72 《竜嵐大結界》
本当に長らくお待たせしました。更新停止の言い訳など長々聞きたいものではないかと思いますので、活動報告の方に載せてあります。あと、書籍化決定しました。
ミオンを連れた凛が学園の門を通り抜けた時、通りから門へと歩いてくる人間達が目に付いた。
それは先程見送ったばかりの若手騎士二人。エンタリィとフーエンだ。
負傷したエンタリィをフーエンが必死に支えながら、よたよたとした足取りでこちらへと向かってくる。悄然とした様子のエンタリィは手首を落とされてしまったようだ。布で縛るという最低限の処置がされた箇所からは血がにじみ垂れ落ちている。
一目で分かる敗走であった。
これで敵の怪物が既に倒れているのなら、そんな怪我を負ってまでよくやったものだと凛は素直に思った事だろう。仮に彼がほとんど役に立っていなくとも、ほらみた事かと馬鹿にしたりはしない。決して。命を顧みず戦う“真の騎士”であるならば、凛も相応の敬意は払おう。
だが、敵が健在のうちに逃げ帰ってきた負け犬に向けるのはみじめなモノを見る視線だけだ。
すれ違う際にようやくこちらを認識したようだが、凛は何の言葉も掛けなかった。掛ける価値を見出せなかった。あり得ないものを見るかのような凛に対する驚愕の表情はただただ不快だった。
あの怪物と直接相対したはずの凛が、もう一度挑みに行く気概を持っているのが信じがたいのだろう。やはりこいつらは、普通の一般的な騎士だった。今更失望もない。それに凛も別に、あれに挑みに行くわけではない。
「……頼む」
背後から何か言われているが、凛は取り合わなかった。
「おやっさんが……、騎士ラクタルがまだ、戦っている! 情けねえが、俺達じゃ援護も足止めも満足に出来なかったっ! すまねえ……っ! あの少年を、おやっさんと共に助けてやってくれ……っ!」
鋼がそう誘導したのか戦いの場は学園から離れつつある。避難している一般人への危険を考えると、気休めにしかならない程度の距離ではあるが。
だから騎士達に構わず進んで行ったところで、戦場に辿り着くにはしばらく掛かる。会話が聞こえない程度の距離が騎士達と空いた途端、その空隙を埋めるようにミオンがぽつりと呟いた。
「ついさっき、魔力がふっと消えたんです。騎士ラクタルとかいう人は、多分もう……」
「死んでいるのですね? 本当に、口ほどにもない。まあこちらには好都合ですね」
「え……?」
ぽかんとこちらを見上げてきたミオンに気まずさや罪悪感を覚えたわけではないが、凛は言い足した。
「こんな一瞬で負けるようなのが下手に生き延びていたら、むしろコウの邪魔です」
「あー」
騎士達の頼りなさに思うところでもあったのか、ミオンは普通に納得したようであった。死者を悪く言うなんて、みたいな潔癖さとは無縁の反応に、案外この子は話しやすいなと思う凛である。
いや、そんな事よりもだ。
いまだに鋼が戦っている。これだけ戦ってまだ決着がついていない。
とんでもない事だ。《身体強化》を極めた高速戦闘を得意とする鋼の戦いは普通、一瞬で決着がつく。長くても短時間だ。仮に手こずっても戦いの才溢れる彼は学習能力も高い。それがこれほど時間が掛かっている。異常事態であった。戦い続けている証として、強大な魔力の奔流を凛も感じ取れている。
猶予がどれほどあるかは分からない。しかし凛はどうにかして彼を援護する心積もりであった。
「ミオン。先程も言ったように、あなたの役目は戦場の周囲に第三者の魔力がないか探る事です」
「ほ、他にも敵がいるという事でしょうか?」
「……その発想はありませんでしたね」
まあ、ないとは思うが。彼と互角の怪物が慎重を期して仲間を伏せておく必要があるとは思えないし、魔物憑きは徒党を組んでの戦闘が苦手なはずだからだ。
ミオンの慎重さは見習うべきだが、今はあるか分からない脅威よりも差し迫った脅威をどうにかせねばならない。
