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一目見ただけで別次元の戦いだと理解できた。
将来有望と目される若手騎士、もしくは熟練の中年騎士である三人の目は、さすがにそれが分からないほど曇ってはいない。これでも三人は、栄えある牙狼隊でも結構な実力を持った騎士達なのだ。
二十代半ばですらりとした長身に赤髪、強気な瞳を持つ若手騎士エンタリィ。地味な印象の、やや童顔の他にこれといった特徴のない茶髪の青年、若手騎士のフーエン。巌のような巨体を誇る、縦にも横にも大きい栗毛の中年、騎士ラクタル。以上の三名は学園から大通りを少し進んだ地点で立ち止まっていた。
エンタリィは唖然として、フーエンは恐ろしげに、ラクタルは顔を思いきりしかめて、正面方向を凝視している。ずっと先、まだまだ距離がある大通りの向こうでは、三人にとっての救出対象の男子生徒と討伐対象の無精髭の男が戦っている。
恐ろしい戦いだった。思わず足を止めざるを得ないほどに。
「は、はっは……。笑えねえ、冗談だ。『援護に徹するのをお勧めします』、だったかぁ? それ以外にやりようがねえなアレ」
エンタリィは素直に認めた。認める事が出来た。ちょっとあれは、勝てないなと。実力のある騎士だと自認しているプライドの高い自分だが、より強い騎士など何人も実際に知っている。歴然とした実力差を認められないほど増長しているわけではなかった。何より一目瞭然だった。学生と野生的な男の殺し合いは、エンタリィには視認すら難しい異常な速度で行われているのである。
「怪物、か」
むっつり黙り込んでいたラクタルも、エンタリィに反応するようにぽつりとこぼす。
「…………そうか。ここまでか。確かにあれは、怪物と呼ぶ他ないな。あれは、儂でも勝てんわ。どっちが相手でもな」
「はっ。薄々分かってたけど、おやっさんでもやっぱ無理か。はー、……いやいや、勘弁してくれよ」
顔を手で覆い、エンタリィはため息をつく。もう一度つく。間を空けて、最後に一番深くため息をつき直して。
顔を上げた。
怪物達の勝負を睨みつける。騎士剣の柄に手を添えた。
「おい、エン!」
「おやっさん、分かってんでしょ。行くしかねえよ。今、この時じゃないとアレには万が一にも勝てねえ。あの怪物と互角の味方がまだ生きている内に、俺達の援護で形勢を傾けないと。もしあの学生が負けたら、もう俺達に勝機はなくなるぜ」
「…………」
険しい表情で巨漢は黙り込む。信じられないものを見る面持ちで、フーエンは同僚二人を愕然と眺めている。
「……選択の余地はない、か」
搾り出すような口調で示された参戦の意思に、フーエンは顔を青くする。彼は異常な重さと速度で繰り広げられる戦いにすっかり怯え切っていた。
「ふ、副長を呼びましょう。あれは、とても自分では――」
「副長は今街の東だ。探して呼んでくる間に相当時間を食うぞ。つべこべ言ってる暇はねーんだフーエン。この一帯の一般人に、騎士やニホンの観光客。まとめて虐殺されてもいいってか? ……覚悟を決めろや」
「フー、すまん。無理をするなと言いたいが、ここが瀬戸際だ。奴が気を散らす対象は一人でも多い方がいい。別に、戦おうとしなくて良い。自分の身だけを守っていろ」
ラクタルも、怖いなら抜けていいとは言わない。フーエンも共に来いと言っている。この場で決着をつける意志は固いようだ。保険をかけて、一人だけ副長への連絡要員として逃がす選択もしない。エンタリィもその判断には賛成だ。
なにせ、敵が格上というだけならともかく、互角の味方が健在なのだ。勝つ気でいかないでどうする。今決死の戦いを繰り広げている少年を、全力で支えてやらないでどうする。
そもそも今は避難者を抱える騎士学校を背にしている。この時点で既に負けられない戦いなのだ。保険などと言って上乗せする戦力を削るのはあり得ない。少年単独で押されている様子はないから、援護さえあればこれは勝てる戦いだ。よって、心配すべきは敗北ではなく、今ここにいる騎士が最終的に何人生き残るか、であろう。
