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ソリオンのハガネ  作者: 伊那 遊
第二章・魔物狩り
68/75

 66 動き出す強者

 少年の背に揺られながら、ミオンは今二重の緊張を体感していた。

 しがみついている少年の体から溢れ出る、改めて感じてみても異質に過ぎる濃密な魔力が原因――ではない。

 今向かっている先に魔物憑きと思われる魔力の気配が一つある。それだけでも緊張を覚えるには十分な要素だというのに、街中の色々な方向から新たな魔力の気配が発生しては消えていく。更には、少し離れた別方向にもこれは魔物じゃないだろうかという大きな気配が移動中で、こちらの移動に伴いミオンの索敵範囲から外れていった。現在この街がいかに異常な状況にあるかミオンの感覚ではよく分かるのだった。

 どんな恐ろしい事態がこの先で待ち受けているのだろう。そのような不安に加え、あと一つ。二重の緊張と表現したもう一つの要因はたった今、ミオンの斜め後ろを併走していた。

「……」

 じぃ、と。あるいはしらーっとした視線が背後から注がれているのを感じる。

 振り返るまでもない。というかさっきから何度かチラ見したので知っている。コウに付き従い併走しているリンが、おんぶされているミオンに対してなんともいえない視線を送ってきているのだ。それはもう、思うところのありそうな表情で。

 民家の上を跳ねたり飛んだりと忙しないので、振り落とされないようミオンは彼に必死にしがみついている。余裕などない。羨ましいのなら変わってあげたいくらいだった。もちろんミオンは自力でここまで走れないので無理だけれど。

 周囲の警戒やら足元の確認のためかずっと絶え間なく見られているわけではないようだけど、気付けば見られている。この居心地の悪さが続くのと、危険かもしれない目的地に早く着くのではどちらがマシだろうか。そんな事を考えているうちに追っていた気配のすぐ近くに来ていた。

「あの、この先です。すぐ近くです」

「ああ、見えてるよ。……ルウ」

 視界の中、天地がぐわんと逆転する。浮遊感。物でも投げ渡すように放られたと知ったのは、リンに受け止められた後だ。ぎゅっとしがみついていたつもりなのに、いつの間に腕を外されたのかミオンには分からなかった。

 戻った視界で彼の姿を探すより早く、急激に遠ざかる魔力の気配でその行動を理解する。邪魔なミオンを投げ飛ばして即座に速度を上げたらしい。リンだってミオンを受け止めながらも走り続けているのに、先行する少年の姿が随分向こうに見えた。

 そしてその先に、魔物憑きがいる。

 全身を覆う外套とフードで、見た目には亜人かどうかすらも分からない出で立ちではあったけども。魔力を活性化させている相手にここまで近づければ、ミオンの感覚が見誤る事はない。人間ではなく、似ているが亜人でもない。魔物の気配が混ざったこれは魔物憑きのものだろう。

 一般人を追い回していたのか、そのフード姿の前の路面には女性が転がっていた。逃げ惑い、足をもつれさせたのだろうか。彼女に対し魔物憑きは、手に持った鉈を振り上げているところだった。

 その背後目掛けて一直線に、隼のような動きで少年が迫る。強大な魔力を撒き散らしながらの接近に魔物憑きもすぐに気付いた。振り返って咄嗟に振るわれた鉈をコウは当然のようにかいくぐり、肉薄する。

 フードの魔物憑きが殴り飛ばされた。離れているのにはっきりと分かる、致命的な音と共に。

 道端に立つ街灯の柱に吹き飛んだ体がぶつかって落ちた。次の反応は一切ない。

 ミオンを抱えたリンが現場に到着するまでの間、コウは注意深く横たわる襲撃者を観察していた。

「一切手加減なしで殴ったが、やりすぎたか?」

「本当に意識が無いか試してみましょう」

 邪魔らしかったミオンは捨てるように放り出され、リンは魔術を発動させる。《圧風》が容赦なく倒れ伏す相手に放たれた。

 地面との板ばさみで発生した強烈な衝撃と共にフード姿が跳ねる。まさかの追い討ちにミオンは言葉も出ない。着地に必死だったのもあるけども。

「あー。こりゃ、死んでるか虫の息だな」

「先の魔物憑きよりも格下だったのでしょうか?」

「そんなとこだろう。こういうのばっかなら楽そうだが……。まあいい」

 あっさりとしたもので、そのまま二人は魔物憑きを捨て置いて犠牲者となるのを免れた女性へ近づく。慌ててミオンもそれに追従した。

 追い討ちには驚いたけども。あの魔物憑きが問答無用で殺されようが、無力な一般人を害そうとしていたのだから当然の始末である。助け起こされた女性が礼を言った。不安そうに倒れ伏した襲撃者をちらりと見やり、全く動かないのを確認してほっとした表情になる。