「……この辺りが、限界ですかね」
戦場までの距離を慎重に見定め足を止める。
「ここより戦場に近い位置に人間はいませんか?」
「ええっと、あの人達の魔力でぐちゃぐちゃですけども……、多分いません。人も、魔物も。もちろん魔力を使っていないなら私にも分かりませんけれど」
「十分です。誰でも感じ取れるであろう凶悪な魔力です、逃げ遅れた者は自業自得。あるいは、現時点までしっかり隠れ切れているなら最後まで顔を出す事もないでしょうし」
連れてきたミオンの役割は二つある。
一つは念のための、戦場に紛れ込んだ第三者がいないかの確認。これは不確実なものではあるが実際に騎士ラクタルの状態だって離れた位置から知る事ができた。
そしてもう一つが、凛が今からやろうとしている事を他者に邪魔させないための防波堤だ。無論それは外側から新たにやって来るかもしれない人間の足止めを想定しての事で、鋼と戦っている怪物がこちらに向かってきたならば逃げるしかないだろうが。
騎士三人が一蹴された事実を考えれば王国の増援などを期待すべきではないし、これ以上来てももはや通すつもりもない。いられるだけ迷惑だ。鋼の勝率、ひいてはこの街の存亡とミオンの生存率にも関わる事だ。ミオンには絶対に邪魔を入れさせるなと命じてある。
「あの怪物はこちらの妨害どころではないはずですが、向かってきそうならあなたが警告してください、ミオン。私はこちらに集中するので。……では、始めます」
これから行うのは凛にとっても経験がない規模の大仕事だ。成功するかは分からない。
しかし、成功させてみせる。
両手を広げて届かないほどの巨大な魔法陣を展開する。
風が唸る。発動を始めながら、その細部を変えていくという通常やらない方法を使う。様子を見ながら繊細に手を加える必要があるからだ。一枚の陣ではどう詰めても無理があるため、小さな魔法陣を多数添えて微調整と改善を行っていく。
繊細すぎると些細な事から全てが崩れてしまう。魔力の消費を度外視した、力技で押し通せるような方法論の方が今この時においては都合が良い。魔術のアドリブに慣れている凛は、その辺りのさじ加減についてはよくよく身に付いている。とはいえこれでも、凛以外にとっては複雑すぎて相当難易度が高いはずだが。
更にそこに、こちらの世界ではまだまだ解明が進んでいない日本で得た知識までも動員されていた。台風や竜巻の発生の仕組み、メカニズムを凛はあらかじめしっかりと調べ上げている。それは得意とする風魔術のレベルを一層引き上げていた。
これは条件付でしか成功しない大魔術だ。そして、だからこそ凛一人でここまでの事が成し得る。
「これ、で、決定……。名付けるなら、《竜嵐大結界》とでもしますかね……」
凛の声音は魔術の準備だけで大いに消耗しているのを感じさせるものだった。それだけ極限の集中状態にあったのだ。そのためのミオンである。無防備になる凛にはどうしても警戒役が必要だった。
「複雑に動き回る魔力の流れだけでとんでもない事をしているのだと分かりましたけど……、あの怪物は特に反応もせず戦い続けています。気付いてないとは思えないので、カミヤさんがいるから構う余裕がないのかなって」
「きっと援護してくれたのでしょうね。……ふう。まだこれは、第一段階。ここからはスピード勝負となります」
「えっと、私は邪魔にならないよう運んでもらって、魔術を使う時だけ素早く離れるんでしたっけ」
「ええ。あと七箇所。それでこの魔術は完成します。怪物がこちらに来る隙を与えないまま一気に終わらせなければ」
魔術というのは発動する前段階や、発動途中で停止させておく事は案外容易い。不慣れな初心者にはさすがに無理だろうが、中級者が多少練習すれば安定する程度のテクニックだ。
