさわりくらいは知っていた。
「あれでしょ。邪悪な軍団が魔法的なエネルギーを使って、皆の夢とか希望とかを奪うみたいな」
「いや、市場経済を握っているニダ」
「市場経済!?」
「今の世界を支配しようと思ったら経済を握るしかないニダ。『金』は『力』ニダ」
既に夢も希望もなかった。
「どうしようそんなのに勝てる気がしないんだけど」
「ああ、大丈夫。方法としては、敵の首領を殴り倒してくれればいいニダ」
「そんな原始的な解決方法でいいの!?」
「勿論ニダ。どんなに文明が高度になろうと生き物である以上殴れば死ぬし、死ねばいかなる思想行動も無に帰すニダ。原始的であるがゆえにこれ以上なく効果的な解決方法ニダ」
シトリンは触覚をゆっくり動かしながら、淡々とそう語る。
「だが、仮にも経済を担ってるような存在を殺してしまったら、それはそれで問題なんじゃないか?」
黙って話を聞いていた陽が、意外にも鋭い意見を投げかけた。見た目はマッチョで中身はアレだが、頭はそこそこ切れる兄なのである。
「ああ、それは全く問題ないニダ。その後はウリ達が……」
言い掛け、シトリンはごほん、と一つ咳払い。
「魔法の力で何とかするニダ」
「乗っ取る気だ――――!」
魔法の産物が語る言葉でありながら、魔法の力という言葉がこれほど信用できないこともなかった。
「どちらにせよ、妹をそんな暗殺者紛いの存在に仕立て上げられるわけにはいかんな」
「今さらっと妹って言ったよね!?」
きっぱりと、陽は言い放つ。だがその奥に潜んだろくでもなさを、光は見逃さなかった。
「とにかく、協力してほしいニダ。さもなければ――」
どん、とどこかで、大きな音が聞こえた。
「人類は、滅びるニダ」
外は酷いありさまだった。
そこかしこに炎が飛び交い、閃光が瞬く。怒号と悲鳴が辺りにこだまして、まさに阿鼻叫喚。
道を進むのは、黒い服に身を包み銃を持った男達。
「相手は経済を握っているニダ。その圧倒的経済力を背景にした武力には米軍すら無力……いや、そもそも上層部が既に掌握されているニダ」
「何でガチなの!?」
こっちはこんなフリフリの服なんて着せられているというのに。半泣きで、光は訴えた。
「ともかく、敵の目的は人類の殲滅ニダ。隷属ですらない。完璧な滅亡を、敵は望んでいるのニダ」
「そんな……」
光は、愕然とした。先ほどまではどこか、面倒なことになったと思いつつも、それを楽しんでいる自分がいた。何せ、こんな体験滅多にできることじゃない。
だが、今目の前で行われているのは、ファンタジーやメルヘンとはかけ離れた、ある意味この世界では普遍的な出来事……破壊と、殺戮だ。
光の肩が震え、足は竦む。
元々光は正義感の強い性質だ。戦えるのが自分しかいないというのなら、戦わなければならない。自然と、そう思う。
しかし、目の前に広がる惨状を自分が救えるか……そう思うと、とてもではないが、無理だった。
「――大丈夫だ」
その肩を。
ぽん、と陽がやさしく叩く。
「光。お前なら、出来る」
「お兄ちゃん……」
「それでも心配なら、ずっと俺が見守っててやる」
デジタルビデオカメラを片手に構えつつ、きらりと歯を輝かせる兄を、光は家の中に叩き込んだ。
「はぁ、全く……」
心の底から嘆息し。
心の底から、光は不敵に笑みを浮かべた。
「わかった。僕、戦うよ。魔法少女っていうからには、魔法を使えるんだよね?」
「勿論ニダ。さあ、そのシアーハートステッキを握りしめ、敵に向けて念じるニダ!」
「そんな名前だったのこれ!?」
光は枕元に置いてあった、先端がハートの形をしたステッキをぶんと振る。きらきらとした光が飛んで、それを喰らった兵士の一人がこてんと倒れた。
「……ん?」
何となく飛び道具っぽいエフェクトだったが、何故か兵士は後ろにではなく前のめりに倒れた。しかし、さしてダメージはなかったようで、すぐに起き上ってしまう。
「えっと、今の魔法は何なの?」
「ウィッチ・クラフトの一つ……『転倒の呪い』ニダ」
