64 未知との遭遇
最初、日本人の、異世界に憧れる少年少女達はとある妄想を膨らませたという。
異世界で魔術を身に付け、地球の軍隊装備に身を包めば最強の戦士が誕生するのではないか、と。
ソリオンの存在が明るみになって世間から最も期待が集まったのも、科学と魔術を併せた複合技術の発展だったようだ。しかし現状、それは少しずつしか進んでいない。世界交流が始まるまでもなく、すぐに二つの事が判明したからだ。
まず、地球にも魔素や魔力は存在していると思われるものの、『死んだ』状態になっていてそちらでは魔術が全く使えない事。
そして、ソリオンに地球から持ち込まれた科学技術の産物が、ことごとく動作不良を起こした事で判明した事実。生きている魔素並びに魔力は、科学反応を妨害する、という事だった。
代表的な例は火薬の爆発や流れる電気だ。ソリオンで銃を撃ったとしても小型の弾丸はしけった火薬を詰めたかのように不発に終わる事が多く、大口径の銃弾でさえ威力を大きく落とされる。電気もまた、存在するだけで電力を大きく削られる。電気は元々電線を流れるだけでも元より減衰するものだが、ソリオンではそれが特に激しいのだ。同時にそれは、あらゆる電化製品の消費電力が大きく上昇する事を意味していた。
特に携帯電話をはじめとする充電式のものは、バッテリーの増設を重ねやたらと大きくなってしまった異世界専用のものでないと電池の減りが早過ぎて使い物にならない上、そこまでしても地球よりも短時間しか使えない。
しかも現状では、パルミナの街の中央やや西寄りに存在する『門』――地球とソリオンとを繋ぐ世界門から離れていくほど、魔素によるものと思われる科学反応の妨害は強くなる事が分かっている。いや、強くなるというより、地球と直に繋がった門周辺だけ妨害が弱いというのが正確な表現なのだが。街の外では更に不便は大きくなるだろう。
だからこの街中はかなりマシな方なのだ。ここは両世界のルールが微妙に共存している特異な場所といえる。
なので、当然。影響を受けるのは科学に限った話ではない。逆もまた然りである。
門に近づくほどに、魔術もまた地球の影響で妨害されるのだ。
日本人街の中心部を目指しながら、日向はひっそりと魔術を発動させていた。
もちろんこの距離で魔力活性化の気配は隠し通せないから近くにいた人達のだいたいはこちらを振り返る。パルミナで一ヶ月以上を過ごして魔力というものに馴染みつつある日本人達も同様に。特に説明する事もせず、日向は手に持ったナイフの刃を覆う猛毒の液を眺めていた。
ナイフは鋼の警告に従って本日こっそり持ち歩いていたこちらの世界で買った品で、毒液は得意魔術の《薬物生成》で作り出したものだ。
現状を正しく把握するのは大切である。ナイフから目を逸らさず歩き続け、日向は静かに時を数えていく。体内時計は多分、正確な方だ。だから時計は必要ない。
ナイフの毒液に変化が生じたのは魔術の発動から21秒が経過した時だった。
微妙に毒液の量が減じたのだ。
日向も慣れているから、ナイフから毒液が滴り落ちないぎりぎりの量を完璧に把握し、常にその分量で《薬物生成》を発動させている。量が変化したのを見間違いはしない。それから徐々に毒液は薄くなっていき、きっかり5秒後、つまりは発動から26秒目が経過した時には、ナイフは何事も無かったかのように乾いた金属面を晒していた。
魔術における絶対的なルールの一つだ。
魔力で生み出されたものは必ず時間経過と共に分解され、魔素に戻ってゆく。毒液が存在していられるタイムリミットが過ぎてしまったのだ。
日向が使ったこの魔術は、ルデス山脈であれば32秒かけて消滅するはずのものだ。6秒分、魔術が弱体化している。進行方向にある世界門――門やゲートとも呼ばれる世界間トンネルのすぐ先に地球があるせいだった。
「どうだ、ヒナ」
「……今はまだ八割程度。でも、まだ更に下がるはず」
クーに答えながら、日向はナイフをそっと鞘にしまう。この状況においてどれだけ魔術が弱くなってしまうかは死活問題だ。まあ、この街でしばらく過ごしていれば魔術が少し弱体化する事は常となっているから、そちらを基準に慣れてしまえばいい話ではあるのだが。バートや冒険者達はそれでいいのだろうが、日向はそうはいかない。毒液の持続時間に直結する要素だからだ。
