70 増援
負傷した村井凛と、狐獣人ミオン。そして重傷を負った学園の『教授』、オルフ=グリット。
騎士学校へと逃げ込んできた三名の証言により、この魔物襲撃に関わっている可能性が高い『敵』の存在が浮かび上がった。
パルミナ騎士教育学園には現在、大勢の避難者が詰め掛けている。
貴族も在籍しており、教育に必要な設備や備品(特に魔術関連のものは高価な物も多い)などもある事から、本来であればしっかりと警備され、関係者以外の立ち入りが禁じられている場所だ。しかしこの状況下ではそうも言っていられない。学長であるルキウス=ペイル・ラガートンの判断により、校舎の空き教室と講堂に収まる人数までは、一時的に避難者を受け入れる事となったのだ。
〈紅孔雀〉の脅威が低いこと、魔物憑きに直接遭遇した者はそう多くないこともあり、怪我人だらけというほどの状態ではない。それでもさすがに、医務室には少なからず人が出入りしているので、村井凛とグリット教授の治療は学長室で行われた。二人が遭遇した襲撃者の話を伝えるのに治療が終わるのを待ってなどいられないし、不特定多数の人間にこれを聞かせるわけにもいかない。
今現在、学園には避難者の他にも彼らを守るために十数人の騎士が立ち入り、留まってくれている。その騎士達も学園の教師陣も、この状況下で忙しなく立ち回っているので、学長室に集められた人員は少ない。しかし十分だった。グリット教授の強い要請により、この場に呼べる実力者を上から順に集めた形となっている。
まず学園側の人間として、戦力ではないが最も高い地位にいる学長、ラガートン。校医は現在手が空いていないため代わりに来てもらった、校医の助手の女性。生徒達の剣術指南役で、警備責任者であるマイトック=シシド。
シシドを通して、無理を言って早急に来てもらった騎士は三名いた。騎士ラクタル。エンタリィ。フーエン。全員男性だ。歳はラクタルが四十手前ほどで、あとの二人は二十代半ばといったところ。学園所属だが騎士団にも籍を置いているシシドとは、互いに知り合いのようだ。
そこに凛と教授、ついでのミオンを加えたのが、この場にいる全員だった。
急を要するという事で、治療などより真っ先にグリッド教授が語った内容に、一同は険しい顔となる。
どうも襲撃に関わっていると思しき敵の存在があり、それと遭遇してしまった事。現在もある騎士候補生が近くの路地で交戦中であるという事。まとめると話の内容はたったそれだけで、すぐに終わる。「それはいかんな」と騎士達三人がすぐさまに出動しようとするのを、手をあげて教授がストップをかける。
「相手は恐ろしい程の手練れです。下手な救援であれば意味がないと思わせるくらいに。だからこそ、優秀な騎士ばかりを呼んでもらいました。それでいてこんな事を言うのも失礼かと思いますが、敢えて言わせて頂きます。本当に、本当に、お気をつけて。敵は怪物です」
一気にまくしたて、荒い息をつく。すぐに校医助手が近寄り、骨折の応急手当てが開始された。
エンタリィという赤毛の若手騎士が少々呆れたように言う。
「だったらそれを足止めできる候補生君も怪物ってかい? あまり脅かすんじゃねえですよ。心配はありがたいですが、あっしらだってそこらにいるような騎士じゃない。サクっと行ってその生徒も救ってきますよ。話は以上ですか?」
「そんな心構えで行かれても、足手まといになった末に死ぬのがオチでしょうね。くれぐれも、彼の足は引っ張らないよう、援護に徹するのをお勧めします」
「ムライ君!?」
思わず凛は口を出していた。その辛辣な言葉に、学長が慌てて何か言おうとする。それを待たず、面白がる表情でエンタリィが一歩凛に近づいた。
「おお? なんだ、戦っている生徒ってのは嬢ちゃんの恋人かい? 心配のあまり焦るのは分かるが、噛み付く相手は間違えないように。な?」
対する凛は、心底無駄だったという風に小さくため息。視線も逸らし応答すらしない。さすがにむっとした顔になる赤毛の騎士を、横から伸びた大きな手が窘めた。
「よせ、エン。お前の不真面目な態度も、彼女に心配を抱かせた一因であろう。それより早く駆けつけるべきだ。手遅れになる前に」
年かさの大男、騎士ラクタルの言にエンタリィも引き下がる。緊張した様子のシシドが声をかけた。