ただしそれは術者がすぐ傍にいる事が前提である。術者と魔法陣には繋がりがあり、だから魔力の供給や操作を受け付けるのだ。これを失った魔法陣は、つまり繋がりを絶ったり術者から離しすぎた魔法陣は、当然そのままの形で維持される事はない。魔素への分解が始まりすぐに中身も虫食い状態になる。魔法陣全体の消失を待たず、かなり早い段階で魔術は成立しなくなるだろう。
発動させた魔術を次々と合成させていくこの《竜嵐大結界》も、成立しないとまでは言わないが、本来ならば猶予時間は物凄く短い。普通にやればほぼほぼ不可能な術式である。
それを可能たらしめているのが、凛の魔力強度を引き上げている鋼の《加護》だった。
今の凛は魔術が消失するまでの時間が本来より延長されている。《竜嵐大結界》はそれを加味した上で作り上げたから、これは『風の科学的知識を持ち、魔術に熟達した鋼の身内』というごく限られた条件に当てはまる者のみが使用可能な魔術という事になる。それはもはや個人魔術に分類していいだろう。
ミオンを抱え上げ、凛は次の地点へと強化を駆使して走り出した。
即興で生み出された、この大魔術であり個人魔術でもある大掛かりな仕掛けがどのような結果をもたらすか。
これからすぐに明らかになるであろう。
◇
鎧の巨漢を受け止めた腕が痛む。
腕だけじゃない。今鋼は吹き飛ばされてあちこちぶつけながら跳ね転がっている。激しい衝撃でもう全身がボロボロだ。
体が止まった時には上下の感覚すら失いそうになっていて、自分の位置も分からなくなっていた。それでも奴の気配と殺意だけはビリビリと確実に肌に届いていたから、警戒すべき方向だけは把握し続けていられた。
そうじゃなければ死んでいた。
「おぉぉぉっ!」
鋼は気合を入れるように咆哮をあげ、敵の方向から逆算。瞬時に把握した地面に手を付ける。起き上がる猶予などない。
手を支えに倒れたまま蹴りを放つ。
こちらに投げつけられ迫ってきていた金属の塊――先程まで狂獣が振り回していた哀れな鎧騎士――を、下から上へと蹴り上げた。回転の勢いが乗った巨体の投擲は、全力を出してようやっと軌道が逸らせるほどの威力を秘めていた。
「ぐっ、おお……!」
こんな体勢でなければ絶対に避けるべき攻撃。鎧を蹴り上げた鋼の足が強烈な痛みで悲鳴をあげる。
衝撃が伝わり支えにした腕までもがビリビリと痺れる。体中を貫くような電撃じみた痛みだった。
骨に異常が出ている。咄嗟に分かるのはそれだけだ。折れたか、ヒビで済んでいるのか判然としないが、戦闘に支障が出るレベルの負傷だった。攻撃を受けた左腕と、金属を蹴り上げた右足、両方だ。
ルイーガルは片手片足をかばいながら戦えるような相手ではない。ナイフだけは握っていたが、吹き飛ばされた際にいつの間にやら長剣も失っている。
つまりは絶体絶命の窮地であった。
「その状態で逃げようとすらしねえのが、お前が弱者じゃねえ証拠だよ」
とにかく立ち上がり敵を睨む鋼に向かって、まるでロボットが排熱するかのように、歪んで見えるほどの熱い呼気を吐き出しながらルイーガルが歩いてやって来る。
否定はしない。未熟な強化の戦士ならば、勝ち目はないと判断して逃げ出すような状況なのだろう。
自分自身の動きの勢いにすら振り回されかねない鋼やルイーガルは、普通の戦士よりも移動中に真後ろへ攻撃する事が不得手だ。その逆に、進行方向に向かって攻撃するのはとてもやりやすい。《身体強化》使いは追撃が得意なのだ。
ここで逃走を選ぶのは自殺を意味する。勝機が薄かろうが留まるしかないのだ。
もちろんそれは最悪の選択肢ではないというだけだ。この怪我でルイーガルとやり合う羽目になるのは十分、最悪の一歩手前と言える。
だが残された活路はそこにしかない。
それに、だ。鋼は笑った。まだ自分は、笑みを浮かべる余裕くらいは残っている。
勝ち目は確実に薄くなった。それがなんだ。
死という“最悪”を回避するためにその一歩手前で踊る覚悟なんて、とうの昔に済ませてある!
