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ソリオンのハガネ  作者: 伊那 遊
第二章・魔物狩り
71/75

 69 《身体強化》

 なんと、〈憑き獅子〉の群れは10体を超えていた。

 冒険者や傭兵にとっても割と修羅場な状況のようで、彼らはバート以外皆が余裕のない顔をしている。

 今の寄せ合わせのメンバーは統率された集団ではないので、作戦なしの乱戦などもってのほか。何体かずつに担当を分けて、こちらもいくつかの小集団に分かれ、それぞれが受け持つようバートからの指示が来る。ここはバートが迎撃のために選んだ、やや広めの十字路の中心だ。直線通路なら獅子達に魔法を乱発されれば後退するしかなくなるけど、ここであれば複数の方向に逃げ道がある。人が密集し過ぎれば戦いづらいので分散する必要があり、その場合ここなら自然な形で獅子達を包囲する事が出来る。

 バートが一人で3体。バートの部下達を二つに分けてそれぞれで2体。冒険者達で3体。伊織達学生組、というかアテにされているのは護衛官のターレイだろうか、こちらで1体。それぞれで受け持ち、凌ぐ。可能なら速やかに撃破し、他の援護に入る。獅子は小賢しいので、いつまでも同じ個体を相手にし続けられるとは限らない。やりやすい相手に都度ターゲットを変更してもいいが、変更する場合大声で他の人間に知らせろ。バートの指示は的確で迷いがなかった。

「さ、3体は俺らには無理だ!」

 そう冒険者達がうろたえたのを聞きつけ、伊織は嬉々として大声で割り込んだ。

「なら私に1体ちょうだい!」

 ターレイと省吾が「ちょっ」みたいな顔をするも当然スルー。無駄話などやってられる猶予もなく、こちらの望みはすんなり受け入れられた。学生組を振り返って伊織は笑う。

「学生だから無理せず守られてろ、なんて状況じゃないでしょ。今ピンチで、手が足りなくて、ここに戦いたい私がいる。好きにやらせてもらうわよ! 皆、悪いけど私抜きで1体お願いね!」

「ちょ、ちょっと! どうするつもりなん!? 強化以外にまともに戦う術なんて持っとらんやろ!?」

「それで十分! 聞いた話だと、ルウとか、日向やクーさんよりも、強化使うだけの神谷君のが強いって話だし!」

 嘘だ。それで十分なんてわけはない。神谷鋼ではない伊織の実力が、足りているかなんて分かりはしない。

 やってみなければわからない。

 それでももう本当に喋っていられる時間がないので、そう言い返したのを最後に伊織は突撃を開始した。もちろん獅子の群れに突っ込むためではなく、十字路から伸びる路地の一つを獅子より先に取っておくためだ。

 省吾の言葉が反芻される。《身体強化》の術だけでは、魔術を使うような魔物相手には足りないのだろうか。それが異世界の常識なのだろうか。

 そんな事は無いだろう。神谷鋼は卓越した強化の使い手だ。彼いわく、取り柄はたったそれだけだという。早朝特訓の時そう言っていた彼は、それで十分なのだと言わんばかりの態度だった。炎や風なんかよりも剣を使って戦いたい伊織にとって、その姿こそ自分の追い求める強さの理想形に見えた。

 彼の戦友の女子達は、自分達で最も強いのは鋼だと先日断言していた。聞いた伊織の心は震えたものだ。今のまま、自分の理想を追い求めて修行していけばいいのだと知れた。

 だから、《身体強化》だけでいい。それすら極めていない伊織にとって、他の魔術も使ってみようなど邪道。そんなもの不要。魔術の修練は《身体強化》だけに集中すると、伊織は密かに決めていたのだ。

 例え他の魔術を使えたとしても、〈憑き獅子〉は《身体強化》だけで倒す。そういう決意があるのに省吾の制止の言葉は今更であった。苦戦したとしてもそれは伊織の未熟だ。《身体強化》しか使えないせいではない。逆に言えば強化だけでも伊織の頑張り次第で必ず倒せる。それが伊織を奮い立たせていた。

 ちらりと疑問が脳裏をよぎる。

 学校でも教えられ、皆が習得する《身体強化》。これは最も簡単な魔術と言われている。けれども当然のように、人によってその強力さ、性能の高さは変わってくる。それも多少の差ではない。伊織の知る限り、神谷鋼の《身体強化》は他の追随を許さないほど凄いようだ。

 誰もが使えるような魔術なのに、どうして誰も彼と同じ事が出来ないのだろう?