「ラクタルさん。自分も、二人と同じような事を言っておきます。戦っている生徒のカミヤは、恐らくあなたが思うよりもずっと強い。それと張り合うなら、敵は怪物という表現もあながち間違っていないでしょう。あなた達が弱いと言うわけではけしてありませんが、敵も必ず、強大でしょう。……お気をつけて」
「お前までそんな事を言うのか……。年甲斐も無く怖くなってきたではないか。なに、油断などせんよ」
そこに割り込んで再び凛は口を開く。最新の情報を告げた。
「今現在、戦いは南の大通りの方に移動しています。学園を出て真っ直ぐ行けば辿り着くはずです。ミオン、敵もそこにいる?」
「え、あ、はい! 二人、今も戦ってます! あの時よりも多分、強化も強くなってます!」
騎士達や室内の人間の顔には疑問。率先して凛が答えておく。
「この子は凶暴さと戦闘能力が無い代わりに、生存能力に特化した魔物憑きの変わり種です。遠くの魔力を捉える力を持っています。今もまだ戦いは続いていて、手遅れにはなっていないという事です。どうか、彼をお願いします」
「おう、任せとけ。おやっさん行こうぜ!」
凛が頭を下げると、エンタリィも不機嫌だったのを治し、笑いながら請け負った。ラクタルを促し、最後まで口を開かなかった地味な騎士フーエンを引き連れて、騎士達三人は部屋を出て行った。
一瞬出来る、空白のような室内の静寂。それを破るため息。凛の口から漏れたものだ。
騎士達の援護には期待していないと、彼女の態度は示していた。
「……ムライ。カミヤが凄い事は俺も知っている。が、彼らもまた、とびきり優秀な騎士だ。騎士の凄さは、騎士のいないニホン出身のお前には中々伝わらんと思うが……」
「知っていますよ、騎士とはどんなものかくらい。国が背後についているだけの、私達と同じ人間。無敵の存在などではけしてなく、死を恐れ、時に呆気なく死ぬ。個々では無力な、ただの人間。何か違うでしょうか?」
「お前……、いや、何も言うまい。お前がどう思っているかはともかく、彼ら三人は実際に強い。どれだけその怪物とやらがとんでもなくても、カミヤとサシで拮抗しているというなら、そこに三人が加われば勝負は決まるだろう」
さあ、どうだろう?
凛はシシドのいうような楽観を持ってはいなかった。拮抗している勝負の片側に、多大な援護がつく。なるほど勝敗は決するだろう。常識的に考えるなら。
懐疑的になるのは、凛が騎士そのものを嫌っているというのもある。騎士ごとき、という思いはどうしても拭えない。奴らが強いのは指揮のもと大掛かりな人数で戦う時のみ。一人や数人程度で何ができるとも思えなかった。群れて、権力に守られて、そうした環境で振るわれる力など。凛の知る騎士というものは、見せ掛けだけの惰弱な存在だ。
かつて亜竜山脈で出会った騎士達のように、良い心意気を持った者達もいる。彼らの事は例外で凛も嫌いではない。しかしその彼らだって、実力のほどはそれほど頼もしくもなかった。曲がりなりにも、王女の近衛部隊でそう感じたのだ。果たして今の騎士三人に、どれほどの働きが期待できようか。
まあ、いい。騎士三人程度でも、捨て身で飛び掛かり、その命と引き換えに一矢報いるぐらいは可能だろう。
凛は彼らが死ぬ事をなんとも思っていない。むしろ率先して命を捨てろと思っている。それが本来の忠誠厚い騎士の姿というもので、矢面に立って戦うべきなのは元々彼らなのだから。
校医の助手が、教授の応急処置を終えて凛の元へとやって来る。
「いえ、治療はいいです。自分で出来ますから、道具だけお借りします」
落ち着け、大人しくやってもらえ、とでも言おうとしたのだろう。シシドが逡巡しながらも口を開きかけ、そして思い留まったように閉口する。言っても仕方ないと思ったのか。構わず、凛は用意されていた添え木用の棒を折れていない方の手で持つ。一緒に掴んだ包帯の束は宙に投げた。即座に発動させた魔術による風で包帯はたなびき、手でやるよりも余程早く、凛の腕にくるくると白い布が巻かれていく。最後に結び固定するのも、折れていない手と風を併用すれば両腕でやるのと変わりない。むしろ早い。