 コウ達はやっぱり、日本人でもこちらの世界の感性を持っているのだなあとミオンは実感した。あちらの異世界では、例え相手が悪人であっても殺人に強い忌避感を持っている人がほとんどだという話を耳にした事がある。鉈の襲撃者を恐らくは死なせたというのに平然としているこの二人にはそんな形質など微塵も見られない。

 荒事は苦手なミオンであっても、やはりこの世界で育ったからか今の相手に手加減する必要は無かったように感じる。コウ達以外の日本人ならあんな時はどうするのだろう。手加減して痛めつけるのだろうか。

 それはそれとして。

「あの、店まで取りに行ったのに、結局武器使わないんですか……?」

 そっとリンに聞いてみた。学生寮に住む身だからと、置き場所に困っていた彼らの武器。満月亭に預けられていたそれを、現在のコウとリンは身につけている。多分適当な安物だけど、どちらも小剣だ。

 あれを持っていくためにわざわざ他の皆と別行動していると聞いていたのに、彼らにそれが必要そうには見えなかった。

「使うほど武器は傷みますから」

 一瞬納得しそうになったミオンが、いやいやと首を振る。その理屈はどうなのだ。彼らの力量だと基本的に素手と魔術だけでも戦えそうに思うけど、だからといってせっかくの武器を抜かないというのは本末転倒ではないだろうか。食い下がってまでそれを指摘する事はしないけども。

 一言二言話し、こちらに礼を言いながら助けられた女性はこの場を去っていった。相手を安全な場所まで護送するような事はコウもしないようだ。その時間があるのなら次の現場へという事らしく、またミオンに索敵の指示がくる。

 いかにミオンが魔力に敏感な体質とはいえ、捉えられるのは周辺に気配を撒き散らしているような、魔術の使用中などで活性化している魔力だけだ。それならかなり離れていても分かる自信があるのだけど、ただそこにいるだけの存在を感知するとなると精度はほとんど期待出来なくなる。大型で強力な魔物のものであればそこそこ近ければ察知できる、という程度のものでしかない。

 だから周囲の敵を探れと言われても、そう都合よく簡単にはいかないのである。偏見で魔物のように扱われる魔物憑きといえど結局のところ正体は亜人なので、近くで暴れているのなら強化魔術は使っているはずだけれども。

「……あ」

 自らの感覚に集中していると、嫌な違和感ともいうべき些細な何かが引っかかった。その方向へ集中する。

「次の魔物憑きの場所が分かったか?」

「た、多分、魔物憑きではなくて、魔物です。大型の」

「魔術を使う厄介なタイプか……」

 コウのぼやきを聞いてミオンは更に集中して気配を探る。魔力を用いて魔物と戦っている人間も多数いる今の街中では、どうしても余計な情報に邪魔されて感覚が乱される。方向的には少し戻る感じなので、恐らくはさっきの魔物の気配だろう。

「い、いえ、あの、確かな事は言えませんけど……、魔術を使うかは、分かりません。ただ、いるだけで気配が分かるので、多分、大型のです」

「……魔術を使ってるわけでもねえ相手も分かるのか?」

「ち、近くだけですよ?」

 期待されると困るのでそこだけは強調しておいた。大型の魔物はその大きさ故か、なんとなく魔力の気配が常に漏れているような感じがあるのだけど、その場合でも感知範囲はせいぜい、徒歩五分(・・・・)程度の距離まで(・・・・・・・)だ。ミオンの足の遅さを考えればこれは致命的な近距離と言えるだろう。他の人間がその距離を近いと思うかどうかは、さておいて。