 誰もが使える魔術しか使わないのに、どんな相手にでも勝てるとは、一体どのような境地なのだろう?

 恐らく、彼にとって世界は人と違う風に見えている筈だ。戦いに対する視点が、根本から異なる筈だ。彼の強化と伊織の知る強化には、巨大な隔たりがある筈だ。

 常人の想像が及ぶ範囲にある『強さ』なら、模倣できない筈がない。彼より長く生きて鍛えてきた護衛官や騎士が、負けている説明がつかない。

 という事は、神谷鋼は常人には理解できない異次元の境地にいる。知りたいと、理解したいと切実に思う。

 この場に彼がいれば、実際に戦うところが見れたのに。それを残念に思う伊織であった。



 ◆


 こちらの世界で強くなるためには、何を鍛えればいいか。

 もしそのような質問をされて、それに真面目に答えるなら、神谷鋼は《身体強化》だけ修練すればいいと言うだろう。

 まっったく、何の面白みもない答えだ。身も蓋もない。鋼自身もあまりにつまらない答えだと思っている。折角魔力や魔術が存在する世界まで来ておいて、最後に物を言うのは肉体なんて浪漫がなさすぎる。

 でも、実用性を重視する鋼に他の答えを許さないほど、《身体強化》は強すぎるのだ。

 二度目に異世界ソリオンへ訪れて驚いたのは、異世界人達の《身体強化》への軽視だった。騎士学校では誰もがこの魔術を教わる。戦いにおいては全ての基礎となり、どれだけ鍛えても損にならないもの。そのように教わった。

 何を言っているのか。基礎どころか、これがほとんど全てだ。鍛えても損にならないなんて話ではない。全力で鍛えておかないと相手次第では完全に『詰む』。戦況によっては炎や風の魔術など、強化以外の術が優位になる事もあろうが、強化を疎かにしてまで鍛えるべきかはかなり微妙だ。

 一番簡単な魔術のくせに、最も強い。

 それが《身体強化》だ。であるから、強くなる為に鍛える魔術はこれ一択となってしまう。仮にこの世界がゲームであれば、《身体強化》は全てのゲームバランスをぶっ壊しているポジションだ。



《身体強化》は内向きの魔術だと広く知られている。

 魔力をこねくり回して外へ放つのが外向き、自分の体に働きかけるものは内向きと呼び分けられるのだが、この内向きという時点でもう強い。

 魔術を行使する際の魔力活性化の気配が、内向きだととても小さい。努力すれば隠す事すら可能だ。奇襲に全く使えない他の魔術と比べて有用性に大きな差がある。

 次に、発動までの早さ。体の外よりも、中の方が魔力というものは扱いやすい。体外の魔力は刻一刻と魔素に分解される不安定な状態だからだ。加えて外向きの魔術は、体の外に魔力を集めて魔法陣に変えるプロセスが必要となってしまう。魔力がそこへ移動するまでの時間を必ず消費する。それはごく僅かの些細な時間だが、1秒ですら遅すぎる《身体強化》使いにとっては無視できないものだ。

 燃費もいい。敵に向かって飛んでいくまでの間に威力にロスが発生する遠距離攻撃の魔術と比べれば雲泥の差だ。継戦能力が高いので、ちょっかいを出しては相手の射程外ギリギリまで逃げ直して消耗を誘う、長期戦を見越した戦略も取れる。魔術を無駄撃ちするほど不利に追い詰められていくのに近づかれてもいけない相手と比べ、そういった駆け引きに余裕が出てくる。近距離では圧倒的に優位を取れる《身体強化》が、遠距離でもそれほど不利には働かないのである。なんだったら強化された筋力で物を投げつけて攻撃してもいい。

