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ソリオンのハガネ  作者: 伊那 遊
第二章・魔物狩り
56/75

 54 別行動


 屋根から屋根へ、それが無理なら一度道に降りてからまたどこかへ上り。

 そうやって街を移動していれば、全く同じように建物の上を行く者達を何人も見かけた。冒険者か傭兵か、はたまた騎士かは知らないが、強化が得意であればこの移動法に行き着くのは当然の発想らしい。

「なんだ、皆考える事は同じか」

 それぞれ目的とする場所も違うようで、集団ごとにてんでバラバラに行動している。鋼達も気にせずマイペースに行く事にした。鋼とその戦友だけならもっと速く移動出来るだろうが、皆を抱えてまで全力を出す必要性は今のところない。

 片平だけは強化が苦手で日向に抱えられているが、他のメンバー達は皆自力でついてきている。鋼から見ればまだまだ拙い強化だが結構この面子は《身体強化》が得意なタイプばかりのようだ。その中では最も余裕のあるターレイがこちらの隣に並ぶ。

「当面の目的地は決めておられるのですか?」

「いえ、人が少なそうな方向を適当に目指しているだけです。いい場所があれば教えて下さい」

「……そうですね。丁度西方向ですし、このまま日本人街の辺りまで抜けてしまうのは? 『門』などの重要拠点が近くにあるのですぐに守りを固めるはずですし、それを当てにして避難者も多く集まるでしょう」

「それが一番良さそうっすね。先導を頼んでも?」

「引き受けましょう。代わりと言ってはなんですが、殿(しんがり)をお願いします」

「じい、それにカミヤ! ちょっと待ってくれ!」

 話し合いにマルが待ったをかける。ため息をこらえて鋼はそちらを振り返った。

「避難者より先に僕達が避難してどうするのだ!」

 確かにそれはもっともな主張である。マル達に戦わせるつもりはないというこちらの意図を知らなければ、だが。

「よしマル、理由を説明してやるから走りながら聞け。空を飛ぶ〈紅孔雀〉がこれだけいれば、街のどこでも襲われる危険があるのは分かるな?」

 防壁を越えてきた赤い魔物達はいまや街の上空を飛び回っている。人が襲われるのも時間の問題というか、既に秒読みの段階に入っていると言っていいだろう。マルの返答を待たずに鋼はもっともらしくそれらしい事を並べ立てた。

「だが俺達がせいぜい守れるのは、俺達の周りだけだ。それに避難中の避難者達を守ってやりたくても空を飛ぶ魔物相手だと難しい。だから避難者が集まってくるであろう場所に絞って、せめてその周辺だけでも安全を確保しておこうって腹なんだよ」

「坊ちゃま、路上では人が多過ぎて我々もろくに戦えないでしょうし、屋根の上からでは出来る事も限られます。この状況では避難者を守るのは難しいと言わざるを得ません。幸い〈紅孔雀〉にそれほど危険性はありませんから、一般人が襲われても、怪我を負いながらもなんとか避難場所まで来てくれると信じるしかないのです」

 さすが察しのいい護衛官は手慣れている。ターレイにもそう言われてはマルとしても頷くしかなく、しかし苦渋の表情で路上の逃げ惑う一般人達を見下ろしていた。

「いやマル、助けられる状況だったらもちろん助けるからな? ――クー、やれ」

「了解した」

 地上の人々より近いからか、鋼達目指して〈紅孔雀〉の一匹が急降下してきていた。端的な指示に応えクーがさっと右手をかざす。小さく唱えるのは魔術の名だ。

「《穿火(せんか)》」

 小ぶりな魔法陣がその手の平に浮かび上がり、風の音と火の赤が宙を走った。

 射ち出されるのは炎の刃だ。炎をまとった風の刃は〈紅孔雀〉の体を貫通し、切断された魔物鳥は燃えながら近くの建物に落ちる。断末魔をあげていた時間は短かった。すぐに絶命したのだろう。

「場所考えろ馬鹿。下手すりゃ火事になるぞ!」

「あ、すまない……!」

 クーが謝った時には死体の火は消えていた。凛が風系の何らかの魔術をすかさずぶつけたからだ。恐らくは酸素を抜いた風でも送ったのだろう。既存のものを組み合わしただけのその術式に特に名前は無かったと思うが、人に向ければ恐ろしい事になる『毒の風』である。

