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ソリオンのハガネ  作者: 伊那 遊
第二章・魔物狩り
55/75

 53 式典と脱出

「ニホン国との合同記念式典も、早くも三回目となりました」

 王女のスピーチはそんな出だしから始まった。

 静聴しようにも正直それどころではない。ヴェルニア王女を一目見ようと見物人が押しかけ、パルミナの街の大広場はすし詰め状態だ。鋼達がやって来た時にはもう既に人だらけで大広場の外側付近で立ち止まらざるを得なかったのだが、後ろからも続々人が詰め掛けてきて身動きがろくに取れない。

 どうせこのスピーチの内容は今日のために街中に設置された街頭テレビで放送されているのに。そっちで見ろよと、自分達の事は棚に上げて鋼は思った。

 急遽予定が前倒しになり式典の開始が早まると発表されたのがついさっきの事だ。突然三十分以上もスケジュールが繰り上がり、それから今に至るまでたったの二十分ほど。自分達のように移動が間に合う地点にいた者達が慌てて押し寄せたせいで混雑がひどい。一応女子達は前、身内の男子はその背後を固め、どさくさ紛れに出ないとも限らない痴漢対策としていた。更に凛は鋼にぴったりくっついている。人ごみが不安なのだろうと鋼は何も言わないでおいた。

 何かいい事を言っている王女の声を聞き流しながら目を凝らした。

 人の頭の隙間から、即席の舞台に立つヴェルニアがかろうじて見える。大広場入り口付近のスクリーンにもその姿は映っているが、鋼の目当てはそれではない。映像には映らないよう、しかし近くで控えている、彼女の騎士達の様子が知りたかったのだ。

 壇上にいる王女の左右、まだ舞台の上だが少し低くなっている位置に一人ずつ騎士が控えている。カシュヴァーと、二年前に彼といた女騎士レイキアだ。白く輝く金属製の騎士の鎧を着ていて、顔は見えるようにしているが兜も装着した完全装備だ。

 そういえばあの兜、一月前にやりあったやたら強い変質者もかぶっていた。いやそれは今どうでもいいが。

 いかめしい面でただ毅然と立っているカシュヴァーはともかく、レイキアの方はちらちらと動きがあった。これでも頻度を抑えているのだろうが、見ていると何度も視線を空にやっている。まるで何かを見つけようとしているように、あるいは警戒するようにだ。

 警戒すべき、空から来るもの。そんなもの〈紅孔雀〉のような飛行できる魔物だとしか思えない。

 現在パルミナに向かって魔物が飛来してきているのが確認されていて、王女の関係者はそれを知らされているのではないかというのが鋼の予想である。考えすぎだとは思わなかった。スケジュールを無理にでも繰り上げたのは魔物の襲撃より先に式典を終わらせるためと考えれば納得がいく。祭りは台無しにされるにしても、式典そのものは無事に終わったとしておけるならその方が幾らか外聞もいい。

 まあ、分かった時点ですぐさまそれを街の皆に知らせていたとしても、パニックに陥った群集は効率的に避難などできないだろう。鋼は王女の顔にじっと目を凝らすが、落ち着いた優しげな雰囲気の少女が粛々とスピーチを続けているだけだった。

 一人でも多くの民を助けるなら魔物の事はすぐさま公表すべきと思うが、王族としての判断でこの式典を優先させたのだろうか。その判断を下したのは彼女ではない誰かかもしれないが、ヴェルニアは全く平然としているように見えた。

 魔物が来るという鋼の予測が的外れだという可能性もあるが、こういう場合はいつでも悪い方を想定すべきだ。彼女のスピーチの間、群集の中で鋼は今魔物が来たらどう行動すべきかという事を延々と考えていた。


 そして、悪い予感は的中する。



 スピーチが終わり、何か偉い人達からの祝福のメッセージも読み上げて。

 当たり障りのない言葉で締めくくられ、やや早足に思える展開の早さで国交樹立記念式典は終了した。本来ならまだまだ祭りは続くが、公式の催しとしてはこれで終わり。護衛の騎士達に守られ、ヴェルニア王女は壇上を後にした。

