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ソリオンのハガネ  作者: 伊那 遊
第二章・魔物狩り
60/75

 58 恐怖という楔・2



 まるで黒い巨岩のような、恐ろしい魔物だった。

 里が壊滅したあの日の事を、ミオンは今でもよく思い出す。


「ミオン、家にいても危ないかもしれない。母さんや戦えない村の人達と一緒に、村の北へ避難しなさい」

 父はそう言って弓を手に出かけて行った。大型の魔物が南の方から迷い込んだらしく、この辺りまでやって来ているとはミオンも聞かされていた。それがまだ討伐されず村も危ないというならば、組織された討伐隊は苦戦しているのだ。魔物が北上してくるのを止めるどころか、返り討ちにされた可能性だってある。家で待機しているはずだった父が増援に向かった事が、その証左のように思えた。

「ミオン、お母さんもあの人を助けに行くわ。あなたは村の人達について行って、一応避難しておいて?」

 母も父を追いかけるように、弓を持って出て行った。普段から魔物も出る森に囲まれている集落だから、一見そうは見えなくても里の大人はほとんど皆戦える。

 一人にされた事に対して不満は感じなかった。ここは昔から自給自足の生活を送っていて、他の集落とはほぼ交流がない。どうせ行き場などないのだから、ちょっと厄介な魔物が出たとしても逃げずに自分達でなんとかするしかないのだ。こちらを気にせず増援に行ってくれた方が、勝率は高まるだろうしより安心出来る。そういう身の安全に関する事に対してはミオンの頭は自然と良く回るのだ。

 でもミオンはこの日、両親の言いつけを守らなかった。

 避難せずこっそりと母の後を追いかけたのである。

 もちろん、その理由は心配だったからだ。両親の命が、ではない(・・・・)。ちゃんと魔物が倒されるのか、これからも自分はこの里で安穏と暮らして行けるのか。なるべく早い段階で彼女はそれを見極めたかった。出動する予定の無かった父達が、慌てて増援に駆けつけるほどの相手なのだ。戦えない村人達と一緒に結果を座して待つ、という選択だけはあり得なかった。

 母の後を追う内、ミオンの肌はぴりぴりとした刺すような気配を感じ取るようになる。

 里の入り口の辺りでもう鳥肌が止まらなかった。

 ミオンが森へ出るようになってから判明した事だけど、彼女には雷を放つ以外にも魔力を察知する能力がある。元より危険の気配に敏感な彼女は、その能力により相手がどれほど自分にとって脅威となるか、かなりの精度で判別出来るのだ。

 ミオンが向かう先には、これまで出会った中で間違いなく最も危険な相手がいた。

 それでも足を止めたりはしなかった。その目で見て判断したかったのだ。

 南進するほど戦いの気配は強くなり、次第に村人達の怒号がはっきりと聞こえるようになってくる。

 そしてミオンは絶望を目撃した。


 飛び交う悲鳴と流血。

 なぎ払われ蹴散らされる里の大人達。

 もはや戦いの趨勢(すうせい)は決していた。しかしミオンが絶望したのは、その光景を見てしまったからではない。

 退化した目。ごつごつとした太い腕。ぞろりと生え揃った真っ白い牙。

 感じた事のないほどの濃密な魔力と殺気を(まと)う、黒き巨大な岩石蜥蜴がそこにはいた。

 絶望したのはその魔物を視界に捉えた時だ。その瞬間に彼女は何もかもを悟ってしまった。

 ――里の全員でかかっても、あれには勝てない。

 直感がそう告げている。そして里の討伐隊と敵の戦いは、その直感の通りの展開を実際に辿っていた。

 まるで話に聞く竜のようだ。いや本物はきっともっと、更に凄まじいのだろう。それでも、こんなものが世には存在するのかと絶望しそうになるくらいの圧倒的な魔の気配だった。亜竜というやつなのかもしれない。

 ミオンの両親は果敢にも矢を射掛け、まだかろうじて生きている仲間達から魔物の意識を逸らそうとしていた。その目論見通り黒岩蜥蜴はいまだ無傷の二人へと狙いを変える。それが隙とばかりに戦っていた村人達が後ろから斬り込むも、剣や槍どころか、里一番の戦士が振り下ろす大剣ですら魔物の体を傷付けるに至らない。

