6 『もう一人』の行方
夜のパルミナの街を二人して歩く。
ギルド支部を出てからしばらくは、無言の時間が続いた。
気まずい沈黙ではない。それは二年の空白を埋めるためにお互いに必要な時間だった。
「しょーじきな、さっき一目見た時、別人かと思ったぞ。すげえ美人になりやがって。クーのくせに生意気だ」
ダリア。本名、ダリアクレイン。だから鋼は彼女をクーと呼んでいた。
「そ、そんな言いがかりがあるか! し、しかしそうか、び、美人か、うん……」
顔をやや赤くさせ、もにょもにょと口ごもる彼女の頭をぽんぽんと撫でる。
「ま、中身はあんまり変わってないようで結構安心したけどな」
二年離れていた事による『ズレ』は、そろそろ鋼の中から完全に消えようとしている。鋼を認識する前の、凛とした表情でも彼女がしてみせればまた違った印象になるかもしれないが。話していて、ああやっぱり、こいつはあのクーなのだなあと思うばかりなのだ。
「……これでも、一年以上は冒険者をやってるんだぞ? 精神的にも、少しは成長したと思うのだ」
「言い方が悪かったよ。二年の間に性格も別人みたいになってなくて、安心したって事だ」
「それは私もだぞ。コウがコウのままでいてくれて私も嬉しい」
ストレートな発言と素直な笑顔に、うぐ、と鋼は怯みそうになった。無邪気な言動はかつてと同じでも今やられると破壊力が違うのだ。
だが鋼は努めてなんでもない風を装った。これは以前リーダー役だった頃の意地である。
中々抜けない悪癖なのだが、クーに限らず戦友である彼女達の前では、鋼はややカッコつけになってしまう傾向がある。隙を作りたくないというか、情けないところを見られたくないというか。自分でも自覚はしていた。
もちろん彼女達に心を許していないわけではないのだ。決してそうではない。ただの下らない、意地と見栄だ。
「にしても、銀の騎士だっけか? 随分な名前で呼ばれてるみたいじゃねえか」
「銀の騎士? それはなんだ?」
首をかしげるクーは、本気で意味が分からなさそうで。
「……。ああ、そういうことか……。教えてくれる奴が誰も周りに……」
ロアという冒険者から聞いた『銀の騎士』の話を思い返せば、おのずと結論は出る。
二つ名をつけられた本人だけがその事を知らないとか……。
「お前『ぼっち』だもんな……。話を聞く限りは」
「待ってくれ! そのボッチとかいう意味は分からないが、何か今憐れみの視線で見られてるのは分かるぞ!?」
「大丈夫だ、お前は気にしなくていい事だからな」
安心させるように鋼が笑ってみせると、反対にクーは顔を若干ひきつらせた。
「そんな顔で言われると逆に気になるんだが……」
知らぬが仏、という日本語を彼女に教えてやるべきだろうか?
その後も歩きながら、軽く近況などを語り合う。気付けば三十分以上も時間が過ぎていた。
寮に帰らねばならないので鋼もあまりゆっくりは出来ない。
「……んじゃ、そろそろ一番訊きたかった事を訊いてみるけどよ」
その質問がくる事はクーにも分かっていたようだった。
「……すまない。つい説明を後回しにしてしまった」
「まあ、お前が中々話さない時点である程度想像はついてるんだが……。『あいつ』は今、どうしてる?」
名前を出すまでもない。それで通じる。
あと一人いる、再会したい戦友の所在を鋼は問いかけた。
「その……、すまない」
再度謝り、そこで言葉が途切れる。俯きがちなクーの言い辛そうな表情を、鋼はただじっと見つめる。
無言の催促に耐え切れず、それでクーは白状した。
「彼女がどこにいるのか、分からないんだ」
「分からない? 俺達と別れた後、お前達も別れたのか?」
「いや、あれから二ヶ月くらいはニールのところに一緒にいたんだ」
ニールは鋼達を送り還してくれた魔術師の名だ。ルデス山脈に隠棲し、魔道の探求に勤しんでいる。
「しばらくは魔術を習っていたんだ。世界を渡れるような魔術があれば、鋼達にもまた会えるし……。結局は難しすぎて、使えるようにはならなかったが」
鋼も少し聞いた事がある。例えば巨大な炎を放つ、といった魔術はもちろん難易度も高いのだが、あくまで一般的な魔術の延長上にあるものだ。しかし世界の壁に干渉するような魔術となると、もはや別次元の難しさとなるらしい。