つまり、全ては騎士達の覚悟の問題であった。
「ああくそっ、話してる時間が惜しい。俺は行くぜおやっさん、頼むぜ!」
そう言うとエンタリィは騎士剣を抜き放ち、慎重に歩みを再開させた。
怯懦と緊張で止まりそうな足を叱咤し、進み続ける。慎重に戦いを見極めながらの接近。いつでも後退できるよう、走ったりはしない。すぐにラクタルが隣に並んだ。
並び、追い抜いていく。その足取りに躊躇は無かった。頼りきりになるつもりはないとはいえ、やはり前を行く巨漢に頼もしさを感じずにはいられない。
この大きな男こそが騎士ラクタル。ラクタル=ミューレット。実戦経験豊富な老練たる騎士で、牙狼隊でも古株の男。守備的な戦いにおいては頭抜けた活躍と信頼を集める、『鉄山』の異名を持つ守護の騎士である。その鉄壁の守りは牙狼隊の中でも随一だ。
おまけに散々と学長室で忠告されたのもあり、非常事態だからと準備していた本気装備を手抜かりなく装着して来ている。騎士の鎧は比較的軽装なものから重装備まで何種類かあって、牙狼隊ではその中から目的に沿うものを着込み、場合によっては選ぶ事が許される。そしてラクタルほどの実力者ならば専用の特注品を用意してもらえる事もあった。それを今、身につけている。平の騎士が選べる鎧の中で一番の重装備よりも更に重厚な、特注の分厚い板金鎧だ。いかにも金属の塊というような重苦しい外見で、ラクタルの巨躯と合わせて相当な威圧感を漂わせている。どれほど強烈な攻撃に晒されてもビクともしないだろう、と見る者に思わせる安定感がそこにはあった。
まさに鉄の山。これから戦おうとしている正真正銘の怪物相手でも、防御面でだけで言えば彼は十分に対抗できるだろう。速度など他の要素を犠牲にした上での鉄壁なので、その部分以外はとても足りないだろうが、そこの一点だけでも頼もしすぎる。即座に負ける事はないラクタルの存在は戦いの軸になる筈だった。
エンタリィの方はラクタルを盾に、上手く立ち回り敵を牽制するのが役目となるだろう。多くを気負う必要はない。どうせ学生と魔物憑きの戦いはエンタリィの理解できる領域を超えているので、適切な援護など最初から諦めている。自分達優先で生き残り続け、無視されるようなら手を出す。それだけで一応の助けになり、学生の方が敵を片付けてくれるはずだ。
振り返りはしないが、エンタリィの後をついてくるフーエンの足音も聞こえている。背後の若手騎士はエンタリィより一つ下で、自己主張も弱く臆病だがそれなりの実力は備えている。性格の通り慎重な戦いを身上としており、魔術もそれなりに嗜むから離れていても攻撃手段がある。援護要員としてはかなり良い人材だ。
「学生、こちらは味方だ! 援護する!」
学生に無用な警戒を与えぬよう、ラクタルがやや距離を残して声を張り上げた。魔物憑きの男が舌打ちする。
敵が嫌がっている。いける、とエンタリィは確信した。
それは油断や慢心などではけして無い。あれだけ強くとも、ここで追加される騎士三人は奴にとって確実に脅威となる。当然の事実と、相手の反応で得られた手ごたえ。この場は王国側の勝ちだ。
いっそ負けを悟って逃げてくれ。騎士としてどうかという思いすら抱きながら、エンタリィ達はじりじりと距離を詰め始める。
「ああ、くっそ。……こりゃ、負けだな」
敵の無精髭男が、諦めの言葉を存外あっさり口にする。
それが、戦いの始まりとなった。
◆
こりゃ負けだな、と相手が口に出した時、鋼の内に湧いて出たのは違和感と納得であった。
二人の戦いはどんどん激しく、苛烈に進化してきている。互いにヒートアップし過ぎてご機嫌な笑いさえ出てくるほどだ。決着までやりあいたい。ここでやめるなんてあり得ない。お前だってそうじゃないのか。それは鋼が身勝手に抱いた期待でしかなかったが、あっさり諦めた敵の反応はどうしても意外に思えた。不利な状況を避けるというのは至極当たり前の事だというのに、そう思った。