 分かる。相手の強大さを理解しているミオンにはなんとなく分かった。あれを怯ませるには恐らく岩どころか鉄をも砕く一撃が必要だ。ほとんどが《身体強化》の使い手で、物理攻撃以外を不得手とする獣人では相性が悪過ぎる。やはり何も対抗できずに、腕の薙ぎ払いで父が吹き飛ばされていく。

 このままでは全滅する。

 それでもミオンは恐怖に体を震わせながら、遠く離れた木陰から見守る事しか出来ない。助けに行くなど無謀だ。半端に魔物の力など持っていてもミオンは所詮獣人で、相手は純粋な魔物。それも恐らくかなり高位の魔物だ。対してこちらはまだ子供で、その上戦いの心得も心構えもない。


 ――どうか魔物憑きに生まれた事を恨まないで。


 脳裏に過ぎるのは母の言葉。


 ――その力にはきっと意味があるから。


 ミオンは呆然となった。

 これまで言葉の意味をあまり深く考えた事は無かった。自衛のために役立つだろうくらいの認識でいた。

 力に意味があるという事は、使うべき時が来るという事だ。

 恐怖で体が震える。それが今なのだと、この時ミオンは正しく理解した。何者かがこの時を見越してミオンに力を与えた、なんて夢想じみた事を信じているわけではなく。力に意味があるとするなら、大切な人々を守るために必要になる時がきっと来るはずだという、母の確信を理解したのだ。

 ミオンの雷の力は威力だけは滅法高い。それに今まで全力を出した事が無いから、上限は自分で思うよりも高いかもしれない。やりようによっては黒岩蜥蜴を、撃退する事が出来るかもしれない。

 笑いが込み上げてくる。実際に出てきたのは涙だったけれど。

 ここで恐怖に屈するのなら、きっと自分には生まれてきた意味がない。

 ミオンはゆっくりと足を踏み出した。一歩、二歩と進む内、その歩みには迷いが無くなっていく。やがてミオンは自身の気配を最大限に殺しつつ、ヤケクソに駆け出した。


 魔物と里の皆から、背を向けて(・・・・・)




 両親の事は大好きだった。

 里も無くなって欲しくなかったし、里の皆だって助けたかった。

 でも、何よりミオンは死にたくなかった。

 魔物憑きとして生まれた意味が本当にこの時のためだったとしても。

 両親を見捨てる事になろうとも構わない。

 生まれた意味など無くていい。勝ち目の薄い戦いに勇敢にも身を投じ、皆と共に散っていくくらいなら。生き恥を晒してでも生きていたい。それがミオンの本心だった。だってどうしようもなく、死ぬのは怖いのだ。


 逃げ出したミオンは二度と里には戻らなかった。だから本当にライコの里が全滅したかは実を言うと確認出来ていない。それでもあの魔物をこの目でしかと見たミオンは確信している。里は既に無く、両親は死んでいると。魔物の強大さだけではない、ミオンは里の戦士達の強さもだいたい分かっていたからだ。勝てないのは確定している。そしてミオンの両親は、最後の一人になっても戦い続けたであろう立派な獣人だった。

 まあ、魔物と戦っていた戦士達はともかく、北に避難していた住人の一部は無事に逃げ延びた可能性もあるだろう。ただ、誰より早く里を見捨てたミオンに合わせる顔などあるはずもなく、だから同郷の生き残りを探そうとした事は無い。あれからパルミナに来るまでは、ずっと一人で生きてきた。

 全く、最低最悪だ。なんという浅ましさか。この身は救いようがない屑だとミオンは自覚している。自覚した上で、しかしこれからも、自分の命を何より優先して生きるだろう。

 罪悪感はもちろんある。それでもこれが、ミオンという魔物憑きの本質であった。



 ◇


 ――現在から時は少し巻き戻り。

 魔物の襲撃前日、パルミナの街にて。



 小柄なフード姿と黒髪の少年が、二人並んで通りを歩いている。

「……だから私、リュンさんにも店主さんにも、優しくしてもらう価値なんて無いんです」

 自分でも不可思議な心情で、ミオンは過去の罪の告白を締めくくった。

「それでもお二人は、魔物憑きの私を働かせてくれて、店にも住まわせてくれる。感謝してもしきれません。あの、それにカミヤさん達にも人攫いの元から救って頂きました。せめて今度は、この街では、私は人を裏切らずに生きていたいと、思ってます。出来れば、ですけど……」

 追加の買い出しが終わって、今は満月亭に向かう途中の帰り道だ。半ば無理やりついてきた同行者は、ただ黙ってこちらの身の上話に耳を傾けてくれていた。

 ――どうしてこの人には、リュンさんにも話せなかった事まで話してしまったのだろう?