得意とする日向にとっても《薬物生成》はそれなりに高度な魔術である。本気の強化や、その他の魔術と同時に発動させる事はさすがに出来ない。全力で戦いながら毒も併用するには、戦いが始まる前や戦いの間隙であらかじめ毒液を刃にまとわせておく必要がある。その制限時間が重要でないはずがない。
ナイフは剣をはじめとする他の武器よりも殺傷能力で劣るのだから、尚更毒液の重要性は高い。秒単位で持続時間を把握しておきたいのは当然の事だ。
「だがもうすぐニホンの重要施設が集まる区域が見えてくるはずだ。そろそろ魔術の弱体化も止まるはずだぜ」
「前の奴らも呼び戻しておくか?」
「だな。一度見た時は鉄壁の布陣が敷かれてたが、その時は魔物は見かけてねえしな。今はどうか分からねえ。沼王なんぞがうろついてるとなると尚更な。もし中心部まで魔物どもに侵略されてやがったら、その時はさっさと撤退するんだろ? わざわざ魔術が弱まる門の近くで戦う必要はねえし」
「うーん……。コウの故郷が侵略されているなら放置するのは忍びないのだがな……」
「おいおい勘弁しろよ。命と故郷どっちが大事だ。門の至近距離にゃあニホンの兵隊もいるらしいし、そこなら向こうの武器もそこそこ使えるんだろ」
それは日本の武力を信頼し過ぎじゃないか、と思いつつも、クーとバートの会話に日向は口を挟まない。
世界門の向こうにある門出市は、パルミナと同じように両世界のルールだか物理法則だかが混在しているようで、僅かながら魔術が使える地域と化していると聞く。ルールの侵食が相互のものであるならば、順当に考えれば世界門の真ん中で魔術と科学の弱体化はそれぞれ五割になるはずで、バートのいう門の至近距離であっても地球の武器が万全に使用出来る環境には程遠い。まあ、公開されていない情報なので五割というのは世間で勝手に予想されているものではあるが、そう外してはいないだろう。鋼がそう言っていた。
その後前方のバートの部下と冒険者グループを呼び戻す。
冒険者達の方は、実力差を理解しているからかどこか気が引けつつも媚を売るような態度でクーに何度か話しかけてきた。鋼がここにいれば彼らを睨むくらいはしたかもしれないので、日向もそうしてみようかと少々迷ったのだが、とりあえず放っておいた。強者に取り入りたいという願望はまあ、この状況下ではごく自然なものだろう。
それに、そんな事を気にしている場合ではなくなった。
ぞわりと日向の背を悪寒が走る。
「……全員止まれ」
クーが静かに、それでいてよく通る声でそう言った。その強制力のある声に、自然と皆が即座に従う。
「隠れるぞ。そこの裏にでも全員で入れ」
指差した先は日本企業のファミリーレストラン。二階に店舗の入り口があるタイプの、階段の影だ。生垣で半ば隠されたようになっていて、ちゃんと身を潜めればこの場の全員が通りから見えなくなるだろう。
バートが強張った顔で従うように部下達に顎で示す。何事かと聞いてくる冒険者達にクーは「二度言わせるな」と言い捨て、次にターレイに視線を向ける。察した護衛官はマルと日本人生徒達を促し、素早くそこに隠れさせた。
ガラスの割れる大きな音が辺りに響いたのはそれからすぐだった。ファミレスから通りを挟んだ反対方向、居並ぶ建物の向こうからだ。位置的には隣の通りだと思われる。音の大きさからして、建物の外壁の多くを占める巨大なガラスが一気に割れたような感じだった。
日向は更に耳を澄ます。路面の石畳を何か重いものが踏みつける音。それにガラスを相当強い力で叩いたような音が連続してうっすらと耳に届く。少し距離があり間に建物を挟んでいるせいではっきりと何の音か判別出来ないが、自然に発生するものだとは思えない。加えて肌を粟立たせる悪寒。音を立てている存在、恐らく魔物が割と近くにいる。
普通、ただそこにいるだけの生物を人が魔力だけで察知する事は難しい。人間の感覚器官はそこまで鋭敏には出来ていない。それなのに割とはっきり『嫌な感じ』を受けるのは、逆説的に今の状況がただ事ではない証だ。ここまで日向達が警戒する様子を見せれば、この気配に他の人達も気付き始める。
皆が固い表情を浮かべる中、無言の時間が過ぎ去っていく。そして十数秒が経過した頃、魔力の気配は綺麗さっぱり消え去っていた。
最悪だ。冒険者や傭兵達は安堵して一息ついているが、変わらず難しい顔のクーとバートは当然、分かっているはずだ。
そしてすぐに。
――うああっ……!