そう、同時に納得もしているのだ。どれだけ頭が茹だっていても、一時の感情に支配されかけていても。そんなものは無視する。生き残るための最善の判断をちゃんと下す。ルイーガルはそれが出来る男だったというだけの話である。1対4の戦闘になってもこの場に留まり続けるメリットは奴にはない。戦闘のプロゆえの冷静な判断。深く納得できるものだ。
違和感と納得、相反する二つの心情。ならば直感で判断するまでだと、鋼は『自分であれば』という仮定をもって、奴の次の行動を考えてみた。
ルイーガルが突如、空を仰いだ。
「オオオオアアアアァァ――――ッ!!!!」
口から飛び出すのは獣じみた咆哮。戦いが激化するたびに増してきた、奴の魔物憑きとしての威圧感も更なる上昇を見せる。
ルイーガルは淀みのない手つきで自身がまとっていたローブを引きちぎった。目くらましとばかりに鋼に対して投げつけてくる。
飛び方からして何か重量物が仕込まれている。袖口や裾の裏あたりに仕込んでいるに違いない、ナイフによるものか。布系の物体など投げられても脅威にもならないが、慎重を期して鋼は回避を選んだ。ナイフ以外の何かの仕込みを警戒しての事だったし、数の利を得ているこちら側は焦る必要がないからだ。この時点で鋼は確信していた。ルイーガルの逃亡は無い。
ローブを脱いだルイーガルの姿は何故か一回り大きく見えた。パンと張り詰めた筋肉に、シャツのような服の襟元からは強ついた胸毛が覗いている。
何故か、ではない。実際に体格が変化している事を鋼は見抜く。ミチミチと硬いものが引き絞られるような音と共に、奴の筋肉が肥大化していく。無精髭も徐々に伸び始める。
大きくなり、筋肉質になり、毛深くなってゆくルイーガル。その姿はまるで獰猛なゴリラ、いや、ゴリラのような魔物だろうか。奴の威圧感が、つまり魔力強度までもがグングンと強まっている事からももはや疑いようが無い。これは魔物としての本性の全解放だ。ルイーガルはこの場において、人である事を捨てたのだ。
「猿人の、魔物憑き……っ!? こやつ、もしや狂獣ルイーガルか!?」
援護の三騎士の内、最も前に出ている大男が焦ったように叫んだ。後ろ二人の騎士もそれを聞いて動揺を見せる。
騎士がその名を知っている。それも反応からして悪名高い大物。ルイーガルがグリット教授を秘密裏に襲撃したり、こそこそと動いていた理由はそれなのだろう。
だから奴は、自分で負けを認めたのだ。
鋼に名乗った際にも自白していたが、ルイーガルが帝国の正式な軍属なのは間違いなさそうだ。それはもちろん上の指示で動いているという事。こいつが最初から暴れていれば、いくらでもそこら中で致命的な被害を出せただろうに、裏で動くに留めていた。被害を大きくするよりも、存在を隠す事を優先するよう命じられていたのだ。
だが、鋼に名乗ってしまった。騎士達に目撃されてしまった。それでもまだこの場に留まり、自身の存在を一切隠さず暴れる事となる最悪の選択肢を取ってしまった。本当の意味での全力を解放してでも、戦おうと決めてしまった。
多分、こうなったルイーガルは鋼達に勝利できたとして、そこで止まれない。この局面をどう乗り切れようとも任務は失敗、もはや軍人としては既に負けを喫したのだ。
だからもう、この場に残ったのは開き直った一匹の獣である。
軍人である事を完全に捨て去り、本物の狂獣となった存在は叫ぶ。獣のルールでは俺はまだ負けていないぞ、と。
「ウグオオオオオォォォォ――――ッッ!!!!!」
空気が震える。鳴動する。
全員まとめてかかってこい。不敵な、相手を殺し返す気しかない強烈な戦意と獣声が全方位に放たれる。
それを前にして騎士達が立ちすくんだ。鋼も虚を突かれた。驚いたのは敵の恐ろしさにではない、味方の虚弱さにだ。ルイーガルは叫びとほぼ同時、跳ねるように動き出していた。
毛深い獣じみた男が、鋼を無視して一直線に騎士達の元へ向かう。予想の範疇ではあったので鋼も即座に追いかけている。ルイーガルとしては容易そうな方を食い破って挟撃から脱しようというのだろう。
――俺に背を向けるとは、いい度胸だ。