「魔術の発動の気配で探っているのかと思えば、そこまで高い精度ですか……」

 ミオンの知る限りの人間の中で、リンは間違いなく最も優秀な魔術師だ。その彼女にまで感心されるのをミオンは意外に思う。

 その時。

 毛が逆立つようなざわりとした錯覚を覚え、思わずミオンは体を震わせた。

「あ……、こ、これ……」

 唐突に発生した新たな魔力の気配。確信を持ってその正体を口にする。

「ま、魔物憑きの気配も、今見つけました。その、魔術を使いだしたようで」

「そっち優先だ、案内しろ!」

 コウに担ぎ上げられ、慌ててミオンが指差せばそちらへ急激に景色が流れる。やはりとんでもなく速い。即座にリンも後に続く。

 今この街で魔物憑きが魔術を使っているなら、誰かが現在進行形で襲われていると判断すべきだった。なのでそちらを優先するのは当然の話だ。しかし言っておかねばならない事がある。

「あの、近くにさっき言った大型の魔物もいます!」

「んなもん無視だ!」

「それが、その、すごく距離が近いんです! 魔物と魔物憑きの! 多分、お互い見えてるくらいに……、あ、今、魔物憑きの気配が消えました!」

 ミオンはコウの背中でほぼ守られているとはいえ、あまりの移動速度に強風が常に体を叩きつけてくるような状態だ。聞こえるよう大声で状況を報告していく。早く伝えておかないと、それこそあと数秒で三人はそこに到着してしまいそうだった。

「ええっと、魔物憑きがいた所に向かって魔物は移動してるみたいです! ここからすぐ近くです!」

「ああ見えた。学園のすぐ傍じゃねえか」

 コウの言葉に流れていく景色をちらと見やれば、ミオンもよく知っている建物の並びばかりが目に付く。学園の傍という事は満月亭の近くという事。〈紅孔雀〉を駆除するのに駆け回ったりしているうちに、最終的に一行は戻ってきてしまったらしい。

 ここは街のほぼ中央に近い。こんなところにまで魔物に侵入されているという事にミオンは戦慄する。

「……おい、ありゃ教授じゃねえか?」

 コウが正面を見ながら、そんな事を言った。




 オルフ=グリットは、パルミナ騎士教育学園で教員を務める男である。

 王都の学院を卒業後、そのまま若くして教授の席に収まったそれなりに優秀な学者であり、魔物学を専攻している。日本国との交流が始まるにあたりパルミナに行ってみないかと王国から声がかかった人材の一人で、元々は学園の教師として招かれたわけではない。この街は魔物の専門家を何人も必要としていたのだ。

 向こうの異世界は魔力非活性地域だ。

 魔力に関する技術や知識、それを利用した道具などは必要とされていない。貿易や技術交流をするにあたり、相手国が欲したのはこちらの世界特有の食料品と魔物の素材だった。

 特に魔物の素材は毛皮から血液に至るまで、多くの場合はあちらの世界においては未知の物質であるらしい。研究のため様々な魔物の部位が大量に求められており、それらを扱うための専門的な知識も両国の間で必要とされていた。

 そう、必要とされているのは知識だけだ。魔物の専門家とはいっても、グリット自身魔物と戦った経験も無ければ戦闘能力を有しているわけでもない。

 非力なグリットは現在、命の危機に晒されていた。

「岩、沼王? そんな馬鹿な、ここは国土の中央だぞ……?」

 痛みに震える声でこの状況を口に出し、これは現実の光景なのかと確かめる。

 ここは学園近くの路上であった。投げ出されたように路面の中央にへたり込むグリットは、西への通りの向こうからやってきた巨体を呆然と眺めている。彼の両足は本来曲がらない方向へと折れ曲がっていて、一目で骨折していると分かる状態だった。立ち上がって逃げるどころか、痛みで思考もままならない。

 先程までは激痛で声すら出せなかったが、巨体の魔物というあり得ない存在の衝撃は、その痛みすら一時的に忘れさせるものだ。

 ――何かが起きている。これはただの魔物の襲撃ではない。

 確信を得たものの遅すぎた。グリットはあの魔物に既に見つかっている。程なくしてこの人生は終わりを迎えるだろう。

 ――あの男(・・・)