距離はあるがはっきりと届いた人間の悲鳴に、一同が再び顔を強張らせた。思った通り。気配は消えても建物の向こうに魔物はいまだいる。
普段の魔物としての気配が異常に強いだけなら、ここまで接近する間に日向かクーかバートが気付いた可能性が高い。気配の消失は唐突だった。魔物が日向達から離れたのではなく、一時的に高まっていた魔力の気配が元に戻っただけだったのだ。恐らくは悲鳴の主相手に今まで戦っていたのだろう。
魔力の気配を変動させて戦う魔物。そこから自然と導き出される推測は一つだ。
この魔物は魔術を使う。
しかも石畳を踏む音の重さや嫌な気配の濃さからして、〈憑き獅子〉程度の魔物ではあり得ない。最低でも〈岩沼王〉と同等以上。その上で魔術まで使うとなると、連想されるのはルデス山脈を根城にしていた最高位クラスの魔物、〈竜骨ガシラ〉だ。
当時五人揃っていれば割と楽に勝てた魔物ではあるのだが、三人も欠いた状態でこんな街中であれクラスを相手に戦うのは中々厳しいと言わざるを得ない。味方を守りながらとなると無理だ。
隠れてやり過ごすしかない。
「静かにしろよお前ら……。多分こいつはやべえ」
「い、今の悲鳴は……」
「次の悲鳴も動きもねえ。手遅れだ」
有無を言わせぬ口調でマルを黙らせ、バートが影から様子を窺う。皆を残し日向が偵察に出てみるか迷うところだ。危険そうな魔物を避けるのはいいが、少しくらい相手の情報も握っておきたい。気配が分かりやすいのは魔術を使っていると思われる時だけなので、今後この相手とは思わぬ遭遇を果たすかもしれないのだ。
去っていく足音とその振動が微妙に伝わってくる。位置と向きをこれで判断すれば接近も容易だろう。
日向が偵察を申し出ようとしたその時、元々の進行方向から何かがやってくるのに気付く。
間が悪い。群れから外れて移動しているのか、〈グルウ〉が二匹だけで前の通りにやって来た。普段なら何の脅威にもならない敵だが、強敵が近くにまだいる現状で交戦は控えたい。だがやはりそう都合良くはいかないようで、物陰から出したこちらの顔を視認せずとも既に嗅覚で察知されていたらしい。唸りながらの慎重な足取りで二匹がこっちに向かってくる。
隣の通りの謎の敵がどれほどの索敵能力を持っているのか分からない。魔術なしで素早く仕留めるため、一匹ずつ担当しようとクーとアイコンタクトを交わす。その僅かな隙に起きた出来事だった。
「おりゃっ!」
一応気遣ったのか小さな掛け声と共に、冒険者グループの男の一人が身を乗り出したのだ。太く大きい《火矢》が二本その手の先に現れ同時に発射される。一撃で仕留めようとめいいっぱい威力を込めたのだろう、炎は〈グルウ〉の全身を貫き一気に燃え上がらせた。
「このクソ馬鹿がっ!」
即座にバートが冒険者の肩をつかみ引き倒した。幸い絶叫というほどでは無かったが、それでも鳴き声をあげて悶え苦しむ〈グルウ〉達に追撃の炎が直撃する。クーが素早く放った《火矢》だ。冒険者が放ったものとは段違いに速く熱い。炎は一瞬にして犬型魔物を喉まで焼き尽くし、物理的に一切の鳴き声が出せない状態にして焼き尽くす。
倒された男の何かを言おうとする口を、問答無用でバートの手が塞いだ。その顔には既に怒りすら無く、ただ緊張した面持ちでじっと隣の通りの向かって耳を澄ませている。一瞬だけ混乱した場の感情が一斉に沈んだ。
しばらく、誰もが無言だった。身動ぎ一つ憚られる痛いほどの静寂が過ぎる。何も起きない。何も聞こえない。先程まで微かに伝わってきたはずの、大型の魔物が発する足音すら。
場の硬直を打ち破ったのはクーだった。
突然顔を上に向けた彼女に倣い視線をやると、そこに赤紫色のコウモリが飛んできたところだった。少し離れた場所の数メートルほど上空にいてさほど離れてはいない。こちらの存在に気付いただろうに、飛び去る事もせず滞空してその場に留まっている。
真っ昼間に夜行性であるはずのコウモリが飛んでいる違和感。今はそんな事を気にしている場合ではないという判断。二つの思いが日向の中に生まれ、その迷いに決着がつくまでの間にクーの表情が変わった。
うるさそうなしかめ面に。
音などこの場に存在しない。日向の耳には全く何も聞こえない。ただ反射的に、湧き上がった強烈な嫌な予感に従って日向の手は自動的に動いていた。
抜き、放つ。即座に投げたナイフは狙い過たずコウモリを腹から引き裂いた。
ただのコウモリごときの為にそれより大きなナイフを手放すのはやり過ぎにも見えるが、そんな事はどうでもいい。一秒でも早く殺したかったのだ。あれを一刻も早く黙らせないと大変な事になる。そんな確信があったのだ。