 そして、体内だから魔力を扱いやすい事の最大の利点。

 魔術としての難易度が低く、強いイメージや感覚だけでも《身体強化》は発動するのである。

 魔術を理論で構築し、理解を深めながら昇華させるのを尊ぶ偉い魔術師には、この凄まじい利点が分からないらしい。昔のニールがそうだった。『魔術が簡単であるのを喜ぶのは、馬鹿と凡人と初心者だけ』。そんな事をのたまっていた。彼女のような職業魔術師は、どうも簡単な魔術を見下す傾向にあるようなのだ。

 簡単であれば相手も同じ事が出来てしまう。相手が出来ないような、多くの人間に真似できないような魔術をモノにしてこそ、それが戦いにおける有利となる。それが彼女の言い分だった。《身体強化》の性能では鋼に負けているが、それは適性による個人差によるもの。《身体強化》は簡単過ぎてつまらない魔術だと彼女は信じていた。

 ニールにたいした事を教えてもらえないので独自に研鑽を重ね、《身体強化》の奥深さに気付き、研究するのにハマっていた当時の鋼はそれにキレた。自分が発見した強化についての知識を質問しまくり、答えられないニールをネチネチといじめて半泣きまで追い込んだのも今となっては良い思い出だ。いや、話が逸れたが、とにかく彼女は理解していなかった。『イメージで魔術が発動してしまう』のが、どれだけ恐ろしい利点となるかを。

 具体的なイメージさえあれば、理屈が分からなくてもいいのだ。魔術の勉強を一切していなくても《身体強化》は習得できる。なんなら気合でも発動する。それが、すごい。理屈が分からなくても、というのが凄すぎる。これは理屈を勉強する手間が省けるとかそういう話ではない。人間の頭では(・・・・・・)理解の及ばない(・・・・・・・)事象にさえ(・・・・・)手が届く(・・・・)という事だ(・・・・・)

 制御された魔力で魔法陣を描き、炎や風を生み出す外向きの魔術では、これは絶対に起こらない。例えば《解毒》の魔術がこれにあたる。何の毒かよく分かっていなくても発動出来て、体から毒物だけが綺麗になくなり、副作用も出ない。そんな効果、普通に考えてあり得るわけがない。体に対して何を起こせばそういう結果が得られるのか、頭で理解して使っている奴など一人もいないだろう。何か色々いい感じに働いて、欲しい結果を導いている。そのような説明しかつけられない。

《身体強化》もそれと同じ事が出来る。出来たとしてどうなるのだと、過去のニールは言った。なんて頭の硬い発言だろうか。

 術式に対して改造・改良を延々と繰り返し、そのイメージを更新し続ければ。術式が複雑になりすぎて頭がついていかない状態を完全に回避しつつ。想像の限界まで強い自分になれる、という事だ。

 人が想像し得る最悪の怪物になれるという事だ。


「おおおっ!」

 その怪物の腕を振り回し。

 鋼は敵に対して剣による薙ぎ払いを仕掛ける。

 帝国の男、魔物憑きルイーガルはもちろんこれを受け止める気はない。互いの身体能力が強すぎる。どちらが相手の攻撃を剣で受けても、受けた方の武器は真っ二つになるだろう。魔力をまとわせてコーティングするなどの小細工も可能ではあるが意味はない。繰り返しになるが、互いの攻撃力が強すぎるのだ。

 薙ぎ払いに対しルイーガルは一歩下がり退避する。その間合いからナイフによる反撃は出来ない。かわされた鋼が更に一歩を踏み込んだ。

 ルイーガルの左手首がぎゅんっと動く。投擲の動作。どうせフェイントだと判断した鋼は、そのまま突きを繰り出す。予想通りナイフ投げは行われず、慌ててルイーガルは左へと避けた。

