空想
目覚めると、視界は消し炭の色に埋め尽くされていた。
暗闇と静寂だけの世界。
呼吸をする事さえ忘れてしまいそうになるほど、この世界は、僕にとって心地がよい。
闇の中に身を置いていると、気持ちが落ち着く。
この世界で、僕がもっとも安らげる瞬間だ。
すべてが無となり、闇に飲み込まれている。
自分も闇の中にとけ込んでいく様な、そんな錯覚。
深い闇の中に身を置いていると、自分が自分じゃなくなる様な、そんな感覚に堕ちいる。
自分を、ここじゃない何処か、遠くに、置いてきてしまった様な、感覚。
こういう時、僕は、いつもどうでもいい事を考えてしまう。
僕の今までの人生、それが全て、すべてが夢だったら。
そうだとしたら、どんなに良い事だろうか。
そう、もう一度目を瞑って、そして、もう一度目を開くと。
そこで、僕の空想は止まる。
その先が、その先の僕の姿が、どうして?
どうしても、思いつかない。
そもそも、全てが夢だったら?
夢を見ていた僕は、果たして、僕なのだろうか?
それは、その人物は、僕と言える存在なのだろうか?
「…………」
止めよう、この手の話も考え出したら切りがない……
それに、もう一度人生をやり直しても、僕は、おそらく、いや、確実に僕のままだ。
いくらやり直したって、僕は変わる事なんて出来やしない。
「……………」
思考を中断すると、自分が至極空腹だという事に気がついた。
起き上がるのが少々面倒だったが、どうやら僕の腹に無断で違法滞在しているヤツは空腹にめっぽう弱いようだ。
面倒なヤツだ。
できることなら強制退去させたい。ビザとっくに切れてますよって言って。
関節は少し動かすだけで軋んだ声を上げる。骨は大丈夫なはずだ、と思うのだが。
無理矢体を動かし、なんとか、起き上がる。
長い間、床に寝ていたせいか、体中に鉛玉でも埋め込まれたのかと疑いたくなるくらい、節々が重たい。
自分の肩を摩りながら、静かに扉を開ける。
廊下も真っ暗だったが、そんな事は当たり前の事なので抜き足差し足で階段を下る。
途中、アイツ(仁)の部屋の方を見たが、珍しくドアの隙間からは不健康そうな光が漏れていなかった。
おそらく、買い出しに行ったのだろう。
アイツ(似)の習性からしても、妥当なタイミングだ。
アイツの書斎に近づくと、大抵ろくな事が無いので、足早にスルーしておく。
冷蔵庫にはアルコール類と錠剤、あとタバコ数種類ぐらいしかないので、立ち寄らず、玄関の無駄に重厚な扉をそっと開けて、家から脱出する事に成功する。
外の空気は、昼間とは打って代わって、清々しいほどに澄み切っていた。
街頭の周りでは、今にも消え入りそうな乏しい光を求める虫達が、まるで、線香花火の火花の様に、パチパチとその儚い命をぶつけていた。
そんな様子を、ぼんやりと眺めながら、ポケットに手を突っ込み、僕は硬いアスファルトの上を、ゆっくりと歩き始めた。