「ご壮健そうだったな、ヴェルニア様は。病で伏せっていたと聞いていたのが嘘のようだ」

「王女様、前は何か重い病気やったん?」

 マルと省吾が話している。

 もう人目を気にしないでいいと油断したのか、去り際に騎士達の何人かが浮かべていた険しい表情を鋼は見逃さなかった。

「……なあ、話は後にして俺達も移動しようぜ。早くこの人ごみを抜けたい」

「そうしたいとこやけどまだ無理ちゃう? 周りの人らも全然動いてくれへんし」

「いえ、多少強引にでも早く抜けてしまいましょう」

 横から鋼の援護をしてくれたのはターレイだった。彼と目が合う。さすが護衛官と言うべきか、鋼が気付いたような事は彼もまた気付いているらしい。互いに小さく頷き、同じ警戒を抱いていると伝え合う。

 しかし少しばかり遅かったようだ。

「おい、空見てみろ!」

 群集の誰かが叫んだ。

 皆の視線が空を向く。そこで見つけたものにどよめきの声が上がった。

「あれ、魔物じゃないのか!?」

「またかよ!」

 鋼も既にその姿を確認していた。東の空、やはり帝国の方角に、かなり遠いが確かに赤い魔物が飛んでいる。

「!? また〈紅孔雀〉か! こんな日に……!」

「ま、またあれの群れが襲ってくるんでしょうか?」

 空を睨みつけるマルに、不安そうに言う片平。省吾も有坂も眉をひそめている。事前に襲撃の可能性について鋼から話しておいた戦友達の顔にも余裕はない。身動きの取れない今の状況は条件が悪すぎる。

「ターレイさん、もし魔物の大規模な襲撃がこれからあったなら、学園に逃げ込むって選択肢はアリっすかね?」

 この場の誰よりもこういう場合に正しい判断を下してくれるであろうターレイに訊いてみると、彼はしばらく考えた後に首を振る。

「……学園にこだわらず、最適な避難場所を探してみるのを推奨致します。今の人の多いパルミナで襲撃があればある程度大きな施設はほぼ全て避難者で溢れかえるかと。どこか良い場所をなるべく早く見つけないと、多過ぎる人ですぐに場所が無くなるでしょうね」

「でもいい場所があっても、結局人の多さで身動きは取れなくなりそうっすよね?」

「……ならば移動しながら良い避難場所を探しましょう。式典で人が多いとはいえ、中心であるこの広場から離れるほど人は減るでしょうし」

 他にいい案も出なかったので、それで決定かという空気になった時。マルが慌てたように口を挟んでくる。

「待て! じいも待ってくれ、逃げるので決定なのか!?」

「まあ、戦うのが本職の警備隊とか騎士達に任せとけばいいだろ。そりゃ他に戦えそうな奴がいない状況で魔物が来たら手を出せばいいと思うが」

「ええ、坊ちゃま。カミヤさんの言う通り、ここは避難すべき状況です」

 マルの顔には「騎士候補たるもの、民を守るため騎士に加勢すべきである!」と書かれていた。つまり全く納得していない顔である。

「騎士候補たるもの――」

「まあ聞け、マル」

 まさかのこちらが思った内容そのままの発言を止める。聞くだけ時間の無駄というか、どうせこいつにはこう言えばいいのである。

「騎士も警備隊も、ついでに在住の冒険者とか傭兵なんかもここにはいるんだ。戦力的にはもう十分。一番の問題は、守るべき一般人が今この街には多過ぎる事だろ。避難民を守る戦力は、どこも絶対に足りなくなる。後は分かるな?」

「そういう事か……! 口を挟んですまなかった。騎士や本職の方々に魔物の討伐はお任せし、僕達は避難民を守るため彼らの傍で待機するというわけだな?」

「ああうん、そんな感じで」

 早朝訓練に付き合っている鋼は、マルと伊織がどれほど戦えるのかだいたい把握しているつもりだ。武器さえあるなら〈紅孔雀〉の集団相手にも全く問題は無いだろうし、もう少し強い魔物と戦っても引けを取らないレベルだとは思う。ただやはり、勝手に戦ってもらって結構と言えるほどに安心できる強さはない。

 もちろん戦力として足しにならないとまでは言わないが。この友人達でも問題ない相手なら、そもそも本職の人達に加勢は必要ないだろう。そして加勢が必要な強敵がいるなら、やはり危険なのでこの友人達を戦わせるわけにはいかない。適当に丸め込んで避難させ、あとはターレイに見ていてもらえば万全だ。