 突き出した剣を戻さず、鋼は横薙ぎへと繋げる。予測のうちか、相手は分かっていたように体を伏せてこれに対応した。鋼の攻撃を空振りさせ、自らは敵の懐へと飛び込むチャンスを作り出す。そこからただ一歩踏み込めば、ナイフの間合いに入れられるだろう。

「おわっ!」

 狂獣はそこで踏み込みを選ばなかった。なんて勘をしてやがるのだ。

 薙ぎ払いの途中で軌道を変化させ、鋼の剣撃が稲妻のように落ちた。それをルイーガルは、地面を転がりながらぎりぎりのところで回避してみせた。

 これはそこらのちょっと強い戦士同士の戦いではない。一発一発が致命傷。《身体強化》を極めた者同士の、音の壁に迫ろうかという程の高速戦闘の最中なのだ。それだけ力の込もった斬撃が、途中で軌道変化するなど通常は絶対にあり得ない。ギャラリーもいないこの場でその異常さを指摘する者はいないが。ただ一人の理解者であるルイーガルは、小さく感嘆の口笛を吹いて見せた。

 鋼と奴の、このレベルの動きになってくると、剣の軌道を変化させるような小技の類は難易度が上がる。ひたすらに限界を求めた超強化により、鉄でも凹まそうかという勢いで腕が振られているのだ。急激に止めたり、無理に方向転換すれば一瞬で筋肉は破断し腕がちぎれ飛ぶ。誰だって分かる理屈である。これを分からずに、鋼のような性能で強化が出来ない、どうしてだと聞いてくる生徒が騎士学校でたまにいるので困ったものだ。

 人の筋力の限界以上の力を出せば、人の筋肉でしかない体にダメージがいくのは当たり前だ。腕力だけを強化するのではなく、肉体の耐久力を高めるのも必要なのだ。無意識にでも人間はそれを分かっていて、《身体強化》をすれば勝手に耐久力も上がっている。その耐久力を意識して更に強くしなければ、より強い腕力には耐えられない。だから強化の出力を上げられない奴は、体が壊れる事を本能的に察知しセーブしてしまっている、と思われる。

 強い耐久力に、強い筋力。その段階でようやく、鋼にしてみれば《身体強化》の入り口だ。

 この耐久力にしても、強ければ強いほど良いというものではない。強くし過ぎれば今度は体が硬くなりすぎて、しなやかさが失われ動きが阻害されてしまう。さて、ならばそれ以上の腕力を得る方法は無いのか。そうやって考え、改良していく事が《身体強化》の醍醐味と言える。

 鋼の場合、体を動かす時点では耐久力を上げ過ぎないようにして、肉体が衝撃を受ける瞬間だけ超硬化させるという方法を取っている。これだって、少し考えれば分かると思うが、無理があるやり方だ。例えば腕を鉄のように硬くしたところで、肩が柔らかいままなら、衝撃が乗った鉄の腕が食い込んでそのまま肩を突き破る。肩も硬化すれば、今度は首や胸にかなりの負担がかかる。そちらも硬くして、と続けていけば、結局体の全部を固めないといけなくなる。そこまでやると、体を繊細に動かせず、衝撃の一切を受け流す事が出来なくなって、内臓や脳にも等しく衝撃が伝わりダメージを負ってしまう。

 だから鋼は、衝撃が伝わる順番に、硬化部位を瞬間的に切り替える事で、基本は柔軟に衝撃を受け流しながら、超硬化で耐え切っている。そこまでしないと体が壊れるほどの筋力強化を行っている。一歩間違えば即破裂するような強化は本能的に無意識のセーブがかかるのだが、それを無視して破るコツのようなものも習得している。