 この両足を折った犯人の姿を脳裏に浮かべ、グリットは呻いた。

 奴の狙いはこれかと、ようやく理解出来た。先程図書塔から校舎へ移動しようとしていたグリットを襲い、両足を折った上で連れ出し、魔物の眼前に放置して行ったあの男。奴が直接グリットの命を絶たなかったのは、人の手で殺されたと分かる死体を残したくなかったのだろう。人を行動不能にし、魔物に食わせる事で暗躍する存在がいる。この不自然な魔物の大襲撃と関係ないとは思えない。

「ぐっ、うぅ……」

 学園はどうなっているだろう。校舎の方には魔物から逃げてきた避難者達が詰めていたはずだ。そちらに襲撃をかけるわけでもなく一人でいたグリットが狙われたという事は、やはり人目を避けながら獲物を探し求めているのか。せめてあの男の存在を誰かに伝えたい。以前後悔したばかりだが、携帯電話を所持していないのを今度ばかりは心底後悔する。

「手酷くやられたもんすね、教授」

 降ってきた声に驚き脂汗にまみれた顔を上げる。痛みと思考に気を取られ周囲が全く見えていなかった。いつの間にかすぐ傍に少年が立っている。

 隣には黒髪の少女の姿もあり、背中には狐耳の亜人の子を乗せている。激痛で霞む視界の焦点を必死に合わせてみれば、見知った顔の学園生徒だと知れた。

「う、あぁ……。カミヤ、君か……? 丁度いい、この話を誰かに伝えてくれ。魔物による被害を、拡大させようと。裏で動く男が……」

「あの魔物と戦う際の注意点を教えてくれ教授。手短に」

 彼の指し示す先、こちらを向かって悠然と歩を進める〈岩沼王〉の姿がある。グリットは己を恥じた。もう猶予は幾ばくも無い。学園の教員としては、男の事などよりも一刻も早く逃げるように言うべきだったのだ。

「あれは、駄目だ……! 高位の魔物だ、すぐに逃げなさい……っ!」

「ああ、もう、いいからとっとと教えろ! あれはただでかいだけの魔物か!?」

 ただでかいなんてとんでもない。魔物の知識だけは豊富に叩き込んでいるグリットの頭に、反射的に他の情報も浮かんでくる。

「奴は自分の体を岩のように硬くする事が出来る! ろくな武器もない少人数での討伐は困難だ、無謀はやめなさい!」

「……それだけだな? 奴の能力は」

 最終確認とばかりにあっさり問われ、グリットは口を(つぐ)んだ。強い口調でもう一度同じ事を訊かれる。頷けば、カミヤは狐耳の少女を放り出すように地面に降ろした。

 彼から漂ってくる魔力活性化の気配が強まった。自身の《身体強化》を底上げしたのだろう。横たわるグリットの目に、亜人の少女の尻尾の毛が逆立ったのが印象的に映った。

「無茶、だ……」

 声を振り絞るが聞いちゃいない。カミヤは一瞬だけ隣の黒髪の少女と視線を交わすと、二人同時に物凄い速度で駆け出してしまった。

 当然、沼王級の魔物〈岩沼王〉に向かってだ。

 亜竜山脈を彼らが生き延びたという話をグリットは疑っていないし、高位の冒険者に並ぶ実力があるはずだというのも分かっている。その上で思った。無茶、無謀だと。

 経験はなくとも魔物駆除の定石というものをグリットは知っている。戦う相手を想定した上での下準備と、波状攻撃を仕掛けるための人員。重要なそれらがどちらも欠けた状態だ。しかも彼の反応からするに初めて戦うであろう魔物が相手。いくら自信を見せていようが、安心して見守る事などできようはずがない。

 女子生徒ムライが何やら大きな魔方陣を展開している。その眼前、〈岩沼王〉の視線から彼女を守るように、カミヤが飛び出し魔物へ肉薄していく。大口を開けて待ち構える沼王の顔面に、カミヤはあろう事か拳をぶち込んでいた。

 剣を使えよ。

 などと思っている場合ではない。こちらに残って所在無げにしている亜人の子へとグリットは顔を向けた。あの二人だって易々とやられはしないはず。増援を呼んできてもらうのだ。

「すご、い……。一撃、で……」

「なあ、君。僕の事はいい、学園へ行って、『岩沼王』が出たと――。…………何?」

 ぽかんとしている亜人の少女の、視線の先を。恐る恐るグリットは辿った。

 こちらへ向かってくるカミヤとムライの姿が目に入る。

 ――何故戦闘中に悠長にこちらを向いているのだ。後ろを、いや、……んん?

