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ソリオンのハガネ  作者: 伊那 遊
第二章・魔物狩り
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 57 恐怖という楔・1

 57 恐怖という楔・1



「お前その怪我どうしたんだよ!? 鳥の魔物に足やられるか普通?」

「魔物じゃねえよ。暴れてる亜人がいやがってとばっちりくったんだ」

「はあっ? こんな時にかよ! 何考えてやがんだ」

「知らねえよ。すぐに警備隊に捕まって連れてかれたし」

「迷惑過ぎるだろ。その手間の分警備隊も魔物殺せただろうによ。捕まえたその場で殺しちまえよそんな奴」

「知らねえよ警備隊に言ってくれよ……」


 ・


「早く逃げるぞ! ニホン人街の辺りなら警備もしっかりしてるだろうからな!」

「ちょ、ちょっと待って、そんな急がなくても! そんな遠くまで行く必要あるの? 適当に屋根があるところに隠れてれば〈紅孔雀〉なんてすぐに駆除されるでしょ?」

「逃げてる奴らが言ってた事聞こえたんだよ! 魔物憑きも出たらしい! 手当たり次第に人を襲うらしいぞ!」


 ・


「亜人が人を襲うところ、俺も見たぞ! 冒険者に襲い掛かって返り討ちにされてた!」

「なんだよもう捕まってるのか。何人も騒いでたからどれだけやばい奴なんだと思ってたぜ」

「まあやばそうだったけどな。そこはほら、冒険者連中は戦うのが本職だから――」

「なあ、そこのアンタ! 今の話本当か? 魔物憑きが人を殺してて、騎士が出動したとか俺は聞いたんだが」

「騎士? いや別に騎士の鎧は着てなかったけどなあ。やたら若い姉ちゃんだったよ、暴れた亜人止めたの」

「んん? おかしいな、何人も言ってたのに。大通りで魔物憑きと騎士達が戦ってたって」

「大通り? 俺が見たのはどっかの家の屋根の上だったけど」

「なあそれ、もしかして別々の魔物憑きなんじゃねえの?」


 ・


「あ、もしもし? 良かったあ、携帯普通に繋がるみたい。そっちは大丈夫だった?」


「うん、こっちも大丈夫だよ。周りにいた人達について行って、なんかホテル? みたいなとこに避難してる。魔物いなくなるまで皆ここにいるって」


「――だよね! やばいよねこっちの世界って! すぐ終わったらいいんだけどねー。なんかあの〈紅孔雀〉ってやつの他にも出たらしいから、この前のよりも時間かかるんじゃないの?」


「え? うん、なんかね、『魔物憑き』っていうのがそこらで人を襲ってるんだってさ。よく分かんないけど、凶暴な亜人? みたいな感じらしいよ。それが何人も出たってさ」


 ・


「亜人に気を付けろ! そこらで人を襲ってるらしい!」

「まだ捕まってないのもいるそうだ! 見かけたら警備隊か騎士様呼んでこい!」



 ◆


 不安を顔に浮かべ、人々は逃げ惑っている。

 危険が空の〈紅孔雀〉だけなら、どこか近くの屋内にでも避難すれば事足りるのだから混乱なんてすぐに収まっただろう。それなのに魔物飛び交う空の下を敢えて進む人間は少なくない。彼ら彼女らは多少の危険を省みず、より安全な場所を求めている。〈紅孔雀〉などより余程大きな危険から逃れるために。


 ――パルミナに潜んでいた魔物憑き達が、魔物の襲来に乗じて人間を襲っている。


 不安の根元はそんな情報だ。出所不明の噂だったものが、驚くべき早さで広まりいつしか事実として避難者達の間で浸透してしまっていた。逃げ場の無い屋内に避難して、もしそこに魔物憑きが現れたら。想像してしまった者達が、遠くても警備の厳重な日本人街を目指して動いているのだ。

 日本国の確かな技術力と、日本人の慎重で美徳に溢れる気性はこちらではかなり有名だ。かの国を詳しく知らないセイラン人からもだいたいは良い印象を持たれていて、信頼が厚い。市民や観光客はこんな状況下で、こぞって日本を頼ろうとしている。