肥大化した奴の筋肉は、先程よりも更に恐ろしい敵と化した事を示している。正面からやりあえば今度はさすがに鋼が劣勢に立たされるだろう。だが、背を向けても少しの時間なら大丈夫だろうと見なされるとは、さすがに業腹だ。
しかし速い。元が同格で、今は鋼よりも筋肉量が上の相手に、鋼も即座に追いつけはしない。騎士達の先頭にいる大鎧の巨漢にルイーガルは接近を果たした。
ビビっていた割にはしっかりと、巨漢が騎士剣を横薙ぎに振るって迎え撃つ。
見た目通りその騎士は鈍重なタイプなのだろう。その一撃は遅い。悠々と、ルイーガルがもう一歩踏み込む方が先だ。籠手に守られた剣を握る手首を容易く強打されてしまう。
手を打ち据えられた巨漢騎士の体勢が僅かに崩れる。その様子を確認する事もなく怪物は前進を続けた。
狙いは最初から、巨漢騎士のすぐ斜め後ろで剣を構える赤毛の男性騎士。
彼もまた、突如自分を狙われ取り乱すような無様は見せなかった。見せるようではいくらなんでも困るのだが。赤毛の騎士はそうすると決めていたかのように大きく飛び退くも、その距離は瞬時に詰められる。さて、彼はここからどうするか。お手並み拝見だ。
そうして、追いかける鋼が見据える先。
赤毛騎士が口から火を吹いた。
「は……?」
鋼には意味が分からない。しかしルイーガルは違ったようだ。
予想外の攻撃への戸惑いなど無く、上体を軽く伏せるようにしてルイーガルは突撃を続けた。半歩、横にずれて直撃を避けている。逆に言えばそれだけで十分だった。魔力の防御膜をまとうルイーガルには元々生半な攻撃は通じない。炎に晒されるのもあの速度だから一瞬だ。直撃を回避したのも念のため程度の用心であって、恐らくはダメージなど元から受けない。
一秒の、十分の一も稼げたかどうか。そのような無駄な攻撃のために、赤毛の騎士は一瞬とはいえその場に留まった。口内に準備していた魔法陣から半秒かけて火を吐いた。
同時に剣による迎撃も狙っていたようだが、赤毛は格上相手に曲芸を仕掛けた代償を払う事となってしまった。
ナイフに斬り落とされた赤毛の手首から先が宙を舞う。
この時の鋼には知る由もなかったが、赤毛は『気炎の騎士』を自称する有望な騎士だったという。
強い騎士にはそのような二つ名が付く事がある。まだ若く二つ名の襲名には早かったものの、彼は有名な先達に追いつくため、彼独自の戦い方を研鑽し続けていた。遠くない未来、騎士として成り上がってみせると意気込み、気が早い事に自分の二つ名まで考えていたというのだ。
剣で戦いながら、口から吐いた《火炎》の魔術で相手の視界を奪い、燃やす。あくまで魔術は牽制程度の威力に留め、代わりに接近戦の最中でも問題なく使えるように鍛えておく。本命は剣での戦いだ。しかし相手にとっては、炎もけして無視できるものではない――。
恐らく、そのような目論見で選択された戦闘スタイル。
赤毛と初対面の時点では、何故口から炎を吐いたのか鋼には全く分からなかった。なのでびっくりしてしまった。
ルイーガルは鋼と違って理解していた。騎士達の程度を。帝国軍人として、格下の多数の兵相手に戦った経験は豊富にあるのだ。
赤毛が腕を切り落とされた痛みに苦鳴をあげるよりも早く、とどめの二撃目が放たれようとする。だがそこで鋼が背後に追いついた。
鋼に一撃くらうかもしれないリスクを冒せば赤毛をきっちり殺せていただろう。ルイーガルは攻撃を取りやめ大きく跳躍した。
そのついでとばかり、尻尾に掴まれたナイフが赤毛の喉元を裂いて行こうとするが、いくらなんでも甘い。そう都合よく、ノーリスクで騎士の数を減らそうなどと。跳躍したルイーガルに従い移動していく尻尾の先、ナイフの柄を鋼は掴んだ。行き先を限定して、尻尾を振って奴を巨漢騎士との間に落とそうとする。
尻尾状の魔力体からナイフだけがすっぽ抜け、失敗。狂獣は無事に着地する。地に四つ足つけての、完全に獣のような格好で鋼を睨む。ここで赤毛が腕の痛みに絶叫した。
「当たり前だっ! 炎なんてもんが当たるわけねえだろ!」