室内の人間達は目をぱちくりさせてその様子を注視していた。初めて見た曲芸に驚いているような反応に、凛は失望のため息をつきたくなる。これが出来て当たり前だとは、さすがに凛も思っていないけれど。少し風魔術を器用に操ってみせただけだ。神業と呼ぶには程遠い。熟練の魔術師であれば余裕で可能なレベル。それで驚くという事は、室内の誰もが凛の実力をそれ以上には想定していなかったという事だ。
もし凛が熟練の魔術師程度であれば、片腕の負傷などで済んではいない。あの魔物憑きの敵は、そういう次元のモンスターだった。それなのに。今のシシドや学長を見る限り、奴の危険度はその半分も伝わってはいないのだろう。実際に体験した凛と彼らでは、現状に対する認識の温度差が決定的に違っていた。凛と教授が言葉を尽くし危険を訴えても。その凛を侮って評価していたのだから、伝わる筈もない。
――こんな人達は、どうでもいい。
内心で思いながら凛はポケットに仕舞った携帯電話を意識する。元々、学園の誰かしらを頼ろうとは思っていなかった。本命は日向とクーだ。とうに現状を簡潔に記したメールは送っていて、ここで怪我の処置をしようと思ったのは返信を待つついでだ。あの二人なら鋼の援護をするのに足手まといになる事はない。凛よりも強化が得意な二人なら、気付き次第最速で駆けつけてくれる筈だ。
ただ、返信はまだない。送ってからまだ10分と経っていないだろうけども、これ以上かかるなら待ってはいられない。鋼の方の決着がついてしまう。
鋼があの男に負けるとは思っていない。凛が気を揉まずとも、問題なく彼は帰ってくるだろう。そう思い込み、思考停止するのは簡単だ。
でも、凛は知っている。
勝負には絶対などありはしない事を。
信じて何もしないのは、信頼とは呼べるかもしれないけど。
それは凛にとって、愛ではない。忠誠とも呼べない。
だから一つの決断をした。
◆
武器を抜かず、拳や蹴りでやり合っていた最初と比べて、鋼とルイーガルの戦いは一見すれば大人しいものとなっている。
強化された拳は同じもので止められても、刃物相手ではそう同じようにはいかないからだ。激しい乱打戦が主体だった序盤とは打って変わって、今は両者ともに回避主体で戦っていた。即死の危険性が高い刃物を警戒するあまり、失敗すれば後が無くなるような攻撃を互いに控えている。同じレベルに至っていない戦士から見れば、序盤よりも二人の怪物の脅威は減ったように感じるかもしれない。実際は逆だが。
鋼も、相手も、痺れを切らし始めている。元々防御よりもガンガン攻める戦いを好む二人だ。慎重さを捨てて、序盤の楽しかった殴り合いのようにひたすら激しくやりあいたい。ただそんな事をすれば自分が死ぬという事も十二分に理解しているため、前に出られない。戦闘スタイルが似すぎているのは本当に厄介だ。絶対の自信がある攻撃でも、即座に理解されて通じないだろうという確信だけが強くある。その確信が前に出ようとする足をどうしても鈍らせる。
隙を生まぬよう、小さな動作で鋼が牽制の突きを放つ。
避けるまでもないと、ルイーガルがナイフを斜めにしてそれを受け流す。素早く内に入られないよう、鋼は一歩を下がった。
「はっ」「へへっ」
互いに笑った。
攻撃が強すぎるために相手の刃物は常に避けていた。壊されないよう、刃物で受ける事すら躊躇っていた。その流れが崩れ始めていた。
どう受け流せば、自分の得物を壊さずに受けられるか。どこまでなら敵の攻撃を受けていいか。それをルイーガルは学習しつつあった。リーチの差から鋼から攻撃する事が多いのだが、その手ごたえから、鋼も同じ事を習得し始めている。
防御側だけでなく、攻撃側の武器の扱いも重要だ。上手い事受けられれば攻撃したほうの武器が壊されそうだと気付いた。そもそも剣は本気で振らなくとも十分に相手を殺傷できる。武器を壊さないように上手く手加減する事が、結果的には最適解なのだ。遅ければ相手から見え見えだが、その分繊細な動きが可能となり、いきなり全力で振られる事を常に警戒しなければならない相手にとってはそちらの方が嫌な攻撃となる。
互いの攻撃力が強すぎて、脆い武器を持て余し気味だった鋼とルイーガルは戦いの中で変わりつつあった。このレベルの戦闘での武器の扱いに習熟しつつあった。それは慎重な戦いに両者とも痺れを切らした結果である。