 見間違いか何かかと思った。グリットが目を凝らし、頭を振り、何度も確認する彼らの向こう側には。ぴくりとも動かない灰色の巨体が、地に倒れ伏しているのが見えたからだ。

「……うん?」

 最初からあそこで〈岩沼王〉が死んでいたんだっけ? 当然のように存在する死体を目にしてグリットは混乱の極致にあった。

 両足の痛みなどもはや頭の中から吹き飛んでしまった。



 ◆


 ――こりゃすげえ。熟練の冒険者以上だ。

 子供と思いきやとんでもない。

 軽く〈岩沼王〉を捻った少年少女を見て、その戦いぶりを盗み見ていた男の口の端が吊り上がった。

 ただシンプルに強い、火力も備えた近距離戦特化の少年と。高位の魔術を短時間で準備出来、自身もそこそこ動ける少女。凶悪な組み合わせだ。戦闘方法もえげつない。

 常人には理解しがたいであろう、ただの一撃で沼王を沈めた戦闘とも呼べぬ戦闘。一部始終を見ていた男にはだいたいのカラクリは看破出来たつもりだ。

 少女が展開していた魔法陣の大きさからして、あれはそれなりに大掛かりな魔術だ。敵との射線の間にもう一人が割り込んだので、何らかの魔術を使っていたなら同士討ちになったはずだが――と、素人なら考えるかもしれない。だがそれは違う。そんな初心者じみた真似を奴らがするはずがない。そう確信していたからこそ、理解できた。

 少年が手を出す瞬間、〈岩沼王〉はどうしてか完全に動きを止めていた。あれが魔術によるものだとすれば可能性は幾つもない。恐らく少女の得意属性は風だ。あの魔術は空気に毒を混ぜるか、あるいは相手の空気を奪うような、そういう術式だろう。だから魔物は呼吸困難に陥った。少年の方は最初から息を止めていればいいだけだ。

 そして息苦しさから〈岩沼王〉の動きが鈍り、その口が無防備に開いたところを少年は見逃さなかった。口の中に手を突っ込み、何かをした(・・・・・)。さすがに詳細は分からない。防御力の低いであろう体内から直接何かをして、敵の脳を一撃で破壊した、というところまでが、推測出来る限界だった。

 一撃必殺。

 全く、理に適った最善の撃破方法だ。いかに高位、いかに強者が相手であろうと、脳を壊され生きていられる道理などない。生き物とは例外なく脆弱な存在だ。その当たり前過ぎる論理を何故か弱者は理解しない。弱者ほど囲んでだらだらと時間をかけて戦闘し、魔物との性能差を前に悪戯に損耗を増やしていく。

 あの少年少女はそれらと対極の存在だ。

 奴が、『魔物姫』が、しきりに危惧していた学園生徒。間違いなくアレの片割れの事だろうと男は深く納得する。

 虎の子であるらしい竜骨級の魔物まで呼び寄せたという話を耳にした時は、自身が戦うわけでもないのにどれだけ臆病者だと内心馬鹿にしたもののだが。あれ相手は、必要だ。現に沼王級では相手にならなかった。

 鮮やかな手並みを見る限り、対魔物の戦士としては最上級の実力を持っているのは間違いない。この国の騎士隊長クラスでもあれほど効率よく処理は出来まい。まあ、対人を想定して鍛錬する騎士と、魔物とばかり戦う冒険者や傭兵が持つような強さを、単純に比較は出来ないが。

 単独行動している日本人が見つからなかった腹いせにと、目に付いた男に手を出してみれば、とんでもない大物が釣れてしまったようだ。

 ――これは俺の出番だろう。

 単純な魔物軍団には不可能な方面から、全体的に被害を拡大させ、事態を調整するのが男の役目である。それに照らし合わせれば、あの二人を野放しにするのはあり得なかった。竜骨級と上手くぶつかってくれる保障はない。直接介入は避けたかったがそうも言っていられなかった。アレらは男の同類、圧倒的強者の側に立つ者達だ。止めるにはこちらもそれ以上の札を切らなければなるまい。

 片付けよう。

 一片の殺気も漏らさぬよう心がけながら、男は身を隠していた建物の屋根から身を乗り出した。



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