「なーなー、見たとこそこまで数多くないやんか。避難が必要になるような状況にまでなるかなあ?」

「なるさ」

「その根拠は?」

「勘」

 じとっとした視線がこちらに集中した。構わず鋼は空だけを観察する。周囲の人々は中々動かず、ほとんど移動もままならない。クーが諭すように口を開いた。

「コウの勘は大抵当たるからな。警戒しておいた方がいい」

「大抵っつうか、外れて欲しい勘だけはやたらと当たりやがる。さっきから嫌な予感が半端ねえ」

「それって、一昨日以上の魔物の群れが来そうって事!?」

 有坂の質問には微妙に期待感がこもっていて、鋼は聞かなかった事にした。

 それに、今それどころではなくなった。

「本格的に来たぞ……!」

 ずっと向こう、街の防壁の上から見通した空には、さっきまではせいぜい片手で数えられる程度の〈紅孔雀〉がいただけだ。しかし魔物の影が大きくなるにつれて、後続の姿も続々と明らかになっていく。鋼が声を発した時にはその数は軽く十を超え、現在進行形で敵影は尚増え続けていた。

「二十……、いや、三十? じゃ、きかないか。まだまだ飛んできてるわね……」

「ま、魔物の群れだあぁ!!」

 有坂の呟きをかき消すほどの大声を群集の誰かがあげる。一匹二匹ではない、明らかに脅威と分かる魔物鳥の群れを目にして人々は浮き足立った。パニックを起こしたように好き勝手にこの場を脱出しようとし、邪魔な互いを押し合い始める。

「どいてくれ!」「邪魔だ、早く行け!」

 なんとも、まあ。当然そうなるであろう事態ではあるが、実際に目にすると面倒過ぎてため息しか出てこない。罵倒が飛び交い、大広場はたちまちのうちに混乱の渦中となった。

「うわ!」「痛っ!」

 民衆にぐいぐい押され体勢を崩す友人達の前に割り込み、軽く《身体強化》を使いつつ壁になる。複数人分の重さが体にかかるものの、周囲も全身全霊でもって押してきているわけでもない。耐えつつ、日向にも背後から支えられつつ、鋼は空から意識を外さなかった。

 赤、赤、赤。

 空を埋めつくさんばかりに魔物は増え続けていた。もはや百ではきかない数だ。見渡す限りの〈紅孔雀〉の大群が、パルミナ目掛けて飛来してきている。広場の恐慌は加速の一途を辿っている。手段を選んでいられないと鋼は決意せざるを得なかった。

「ルウ。周りが邪魔過ぎる。脱出するから壁と踏み台作ってくれ」

「了解しました」

 過不足なく鋼の意図は伝わったようだ。こちらが差し出した手を凛がそっと取り、繋ぐ。簡単に折れてしまうのではないかと鋼が思わず心配してしまうような、女の子らしい細くしなやかな指がこちらのそれと絡み合う。何もとち狂ったわけではなく、触れ合っている面積を増やす事で魔力を渡し易くするためである。

 彼女の魔力を使って《身体強化》を施す事はあるがその逆は久々だ。鋼の魔力を使って凛が魔術を編み上げていく。魔力が流れていく感覚に任せているとすぐに術式は完成したようだ。優れた魔術の素養を持つ彼女にしてはほんの少し時間をかけて、つまりはそれだけ精緻に組まれた魔術が発動する。

 繋いだ手の正面に魔法陣が出現する。鋼を押していた者達がぎょっとなって一歩下がろうとした。彼らの背後も埋まっているので僅かにしか距離は生まれなかったが、その僅かで十分だ。

 まず、群集との間に半透明のガラスのような壁が現れた。魔術をかじった者なら誰でも知っている《障壁》の魔術だが、今回はこれで終わりではない。《障壁》は鋼達の頭上あたりで手前へと折れ、前面だけでなく上面をもカバーする。その上更に複雑に術式をいじっているようで、上面の端から透明な柱が生え、路面まで到達して支えとなった。

《障壁》には違いないが、盾代わりに一枚の壁として展開する通常のものとは違い変則のバージョンである。即興で術式をいじりここまで自在に変化させるとなるとかなりの魔術の腕が求められる。とても鋼が自力で出来るものではない。

 鋼の要望通りの『足場』の出現を目にし、最も驚きを露わにしたのはターレイだった。

「! 今のは……。もしや、『合成魔術』の類でしょうか?」

「合成魔術?」

 確かニールに習ったはずだが、なにぶん活用しない単語なのでうろ覚えだ。鋼の疑問の声にすかさず凛が説明してくれる。

「完全に役割を分ける事で、拒絶を起こさないように複数人で魔術を行使する技術です。単純に人数が増えた分だけ魔力の乗った大掛かりな魔術を使えるのですけど、相方に合わせて調整するのが難しいと聞きます」