どれだけ努力しようが大半の魔術師にとってはそもそも不可能だそうだ。よほどの適性があり、魔術の技能自体も超一流。そういう人種が全力を注いで初めて成功する類のものだとか。クーが習得できなかったのは当たり前である。
「それで弟子入りして二ヶ月ほど経った頃、ふとした事でこのパルミナの噂を聞いたんだ。近くの街に降りて色々訊いて回ったら、異世界と行き来できる門が出来たという話でもちきりだった。難しい魔術に頼らなくても鋼達に会えるかもしれないと思って、行く事に決めたんだ」
鋼達が日本に帰れたのだから、クーもニールを頼ればいいのでは? と、ここまでの話を聞いた者がいるなら思うかもしれない。
実際はそれは出来ない。ニールが扱える世界に干渉する魔術は《逆召喚》といって、ソリオンに落ちてきた者を送り返す事しか出来ないのだ。
世界間の移動のあとには穴のようなものが残るそうで、それを逆に辿らせて戻す、という原理らしい。よくは分からないが、世界に干渉する系の他の魔術よりは比較的難易度が低いらしく、恐らくかなり優秀な魔術師らしいニールでもそこまでが限界だと言っていたのを覚えている。
「だが彼女はニールのところに残ると言ってな。鋼と再会できるか調べてくるのは、私一人に任せると……」
「でもあいつは今、ニールのトコにもいねえのか?」
でないとどこにいるか分からないとは言うまい。クーは神妙に頷いた。
「ああ……。門があるという確証を得て私も一度ルデスに戻ったんだ。いたのはニールだけだった。聞けば私が出て行って少しした後、彼女もいなくなったらしくて……。残されていた手紙を見せてもらった。『やりたい事があるから旅に出ます、心配は要りません』とだけ書いてあってな」
「自由に生きてんなあ……」
呆れるしかない。彼女らしいと言えばらしい行動なのだが、せめて連絡手段など書き残して行って欲しかった。
「彼女は家族のいない天涯孤独の身だと聞いていたし、探そうにも手がかりすら無くて……」
「あのさ、もしかしてお前責任感じてんのか? そりゃどう考えてもあいつが自由過ぎるのが原因だろ」
「だが! しばらく一緒にいたのに、私は彼女に『やりたい事』があったのすら気付けなかったんだ! 考えてみても心当たりすら浮かばない。探しようが無いんだ。これじゃあもう二度と会えないかもしれない……」
このあたりでさすがに鋼は気付いた。
鋼の知る限りクーは、これほどネガティブな少女では無かった。自虐的な傾向も無かったように記憶している。『彼女』の不在でクーも参っているのだ。
「生きてればまた会える。お前が思い詰める必要はねえだろ」
鋼と同じくらいの身長のクーが、今は少し小さく見えた。
「その後はずっと冒険者に?」
「……ああ。ニールの家で待っていてもいつ帰ってくるのかも分からなかったし。先に鋼達と再会できれば、と思って……。でも、去年の騎士教育学園の生徒を調べても鋼達がいなくて……」
「あー、そりゃ悪かったな。前にこっち来た時はまだ中二でな、日本じゃ高校扱いになってる騎士学校に入るのに、二年待たなきゃ駄目だったんだよ。……って中学とか高校とか言っても分からんよな。まあとにかく、待たせて悪かった」
「ほんとだぞ! ニホンへ探しに行きたくても、身元の保証が無くて国境を越えるのは無理だと言われるし……。お金があれば解決できる問題かもしれないと、思って。冒険者としてお金を稼ぎながら、ずっと探してたのに鋼達はいないし。入れ違いになるかもしれないから、この街から離れるのも怖くて……」
「……」
途切れ途切れに語るクーはもうほとんど涙声だった。その思い詰めた表情をなんとかして打ち消してやりたくて、だがそういった事に疎い鋼には気の利いた言葉が出てこない。
以前によくそうしていたように、無言で頭を撫でた。それくらいしか出来る事がなかった。
「うう……!」
堪えていたものがそれで決壊したようにクーがこちらに縋り付いてくる。
嗚咽交じりの声は胸に痛かった。
「うぅ、うああ……っ! コウ……! ほんとに、本当に、また会えて良かった……っ! わ、私、このままもう会えないかもって何度も、思って……っ! 皆私を置いてどこかへ行っちゃうって……!!」