 そんな中、人々の流れに沿わずに街を歩くのは少しばかり骨だった。

 ミオンはローブのフードを深く被りなおす。厳重に、慎重に、それでいて目立たないようさりげなく。

「ミオン、大丈夫? 重くない?」

「は、はい。全然大丈夫です!」

「そっか。それじゃ、あとちょっとだからこのまま店まで一気に行きましょうか」

 ほんの少しだけ休憩していたのを切り上げて、リュンが荷物を抱え直す。同じような包みをミオンも手に取り、二人は再び歩き出す。

 本日、満月亭は祭りに合わせて屋台を出すという予定があった。店員である二人は朝から準備のために動き回っていて、本来であれば今頃は祭りの客に軽食を売っていた事だろう。それがこんな状況になってしまったので、折角組み立てた屋台も放り出してミオン達は満月亭へ帰ろうとしているのだ。

 緊急時だからといって全て放置して来れるほど満月亭は経済的に余裕があるわけではない。売り物であったサンドイッチなど抱えられるだけの荷物は出来る限り持ってきている。もっと人混みがマシならば屋台もなんとかして持って帰ってきたはずだった。

「ごめん、なさい。リュンさん。私……」

「こら。そういうの、今はナシよ。後で聞いてあげるから」

 ミオンの言をリュンが遮る。彼女はとても優しい人だし、こちらの弱気を叱ってくれるとても強い人だ。でも、ミオンの存在が迷惑になっているのは確かだろう。

 今街中の人々が、亜人に対して警戒している。避難所のようなところを見つけたとしても、ミオンが受け入れてもらえる可能性はとても低いのではないだろうか。人の流れを無視して満月亭を目指すのも、ミオンがいるせいでその選択肢しか取れないからではないか? もちろん店で留守番をしているはずの店主と合流するのが主な目的だけれど、そんな風に考えずにはいられない。

「亜人に気を付けろ! 街中で暴れ回ってるぞ!」

「見かけたら騎士か警備隊に連絡を! 冒険者でもいい!」

 途上で、声を大にして注意を呼びかけている二人の男を見かけた。帝国人(・・・)だ。彼らに目を付けられないよう少し離れてミオン達は進む。

「……どうして行く先々で既に情報が広まってるのよ」

「も、もしかしたら。あの『ケイタイデンワ』という道具の力ではないでしょうか。最近はこっちの人でも持ってる人もいますし」

「それがあったか……。日本人なら皆持ってるらしいしね、アレ」

 フード付きローブの下で、ミオンは思わず体を震わせた。

 きっと街中に情報はもう広まっている。どこにいっても数え切れないほどの人々がいて、皆が亜人を警戒している。ミオンにとって安心出来る逃げ場など無く、どうか素性がバレないようにと祈る事しか出来ないのだ。

 おまけに自分は同族からも忌避される魔物憑き。もしそれを、このような状況下で周りの人に知られでもしたら。

 考えるだに恐ろしい。

 間違いなく殺される。それを知っても優しくしてくれる、リュンと店主の存在は彼女にとっては奇跡のようなものだった。

 守ってもらえる価値など、自分には無いのに。

 思っても実際に言いはしない。卑屈な本心を晒して、愛想を尽かされ本当に捨てられてしまったら。それがただただ怖くて、ミオンは黙々とリュンについていく。

 ミオンは小心者だ。怖がりだ。だから怖い。何もかもが。

 魔物も、人の悪意も。リュンから向けられる優しさにさえ、恐怖せずにはいられない。

 それがミオンという魔物憑きの本質だった。




 人間達の国で言う未開拓地域――大陸西方。

 そこに住まう亜人達が『アズルカの地』と呼ぶ人外魔境の大地に、ミオン=ライコは生を受けた。

 両親ともに狐の獣人だ。アズルカの地の森深く、ライコの里と呼ばれる集落に家族三人で暮らしていた。他にも十数人程度の亜人がそこでは生活していて、皆集落の名であるライコの姓を名乗っていた。狐の獣人だけでなく様々な種族の獣人がいたけども、同じ姓が示す通り村人は全員家族のようなものだった。

 ミオンは、生まれついてすぐに魔物憑きだと分かったわけではない。五歳か六歳頃までは普通の亜人として扱われてきた。魔物憑きはとにかく凶暴な亜人だと思っている人間は多いそうだけど、必ずしもそうではないから、外から見て判断するのが難しい場合もあるのだ。そもそも亜人達の間でも定義は曖昧で、ライコの里に伝わる魔物憑きについての知識と、別の集落の知識では食い違いが出る事だってあり得たりする。

 里の最年長だった狐獣人の老婆は、『本能が異常に強い』亜人がそう呼ばれるのだと言っていた。だいたいはそれに加え、通常の亜人に無い外見的特徴だとか能力も持つそうだ。ミオンはどちらも当てはまっていた。