そのうるさい声に鋼は思わず怒鳴ってしまった。援軍には感謝したいところだったが、期待を外された分落胆も大きい。
鋼とルイーガルの戦いを、遠目にも確認しなかったのか。いいや、見たはずだ。何故そこで察しなかった。炎なんて遅い攻撃が、二人に当たる筈がないのを。
例えさっきの何十倍も大きな炎を吹かれても、燃焼という現象より速い鋼達の足と強化された動体視力で、見てから逃げ切れる。不意打ちでされたって当たるわけがない。あれに当たるようならそれよりずっと速い互いの物理攻撃でとっくにくたばっている。赤毛の騎士は、最強の魔術《身体強化》使いを相手に戦うという事がどういう事か、全然理解できていなかった。
「ひゃっははは! 無駄だ無駄ぁ! 雑魚騎士どもがそんな事、分かるはずねえだろぉ!? 百人でかかれば俺様にも勝てるとか思っちまうようなオツムしてんだよ、こいつら! 散々殺してきた俺が言うんだから間違いねえっ!」
鋼の叱責をルイーガルは愉快そうに笑い飛ばす。魔物の力の影響か、過剰なまでにテンションが高い。そんなまさかと鋼は思うが、ルイーガルがここで嘘をつく必要など無い。
強さ10の駒が5個集まれば、強さ50の相手にも勝ちうる。そんなのはカードゲームとかの世界だけの話だ。10が二体で20を倒すならばあり得るだろう。それが数の力だが、何倍も性能が開けてしまえばその限りではない。そして魔術のある世界では、そんな理不尽がまかり通る。
百人の兵よりも足が圧倒的に速いルイーガルは、いつでも確実に逃走する事が出来る。赤毛の騎士と同等の戦力が百人でかかっても、奴を仕留め切る事は叶わない。だが、戦闘を生業にしている騎士ならばそのぐらい自明の事ではないか。
「弱者についちゃ俺の方がよっぽど詳しいらしい。こいつらはなぁ、言えば頭では理解できる。が、本当につえー奴ってのはどう強いのか。何がどうヤバイのか! 実際の感覚なんて一切分かっちゃいねえのさ。ひはは、滑稽だぞ!! おめでたい程に前向きで、勝てる可能性はゼロじゃない筈だと希望を捨てねえんだ! この弱さでそんな希望を持ってたのかと毎度驚かされるぜ!?」
何がそんなに面白いのか分からないが、ルイーガルは腕を失った騎士を見て大笑いしていた。
怒りに駆られたか、負傷した赤毛を守るためか、巨漢の鎧騎士がルイーガルに向かって踏み込んだ。そうしながら指示を出す。
「フー! エンを連れて撤退しろ! そして副長に状況を伝えるのだ!」
返事を待たず駆け出す。鈍重なその騎士の横を鋼が追い抜き、折れた剣と奪ったナイフの二刀流で狂獣に斬りかかっていく。
ルイーガルは下がる。足の遅い騎士を置き去りに、鋼とだけ戦おうとするつもりか、後方へ移動しながら戦おうとする。だがそれは見せ掛け。瞬時に力の向きを切り替え、こちらへと飛び込んできた。お前ならそうすると思っていた。そう、鋼が笑えば奴も笑う。剣が弾かれ、ナイフは避けられた。
ゴリラのような姿になったせいか、ルイーガルの動きはまたもや奇妙な変化をしている。二足歩行と四足歩行を短時間で切り替えていくような変則的なスタイルだ。足元をうろちょろされるとさすがに攻撃が当て辛い。重さをかけやすい上の立ち位置が不利という事はないが、姿勢を都度切り替えてくるルイーガルの動きを見切るのは困難だった。尻尾も健在であり、動き回りながら足を引っ掛けようとしてくる。
変身した奴に鋼が押されないのは、単純に武器の数の差と、巨漢騎士にも敵が気をやっているからだ。それがなければとうに劣勢である。魔物化したルイーガルはその前よりも明確に強くなっていた。
鋼とルイーガルは目まぐるしく動き回り立ち位置を変える。巨漢騎士はその戦いの速度に全くついて来れていなかった。迂闊に武器を振らないのは助かるのだが、現状ただの案山子と化している。敵にいくらか警戒させているのは彼の功績だが、援軍としては少しばかり物足りない。そう思った矢先、鋼と騎士とで、ルイーガルを挟み込むような位置取りとなった。