「……クー。あなたの耳なら聞こえてもおかしくない。今のコウモリ、もしかして何か鳴き声あげてなかった?」
「? どういう意味だヒナ。黙らせるために即座に殺したんだろう?」
「違う。コウモリは人に聞こえない音を出す。だから何も聞こえなかったけど勘で仕留めた」
「何? そんな馬鹿な話が……。向こうの敵に聞かれたかもしれんくらいの鳴き声だっただろう、今のは」
一瞬でバートの、次いで他の皆の顔色が変わる。怪訝な顔でクーが彼らを見回すとそれぞれ一斉に首が横に振られる。唯一鳴き声が聞こえていたクーにとっては改めて確認するまでもない話ではあるが、強敵に察知された可能性があるとこの時点で他の全員も察した。
密やかな会話はここで断たれる。魔の気配が唐突に膨れ上がったのだ。
ひゅん、という風切り音。
その次の瞬間にはガラスが粉々に砕け散るような爆音が生まれ、日向達の耳に至近距離から襲い掛かった。空気の振動だけで全身が叩かれる。ファミレスの階段傍の生け垣がズタズタに千切れ飛び、たまらず日向達は身を伏せる事となった。
二発目、三発目と攻撃らしきものが続き、ガラスを割れる寸前の力で叩き付けたような轟音と、砕けるような破壊音がそれぞれ耳に届く。それ以降攻撃は止んだものの、これはもう大まかな位置までは特定されていると見て間違いない。
鉄がぶつかるようなごつごつした音と、それを引きずるような不快音が続いて、それも止まる。あまり生物的でない不可解な音の発生源を確かめるべく日向は物陰からそっと顔を出す。すぐに引っ込め、クーとバートも同じように敵を確認した。
「なんだ、ありゃあ……」
「私も初めて見る魔物だ。相当やばそうだな」
敵の不意の動きに対応出来るよう、もう一度日向はごく僅かに顔を覗かせる。見た事の無い巨大な魔物がファミレスの向かいの建物の上に出現していた。
黒光りする体表を持つ、漆黒の四足獣が屋根上からこちらを見下ろしている。その姿は〈岩沼王〉にどことなく似ていた。姿を二回り大きくして、丸っこいフォルムの体を全体的に角ばったものに変えて黒く塗ればあんな感じになるだろう。
とにかく大きいから威圧感も凄まじい。全長は8、9メートルくらいで、これは今まで日向が見た魔物の中では〈竜骨ガシラ〉に次ぐ巨体だ。鱗と表現すればいいのか、金属質のパーツがゴテゴテと体の表面を飾っていてまるで鎧じみている。あれよりも弱いだろうと思える沼王が岩の硬さを持つのだから、まさかあれは色の通り鉄のような硬さを持っているのではないか。そんな恐ろしい予測も浮かぶ。
「沼王よりデカい黒い沼王みてーのが出てきやがった。知ってる奴いるか?」
バートの背後への問いかけに誰も答えるものはいない。と、思いきや。自信なさげな声だったが、意外な人物が質問を発した。
「なあ。そいつもしかして、体が鉄で出来てたりせえへん?」
省吾だ。魔物の監視を続ける日向は振り返らないが、しっかりとこの話は耳に入れておく。
「……その魔物の情報を教えろ。知ってる限りを手短にだ」
「分かった。ただ、わいもトリルにいた頃話に聞いたってだけや。鋼鉄の沼王が大陸の西で暴れてるらしいって。西に行く人らの間で怖がられてる存在で、確か『黒金竜』って呼ばれとった。多分竜骨級の新種やって話で」
竜骨級という言葉が出た瞬間、背後の皆の気配がピンと張り詰める。
「竜骨級、か。……色と見た目だけそれっぽいだけだろと思いたかったが、ありゃマジで鉄の体してんのかよ。ちょっとそりゃあ打つ手がねえぞ……」
「ダ、ダリアさん! ダリアさんなら、どうにか出来ませんか!?」
「無茶言うな。鉄はさすがに殴れんぞ」
取り乱した冒険者がクーに頼ろうとしているが、まあ彼らの力量なら縋りたくなるのも仕方ない。だが日向はあれと戦うのは正直気が進まないし、クーも同じだろう。
能力をよく知っている『骨頭』ならともかく、知らない最高位の魔物が相手だ。いくら日向やクーであっても、どんな不意を打たれ追いつめられるか分からない。そもそも鋼と凛を欠いた状態で勝てるかも未知数だ。それほどにあの魔物は強敵の気配を漂わせている。
全く、奇妙な心境だ。ルデスでも久しく感じていなかったひりつくような緊張感を、まさかこの街で味わう事になるなんて。つい先程までは想像すらしていなかった窮地に、日向は脳内に思い描く彼の姿を強くイメージし直した。
ここからは、要らない。余計な感情も、無駄な思考も。
ただ、『彼』のように、だ。
これ以上敵も待ってはくれないらしい。屋上から身を乗り出して、黒い沼王だか竜だかが、口を大きく開いた。
――キイイイイィィィアアアアアアアァァァァァ!!!