 魔物憑きと聞いて多くの人が想像するような、凶暴性や闘争心が強かったわけではない。彼女の場合はその逆だ。幼少の頃から極度の怖がりで、里の外の森へは絶対に出たがらなかった。好奇心旺盛な他の子供が森へ冒険に行きたいだとか、大人達の狩りの手伝いをしたいと騒ぐ中、近場で山菜やキノコを採集する事すら嫌がったのである。

 生存本能。

 死にたくない(・・・・・・)、という誰でも持つ欲求が、ミオンは異常なまでに強かった。思い返せば、物事をろくに認識していない赤ん坊の頃から既にそれがあった程に。

 森の中の集落では狩猟と採集は生活の為には必須だ。怖いから、嫌だからと村から出ないのは許されない。ミオンが五つか六つの頃、さすがにこれはと思ったのか、娘には基本的に甘かったミオンの母もとうとう彼女に命じた。一人で外に出て、村の近くでいいから食べ物を採って来いと。外に慣れさせようという親心にも抵抗するミオンを、父は無理やり連れ出して村の外へ放り出した。

 仕方なく、彼女はびくびくと周囲を警戒しながら、村になるべく近い場所で何か探す事にした。

 昔の事なので記憶は多少曖昧だけど、確か虫が突然目の前に現れたとか、そんな程度の出来事だったと思う。

 ミオンが森へ出てしばらくして、里の住人達は彼女の悲鳴と何かが破裂するような音を聞いた。あの臆病な子がとうとう外に出された、という話は狭い村なので既に広まっていて、外を気にかけてくれていた村人は多かったらしい。現場に駆けつけた村人達は、燃え盛る大木と呆然とへたりこむミオンを目撃した。彼女はばちばちと電気を体から発生させており、そしてちゃっかり炎の届かない安全圏までは避難していたそうだ。

 獣人は《身体強化》など自身の肉体に作用するものを除き、人間よりも魔術の素養が低いと言われている。そうでなくても知識も無く、魔力を操る訓練もしていないただの子供が魔術を発動させ続けるなど普通はあり得ない。勢いや偶然でそれが起きてしまうほど、魔と術式の世界は甘いものではないのだ。

 何の知識も訓練も、思考すら必要とせず、感覚だけで魔術を操る。そんな芸当が可能なのは異常に高い魔術適性を持つ者だけだ。

 通常、そのような人間の事を『精霊憑き』と云う。一説では百万人に一人とまで噂される希少な才能の名だ。

 とはいえミオンは獣人だから、それもあり得ない。女性の、純粋な人間種族にしか精霊憑きは生まれないと言われている。精霊憑き特有の、百人分を上回るとまで評される異常な魔力量もミオンには無かった。

 それに里の古くからの伝承に、狐に電気という同じ特徴を持つ魔物が登場する。

 以上の事から、ミオンはその魔物、〈雷狐〉の魔物憑きだと推測された。魔物憑きは強い本能の他にも何らかの能力を持つ事が多い。雷系統の魔術に対する高い適性がそれだと考えれば辻褄は合う。

 自らも知らなかった正体を村人に知られ、ミオンが恐怖したのは言うまでもない。

 魔物憑きは亜人からも忌み嫌われる存在だ。里には他に魔物憑きはおらず詳しい事を知らなかった当時のミオンでも、それが良くない類のものだとは幼いながらに理解している。既にこの時、集落から追いやられる程度ならマシかもしれないとまで、彼女は自身のこれからの事を考えていた。とにかく悪い方へと、後ろ向きな想像を働かせるのはミオンにとって呼吸と同じくらい容易いのである。

 しかしミオンは、魔物憑きにしては破格の幸運に恵まれていた。

 まず、ライコの里では里の名の由来となった〈雷狐〉という魔物は『良きモノ』と捉えられており、村人達は悪感情を抱いていなかった事。闘争本能が薄く単に臆病なだけともいえるミオンは、村人達に危害を加える可能性が低いと見なされた事。村人達は家族のように近しい関係だったから、ミオンの事もよく見知っている。彼女は周囲の理解を得て、放逐される事なく里での暮らしが許されたのだった。