わざわざそんな不利な場所へとルイーガルが誘導される筈がない。自らそう動いた狂獣の誘いだ。誰の目にも明らかだ。
だが、騎士はチャンスが来たとばかりに騎士剣で攻撃を仕掛けた。
誘いと知った上で、鋼のためにあえて仕掛けたのか。いいや、そうは見えなかった。先程のルイーガルの弱者についての語りを思い出す。騎士達の中でも年長と見えたあの騎士も、仲間をやられた怒りがあり、鋼の助けになれていない焦りがあり。何より、強者に対する理解が足りていなかったのだろう。どう見ても、それが精一杯なら絶対に勝機はない遅さの剣撃だった。
素早く攻撃をかいくぐり、狂獣は騎士の懐へと飛び込む。もちろん挟撃を生かそうと鋼もそれに続くが、ちらりと振り返った奴の視線から、元よりこちらの方が警戒されているのだと分かる。剣を持つ騎士の手をルイーガルは掴み、引き寄せ。さすがにあの重そうな騎士を鋼に対する盾とするのは間に合わないだろう。構わず奴の背を狙った。
ルイーガルの魔力の尾が、獲物を見定める蛇のように鎌首をもたげた。
魔力ごとその姿が膨らむ。鋼を食らわんとするかのごとく、大きさだけでなく伸張までしてきた。
「っ!?」
ルイーガルの笑み。騎士など眼中にない様子で、ただこちらだけに気を向けていた。挟み撃ちさせて騎士の攻撃を誘発させたが、それによって更に鋼が誘われたというわけか。警戒しないわけにはいかなかった。攻撃を一旦とりやめ、一歩下がりながら伸びてきた尻尾を切り裂く。先端が切り落とされ、地に落ちる前に魔素となって霧散した。
満を持しての見慣れない攻撃手段。今になっても、鋼から意識を外さないルイーガル。呆気なく尾の攻撃は止める事が出来たが、まだ何かあると鋼は一層気を引き締める。まさか騎士を片付けるため、鋼を遠ざけるための見せ掛けなんてオチではあるまい。鋼が下がって生じた隙を生かすでもなく、ルイーガルはいまだに騎士ではなくこちらに顔を向けているのだ。
そうしながら、視線を一度も向けないまま、騎士の足を引っ掛けるように蹴る。
手を掴まれ引っ張られていた巨漢騎士がバランスを崩し、体が宙に浮いた。騎士が《身体強化》で踏ん張ったとしても、ああして転ばせる形になれば全くの無力だ。強化では体重は変わらず、全身鎧を含めた超重量であってもルイーガルの腕力なら扱いきれる。ああ、そういう事なのかと、鋼はここで気付いた。
騎士は恐らく、格上の戦いに乱入してもその防御能力だけは対抗できるものと踏んでいた。これまで戦ってきた相手より攻撃が早く力強い。鋼達の事をその程度の認識で捉えているからだ。
だから知らない。とんでもない力の持ち者同士ほど、相手の重さは無視できる要素になっていき、踏ん張りや持ち上げようとする力に対してより気を配らねばならなくなるのだが。《身体強化》がそこまでの域に達していない彼に、そういった実感を伴った理解はない。これがルイーガルの言っていた、『強い奴がどう強いのか、実際の感覚なんて一切分かっちゃいない』という事なのだろう。
ルイーガルほどの怪物でなければ、あの全身鎧の騎士は転ばせるのすら難しい筈だった。巨漢騎士に近いレベルであれば、鎧ごと簡単に持ち上げるような腕力など無いし、何か仕掛けようとしてもその間に斬られる。速度を犠牲にしてまでも防御に特化している騎士なのは見れば分かるが、彼は多少格上が相手でも破られない、鉄壁の防御が売りだったのだろう。
だがこの局面においては鉄壁でもなんでもない。
鋼達は彼を鎧ごと持ち上げる事が出来るし、遅すぎて何をされても脅威にならず好きなように仕掛けられる。鎧自体の破壊も狙えるし、兜を凹ますほどの打撃を頭に加えるだけでも即死するだろう。長期戦に持ち込めば完封できるスタミナの差もある。魔力強度の高さに任せて、鎧ごしに魔力を送り込み衰弱させるような戦法も出来る。本当に、どうにでも出来る程度の防御力なのだ。《身体強化》が圧倒的に勝っているとはそういう事だ。しかし真に格上の強さを知らない巨漢の騎士は、自分の防御は格上にだって通用すると思っている。その認識の差が、一つの結果を生んだ。