もっと刃物を使って、素手の時のように激しくやりあいたい。
その無言の同意のもと、互いが互いを成長させるように、武器だけを使って先程から戦っていた。相手を強くしてしまう選択肢だとは分かっている。だが、自分も大きく成長できる選択でもある。鋼も、ルイーガルも、自分に自信があったし、退屈な戦いを嫌っていた。二人ともが弁えたように、命を直接狙うような捨て身を控え、相手を成長させるような動きで戦うようになった。そのおかしな状況を両者ともに自覚していて、思わず笑ってしまったのである。
そして、そろそろ。十分に温まってきた。二人の攻撃に殺意が戻り始めた。
鋼が斬る。ナイフで弾かれる。弾かれてしまう程度に力を抜いた動きだったので、軌道修正は楽なものだ。蛇のように剣先を捻じ曲げ、すぐさまルイーガルの首を狙った。もう片方のナイフが力強く剣を受け止める。全く同時に、最初に攻撃を弾いたほうのナイフが鋼の右手を狙っていた。攻撃したばかりの腕を逆方向へ戻すには間に合わない。体全体の移動と腰の捻りで、位置を変えて攻撃をやり過ごす。ナイフが軌道変化して、今度は体を追ってきた。左手で手首をはたいて防ぐ。
追撃に次のナイフが来るが、長剣の半ばで衝撃を少し受け流してから横へと弾く。小回りの効くナイフ相手では大きな隙を作るまでには至らない。近づかれ過ぎていたのもあって、剣を向け直す時間を惜しみ殴りつけた。剣を握ったままの右手で。ルイーガルの左肩に当てたが、拳を引っ込める前に反撃のナイフを少しもらってしまう。鋼の指先から浅く出血。仕返しとばかりに戻す手の角度を変えて、長剣で斬りつけてやった。これは最小限のステップで避けられてしまった。
「……すげえ。すげえすげえすげえ! キショイなお前、強すぎだ、ほんとあり得ねえ……」
熱に浮かされたようなルイーガルの呟き。先程までの会話と明らかに違うトーンに鋼の警戒心が刺激される。
様子見のために一歩下がる――と見せかけて、何か仕掛けようとしているのならむしろ今がチャンスなのだと、鋼は敢えて体を前へと踏み出した。急所以外なら一撃か二撃もらう覚悟で、その代わり少なくとも重傷を与えてやるつもりだった。
余力をほとんど残さない全速力の攻撃。一歩詰めた分、軌道変化も駆使すれば多少の回避では逃がさない。
その瞬間、ルイーガルからの威圧感がいやに増した。
剣を振りぬく。両手の二つのナイフで、真っ向からルイーガルはそれを受け止めた。
ナイフ二つともが勢いよく弾かれる。出来れば勢いのまま振り抜きたかったが、鋼の攻撃も相手の膂力に止められた。互いに一瞬の隙が出来る。ルイーガルは自らナイフを手放して、両の拳を握り締めた。
しかし来ると思われたパンチは放たれずに、奴は大きく跳躍する。弾かれたナイフと鋼との間の空間へ、無理やり滑り込んでくるように。
予想外の行動だった。空中でナイフを掴みそれで攻撃するにしても、あのままパンチを撃つのと比べて遅すぎるし、見え見えだ。しかも方向転換もできない宙へと自らの身を晒す事になった。何かの狙いがあるのは明白だった。
隙だらけだと攻撃を仕掛ける気にはならず、鋼は相手の動向に注意を払う。自由に動かれるのも癪なので、自分は動かず、嫌がらせ気味に《魔砲》――魔力パンチを一発だけお見舞いしてやる。
伸びてきた鋼の硬質化した魔力を、忌々しそうな顔でルイーガルは手で跳ね除ける。一動作使わせた。そのまま回転して、空中にいるまま回し蹴りを放ってきた。存分に威力の乗った足など相手にせず鋼は伏せてかわす。相手の意図が読めないが、絶好の機会をみすみす逃すのも馬鹿らしい。伏せながらも長剣で斬り上げようとして。
目の前に迫るナイフに気付いた。
「っ!!」
あり得ない場所に存在する金属の輝きに、攻撃しようとした意識など完全に吹き飛んだ。斬り上げを中断、急遽起こした軌道変化で腕に痛みを感じながら、身を守るために可能な限り力を尽くす。伏せた体をより伏せ、剣よりも後ろへと体を引っ張る。迫るナイフとの空隙に、なんとか長剣を割り込ませる。
投擲ではあり得ない、力のこもった衝撃が剣に伝わった。反射的に、こちらもしっかり力を入れて迎撃、受け流す。二つ目のナイフがそこに叩き込まれた。