「あー、あったな、そういうやつ」

 以前彼女が使った、風で物を筒状に固定してから風で撃ち出す、拳銃のような原理の《射出》を例にとると分かり易い。物を固定する風と後ろから押し出す風、それぞれを二人で分けて担当してしまえば、その部分だけに意識も魔力も集中出来る。

「いえ、その……。手を繋いで発動させる魔術など聞いた事がなかったもので驚いてしまいました。今は非常時、お忘れ下さい」

 すぐに驚きを引っ込めてターレイが軽く頭を下げる。しかし驚くのも無理はないか。どうやら鋼と戦友達の魔力の共有についてマルは話していないようで、それを知らなければ不可解なものとしか映らなかっただろう。一度現象に置き換えた魔術はともかく、魔術を起動する際の魔力光や魔法陣には拒絶が起きてしまう。魔術師が魔術を行使する際、普通は極力他者との接触は避けるものなのだ。もし合成魔術とやらを使うにしても、術式を阻害される可能性があるのでまず間違いなく魔術師同士は距離を取るはずだ。

「なー鋼、これは一体何なん?」

「これを使ってここから脱出する。ひとまず俺の言う事を聞いてくれ」

 どうするか軽く説明する。省吾は呆れ顔だ。

「無理やりな力押しやなあ……」

「あ、あの、お任せします」

 何も難しい事はない。今鋼達がいるのは大広場の中央からは程遠い、外縁部に近い位置なのである。近くというか、まあいけない事もない(・・・・・・・・)距離には建物があり、少し高さを稼げば問題なく飛び移れそうだったのだ。

 当然鋼達以外には難しいというか多分無理なので、作戦はこうだ。凛が変則の《障壁》を維持する間、鋼とクーがその踏み台に上りクーだけ先に屋上へ跳んでもらう。残りのメンバーを日向が手伝って《障壁》に上らせ、鋼が強化にものを言わしてぶん投げて、クーがそれをキャッチするという荒業であった。

「……僕は投げてもらう必要はないぞ。全力を出せば跳べない距離ではない」

「いや素直に投げられてくれ。強化の制御によっぽど自信があるならいいが、魔力光がかなり漏れるような強化をされると《障壁》に穴が空くかもしれんから」

「あ、そっか。神谷君だと絶対大丈夫だもんね」

「そういう事だ」

 ただの魔力の状態よりはマシだが、《魔弾》や《障壁》――ゲームでいう無属性魔法に相当するような、自然には存在しない現象を扱った魔術は魔力同士の拒絶が起こり得る。炎や物理攻撃には強い《障壁》は、案外魔術で破るのは容易いのである。

 投げられるという事に微妙そうなマルを急かして作戦は実行された。上に乗りやすいよう《障壁》の上面は一部欠けている。そこから一息に二メートルほどジャンプし、まず鋼とクーが透明な床に着地する。

「強化しとくぞ」

「ああ。《加護》をくれ、コウ」

 突然魔術を展開し目立つ位置に上った鋼達には人々からかなりの注目が集まっていた。ここまで大量の視線となるともはや巨大な圧力だが、とにかく無視だ。ああ、目立つ要因の何割かはクーの作り物めいた美貌によるものかもしれない。暴力めいた視線の圧力を気にしないよう努力しながら、鋼はクーに手早く強化を施した。

「……ふふ」

 鋼からの強化、戦友達の呼ぶ《加護》がかかると戦友達はどことなく雰囲気が変わる。妙に艶っぽい気がする声でクーはそっと笑い、強化が完了し鋼が手を引っ込めたのを見届けてから体勢を低くした。

 たん、と軽やかに、無駄のない動きでクーが跳躍する。なびく銀髪と鮮やかな動きに見物人の一部は感嘆らしき声をあげた。目的の建物の上に飛び移れた事を確認し、鋼は次々と、日向に押し上げられてきた仲間達を放り投げて行った。

 片平は「だ、大丈夫ですよね?」と心配し、省吾は「ほんなら頼むわ」と気楽に言い、「い、今クーレルさんに何をしたのだ?」というマルの疑問は封殺する。自力で跳んでみたいと抜かした有坂も有無を言わせず投げ飛ばした。