転ばされ、宙に浮いた体を掴まれて、ぶん回される。
まさか鋼もそこまで簡単にやられると思っていなかったから止められなかった。転ばされ持ち上げられた経験が薄いか、あるいは全く無かったのだろう、騎士にとって想定外過ぎたのだ。
誤算はもう一つあった。鋼はこちらにばかり意識を向けているルイーガルを見て、騎士は眼中になく狙いは自分だと思った。これもまた、『弱者については、俺の方がよっぽど詳しい』とルイーガルが語った通り。奴はよそ見しながら、意識の大半を鋼に向けたままでも、片手間に騎士は片付けられると踏んでいたからそうしたに過ぎない。鋼は無用に警戒し、牽制に対し距離を取り、騎士が易々と無力化されるのを見守る事となってしまった。
慌てて前に出た時にはもう遅い。中身入りの大鎧という、とびきりの凶器を振りかぶられて鋼は回避を余儀なくされた。これを受け止めるのはさすがに厳しい。モノ自体大柄な男なので、凶器としてもとびきりデカくて避け辛い。
これだけの重量物なので、ナイフや素手で攻撃されていた時よりは格段に攻撃速度が落ちるはずだったが――ルイーガルはその欠点を、掴んだ騎士を振り回し続ける事で補うようだ。あの重さを止めたり再度動かしたりするのは二人の強化された身体能力でもさすがに隙を生む。カンフー映画のヌンチャクの扱いを思い起こさせるような動きで、ルイーガルは騎士を振り回してその回転を見事維持しているのだ。
振り回しに角度をつけたり、自身の立ち回りで上手くフォローし、鋼をその鉄の渦へと巻き込むつもりらしい。が、そうと思わせておいて普通に叩きつけてきたりもする。もちろん素直に当たってやる鋼ではないが、中々奴の懐には飛び込めなかった。魔物化したルイーガルが最も強化されているのは筋力のようで、想定以上に鎧騎士の動きを御し切れている。尻尾も必ず最高の妨害をしてくるだろうから、戦意が高揚している今の鋼であっても迂闊に間合いに入るのは躊躇われたのだ。
「ノリがわりぃじゃねえか、もっともっと踏み込んでこいよ! ひゃっはははァ!!」
狂ったように笑いながら強引にルイーガルが距離を詰めてきた。一歩間違えれば体を砕かれる暴風を前に、鋼もいつまでも臆してはいられない。相手を殺す事が唯一、この脅威を克服する方法なのだから。応えるように前に出る。
鎧の打撃を避け、ナイフを差し込む。致命傷さえもらわなければ十分過ぎるとばかりに、ルイーガルの回避は最小限だった。体の向きを強引に変え、浅く斬られながら鎧騎士を再度ぶつけて来ようとする。その捨て身の姿勢に鋼は二撃目を諦め、こちらも《身体強化》で御しきれるぎりぎりの機動で強引に回避、したと思えば急激に敵の攻撃が追ってきた。鋼からパクった、攻撃が軌道変化する小技である。
(コイツ、僅かに今まで手加減してやがった!!)
何かやってくるとは思っていたが、これは予測を上回り過ぎていた。身軽な時でも細心の注意を払って動かねば自滅があり得る《身体強化》なのだ。あの重量物を扱いながらの無茶な軌道変化はさすがに無理だと判断していた。上手くやってみせたのだろう、では納得しきれない違和感が膨らみ、直感が結論を出す。鋼は奴の限界を勘違いさせられていた。
魔物に姿が変じて、テンションが振り切っていたルイーガル。その裏では恐ろしいまでの冷静さを維持しており、上昇した能力をずっと少しだけ抑えていたのだ。その枷を今、解き放った。全てはこの一撃を決めるために。その『少しだけ』がもたらす差異は、ギリギリを見極め戦う二人には無視できないほどに大きかった。
恐らく捨て身強化も併用している、大型凶器に見合わない超速度。
避けられない。受け止めた上で凌ぐしかない。鋼も防御だけに全てを注ぎ込んだ。そして。
鉄の塊の一撃を受け、吹っ飛ばされた。
集中力を極限まで高めていた鋼はその最中、ふと、戦闘においてはどうでもいい部分に目をやり気付いてしまう。
大鎧の各所の隙間から酷い量の血が流れ出ている。滅茶苦茶に振り回されて、巨漢騎士は鎧に攻撃を一度も受けないまま絶命していた。