「おおぉぉっ!」
咆哮し、こちらから駆け出した。ナイフは右手に持ち直した。負傷で追い詰められ、弱気になって受け身に回ってしまうような醜態をこの男に見せるのは許し難かった。
「やっぱりお前は最高だよぉぉ!!」
僅かながら冷静さを取り戻していたように見えたルイーガルも、狂気に身を委ねるように嬉々として迎え撃った。そして笑いながらも、こちらを侮っている様子など微塵もない。
さっきまでずっと互角だったのだから、片方が負傷すればもはや勝負は決したも同然。常識的に考えればそうなるのは分かる。分かるがそんな論理は糞食らえだ。鋼はそんなものに従ってやるつもりはない。負傷していても鋼はこの男を殺せる気でいるし、だから二人は今も互角。鋼はそう考える男だし、ルイーガルもそうだった。
あえて、骨に異常がある右足で踏み込む。
あえて、骨に異常がある左手で殴り込む。
すぐに左足を活用して逃げられるようにした様子見の一歩ではないし、右手のナイフを叩き込むための牽制打でもない。負傷? それがどうしたと、言わんばかりの動きであった。
油断のないルイーガルにしても意外ではあったのだろう、少し目を丸くしている。見え見えの攻撃だったのに避けるでもなく、ナイフで受けるでもなく、無手を突き出してぶつけてきた。
そうだろう。鋼だってそうする。前より威力が下がっているはずの左手などより、無事な上にナイフを持つこちらの右手の方が警戒に値する。こちらは左手を捨ててでも向こうの片腕を使用不能にできれば儲け物なのだから、この『撒き餌』にわざわざがっつく必要はない。武器は武器を迎撃するために温存するべきだ。
奴の思考が手に取るように分かった。そしてこの状態の左手で本当にそれをやっていいのかと、ビビらせるように、あえて打撃をぶつけようとしているのだ。
互いのパンチが正面からぶつかり合った。
全身に針でもぶっ刺されたような、電撃に全身を焦がされるような、かつて体験した事のない激烈で凶悪な痛みが骨に響いた。世界全てを恨みたくなるほどの痛すぎる痛みだった。
「くっそがぁ!!」
痛みを全て敵への怒りに変え、間髪いれずにナイフをぶち込む。避けられたが奴はびっくりしたようで、反撃のナイフの軌道にあまり鋭さはなかった。折ってやろうと左手を叩き込もうとしたら、不利を悟ったか飛びずさるように背後へと下がっていく。
「怪我人相手に何ビビってやがる!」
「お前、キショイな! さっきより強くなってねえか!? なんでだ!?」
先程の拳の正面衝突。
軍配が上がったのはルイーガルではなく、骨を痛めていた鋼だった。僅かながらも押し返し、少しだけ奴の体勢を崩す事に成功していた。
「さあな! 痛くて調子が上がってきたみてえだな!」
今鋼は、《身体強化》の応用で骨の負傷箇所を魔力を使って固めてある。もはやヤケクソじみた最終手段であった。
骨にヒビまたは骨折を負った鋼がさっきまでと同じように戦えば、間違いなく腕は本格的にぶっ壊れる。左手は補助に徹して右手だけで戦うのが唯一戦闘力を落とさない手段に思えるが、果たして奴は本命の一撃は右手から来ると分かりきっている相手に一撃をくらってくれるだろうか。凄まじい勘の良さを見せるルイーガルに攻め手を限定させるのは、もはや勝ち目を捨てるに等しいだろうと鋼は考えた。ならばもう、左手と右足を普通に使うしかないではないか。