 自らの生まれやこれまでの経緯なら、お世話になっている満月亭の父娘にも既に話している。だけどさすがに己の罪までは明かしていない。間違いなく死ぬと確信した上で、両親と里の皆を見捨てた事までは。

 他人にこれを打ち明けたのは初めてで、何故自然とそうしてしまったのか、自分でもよく分からない。心を許しているなんてとんでもない。神谷鋼は、ミオンにとってはむしろ恐怖の対象だ。力と恐怖の象徴だ。


 同じ魔物憑きといえど、目の前の存在とミオンでは格が違う。仮に戦ったとしても万に一つも勝ち目はないだろうと、魔物憑きとしての直感はミオンに教えてくれる。

 こんな存在が普通に街中を歩き、学校に通っているという現実が信じられない。ミオンにとっては悪い冗談のようなものだ。自分の魔力への感覚が人どころか獣人と比べても鋭敏なのは承知しているけども、それでも彼に近しい人達や学校の人間達に対して、どれだけ鈍いのだと思わずにはいられない。

 例えるなら、竜という存在とその強さを全く知らない人間達が、寝ている竜を気にせずその傍でだらだらと(くつろ)いでいる。それを眺めているような気分である。これはけして大袈裟な表現ではない。魔力を感知する限りでは、神谷鋼は、獣人の戦士達がまとめて敵わなかったライコの里を壊滅させた黒岩蜥蜴と、最低でもいい勝負をするだろう。どちらもミオンより格上過ぎて勝つか負けるかは予想すら出来ないけれど、とにかく分かるのは彼がデタラメな強さを持っている事だ。

 それが大型の魔物であれば納得も出来るのだけど、それに近い気配をさせておきながら人の姿をしている事が、ミオンからすれば悪い冗談のように思えてならないのだ。これまでの人生において彼のような存在にはお目にかかった事が無い。あるいはミオンが特別弱いというだけで、魔物憑きとはもしかすると皆あんな感じなのか、と。身震いしてしまいそうな想像も働く。


「……なるほどな」

 ずっと黙していた神谷鋼がしばらくぶりに口を開いた。思わずびくっと飛び上がり、ミオンは反射的に一歩離れる。

「『本能が異常に強い』ってのが魔物憑きの条件か。俺とお前じゃ同じ魔物憑きでも結構違うもんだと思ってたが、そういうとこで分類されてるわけか」

「え、あの、興味引いたところはそこですか?」

「今日ついて来たのは魔物憑きについて色々聞くためだったからな。二人きりでないとそういう話は無理だろ?」

 それは無理だけども。声量には注意しているし、街中といえども実質二人きりのようなものだ。それはいいのだけど、可哀そうぶりたいわけでもないけど、話しづらい事を話したのにたいした反応もされないのは少しだけ釈然としないものがある。

「他に魔物憑きの実例も知らねえし、しかも後から体質が変わった俺の場合は特殊な例だろうからな。俺は魔物憑きってもんに対してあまりちゃんとした知識が無い。お前に話を聞いてみたかった」

 本当に興味があるのはそれだけらしかった。まあ、それはそれで気が楽ではある。自分でもやってしまったかもと思っていたので、過去を打ち明ける相手に彼を選んだのはある意味では正解だったと言えるかもしれない。

 そして一つ引っかかった。

「……? もう一人、魔物憑きの方いるじゃないですか」

 彼のような魔物憑きをミオンは他に知らないけれど、それは過去においてである。もう一人似たような魔力の持ち主を今のミオンは知っている。

「え、誰だよそりゃ」

 神谷鋼は不思議そうな顔をする。その反応にミオンも戸惑う。

「あれ……? あの、クーさんも以前、恐ろしい魔力を持ってらしたので……、その、確かにカミヤさんとはちょっと違うかもしれませんけど、てっきりそのような感じの人なのかと」