「……効果は?」
「呪いをかけて、人を転倒させるニダ」
「何の情報も増えてないよね、それ」
光がじっと睨むと、シトリンは気まずげに足をわさわさと動かした。
「他の魔法はないの?」
「勿論、あるニダ。鼻を伸ばす呪い、恋を成就させる呪い、下着なしで躍らせる呪い……」
「地味な呪いばっかり!? っていうかそれ、魔法少女っていうより」
「昔風に言うと、魔女ニダ」
しかも、凄まじくクラシカルな魔女だった。
「こんなチャチな魔法で、あんな銃を持った大群相手にどうしろっていうの……」
「数については、問題ないニダ」
この言葉を合図にしたかのように、流れ星が流れた。
いや、星ではない。箒に乗った無数の魔女が、空を駆けていた。
「人口の約3割、日本国内だけでも約4000万人が魔法少女になっているニダ」
「多いよ!?」
魔女達が一斉に、魔法の光を飛ばす。たちまち、敵は大混乱に陥った。鼻が3メートルにまで伸びるもの、頬を染めて見つめあう男達、服を脱ぎ捨て踊りだす兵士。どう見ても、戦闘を継続できる状態ではない。
「意外と強力だった!」
「さあ、敵首魁を討ちに行くニダ、光!」
「え、でも、僕もあれの手伝いしなくていいの?」
「問題ないニダ。彼女達はむしろ光を送り出す為にいると言っていいニダ」
シトリンの言葉と共に、ステッキがクルリと回って箒に姿を変える。光がそれを手に取ると、その身体が光に包まれふわりと浮きあがった。
「光の潜在能力は日本でも随一。さあ……決戦ニダ!」
光は音を置き去りにし、天へと尾を引きながら舞い上がった。
「……何となく、正体がわかった気がする。『敵』も、君達も」
その言葉に、シトリンは答えない。光はマッハ3で飛びながら、遥か眼窩に広がる青い星をちらりと見た。成層圏はとっくに突破しているというのに、不思議と息苦しさはなかった。
「魔女と契約すると言えば、相場は決まってる。君達は、悪魔なんだろ?」
「――その通りニダ」
静かな声で、シトリンは答えた。
「そして、敵は……」
光は視線を前へと展示させる。そこに広がるのは、巨大な銀の輝き。
「宇宙人」
星と見紛うほどに大きな宇宙船が、そこにあった。
「この星に棲むもっとも古きものとして――」
シトリンの身体が、ぐにゃりと歪む。その姿は見る間に、蝙蝠の翼と山羊の角を備えた美丈夫へと転じた。
「あのような連中に、好き勝手させるわけにはいかない」
「……その姿の方が、いいと思うよ」
くすりと笑って、光は敵の真っただ中へと突っ込んだ。
とたん、無数の光が瞬く。宇宙船が一斉に、その火砲を光に向けたのだ。ミサイル、レーザー、弾丸、ありとあらゆる火器が、光に襲い掛かった。
大気さえない宇宙空間には、爆音も響かない。ただ、閃光と炸裂する弾頭の破片だけが、辺りに広がる。
「……無駄だ」
そして、その破壊の嵐の中、光は無傷だった。
「魔女を殺せるのは、聖水か聖火のみ」
聖水に沈めて、浮き上がってきたら魔女なので、聖火で焼き殺す。それが『クラシカルな』魔女を殺す唯一の方法だ。魔女はレーザーでもミサイルでも銃弾でも、死なない。
「銀の銃弾だったら危なかったがな」
悪魔らしい笑みを浮かべるシトリンと共に、光は宇宙船へと突進する。音速を遥かに超えた彼女の身体は容易く宇宙船の外郭を突き破って、中に侵入した。
アラートが鳴り響き、わらわらと銃を持った兵達が出てくる。
「気をつけろ、あれは行動力を奪う為のものだ」
シトリンの冷静な声に、光は箒を操って曲がり角に突っ込む。途端に、ワイアーが何本も飛んで壁に刺さった。
「テイザーガンという奴だ。死なないと言っても、動きを封じられればどうしようもない」
「なるほど。つまり……」
光は杖をクルリと回し、物陰から飛び出す。即座に銃を構える黒い兵士たちに、虹色の輝きが飛んだ。
「ホントだ。死ななくても、動きを封じられればどうしようもないね」