時間差のそちらは、普通にルイーガルが空中で拾い直し、その手できちんと振るったもの。回し蹴りの勢いを利用した斬撃。一つ目のナイフのために長剣を目の前で固定していた鋼は、そちらもそのまま受けるしか選択肢がない。
工夫もなくその場で受けてしまった事により、長剣の先、三分の一ほどが斬り飛ばされた。
短くなった剣でそれでもルイーガルが空中にいる内に斬りかかるものの、もう片方の手で側面を叩かれ、弾かれる。超強化された体術による一撃とはいえ、姿勢もままならない空中で既に攻撃を何発も繰り出した後だ。さすがに折られるような威力はなかったが、それで敵は無事に地面へと降り立った。
今の攻防で分かったのは、ルイーガルがナイフを握っているのは片手だけだという事。剣をはたいたのは素手だった。二本あった筈のナイフの一本が所在不明となっている。
着地と同時に片手のナイフがこちらに突き出されて来た。重く鋭い一撃だ。なんとか受け流すと今度は蹴りを繰り出してくる。基本的に足は手よりも強力だが、自らの機動力を捨てる足技をルイーガルはこれまで避ける傾向にあった。戦い方が変化している。先程から奴の威圧感も増したままだ。
足を避けると予想通りにナイフの一撃が飛んできた。手に握っていない方のもう一本。それが宙を走ってくる。二度目ともなると想定の範囲内過ぎて、こちらも左手ではたくだけだ。ついでに掴んで奪おうとしたら、避けるようにナイフは空中を後退していった。
魔力の尻尾。
それがルイーガルの戦い方が変化した原因であり、ナイフを操るものの正体だった。
先の奇襲は、尻尾を使って空中で拾ったナイフを回し蹴りと共に叩き込んできたのだ。どうも、腕で振るうよりはナイフの威力はかなり落ちている。そこが攻略の糸口だろう。だが威力が落ちたからといって、両手でナイフを振るっていた頃より弱体化したわけでもない。奴のフリーになった左腕は、素手でこちらを殺すに足る威力を変わらず秘めているのだから。
向こうの右のナイフは短くなった剣で対応しなければならない。必然的に残りの全て、蹴りや左腕、尻尾のナイフに対抗できるのは、こちらは左手一本だけだ。ルイーガルは尻尾によってか妙に重心が安定しており、蹴りを多様しても体勢を立て直すのが想定以上に速くなっている。足が浮く事で、尻尾の攻撃もこちらに届きやすい位置取りへと変わる。変則的な動きと単純に手数が増え、鋼はここにきて押され始めた。
尻尾を分析する。戦いの最中で唐突に生えたアレはどうやら、本物の獣の尾ではない。鈍く光る半透明の輝きで作られた、尻尾状の魔力だ。それが尻の上から生えている。
そして理解した。それは鋼の魔力パンチと同系統の技だった。魔物憑き特有の魔力を、鋼とは少し違う方法で利用しているだけだ。そうと分かれば積極的にこちらも魔力パンチを撃って尻尾を妨害していく。
「は、はは……っ」「あっはっははははは!」
どちらともなく二人して哄笑する。あまりにも似ている戦い方をする相手の厄介さを喜び。全く思い通りにならない相手に腹を立てていた。
鋼はなるべく魔力を無駄に使わない。命のやり取りの最中も、努めて冷静さを保とうとしてきた。一ヶ月前の兜男との戦いで、熱くなり過ぎた自分を反省し、この戦いでは出来る限り抑えていた。半分魔物化しているせいで、鋼は命の危機が続くほど、あるいは魔力を消費するほどに、暴力的な衝動が湧き上がってきてしまうからだ。
だが奴の尻尾には、こちらも《魔砲》をぶつけて相殺するしか互角に戦う道はない。両者の戦いの魔力消費量がここにきて一気に跳ね上がった。ルイーガルもこちらと同じ体質なのだろう。激化する戦いで、どんどん魔物としての顔が出始めている。鋼も頭の中がどんどん白熱していく。
もはやこれは止めようと思って止められるものではない。片方が自重すれば凶暴化した相手に対抗できなくなり、致命打をもらうだろう。
だからもう、ここからはどちらかが死ぬまで終わらない。
ゆえに。鋼も、ルイーガルも、笑う。獣である自分を抑える必要がなくなっていく。状況がそれを許していた。だから開き直って、全力で今を楽しむのだ。
もちろん、接近してくる三人分の魔力にはどちらも気付いていた。