「……んなワケ、ねえだろ」
あの、魔物の巣で。
共に戦った協力者達には、訳ありの者が多かった。余程の事が無いとあんな人里離れた地獄に迷い込むなどありえない。ダリアクレインもその最たるものだろう。
彼女には帰る場所が無い。ダリアクレインという本名も、あまりおおっぴらには名乗れない。
鋼達が日本へ帰還する時クーも一緒に来たがったのだが、《逆召喚》という魔術の都合上そうもいかず。ニールや『彼女』がいるなら寂しくは無いだろうと、再会を約束して別れたのだ。
こんな事になっていようとは思いもしなかったが。
「ちゃんと約束通り会いに来ただろ? これからもお前を置いて勝手にどっか行ったりはしねえから、な?」
「うん。うん……!」
抱きついたまま離れようとしないクーの気が済むまで、好きにさせておく。その間考えてしまうのは、この少女を放って消えてしまったもう片方の少女についてだ。
『彼女』は察しの悪いほうでは無い。自分がいなくなればクーが寂しがるのを分かった上で、いなくなったのだ。
ただ単に、勝手な都合でクーの事を考えずに旅に出たのかもしれないが。果たして『彼女』のやりたい事とはなんなのか?
その内容すら知らせずに消えたのが妙に気にかかる。
ここまで順調にクーとは再会できたが。あとの一人との再会は、そう簡単にはいかないかもしれない。
本心を隠すのが上手かった少女を思い返しながら、鋼はそんな予感に駆られていた。
◇
日向は部屋でプリントを見下ろし、むむむ、と唸っていた。
本日騎士学校で配布されたものだ。記載内容は選択授業についてで、これを見て三日後までには受けたい授業を決めないといけない。
学園での一年間は前期と後期に分かれていて、今決めるのは前期の半年分の授業だ。これが中々に悩ましい。
剣術と魔術に関連するものはなるべく選ぶつもりだが、他にも色々と受ける必要がある。例えば鋼が興味を持っていたこちらでの経済学や薬学、他にはソリオン大陸での世界史だとか、いかにも学校らしい授業も多くあるのだ。
日向は勉強がニガテである。さすがに中学校のレベルで赤点スレスレの低空飛行、というほど悪い成績ではなかったのだが、良いほうだとは間違っても言えない。大多数の学生がそうであるように、筆記用具を片手に教科書を読むのを苦行と感じる一人だ。
というか、そもそも。
――私は何かを考えるのに向いてないんじゃないかなあ。
自分ではそう思っている。体を動かすほうがずっといいし、勉強しなければいけないならまだ暗記系科目のほうがマシというもの。
本来なら選択授業を決めるのも、将来を見据えて色々考えてからのほうがいいんだろうけど。考えてすぐ結論が出るなら苦労はない。そもそも何からどう考え始めればいいのかも分からない。日向は考えるというのがとても下手だ。
いっそもう適当に決めてしまおうか。いやでも後で鋼に「そういうのはしっかり悩んで決めろ馬鹿」とかお叱りを受けそうだ。
「うーん……。ルウちゃんはもう、決めちゃったんだよね?」
「はい」
気分を変えてルームメイトに話を振ってみると、すぐに答えは返ってきた。
日向のルームメイトはラッキーな事に凛である。三人部屋の場合もあるみたいだけど、日向達は二人でこの部屋を使っている。
鋼は「偶然じゃねえだろ、多分」と言っていたので、帰還者同士固めてくれたのかもしれない。くじ引きで決めたというよりはありそうな話である。部屋割りを決めた人には感謝の念を送りたい。
「私はどうしよっかなあ……」
「どれにしようか迷っているなら、一緒の授業にしませんか?」
「うーん。それもいいんだけどねー」
どの授業を凛が受けるかも分からないのに、即決するのは躊躇われた。それに全部が全部、同じ授業でなくてもいいだろう。
――やっぱり明日にでも、鋼に相談してからちゃんと決めよう。
この件に関しては凛の意見は参考にならない。彼女はどうするか既に決めているけども、どの授業か決めているわけではないのだ。
部屋に帰ってきた時の事を日向は思い返す。
早速選択授業について相談しようとした矢先、凛は軽くプリントを流し読みしてから言ったのだ。