「お願いよ、ミオン。どうか魔物憑きに生まれた事を恨まないで。その力にはきっと意味があるから」


 母はミオンにそう言い聞かせ、大切に育ててくれた。口下手だけど優しい父はいつも娘を見守り、気遣ってくれた。

 ふとした拍子に電流を放ってしまうからやはり少しは腫れ物扱いも受けたけど、里の住人達も彼女に辛く当たったりしなかった。

 ミオンのこれまでの短い人生の中で、最も平和で穏やかな時間だった。

 彼女が十二の時まで続いたライコの里で暮らした記憶は、今でも大切な宝物だ。


 ただし、二度とあの日々が戻ってくる事は無い。


 ミオンの両親と里にいたほとんどの住人は、二年前魔物の襲撃で命を落とした。黒い岩のような肌を持つ強大な魔物であった。里は壊滅し、ミオンは孤独の身となった。

 以来彼女はあてどなく大陸西方を彷徨い歩き、身を寄せられる亜人の集落を探す事となる。魔物が多い大陸西方、アズルカの地は過酷な環境だ。無力な子供を快く受け入れてくれる所はあまり無く、かといって力ある魔物憑きだと知られれば例外なく逗留先からは追いやられた。そんな生活を繰り返す内、いつしかミオンは人間達の国へと流れ着いていた。

 人間達の国では亜人は差別されるけど、魔物の危険はずっと少ない。身の安全が確保出来るなら生きていくのはどこでも良かった。問題は働き口で、ある時ニホン人は亜人を差別しないと聞いたミオンは一路、セイラン王国のパルミナを目指す事になる。

 そして道中人(さら)いに捕まり、牢で奇跡のように優しい人との出会いを果たしたのだった。



 ◆


 ありったけの燃えそうなものを抱え、隊士達は西大門へ急行していた。

〈岩沼王〉を止めるため、燃やすものを集めて来いと指示された警備隊員達である。どうかまだ間に合ってくれと、魔物の群れを食い止めているはずの仲間達の下へと走る。しかし大門が見える大きな通りに差し掛かった時、彼らは思わず足を止めていた。

 門が燃えている。それはいいのだ。閉まらない門から魔物が侵入しないよう、そうする手筈になっていたから。

 彼らの視線は上――先程まで自分達も矢を射掛けていた場所である、市壁の上へと縫いとめられていた。

 そこにいる。その場所にいてはならないものが。

「〈岩沼王〉……、そんな、間に合わなかったのか……?」

「た、隊長や皆はどうなったんだ!?」

 乾いた泥のような灰色の表皮。のっぺりとした、蜥蜴とも魚とも言えないような顔。なんとしても食い止めるはずだった魔物は、既に壁の上から顔を出し街を見下ろしていた。今にも降りて来ようとしている。あの魔物は壁に張り付く事が出来るのだ。

 不意に、その魔物の辺りから音がしたかと思えば何かが飛び出してきた。

 壁の上から投げられたかのような軌道で落ちてきたのは人だった。悲鳴も何もなく、ただくるくると回転しながら路上へどさりと落下する。手足は力なく投げ出され、でたらめな方向へと曲がっていた。遠目にもはっきりと分かる。既に死んでいる。

 隊士達が棒立ちとなり見守る中、また新たな人影が投げ出された。勢いよく飛んできた死体は先程よりも隊士達の近くへと落ちる。隊士達は恐る恐る彼に近づいた。見間違うはずがない、それは彼らの隊長の成れの果てだった。

「あ、ああ……っ!」

 恐怖と、信じたくないという思いから隊士達は後ずさった。

 防壁を見上げる。こちらに顔を出している〈岩沼王〉の後ろから、もう一匹魔物が姿を現わそうとしていた。死体を路上に投げ飛ばしたのはそいつの仕業だろう。同じ魔物がもう一匹そこにいるのだと無意識に考えていた隊士達は、新しく現れた顔を見て呆然となった。

「え……?」

「な、なんだ、あいつ? 隊長達はアレに……?」

 彼らは魔物の専門家ではないが、ソリオンで生きてきた者が持つべき常識としての一般的な魔物の知識くらい備えている。ましてや街の防衛を任される身。そこらのセイラン人よりは多少詳しいはずなのだが、隊士達の誰一人として、その魔物が何なのか分からなかった。

 黒い岩のような肌。いやあれは、黒い岩がまるで鎧のように体を覆っているのか。フォルム自体は隣にいる沼王と酷似していた。丸々とした、しかし凶悪なまでに硬そうなトカゲと形容するのが近い。

「黒い、〈岩沼王〉? 変種か……?」

 見た事のない〈岩沼王〉より一回り大きな魔物がそこにいた。

 パルミナ西の防壁は、魔物によって制圧された。



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