固めたところで骨折にギブスをするのとは訳が違う。その負傷した腕を振り回して実際に戦い、攻撃を当て、受け止め、その衝撃を受けきれなければならないのだ。それがヒビに丁度良く激しい衝撃が加わってしまえば、ポッキリどころか良くてバギャアっといくだろう。
もう、ガッチガチに固めた。骨自体を強化しまくり、外側を魔力で固め、それだけでは多分無理だろうと、外側から負傷箇所の骨をぎゅぎゅっと抑えつけた。
それで本当に無事でいられるのかは自分でも分からなかったが、死ぬほど痛いのを覚悟してぶちかましたのだった。
「避けんじゃねえよこの野郎!」
「あっはは! 無茶苦茶だコイツ! その怪我で普通に戦ってやがる!!」
殴りかかり、ナイフで斬りつける。受け止められ、回避される。
殴りかかられ、ナイフで斬りつけられる。受け止め、回避する。
戦いは再び膠着状態に陥った。左手をふるう度に死ぬほど痛いわけで、鋼としては続いてほしくない膠着だ。
その上ルイーガルは驚愕で一時劣勢になったものの、どんどん調子を取り戻しつつある。もとより魔物化して狂気に身を委ねている事で身体能力が上がり、鋼相手に若干の有利を取っていたのだ。どれだけ鋼が努力して元のように戦えたところで勝ち目がそう生まれるわけではない。
それでも食らいつけているのは鋼の骨を戦える状態にしている魔力ギブスが予想外にいい仕事を果たしているためであった。
《身体強化》の研究の一環として骨を強化してみた事は当然ある。というより折らないためにはそれは必須だ。
だが骨が崩壊しないよう、外から抑え付けるように固めてみた事はなかった。
鋼の全力強化の一撃の反動はかなり強力だ。受け流すために多大な努力を要している。その反動が骨の負傷箇所に達した際、その反対側からの『抑え付ける力』と相殺を起こし、衝撃が減じている事に先程気付いた。
力に力をぶつけ合わせるのはこれまで鋼になかった発想だ。つまり、魔術で体内に発生させた衝撃をぶつければ、これまで以上に無茶な動きをしても体が壊れずに済む可能性がある。
殺し合いの状況を鋼は悔やんだ。さすがに今、あれこれと慎重に試して調整するような余裕は存在しない。魔力ギブスの抑える力の配分を少しずつ変えて反動がより多く消えるようにし、僅かずつ《身体強化》の性能を上げていくのが精一杯。それでも確実に鋼は負傷前よりも強くなりつつある。
だが痛みによる消耗も激しい。《身体強化》の改良も、どこまでも果てがないわけでもない。
どこまでやれるか分からないが、ルイーガルが倒れるまで、どこまでもやり続けるしかないだろう。
「ぐっ!?」
右足の骨の状態がいよいよ悪化したのだろう、踏み込む足が鈍る。痛みは我慢すればいいが魔力ギブスがあっても十全に動かせなくなってきた。
「はっはは、カミヤぁ! もう限界だろう!? お前は十分よくやったさ、俺が思う限界よりもずっと持ちこたえた! すげー奴だと褒めてやんよ!」
「もっとすげーと言わせてやるよ! てめえをぶっ殺してな!!」
「ヒャハハハハハアアァァーー!! どれだけ俺を喜ばせてくれるんだお前はよぉ! 殺すのは俺だああっ!!」
ナイフを避けきった瞬間に魔力の尻尾が叩き付けられる。やたら長いから何かと思えば、鋼が手放してそこらに落としたはずの長剣を尻尾でこっそり回収していたようだ。折れているため本来のリーチはないが危険度は高い。魔力の尻尾だけならこちらも魔力で相殺すれば威力をほとんど殺せるのだが、あれでは迂闊に受けられない。