金属の車輪が軋みを上げるような、生物の鳴き声とは思えない咆哮が大気を震わせる。
同時に、それまで気付かなかったが黒沼王の背に張り付いていたコウモリが数羽飛び立ち、混乱しているように飛び回った。先程超音波が何かで騒がしくして、奴に見つかる要因となったのと同じ種類だ。
――まさか偵察役として、あの黒い魔物と共生関係にある?
疑問は置いておく。「奴が降りてくる」と日向が報告して暗に急かすと、クーがこちらの背を叩いた。意見を伺うような迷いの見て取れる表情。そんな顔を見せられても困る。日向は基本的に、自分で決めるのではなく仲間に決めてもらって従うのが常なのだ。
全て任せるという意味で頷くと、出たとこ勝負しかないかという風な、吹っ切ったような顔でクーも頷きを返した。
「お前達は隙を見て逃げろ。私とヒナで時間を稼いでやる。ヒナ、先に行く」
言い切り、他の面々の反応を待たずにクーが階段裏から飛び出して行った。建物の上からまさに降りて来ようとしていた〈黒金竜〉が彼女に視線を定める。
奴の魔力が昂ぶり、《障壁》のようなガラス質の何かが敵の頭上に現れる。
いや、あれは恐らく《障壁》とほぼ同じものだ。ただ、こちらに面を向けず垂直方向を向いていた。攻撃方法を直感したクーが走る進路を咄嗟に変更する。
刃として活用された魔力壁が、クーが進むはずだった位置に高速でぶち込まれる。石畳に突き込まれたガラス質の刃が破砕音を撒き散らしながら四散した。追加で飛来した透明な刃をクーは更に飛び退いて交わす。今度の刃は角度が良かったのか、砕けずに石畳に突き刺さった。
「ありゃあ、《魔光刃》の術式か? なんつー非常識な威力だ。ありがたく逃げさせてもらおうと思ったが、あの攻撃がある限り迂闊に出れねえな」
クーが《障壁》を使用する。凛と比べるとどうしても発動の手際で劣っているように見えてしまうが、比べる対象が間違っているのであってクーの《障壁》もかなり上等なものだ。発動時間や応用技術はともかく、防御能力だけでいえば凛のものと並ぶ。
その透明な壁に透明な刃が激突するが、防ぎ切る。しかし二発目には耐えられず砕かれてしまった。その時既にクーは退避していたので負傷はなかったが、あの刃の攻撃力の高さはこれで推し量れた。
「バート、学校の皆をお願い。安全な場所に送り届けて。それと忠告。クーの《障壁》はかなり強い。あれに拮抗してくる敵の刃は、あなた達には誰も防げないと思っておいた方がいい。動く時は、慎重に」
鋼の《加護》により、今のクーの魔力には彼の魔力が混在している。普段より魔力強度が上がっているはずなのだ。魔力で相殺され辛い状態になっているはずの《障壁》でいい勝負をしているのだから、常人があれを一発でも防ぐのは恐らく容易い事ではない。
「チッ、そりゃ厄介だ。まあ、隙を見て上手くやるさ。奴は任せるぜ?」
呼び止めようとするマルや伊織の声があったように思うが、さすがにもう構っている暇は無い。バートに後を託し、日向も通りへと飛び出したのだった。