「私は全部コウと同じ授業にします」
至極あっさりとそう言い放つものだから、日向はコントのようにガクッとなった。
まあ、考えてみればそうなる可能性は高かった。それで日向は相談するのを諦めて、一人で唸っていたのである。
「うん、明日鋼に相談してから決めるよ。経済学とか一緒に受けても仕方ないしねー。こっちで役に立つ知識だったら、後で鋼かルウちゃんに教えてもらえばいいんだし」
これから先も、出来るなら鋼や凛と一緒にいたいと日向は思っている。だから全員が習わなくても、集団の誰か一人が知っていれば十分なものは学業優秀な仲間に任せてしまう方がいい。適材適所だ。
「そうですか……。それなら私が受けなかった授業で面白いものがあれば、ヒナちゃんも教えて下さいね」
「うっ……。人に教えるの私って下手っぽいからなあ……。頑張ってみるけど」
人にものを教えるのに関しては、実は鋼が上手かったりする。テスト前はよく勉強を見てもらったものだ。
「ところでさ、ルウちゃん。話は変わるんだけど……」
ゆっくりと視線を凛の手元に下げていきながら、日向はいい加減気になっていたので訊ねてみる事にした。
「? なんですか?」
「なんでずっと携帯で遊んでるの?」
凛はさっきから手に握った携帯電話を、時折傍に置いてはまた掴んだり、もう片方の手に移したりと忙しなく動かしていた。
「……あ」
「無意識だったんだ……」
今気付いた風な凛に、日向は脱力気味に言い添えた。原因は予想できるというか、どう考えても一つしかない。
「そんなに鋼についてきたかったの?」
「べ、別にそういうわけでは……。ただその、遅いなと」
寮の規則を初日から破り、鋼はギルドを探しに出かけている。それを知らせるメールが凛に届いてからそろそろ一時間が経つ頃だ。
「まだ一時間くらいじゃん。それに帰って来たらメールするって書いてあったんでしょ?」
「ええ、はい。そうなんですけど」
携帯からは手を離したが、それでも凛は落ち着きが無かった。
心配しているのとも少し違って、なんだか心ここにあらずだ。
「……やっぱり鋼について行きたかったんじゃないの?」
「……違います」
「あー、それじゃあ置いてかれたのがショックなんでしょ?」
「……同じ意味じゃないですか」
ああ、なるほど。だいたい正しく把握できた気がする。
日向と凛にとっても重要な事なのに、手伝ってくれと頼んで来ない鋼に拗ねているのだ。
「別に私達の手伝いが要らないってワケじゃないと思うよー? 初日で何の情報もないし、もう夜だし、ギルド見つけても今日再会は無理だろうって思ったから、無駄足になりそうで付き合わせるのは気が引ける……って鋼は思ったんじゃないかな? メールは来たじゃん。後で私達にも手伝わせるつもりだよきっと」
どうせそんなところだ。日向は仲間達の中でも鋼との付き合いが一番長いというのもあって、彼の考えは結構分かるつもりだ。
「……ヒナちゃんはコウの事、よく分かってるんですね」
「いやー、まあでも普通に違うかもしれないし」
なんだか凛が羨ましそうに言ってくるので日向はそうお茶を濁した。
というか、頭の良い彼女に日向が察しの良さで勝っているはずが無いのだけど。凛は鋼の事になると、冷静さやら思考能力やらが極端に落ちるように思う。もちろんその理由に思い当たらないほど日向は鈍感ではなかった。
鋼だってそれほど鈍感じゃないと思うんだけどなあ、となんとなく考えていると、凛の携帯が震えた。
日本での某ミリタリーゲームにおける無線の着信音が流れる。サブカル大好きないわゆる『オタク』と呼ばれる人種な凛が、鋼からの着信音として設定しているものだ。
それはもう見事としか言いようの無い速さだった。気付けば凛は携帯を耳に当てている。
「コウですか? どうしました?」
今のはワンコールよりも短いタイミングだっただろう。日向がそう感心していると彼女は驚愕の表情を見せた。
そんなに驚くような知らせなのだろうか? その疑問は次の声で氷解する。
「……クーちゃん!」
凛が相手に呼びかけた、その名前で。
三人でソリオンに来た目的の、少なくとも半分が達せられたのだと日向も知るのだった。