 この段階での《身体強化》が、鋼にとってのデフォルトだ。意識せずとも軽々しく行えるレベルがここ。

 本気を出すなら、もちろんまだまだ強化の出力を上げる方法はある。

 内向きの魔術はイメージで変わる。つまり人によって、肉体を強化する理屈が違えば、同じ《身体強化》でも術式が違う。主流の術式は筋肉を魔術で強化して、それを自分の意思で動かすというものだが、動かすところも魔術でやってしまう変則バージョンも存在する。外向きの魔術では困難となる、念動力とでも言うべき力だ。もちろん鋼もこちらの強化を習得していて、元の《身体強化》と『重ねがけ』する事で身体性能を更に引き上げる事が出来る。寸分の狂いもなく二種類の動きのベクトルを一致させなければ、自分にダメージがくるので要注意だ。

 魔術で仮想筋肉を作ってしまうという方法もある。ある筋肉を出来うる限りどんどん強くするのにも限界があるから、筋肉自体を後付けで増やすというわけだ。これも、増やすほどにお手軽に威力が上がるというものではない。腕の力だけで殴るよりも、他の筋肉も連動させて殴った方が強いわけだが、元々自分に存在しない仮想筋肉をこの連動に巻き込むのは中々難易度が高いのである。まあ、鋼は習得している。前述した全ての強化と併用も可能だ。

 これら全部を動員して、イメージで無理やり一本の強化術式に収めたのが、鋼の本気の超強化である。

 さっきから全てそれで攻撃している。狂獣ルイーガルは、ここまでやってようやく互角という鋼と同じレベルの怪物戦士であった。

「今のすげえなあ、お前! あそこから攻撃が落ちる、普通は予想できねえよ!?」

「てめえは避けただろうが!」

 予断を許さない命のやり取りの最中に、互いに軽口が飛び出る。殺し合いの連続で脳内麻薬がドバドバ出ており、極限の集中力を得る代わりテンションも昂ぶっていた。

 ここまで追求した本気も本気の《身体強化》は、普通の強化と性能が違いすぎる。強化された防御の上からでも構わず叩き潰せるし、強化以外の魔術などそれよりも速く動けるのだから当たるはずがない。そもそも強化よりは絶対に時間がかかるので、他の魔術なんて撃たせない。相手より勝る脚力で逃走も許さない。

 最低限抵抗できるだけのレベルで《身体強化》を習得していないなら、鋼の相手はその時点で『詰む』。

 ゆえに、反則。ゆえに最強の魔術。

 それが鋼の知る《身体強化》。

 だからこそ、極めた。これだけは誰にも負けないよう、とことん突き詰めた。だから。

 自分より劣るわけではない《身体強化》使いと戦うのは、鋼にとってはこれが初めての経験だった。

 以前戦った強敵、兜の男でも純粋な強化の性能では鋼には及んでいなかった。こちらより優れた肉体の技術でその差を補って互角に持ち込んでいた。絶対の自信があった《身体強化》で、正真正銘真っ向から向かってくるルイーガルは本当に驚くべき相手なのだ。自分が世界最強だと自惚れていたわけではないが、実際に目にすると感嘆の念を禁じえない。

 しきりに鋼を褒める相手も恐らくは同じなのだろう。このレベルの《身体強化》使いが出会い、やりあうのはそれほどレアな状況なのだ。

「らあっ!」

 両手のナイフを構えルイーガルが突進してきた。

 動作がいちいち凄まじい速さだが、その点では同じ条件。鋼にとってはあまりに見え透いた直進だが、対処は容易くはない。リーチに勝るこちらは先制で攻撃できるが、避けられ懐に飛び込まれれば手数が違う分、一気に劣勢に追い込まれる。しかし隙が出ないよう、慎重に小さく武器を振る選択は鋼の中ではあり得ない。同じ気質の相手だから分かる。気弱な攻撃など、こいつは確実に勢いで食い破ってくる。

 右斜めにこちらからも一歩踏み込み、左上から斜めに剣を振り下ろす。ズラしたのは突進の勢いを全て乗せられないよう、向きの微調整を強いる小細工。だが剣閃は鋼の全力だ。

 キンッと涼やかな音がして、金属が舞った。

 斬り飛ばしたのはルイーガルの左手のナイフ。

 斬りかかった瞬間、とんでもない動体視力と精密動作でこちらの剣の腹をナイフで突こうとしてきたのだ。鋼は咄嗟の判断で、先程も使った軌道変化の応用で斬り下ろしを一瞬遅らせた。剣の軌道上に先に到達したナイフの刃先を、横から斬ったのだ。