「ああそういや、あいつの魔力からお前逃げてたもんな。いやあいつはかなり人やめてるところがあるが、一応魔物憑きではない、はずだぞ」

「そうなんですか? ええと、でも、あの魔力の感じだと人間の方ではないですよね?」

「今更隠す意味もないから教えとくと、あいつは亜人だよ。一応は秘密にしてるんであんまり他の奴には言うなよ」

「わ、分かりました……!」

 亜人といえどもよくいる獣人のように分かり易い外見的特徴を持つ種族ばかりではないと知っているので、彼女が亜人と言われても驚きは少なかった。背中に小さな羽があるとか、人間より多少毛深いだけだとか、そういった種族もいると里で暮らしていた頃教えられた事がある。上手く隠してしまえば彼らは比較的容易に人間社会に溶け込めるのだ。

 秘密と言われてそれ以上話を掘り下げるほどミオンは愚かではなかった。一応、という軽い言葉が前置きされていてもだ。

「しっかしお前の話を聞いた感じだと、一番聞きたかった事はあんまり参考にならなさそうだな」

「一番聞きたかった事ですか?」

「魔物憑きの本能っつうか、衝動? それを普段、どう抑えてるのか聞いてみたかった」

 ミオンはかくんと首を傾げる。意味がよく分からない。

「俺の場合はだな。定期的にやたらと魔物の肉とかが食いたくなるんだ。口から魔力を摂取しなきゃいけねえみたいでな、我慢は出来るししても死にはしねえと思うんだが、魔力を使うとその衝動もかなり強くなる」

「そ、そうなんですか? 大変なんですね……」

「お前も魔物憑きって言うからには、そういう衝動みたいなのがあると思ってたんだが。生存本能が強い以外は普通っつうなら、そういうのは無さそうだな」

「そう、ですね。そのおかげで里でも普通に暮らせていましたし……」

 羨ましいと言われなかった事が何故だかミオンを安堵させた。きっと自分は魔物憑きとしてはかなり恵まれている方で、彼の言う衝動とも無縁だから正体だって隠し易い。それでもこのような魔物憑きに生まれついてまだ良かった方だとは、あまり素直に思えない自分がいる。

 もちろんこのように生まれなかったとしても、両親が死なずに済んだなんて事はきっとあり得ない。もしあの時、闘争本能を奮い立たせて黒岩蜥蜴に挑んだとしても死人が一人増えただけだろうから。むしろ強い生存本能にミオンは助けられている。それでも自分のこの性質が、ミオンはどうしても好きになれないのだった。

「つーかさ、魔物憑きって正体バレたら殺されるかもとか聞いたが、お前なら周りに危険もあんまり無いよな? もしバレても大丈夫だったりしねえのか?」

「ど、どうでしょうか……。やっぱりその、魔物のように扱われるので何されるか分かりませんし、法も守ってくれませんから……」

「まあ、人間協会とかいうのもこの街には出入りしてるしな……」

 帝国の人間至上主義の組織、『人間協会』。それについての警告をミオンは先程彼から受けている。大陸東方の情報には明るくないミオンであってもあの国の事はさすがに知っていた。帝国に関わってはいけないというのは亜人なら知っているべき常識だ。

 そこで神谷鋼が思い出したように「そうだ、これも訊きたかったんだよ」とこちらを見た。

「聞いた話じゃ魔物を飼い慣らして連れ歩く冒険者とかいるらしいじゃねえか。魔物憑きは存在を認められねえのに、なんでそっちは問題ないんだ?」

「え、ええと、それは、従魔だからじゃないかと……」

「『従魔』?」

「その、愛玩動物? みたいな扱いです。その、ちゃんと飼い慣らされていればギルドで従魔として登録出来るそうで、そうすれば飼い主の所有物となるので他の人が手出ししちゃいけなくなる、とかだったと思います。あ、あと、従魔が人を襲ったりしたら飼い主の罪になるはずです。私もそれ以上詳しくは……」

 満足げに神谷鋼は口元に笑みを浮かべる。

「いや十分過ぎる情報だ。……って事は、だ。信用出来る奴に形だけ飼い主になってもらえれば、魔物憑きだとバレても普通に生活出来るんじゃないのか?」

 驚きの発想がその口から飛び出した。

「え、ええ!? あの、それっていいんでしょうか!?」

「まあ、な。何かやらかした時に、飼い主に迷惑がいくってのがネックか……」

「いえあの、そうじゃなくて。魔物憑きってやっぱり魔物とは違いますよね? それをその、魔物として登録しちゃうなんて……」

「それが無理なら、魔物憑きが魔物として迫害される(いわ)れも無いと思うんだが。ま、ただの思いつきだ。そういう前例って無いのか?」

「き、聞いた事はないですけど、私も特に詳しいわけではないので……」

 もしそれが可能なら――どういう事になるだろう?