 即座に高等な術式を組み実行出来るあたり、やはり彼女の風系魔術の適性は異様に高い。凛は他にも様々な魔術に精通しているが、やはり最も得意な風系統の応用力の高さは別格だ。現象ではなく物質に置き換えるために消費する魔力量は上がるが、魔術で水を出したほうが余程容易いだろうに。

「ありがとうルウ。次からはこっちにしよう」

 クーが左手を掲げた先には、低空を飛行しつつ路上の獲物を見定める一匹の〈紅孔雀〉がいた。彼我の距離がある程度埋まったところで再びクーは魔法陣を発生させる。

 先程と同じ大きさの魔法陣からは、澄んだ風の音が鳴った。

 やはり両断され、呆気なく落ちていく〈紅孔雀〉の直下から路上の人々が慌てて退避する。広場から多少は離れているので人通りの多さも随分とマシになっていて、誰かが飛び退くくらいのスペースなら一応は空いている。それにまあ、魔物鳥の死体は結構軽いので、誰かにぶつかったところでそう危険もないだろう。

「お見事ですクーレルさん!」

 マルがクーの手際を褒め称える。当然皆と共に移動を続けながらであり、余裕があるならもっと速度を上げてやろうかと思った鋼だが、先導はターレイに任せているので思い留まる。そのターレイの方も、今の魔術に対し素直に驚きの表情を浮かべていた。

「……珍しい魔術をお使いになるのですね」

「何? じい、今のは《穿風》ではないのか」

「放たれた空気が日光に反射してきらめいていたものですから。低温の風刃、恐らくは《氷牙》かと」

「ああ、確かそんな名前の奴だった。正解だ」

 鋼以上に敬語が苦手なクーがタメ口で返すが、ターレイはその程度で気を悪くしたりする大人ではない。というか誰に対してもクーの態度はこうなのだが、いかにも成熟した外見の美女だからか、たとえ気難しそうな教師相手でも一度も咎められた事は無いらしい。美人は得である。

「僕は初めて聞く術式です。《火炎》と《穿風》の組み合わせである《穿火》の、《冷却》版という事でしょうか?」

「多分そんな感じだ。冷やすのが得意なので最初適当に術式を組んだんだが、私達の魔術の師匠がそれは《氷牙》だと言ってな」

 魔術名鑑に載っている術式とはいえマルが知らないのも無理はない。最新の魔術名鑑に常に目を通し、日々新たに開発されている魔術を全て知っておくなんてのは魔術師の領分だ。それに世に多く出回る簡易版の魔術名鑑は使い手が滅多にいないようなマイナーな術式の記載を省くそうで、《氷牙》もどちらかというとそちら側に属する。炎系と違い冷却系の魔術適性が高い者はそこそこ珍しいのだ。しかも聞くところによるとこの冷却系は、難度の割には攻撃力が低いと言われる不遇の系統だそうだ。

「しかし、聞いてもいいですか? 風を冷却したからといって威力が上昇するのでしょうか?」

「ああ、そこまで劇的には変わらないぞ? 冷たい方がなんとなく切れ味が上がりそうだ、という思いつきで最初やってみただけだしな」

「嘘つけ。普通なら《氷牙》はそういう、若干強いかも程度の《穿風》だって話だが、お前ほどの適性の高さで撃つと結構威力上がってただろ。さっきの〈紅孔雀〉の死体も傷口凍りかけてたしな」

 ルデスのトカゲ相手に威力の実験をしたのを思い返しながら、鋼も横から口を挟んだ。マルがびっくりした顔になる。

「あんな一瞬で凍りかける……? そこまで強力な《冷却》は聞いた事がないぞ。クーレルさん、もしや冷却系の適性が相当高いのではないですか?」

「得意と言ったろう? 私は腕力と、物を燃やすのと、冷やすのと、魔物を追い払う事に関しては自信があるんだ」

「自信あるの多いわね……」

 つい、という風情で有坂がこぼした呟きに、省吾と片平が頷いている。とはいえそれら全てが一定以上の水準、という程度の意味でクーは『自信がある』と口にしたわけではない。彼女の凄まじいまでの火力の高さを鋼と戦友達はよく知っている。間違いなくこの場の面々の想像を超越しているレベルなのだ、自信過剰というわけではけして無い。