魔女の『転倒の呪い』は、銃なんかよりもよほど早く、広く、正確だ。転ばせる事しかできないが、それで十分。兵士たちが体勢を立て直すよりも早く、光は再び箒に乗って飛んだ。
コンマ一秒でトップスピードに乗った魔法兵器はあっという間に壁を突き破り、広大な宇宙船の中を最短距離で突っ走る。
「一体、なんなのだ、お前たちは……」
そこにいたのは、蟲に似た生き物だった。大別すれば、蜘蛛に似ているだろうか。八本の足に、四つの複眼。カチャカチャと鳴る牙からは、意外と流暢な日本語が流れ出た。
「悪魔と、魔女だよ」
「……非科学的な事を」
宇宙人は苦々しげに吐き捨てた。
「だが、そんな無茶苦茶も、ここまでだ」
その言葉と同時に、閃光が光を照らした。突如現れたその眩さに、光は目を細める。だが、それはレーザーでも電撃でもなく、光の身体には毛ほどの傷も、痛みや苦しみも与えなかった。
「ぐあああああああ!」
そのかわりに、傍らに立つシトリンが叫び声をあげ、自らの身体をかきいだいた。十字の閃光に照らされたその体のそこかしこから、黒煙が噴き出している。
「シトリン!?」
「どうだ。貴様らの言う『神』とやらの光だ」
同時に、光の身体にも変化が起こった。シトリンとの契約が切れ、変身が解けたのだ。フリフリのスカートは色あせたジーンズに。リボンのついたブラウスは着古したTシャツに。そして、少女の身体が、男のそれへと変化していく。
「貴様ら原生生物とは長い付き合いだったが……今度こそ、我らの勝利だ!」
宇宙人の親玉は高らかにそう宣言し、駆け付けた兵士がずらりと並んで銃を構える。
「撃て」
無慈悲な銃弾が、全ての魔法が解けた光の身体を貫いた。
「いてえじゃ、ねえか……」
聞き覚えのない野太い声が、響いた。
「……は?」
全身を血で赤く染めつつも、彼はのっそりと立ち上がる。
「なんだ、お前は……どこから現れた?」
「ああ?」
男は眉をあげて、怪訝そうに声をあげた。
「どこからも何も、さっきからずっと俺ぁここにいただろうが」
身長2メートル14センチ、体重121キロ。
スリーサイズは上から172・133・154。
筋骨隆々という言葉がはだしで逃げ出すほどの鋼の肉体に、熱い心とモヒカンを備えた人類最強の男。
有里 光、真の姿であった。
「おらぁっ!」
光は手近な兵士を掴み、地面にたたきつける。超合金製の床は紙のように容易く歪み、破れた。
「うっ、撃てぇっ!」
鉛玉が雨あられと飛び交い、動きを封じる為のテーザーガンが放たれる。
「効くか!」
その全てを、光は分厚い胸筋で受け止めた。
「銃だの、魔法だの、くだらねえ。いいか……」
光は猛然と、泣きわめく宇宙人たちに襲い掛かった。
武器など使わない。殴りすらしない。
ただ、掴み、投げる。それこそ――
「最善にして、最良にして、最強の戦闘手段!」
そうして、悪は潰えた。
「戻っちゃったのか……」
「おう、兄貴。今帰ったぞ」
豪快に笑う弟の姿を見て、陽はただただ涙を流した。
大気圏突入の影響でパンツ一枚になった弟の姿は、ただただむさ苦しい。
「っていうか、宇宙からなんで生身で帰還できるんだよ……」
「筋肉に不可能はない!」
最初からコイツ一人でよかったんじゃないか、とも思うが、流石の筋肉も一人で重力圏の離脱はできない。
「……昔は、胸がないだけで魔法少女姿そっくりだったのになあ、お前」
あの頃の弟は実に可愛らしかったのに、なぜこんなことになったのか。十数年も前の光の姿を思い出し、陽は深く深く息を吐く。
「あの頃の俺は確かにヒョロヒョロだったな。だが……」
光はベッドの脇にあった棒を手に取った。それは魔法の杖なんかよりもはるかに偉大な器具にして、光の真の相棒。
「一日わずか五分の運動で全身の筋力アップ! これ一本でジム並の効果、今ならDVDもついてお値段わずか10500円(税込)! 身長が45センチ伸び、悪魔の相棒が出来て地球も救えました!」
弟を筋肉の怪物に変身させてしまった健康器具を見つめながら、陽はもう一度、深く深くため息をついた。