 その内に二人は満月亭の前へと帰り着く。

「あ、あの! ありがとうございました。買い出しの荷物持ってもらって。それと……、私の話、聞いて頂いて」

 ミオンは全力で頭を下げていたので見えていなかったけど、神谷鋼は苦笑したようだった。

「俺が無理やりついて行ったんだし、話もほんとに聞いただけだがな。気の利いた事は何一つ言えんかったし」

「……その、最後まで聞いてもらっただけでも有り難かったです。あんな事話したのに、変わらない態度で接してくれましたし」

 少しだけ、彼に対して話しやすくなっている自分に気付く。過去の罪の告白でさえさらりと流してしまった彼だけど、結果としてミオンの気は楽になったように思う。

 頭を上げると神谷鋼と目が合った。こちらに向けられた瞳の深さにびくりとなる。彼はいつの間にか真顔になっていた。

「一個、当ててやろうか」

「え?」

「お前は別に、両親を見捨てた事に罪悪感を抱いてるわけじゃない」

 ミオンの心臓がどくんと跳ねる。

 何もかも見抜いてしまいそうな視線から、目を逸らせない。

「さっきの話を聞いた限りだとお前の選択は何も間違っていない。それは俺が保証してやる。挑んでも無駄死にするとお前の本能が感じたなら、勝てない相手だったって事だろう。お前の両親が子供を大切に思っていたならお前だけでも生きていて欲しいと思っただろうし、そう思わない両親なら命を懸けて助ける価値もない。その場面なら、お前は胸を張って逃げていいと俺は思う」

 予想外の肯定の言葉。けれどもミオンは気を抜かなかった。

「自分の命を最優先する事のどこが悪い? 誰だってそうだ。死にたくないのは当たり前だ。それをお前が分かっていないとは思えない。なら、お前が自分を許せない理由はそれとは別にある」

 どうして、この人には分かるのだろう。改めて恐ろしい人だと思い知る。

「お前は恐怖を克服出来ないんだ。里を壊滅させた魔物が、仮になんとか(・・・・・・)倒せそうな魔物(・・・・・・・)だったとしても(・・・・・・・)、お前は皆を見捨てて逃げる。死ぬかもしれない恐怖に負けて。そんな自分に嫌気が差している。違うか?」

「違い、ません……」

 ぴたりと当たっている。視線から逃れられず、ミオンはただ白旗を揚げて認めるしか無かった。

 そう。

 それがミオンの悩みで、拭い難い罪だ。里を捨てたのは生き残る為の合理的な判断などではない。逃げるべき時も、逃げるべきでない時も、等しくミオンは逃げるだろう。己の本質はただの恐怖に勝てない臆病者だ。

 断罪を待つ罪人のように震えるミオンを見て、神谷鋼はやり過ぎたとでもいうように頭をかく。仕方ない奴めと言いたげな、どこか優しげな苦笑をその顔に浮かべた。

「お前なあ……、んな気にする事か? 臆病な奴もいざという時ヘタレな奴も、そこらにいっぱいいるぞ。助けないと誰かがやばいって状況で、その敵が勝てる相手だとしても、すぐに助けに向かえる奴ってのはそう多くないだろう。当たり前だ。戦いってのは怖いもんだ」

 ミオンの頭の上に手が置かれる。多分彼は、意識せずにごく自然にそうしたのだろう。

「だからそれは恥じゃない」

 フード越しとはいえ少し耳にも当たってくすぐったい。とはいえ撫でられていたのは僅かな時間だった。すぐに「何やってんだ俺は」という顔になった神谷鋼は、気恥ずかしさを誤魔化すように買い出しの荷物を抱え直し、「先行ってるぞ」と満月亭に入って行った。

 ミオンはしばらく放心したまま店の入り口を眺めていた。

『カミヤ君ってどうも女の子の扱いに慣れている感じだから、あなたも気を付けるのよ?』

 なんて、いつか冗談っぽくリュンに言われた事を思い出した。いや、だからどうという事ではないけれど。本当に。

 彼の傍によくいる女の子達を思い浮かべながら、やっぱり恐ろしい人だなあという思いを新たにして、ミオンはぎくしゃくとした動きで満月亭に戻ったのだった。



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