「ふふん、その四つだけは今この街にいる誰よりも勝っていると思うぞ、多分」

 その大言にさすがにぎょっとなる周囲の反応を華麗にスルーして、その話はとうに終わったかのごとくクーは表情を真面目なものに切り替えた。

「コウは武器なしで大丈夫なのか?」

「んー、どうするかな……。今んとこ鳥くらいじゃ必要ねえが」

 学園に魔物が襲来するようなご時勢だ。それに冒険者の仕事にも使えるだろうという事で、鋼達は安物ではあるが武器をいくつか買っていて、寮に置くのはさすがにまずかったので満月亭に預けてある。取りに行くか、この友人達を安全な場所に届けるのを優先するか悩ましいところだ。

 横並びに三匹並んだ〈紅孔雀〉がまたも近くに降りてくる。「ルウ」と鋼が一声かければ、意を汲んだ凛が《魔弾》を同時発動させ、それぞれに二発ずつ撃ち込んで即座に無力化させた。

「いちいち面倒だな……」

「え!? なら神谷君、次にあの鳥が来たら私に相手させてよ!」

 鋼がつい漏らした呟きに、有坂がちょっと引くくらいの勢いで食いついてきた。……どれだけ戦いたいんだこいつは。

「ちげーよ。鳥殺すのは別にいいんだが、いちいち指示出すのが面倒でな」

「え、そっち!? そっちの方が戦うよりずっと面倒が無いと思うんだけど……」

「分かってるよ、言ってみただけだ」

 有坂はなんだか微妙に納得がいってない顔で眉をしかめている。鋼は説明を付け足した。

「今は無理なんだが、思うだけでこいつらに指示を伝えられる術式があってな。二年前によく世話になったんだが、それと比べるとどうもな」

 あれと比べ、いちいち口に出して指示を出すのはなんと無駄が多い事か。クーと凛も昔を懐かしむようにしみじみと頷く。

「そうだな。今はあの頃より少し不便だ」

「『あの人』しか《思念接続》を使えませんから……。一人欠けている分、戦力が落ちるのは仕方がない事ですけど」

《思念接続》。

 今はいない戦友の少女が独自に開発した、使い手は恐らく彼女しかいないであろう個人魔術の名前である。

 一対一で使われる《念話》という魔術を応用した、複数の相手と意思を繋げる事が出来る魔術だ。電話から多人数同時参加のチャットに進化したと考えれば分かり易い。元は鳴き声で連携を取り合う〈群狼〉を参考に生み出された魔術で、あくまで簡単な意思疎通に限られるがほとんどタイムラグなしにチームで情報を共有出来る。その利点は莫大だ。

「たまに神谷君達の話に出てくる、もう一人の子の話?」

「ああ。あいつは結構万能だったが、特に補助系の魔術の才能があってな。あいつの支援のあるなしで戦い易さが全然違ってくる」

「支援役って普通は地味な印象やけど、鋼らのレベルで考えるとその子も相当なんやろうな……」

 省吾の感想を鋼は否定しない。彼女は相当なレベルの魔術師だ。最も恐るべきはその頭の良さと術式の精密さで、ニールに師事していたたかが半年の間に独自の魔術を複数開発している。この二年で更にレパートリーが増えている事は想像に難くない。

 というか、今はそんな事よりも。

「ターレイさん。俺達、こういう時のために武器を預けている場所があるんです。ヒナとクーはこのまま同行させるんで、俺とルウは別れてそっちへ行っても構いませんか」

 多分、戦力が抜ける事でマルや他の友人達の危険が増すかもしれないと考えたのだろう。少しだけ黙考し、ターレイは頷いた。

「……分かりました。しかし、近いなら全員でそちらに寄ってもいいと思いますが」

「全員いる必要もないですし大丈夫ですよ。魔物が更に異常に増えたりしない限りは、俺とルウが抜けても問題ないでしょうし」

 現状の〈紅孔雀〉大量発生だけで済むなら、街全体で怪我人が出る程度でこの事態は終わるだろう。そうならなかった(・・・・・・・・)時、武器を取りに行かなかった事を後悔しても遅い。まだ街中を安全に移動出来る内に満月亭へ向かいたいのだ。

