一人の心
気を取り直して、黒板に目を向ける。
教卓の上では担任ではなく生徒が何事か黒板に書き出していた。担任は教卓の横に置いてあるパイプ椅子に座って、生徒に向かって何か指示を出している。
ああ、そうだった。
今は終学活中だったんだ。
そう言えば昨日、明日の終学活を利用して文化祭関連の事を色々と取り決めるとか言ってた様な気が。
あまりにも退屈だったから意識がどっか他の世界にぶっ飛んでいた。
黒板の上方には『文化祭の出し物について』と書いてあり、その下には『お化け屋敷…5人』、『喫茶店…6人』、『縁日…3人』、『展示…26人』という箇条書きが。
どうやら、今は文化際の出し物を決めているらしい。
このクラスは『文化祭で張り切ってメイド喫茶をやっちゃおうぜ!』という現実面を全く考えない非現実的な空想少年、又は妄想少女達の集まりではどうやら無いらしい。残念だ。
僕は別にメイド喫茶の危険性とか安全性なんて議論するつもりは禿げかかった教頭の頭部に僅かに残っている毛髪くらいないけど。校長は既にダチョウの域なので教頭とデッットヒィートゥを繰り広げた末に惜しくもコースアウト。まぁ、今のところ、僕には関係ない事だけど。そこまで年を取る予定もないし。
とにかく、このクラスの大半は運動部だから(多分)。
仕方ないな、うん、人生そんなもんだ。
討論になってない討論の末、我がクラスは修学旅行先の沖縄について、新聞の様なそうでないような、いや、でもどちらかというと新聞の部類に入るかもなモノを展示することに決定した。
僕は修学旅行にもこの文化祭の真似事にも当然参加する気はさらさら無いが、というか僕が参加しても場の空気がうなぎ上りに下落するので、距離を取って陰から生温かく見守っておく次第である。
この学校の文化祭では『休憩所』みたいな手ではなく腕が二の腕ごとズポっとすっぽ抜けるぐらい手抜工事な出し物は禁止されている。
なんでも、我が校のスローガン『努力を惜しまない若人を育てる(仮)』に乗っ取った方針らしく、毎年やる気のない生徒のかったるそうな非難の眼差しを喧嘩上等な精神でデパートの安売りバーゲンに群がるおばちゃんの如くかっている、が、そこは意地でも変える気は無いらしい。どうやら頭の中にお地蔵さんが入っている様だ。
既に教室内では必要な道具は誰が揃えるか、誰が何処に買い出しに行くか等の相談が始まっている。
あらかじめ言っておくと、事実は小説やアニメの類いとは違う、という事。
つまり何が言いたいのかというと、現実って夢がなくてつまんないよね、という事。
つまりつまりなにが言いたいかというと、やりたくもない事を無理矢理やる必要は無いんじゃないか、という事。
大体、こういう時に空回り気味なやる気を出すのは至極少数であろう。
他の大半の生徒は全くといって良い程やる気が無い(断言)。
大方の女生徒はやる気の無い奴でも一応、何か適当に手を動かしていれば頭数に数えられる、という『私やる気は無いけど皆から仲間はずれにされたくないからがんばってるフリするかー、はぁ……メンド』なタイプとあからさまにやる気のない『私やる気ないし口の開閉に忙しいからほとんど手伝わないけど、一応放課後は残るから』なタイプに種類が分類される。両者の数はクラスによってバラツキがあるみたいだが、このクラスは丁度半々くらいに別れている気がする。大抵の女子はランク分けされたカースト制の様なグループの何処かしらに所属しているので、お友達付き合いを重視してグループの一人が残れば金魚の糞の様につられて数人が残留する傾向がある。彼女達が自分の意思で残っているのかそうでないのかは置いといて、一応残って手もしくは口を動かすから、役には立っているのだろう多分。稀に見かけるグループから漏れた女子は、誰もやりたがらない雑用を押し付けられてもクラスの一員という奇妙な連帯感からそれを断る事が出来ず、かといって堂々と帰宅することも厭わず、仕方なく押し付けられた仕事をこなすしかないという状態に、大体、陥る。断れば良いのに、とは言えないし言わないしあちらも僕なんかに言われたくないだろう。とにかく、いやー、女の子ってホント仲がイインダナーと思う、心の底から。
で、男子の分類はもっと簡単だ。
ほとんど全員が『やる気は毛頭無い』という奴だ。
「俺、部活の大会近いんだよね」という生徒(よくもまぁ、大会が重なるもんだね)が続出し、皆、早々に帰ってしまう。
残った暇人達は、自分から女子に話かけて仕事をもらうのも何だし、という不屈の精神で小学生がやりそうな馬鹿げた行為に興じるか、運良く仕事を貰い単純作業に勤しむかのどちらかをいままで自分がクラス内で作り上げてきた己のキャラクターを良く吟味して選ばなければならない。一見してたわいもなさそうな事であるが、ここで下手をするとどちらからも漏れて、教室内を浮き世雲の様に浮浪するハメになる。
文化祭という毎年恒例の何気なさそうな平凡イベント一つ取ってしてみても、そこには生徒各々の色々な思惑が渦巻いているというのは、やはり青春というものは一筋縄には行かないという事なのだろう。青春と言う単語からもっとも縁が無い僕がしたり顔で言うのもかなり場違い甚だしい所だけれども、思っているだけの事だから、問題は無いだろう。
ここまでいろいろと考察してきたが、ふむ、なにやら偉そうな事を頭の中で一人物寂しく語っているこの自分自身の今後の文化祭準備に対する行動方針は、というと……去年の反省を生かし、何一つ干渉せずにひっそりとクラスから消滅すると言うモノだった。
僕にはクラスに残って不労者になるつもりも無ければ浮浪者になるつもりも、毛頭に無い。
皆と協力して作業に勤しむなんて、考えただけで背筋が凍って凍傷になって足の指先から頭の頂辺に至まで壊死して絶命しそうだ。僕は死ぬならヒマラヤ&フジヤーマ&テンプーラと決めているのだよ。
大体、僕が参加したらクラスの雰囲気はうなぎ上り(×2)に悪くなってしまうであろう事は、容易に想像が出来る。
それに基より僕なんか誰も必要としていない。
手を出そうものなら、絶対零度の冷たい視線がもれなくプレゼントされるだけ。
他人からの冷たい視線はずっと前から慣れている。
だから、今はもうあまり気にならない。
他人に自分の事を分かって貰おうなんて烏滸がましい気持ちは、無い。
いくら自分が相手の事を親友だとか恋人だとか思っても、相手が自分と同じ気持ちとは限らない。
反対に勘違いしてるだけの場合が多いと思う。
自分の主観は、あくまで自分の主観。
自分は自分、他人は他人、どこまで行っても平行線だ。
それが近づく事はあっても、交わる事は絶対に無い。
他人のそれと交われるなんて思えない。
もし、交わったと思っても、それは感情が拮抗しているだけだと思う。
人はどこまで行っても一人だ。
他人と分かり合えると思わないほうがいい。
そんなモノは偽りにすぎないから。
だから、他人と分かり合えるなんて、最初から思わない方がいいんだ。
僕は、静かに席を立ち、誰にも咎められる事なく、教室から出て行った。
階段を降りている時、ポケットの中の携帯が震えていた様な気がしたけど、とりあえず無視しといた。