 勢いを殺さずそのまま、剣は敵の腰へと向かう。瞬間、ルイーガルの速度が上がった。

「……っ!?」

 それだけならギリギリ攻撃が間に合った筈だ。しかし直前、鋼はナイフを斬るために攻撃を一瞬とはいえ遅らせている。加速した上で、突進の勢いを利用して半身になったルイーガルを捉えきれない。ほんの1センチ程度腰を浅く斬りつける結果に終わる。

 剣を振り下ろした体勢の鋼に対し、至近距離に向き直ったルイーガルの右手がある。その手のナイフが迷いなく迫る。当然そう来るのが分かっていた鋼は、攻撃の際の踏み込みの勢いのまま、敵の斜め後ろへと前進を続けていた。謎の加速は想定外で手傷をもらうのはもう確定だったが、背中を軽く斬られる程度で済みそうだ。

 同じくその予測に到達した狂獣は、瞬時に膝蹴りに切り替え叩き込んできた。

 振り下ろし中のナイフは止め、無理な体勢になっているのにも構わずに。

 直撃をもらった。

「ぐぅっ……!!」

 視界が流れるようにすっ飛ぶ。叩き付けられた衝撃で体がバラバラになるような気分を味わう。

 石畳に着地。転がる。痛みと共に視界も回る。上下の区別がつかない世界で、鋼は集中力をかき集めて魔力を操る。

 普段の強化の、衝撃を逃がす応用だ。強烈な威力をなんとか、体各部を順々に硬化して抑えつける。さすがに攻撃を受けておいて無効には出来ない。せいぜいが軽減するだけ。しかしそれに失敗すれば、冗談ではなく体がどこかちぎれるだろう。失敗しなくとも、上手く衝撃を消さなければ一時的に行動不能くらいにはなる。即ちその後の追撃で死ぬ。

 魔物憑きならではの鋼の魔力自体をも利用する。物質になりかけの曖昧な魔力形成を行い、体にまとう。咄嗟の緩衝材代わりだ。鋼の回転が止まり、鈍い衝撃がズンと全身にかかる。硬化と魔力双方を操り逃がす。ダメージの抜け切らない体を叱り付け、鋼は即座に起き上がった。

 狂獣の速度を思えば、一秒でも呻いていれば追撃が来て殺される。それを思って無理やり復帰したが、ルイーガルはまだ少し距離を置いた位置にいた。

 無理な体勢で繰り出した攻撃のせいで、自分の《身体強化》にダメージを負わされたのだろう。剣で斬った腰の傷からも出血している。多少疲弊した様子で、追撃より優先して新たなナイフを取り出していたようだ。

 それで一旦、仕切り直しとなる。

「チッ。捨て身の強化かよ」

 ルイーガルの加速のカラクリを看破して鋼は吐き捨てた。

 元々の速度が本気でなかったのなら、最初から全開にしておけば鋼はずっと劣勢だったはずだ。奴は手加減していたわけではない。全力だった。全力からもう一段、速くなった。重度の魔物憑き特有の生命力に物を言わせて、自爆ダメージに構わず強化の出力を無理やり引き上げたのだ。

「お前もおもしれえ魔力の使い方するなあ、オイ! 魔力を柔らかくして衝撃を吸わせるのは俺もやってるが……」

 ルイーガルが言うのは鋼が先程から見せている、剣の軌道を変化させたり一瞬止めたりする小技の事である。

 複数の強化術式を一緒くたに併用する鋼の本気は、体の硬化と体術だけでどう工夫しても、自分へのダメージを受け流しきれなくなる。そのため先程蹴り飛ばされた時のように、魔力で体を覆ってクッションのように衝撃を吸わせる対策もまた、併用している。