 しかし友人達を連れまわして時間を消費した挙句、安全な避難場所を見つける前に事態が急変してもまずい。二手に分かれる案は鋼なりに合理的に判断したつもりである。どうせ今なら友人達に護衛は必要ない。武器を取りに行って危険な事になっても、鋼だけならどうとでもなる。その条件では最善のプランに思えるがどうだろうか。

 帝国の魔物使いの噂をターレイが知っているかは分からないが、もっと状況がひどくなる可能性を考えたのだろう。経験豊富そうな護衛官は存外あっさり納得してくれた。

「コウ、後でどうやって合流するんだ?」

「この状況でも使えるなら普通に携帯使えばいいし、どうせ俺達もすぐ日本人街方面に向かう。お前らなら近くまで来れば俺の魔力が分かるだろ」

「ああ、それはそうか。特に《加護》をもらっている今は結構離れてても分かるものな」

「それじゃ、クーとヒナ、そっちは任せたぞ。避難場所がかなり安全そうなら外で魔物減らすの手伝ってもいいし、好きにしろ。自分が死なん程度に周りを助けてやれ」

「任せてくれ」「ん。了解」

 こういう時いつもながら無表情の日向はいいとして、妙に自信たっぷりのクーに対し鋼は若干の不安を抱いた。

「……長丁場になるかもしれんから、魔力はちゃんと節約しておけよ?」

 さっきの《穿火》や《氷牙》、どう考えてもあの鳥如きにはオーバーキルである。魔力容量的にはまだまだ余裕だろうが、苦言の一つでも呈したくなるというものだ。

「了解した! 基本は殴って倒す事にする」

 まあ、何の含みもなく頷くクーを見るといくらなんでも心配のし過ぎかと思わないでもない。鋼や戦友達にとって最も手慣れているのが魔物との戦いだ。状況が急激に悪化したとしてもそう苦しい戦いにはならないはずだった。一般市民をどれだけ守れるかはともかくとして。

 その後、皆に言って少しの間移動を止めてもらう。日向を招き寄せてその胸部の上に鋼は手を置いた。

「お前なら街中で暴れても大丈夫だからな。念の為に全力で強化しとくぞ」

 いつもなら少量混ぜるだけの鋼からの魔力を今回ばかりは多いめにする。《加護》の出力を上げ、間接的な魔力の干渉を直接的なものに変えただけなので別の魔術とは言えない。一応差異はあるので『全力の強化』とか『本気の加護』だとか鋼は呼び分けている。

「コウ、私にはかけてくれないのか?」

「こんな状況でお前に本気出されると周りが危なすぎる。元から火力は足りてるし要らねえだろ」

「そうか……」

 どことなくしょんぼりした様子のクー。全力で鋼から強化を施した場合、性格の豹変も更に激しくなるという弊害もあるというのに。もう少しそれについての警戒心くらいは持って欲しいというか、むしろ敬遠すべきだろうと思うのだが今更言っても仕方が無い。

 日向だけは普通の《加護》でも全力の強化でもキャラが変わらないので、まだ鋼の心理的なハードルも低かったりする。『集中力が増す感じ』とは本人の談だが、元々戦闘時に性格が切り替わる日向は戦闘向きの性格を徹底して演じているようなものなので、精神状態がどうであれ外からはいつでも冷静冷徹な戦士に見えるのだろう。

「どうだ?」

「……うん、万全。鋼、指示を」

「指示っつっても、さっき言った通りだぞ。死ぬな、可能なら魔物を減らせ。そんぐらいだ。後は好きにしろ」

「了解」

 じいぃ、と先程からこちらを凝視している凛の物欲しそうな視線の理由はなんとなく分かっている。凛にも手早く通常の《加護》を施し、一段落ついた鋼は他に忘れている要素がないか心の中でチェックする。大丈夫だろうと思っておく。

「言うまでもねえ事だが、油断だけはするなよ?」

 本当に言うまでもない確認を最後に取り、短く別れを済ませ鋼は凛と共に皆とは違う方向へと駆け出した。《加護》について初見のはずの省吾達は何か聞きたそうな顔をしながらも、空気を読んで自重してくれたようだ。