こちらも魔力パンチを叩き込んで先端部分の魔力を消失させたが、尻尾の続きが空中の剣をそのまま押し出してきて突きへと変える。さすがに避け切れず腹の横を浅く斬られた。致命的な負傷ではないがかすり傷ともいえない程度で、血が流れ落ちる。
これで長期戦はますます不利となるだろう。だが鋼はにやりと笑う。
待ちに待った状況の変化がやってきたからだ。
「こりゃ、なんだ……?」
殺し合いを一時中断すれば、ごうごうという音が周囲一帯を覆い尽くすように鳴り響いているのがよく分かる。
気付いたはいたのだろう、何か周囲で変化がある事に。しかし戦いでそれどころではなかった。そして今、ルイーガルはいよいよ警戒するように、意識を外部に向け始めている。
鋼も何が起きているのか正しく把握してはいない。だが誰の仕業かは分かるし、ならば鋼の悪いようにはならないだろうという確信がある。
曇り空の色をした壁が空に向かって伸びていくのが見える。視線を移せば、場所によって時間差はあるようだが全ての方向でそれは発生しているようだ。
「何か外野がやってんのは知ってたが……、ああ。やっぱこりゃ、俺への攻撃じゃねえな。俺にとって危険なものならなんとなく分かるからな。なら問題ねえ。お前を殺してから周囲一帯皆殺しにすりゃ、何企んでようが止まるだろ。さあカミヤ、続きをしようぜぇ?」
「はっ。はは、はははははっ」
壁を伸び上がり、グルグルと動き始める。この時、鋼は理解を得ていた。彼女の意図を。これはなんのための大規模魔術なのかを。だからこそ笑いが止まらない。
「よくやってくれた、ルウ。なら俺も、応えなきゃあな……」
ルイーガルの本能と感覚では、あの魔術は脅威ではないと感じている。その感覚に自信があるはずだ。だが鋼の様子を見て、不気味そうに今一度周囲を見回し始めた。
「竜巻の壁、か。なんで切れ目がない。《竜嵐》を隙間なく敷き詰めてやがる、のか? 嘘みてえな大規模魔術だ。クッソドデカい《竜嵐》に、俺達は囲まれてるってのか。なんで俺はこれを危険じゃないと思った?」
「その通りだ。お前の負けだよ、ルイーガル」
まさか。
まさかこれを、二度目の異世界ソリオンにおいて、使う事になるとは思わなかった。けして使わないつもりだった。そもそもこんなもの使う必要もないはずだった。
「こちとらただの学生っての。なんでこれを使わなきゃならねえ状況になんてなるんだ。死ぬかと思ったし死ぬほど痛いし、全部、全部お前のせいだ……。よくも俺にこれを使わせやがったな、クソ猿!!」
怒りを、憎悪を、衝動を。我慢しなくていいとなれば、鋼の抑えもどんどん効かなくなっていく。魔力の質がどんどん変わり始める。骨が、ビキリ、ビキリと鳴動する。今の形のままでは邪魔だとでも言うかのように。
ルイーガルが猿の魔物じみた姿になって強化されているのだから、こちらが人のままでは不公平というものだ。
魔力が荒れ狂う。鋼という人間の皮をかぶったナニカが、裏返しとなっていく。
一時的に戦闘の興奮が落ち着く事はあっても常にある程度以上のテンションを保っていた魔猿の男は、徐々に顔を引きつらせ始めた。
「なん、だ、そりゃ。カミヤ、お前、お前……! そこまで堕ちてて、なんで今まで人の姿を保ってられた……!?」
「……この嵐は、お前を攻撃するためのもんじゃねえ。俺を閉じ込めるための物だ」
だから、鋼は。
何に憚る事なく。
己を解放した。