 本来ならそれで足りる。ルイーガルもそこまでは同様らしい。

 鋼は更にもう一つの手段を持つ。全身を連動させ、硬化部位を変遷させ、衝撃を受け流す。いつもしている強化と体術の合わせ技の、その終点。そこに硬質な魔力を実体化させるのだ。

 近いものでいえば《障壁》。そんなものを高速運動の途中で発動させる暇はないから、魔力を無理やりつぎ込みほんの一瞬だけ実体化させるという、魔術未満の力技だ。1秒すらもたない。その十分の一もつかも怪しい。硬さはあるが頑丈さは全くなく、タイミングを合わせようが防御にも使い辛い代物である。

 体中を襲う強化の反動の衝撃を、受け流し受け流し、最後はその物体に、押し付ける。

 それが安定した物質であれば、その先に衝撃の逃げ場は無いからこちらの体に戻って来ようとするだろう。しかしその物体は、一瞬の後には魔素に分解され消失する運命にあるあやふやな状態。要らない衝撃を押し付ければ、一緒くたにこの世から消し去る事が出来る。鋼はこれを利用して、一度だけなら、本気の攻撃中でも無茶な軌道変更を可能とする。

 それはまさに魔法だ。

 魔術で作られた物質はいずれ必ず消滅するという絶対のルールを逆手にとった、物理を超越した異端の技術。

 高位魔術師ニールを放心させ、どれだけ修練しても鋼以外の戦友達も使う事は出来ず、その鋼にしてもここぞというタイミングを選ばなければ使えない、地味ながら奥の手であった。さすがにこればかりは、神懸り的なタイミングの難しさがあって、常用し続ける事は出来ないのだ。

 それを。

「……こんな感じか?」

 まだ互いに距離があるまま、ルイーガルがナイフを振るう。

 途中で軌道ががくっと曲がった。「うぉっと!」と焦った声を出し、関係ない体のパーツが変に跳ねたりはしていたが。

 鋼の軌道変化を、見ただけで覚えやがったのだ。

「うわぁ、俺がどんだけ苦労したと……。ムカつくなお前」

「いやいやカミヤ、そりゃお互い様ってやつだぜ」

 その指摘に鋼は黙った。

 先程のルイーガルの無茶苦茶な急加速。中々使えそうだと思ったので、この会話している今がチャンスだと、実は密かに再現を試みていたのだ。ルイーガルに見えない体の後ろ側の強化術式をコソコソいじり、見様見真似で自分なりに試したりして、自分のものにしてやろうと狙っていた。手ごたえ的に、普通に実戦の中でも使っていけそうだと確信を得たところだが、何故バレたのだろう。

 呆れたような苦笑と共に、ルイーガルが肩をすくめた。

「魔物憑きならではの、戦闘中に跳ね上がる集中力。術式と体術を融合させて使いこなすための運動神経に、直感。同じの持ってるから、当然同じ事が出来ちまう。困ったもんだぜ。とことんまで俺達は、似たもの同士らしい」

「一緒にすんじゃねえよ。俺はまだ若い」

「てめっ、俺だってまだまだ全盛期だ!」

 気の抜けた会話をしながらも、和やかな空気は一切無い。この相手はやはりヤバイと、鋼は認識を新たにしていた。

 我流で《身体強化》を極めに極めた。その境遇すら、この相手は鋼と同じに違いない。本気の戦いの経験値がお互いほとんどゼロだったのだ。この戦いで二人とも、戦い方がまだ発展を見せている。まだまだ成長途中なのだ。

 ここまで互いに同じで、成長という未確定要素が大きく関わってくるとなると、この相手と戦って勝てるかどうかが本気で分からない。

 鋼の勝利を信じてくれているだろう凛には悪いが、仕方が無い。死の谷にいた頃はこんな気持ちに何度もなったものだ。安全な戦いなどありはしないと確信して、命を捨てたつもりになって、成長できた自分を鋼は思い出していた。

 命を捨てる、覚悟を決めた。

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