 まだ増え続けているように見える空の赤い大群を見やり、げんなりしながらも鋼は満月亭へと向かう。大変な状況ではあるが、実際のところ鋼はそれほど危機感を抱いてはいなかった。

 ――この時点では、まだ。

 でなければ二手に分かれはしなかっただろう。



 ◆


「クソッ、クソッ! どうなってんだよ!?」

「誰か早く騎士様呼んでこい! 冒険者でもいい!」

 パルミナ西側の市壁の上では悲壮な叫びが飛び交っていた。

 哨戒任務についていた警備隊の隊士達は現在、皆こぞって弓を持ち出し必死に外に向けて射掛けている。

 彼らの遥か後方、パルミナ東側からは大量の〈紅孔雀〉が飛来して街全体を覆いつつあるが、もはやそんなものが気にならなくなる事態が展開されていた。

「なんで西から〈岩沼王〉なんぞが来るんだ! 普通南だろ!?」

「そもそもこの辺りに沼地は無い! かなり西の方の未開地域にはいるらしいが、普通こんなとこまで来ないはずなんだ!」

「喋ってないで矢を撃て! 壁に取り付かせるな! 奴らは壁を登れるんだぞ!?」

 怒号と悲鳴のただ中で、市壁の上から放たれた矢が小雨のように魔物達に降り注ぐ。

 魔物の体につき立ったものは全体のほんの一部で、倒せた数はその更に一部だ。狼の魔物〈グルウ〉や(ねずみ)の魔物〈ランクス〉は当たり所が良ければこれで無力化出来るが、群れに混じる〈憑き獅子〉は一、二発刺さった程度では怯まずに前進してくるのである。攻撃の効果は薄いと言わざるをえなかった。それでも隊士達は諦めるわけにはいかなかった。

 だが西から襲来中のこの魔物の大群は、ざっと見ても明らかに規模が三桁に届いている。この物量を弓矢程度で止められるはずがないのだ。

 更に最悪なのが悪名高き〈岩沼王〉の姿が多数、群れの中に見られる事だ。奴らに弓矢など効くはずがない。玉砕覚悟で近づき剣をつき立てたところで、刺さるかどうかも怪しい相手だ。

「門の方は何やってんだ! とっとと閉めろよ! 侵入されちまうぞ!!」

 市壁の上で指揮をとっていた隊長格の男が苛立ちも露わに毒づいた。息を切らした警備隊隊士の一人が彼の元へ走り寄る。

「それが! 西大門の機構がこんな時に故障したらしく、閉められないそうです!!」

 その報告に、近くにいた隊士達全員の息がひゅっと止まった。矢を射掛けていた者でさえも動きを止めてしまう。背筋を凍らせる彼らの中で、隊長だけは流石というべきか、僅かな時間で立ち直ってみせた。

「整備担当者はクビになりやがれ畜生がっ!! ……おい、誰か思いつくとは思うが下の連中に言いにいけ。門周辺にありったけの油を撒いて燃やせとな!」

 その提案に周囲の者達の目にもいくらか希望が戻る。すぐに伝令役が駆け出して行った。

「……だが沼王だけはどうしようもねえぞ。壁を登って来たら重い物でもぶつけるか?」

「奴らも油をかけて燃やすというのはどうですか?」

「それだ! おい、ありったけの燃えそうなもんを集めて来い! どうせ矢じゃ沼王は落ちん! 急げ!」

 警備隊の隊士達の半分ほどが慌てて市壁から降りていく。だがこんなものは機転とは言えない。こんな街の端から至急調達出来るものなど限られているし、敵が来るまでに間に合うかは非常に怪しいところだ。しかしそれ以上の手は思いつかない。

 場に留まったあとの半分の隊士達に、隊長の男は決死の表情を向けた。

「……壁を登ってくる沼王だけでも止めるぞ。出てった奴らが戻ってくるまで時間を稼ぐ。なんとしてもだ。いいな!?」

 唾を飲み込む音さえ聞こえてきそうな緊張感が場に漂う。隊長の表情通り、これは決死の戦いになるだろうと隊士達も皆が察していた。



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