「カミヤさん、このままではムライさんが取り残されてしまいますが……」

「大丈夫ですよ。あいつが離れても少しの間は壁は残ります。俺と二人がかりで魔術を使ったのはそのためです」

 それは一体どういう理屈でとか、そういう無駄口をこのデキた大人である護衛官が叩くはずもなく。ターレイも向こうに渡り、日向が自分の力でそれに続く。目線で促すと凛も即座に上ってきた。

 彼女が《障壁》を発動している間は別の魔術である強化を上書きして術を不安定にしたくなかったし、今は《障壁》を維持していた魔法陣が消えているのでこの足場が無くなるのも時間の問題だ。《加護》をじっくりかける猶予はない。というわけで戦友の中では最も《身体強化》が苦手な凛は、念の為他のメンバーと同じく投げる事にした。

 自分で着地した凛の隣に、最後に跳躍した鋼も着地する。足元の建物付近にいた群集の一部がこちらに対して何か文句を言っているようだったが無視を決め込む。

 混乱に陥る大広場を振り返ってみれば、足場に使われた変則障壁を不思議そうな顔で叩いている者が何人かいた。

「《障壁》は術者が維持してないとすぐ消滅するって授業で習ったんだけどねえ……」

「魔素への分解は使った魔力が多けりゃその分遅れるんだよ」

 同じものを見た有坂が呟くのにすかさず言い返しておく。心底不思議がっているというより「まあ神谷君達だし……」みたいな態度ではあったが念の為だ。

 鋼が教えた内容は嘘ではないが、あの壁が今も残るカラクリはそれとは違う。原因は鋼の魔力だ。

 半魔物化していると言っていい鋼は、ミオンに感知されたように普通の人間とは魔力の質が異なる。具体的に言うと魔力強度が段違いに高いのである。この魔力強度、魔物は高いが人同士に差がほぼ無いせいで、目立たず意識されない要素なのかあまり研究が進んでいない。授業でも、これが高いと外からの魔力に対して拒絶現象が起き辛いと教えられただけだ。

 専門家のニールのもとで学び、そこに魔物の魔力を持ちながら研究に協力する鋼の存在もあったので、鋼とその戦友達はこれに関しては相当詳しい。魔力強度は文字通り魔力の強靭さだ。高いほど魔力の形は安定し、魔素へと分解されにくくなる。魔物の肉から魔力が抜けるのにしばらくの時間を要するのはこのためで、それが魔力毒の正体だ。

 同じ魔力強度の魔力がぶつかれば互いに打ち消し合うだけだが、強度が違うとそうはいかない。強い魔力は一方的に弱い魔力を打ち消すのである。例えば強度が三倍違うのなら、相手の一の魔力を相殺するためには三の魔力が必要となる。魔物肉を食べて中毒が起きるのは取り入れた魔力の数倍分、体内の魔力がズタズタに傷つけられるためだ。そして逆に、どんな生き物にも魔力があるはずなのに、普段の食事で中毒が起きないのは人と魔物以外の魔力強度が人よりもずっと弱いからだ。

 魔力強度が高いのは、戦闘においては非常に大きなアドバンテージとなるのだ。

 ――それはもう、卑怯なほどに。

 もし鋼が人間の魔術師相手に、《障壁》や《魔弾》をぶつけ合うような消耗戦を仕掛けたとする。相手の魔力容量がこちらの倍あったとしても、先に魔力切れを起こすのは相手となるだろう。何より、相手は鋼と同じ準備時間で数倍の威力の魔術が使えないと撃ち合うだけで瞬時に押し負ける。

 遠距離で魔術を撃ち合う場合でも、魔素への分解が遅い鋼の魔術はより遠くから攻撃出来るし、距離によって威力が落ちる度合いも緩やかになる。持続するような魔術なら効果時間が引き延ばされる。

 魔物なら皆持っている特性だ。そのせいで向こうの攻撃は防ぎ辛く、こちらの攻撃は通りにくい。だからこそ魔術を使うような高位の魔物は恐れられているといってもいい。

 この特性を生かし、今回《障壁》による丈夫な踏み台を鋼の魔力で凛に作ってもらったのだった。

 ニールに口止めされているのと昨日のバートの言葉から、鋼が魔物憑きである事は当然友人達にさえ教えるつもりはない。

「……なんて、光景だ」

 もうそろそろ、最初の〈紅孔雀〉がパルミナの防壁上を突破してきそうだ。空を見上げマルが固まっている。あの魔物の赤色の数は、既に街中から見えるだけでも二百を突破していた。



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