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ソリオンのハガネ  作者: 伊那 遊
第二章・魔物狩り
54/75

 52 完全包囲



 ――パルミナ東の平原。


 現場の指揮を任されている男の元に、多くの騎士が集まっていた。

 元々パルミナの周辺、特に王都セイラードから割ける人員を急遽回しただけなので、本格的に防衛のための陣地を築いているわけではない。実際に襲撃があるかも分からず、あるとしてもどこに魔物がやって来るのか未確定だったのだから仕方ない事だ。旗手がいるだけで何の用意もないが、今はここが暫定的な本営だ。

「どうなってる!? 魔物どもの内訳を報告しろ!」

 指揮を務める男――ディーン=グレイルが声を張り上げる。

 都市パルミナを守るため展開している牙狼隊は、もちろんこの場にいる騎士が全てではない。集っているのはこの近場を担当するディーン直轄の分隊が全員と、少しズレた別区域を担当する分隊の伝令役に、魔物の軍勢の出現を報せた斥候役の騎士である。

 しめて四十名弱。別区域担当を併せても約六十名。それが式典を守るためにセイラン王国が準備した、精鋭騎士の人数だった。更にはここから離れた街の南東方面にも、だいたい同規模程度の別の騎士隊が待機してくれている。二日弱の短期間でよくもまあこれだけ用意出来たものだ。

 ただの警戒任務であるなら過剰ともいえる戦力は、それだけ王国がパルミナの街を、ひいては日本国との繋がりを重要視している証左でもあった。万が一にも備えた、本来であれば十分過ぎる防衛線。しかし――。

「はっ! 魔物どもは空と地、両面からパルミナの方角へ向けて移動しております! およそ4キルチ(キロメートル)ほど離れた位置で視認した程度ですが、空のものは〈紅孔雀〉と〈大紅孔雀〉で構成されているようです!」

 厄介なものだ。たとえ千匹いようとも戦うだけなら何ら問題にならないひ弱な魔物だが、空の上を行かれると手が出せない。空を攻撃出来る魔術を修めている者も十分な弓矢も用意はあるのだが、数百規模の群れともなればかなりの数をパルミナへ通してしまうだろう。

「地上の魔物は?」

「距離があり、空の魔物よりも確認が困難ですので一部を目視しただけですが。〈ランクス〉の群れと思われます。数は最低でも五十、もし孔雀達と同規模であれば五百以上になりますね」

「……魔物自体は弱いが、問題は数か」

〈ランクス〉。その魔物の外見を一言で説明するなら『大きなネズミ』である。二、三メルチ(メートル)級の巨体を持つ以外には何ら特筆すべき能力の無い、雑食性の魔物だ。魔物の危険度を五段階に分類した仲介ギルドが定めている等級においては一番下の『低級』とされており、これは武装した一般人でも駆除出来る程度だと一般的に言われている。

「進軍速度は?」

「概算ですが、三十分かそこらでこの辺りに到達するかと思われます」

 この本営からだとようやく空を飛ぶ魔物の群れが見えてきたところなのだが、地平線というものは案外近い。あまり猶予は無いようだ。

 いや。

 そもそも空を飛ぶ魔物にしては、着くまでに三十分というのは遅すぎる。

「おい。〈紅孔雀〉の群れと〈ランクス〉の群れの速度差はどうなってる?」

「いえ、ほぼ同じと思われる速度で近づいています」

「……まずいな」

 舌打ちしたい気分だ。何がまずいのか報告していた騎士の男は分からない様子だが、不安を煽るだけだろうからディーンは自らの考えを明かさなかった。必要なのは具体的な指示だ。

「よし、今から指示を出す! だがその前に、念の為に確認しておくぞ! 俺達の任務は魔物の殲滅か?」

 問いかけながら騎士達を見渡す。目が合った隊士が声を張り上げて答えてくれた。

「違います! パルミナの防衛です!」

「そうだ! 可能な限り背後へ魔物を通さない! それが俺達のやるべき事だ! ではもう一つ訊く! 図体のでかいネズミがパルミナへ辿り着いたとして、防壁をよじ登れると思うか!?」

 ディーンが目を合わせたまた別の隊士が、少し考える間を置いてから答えた。

「いいえ! 重くなった分、ただのネズミの方が侵入者としては優秀なくらいかと!」

「そうだ! 〈ランクス〉はでかくなったせいでネズミのクセに俊敏ではない! でかいから隙間もくぐれない! 壁も当然登れない! ならば分かるな? 倒すべきは孔雀どもだけだと!」

「「「はいっ!」」」

「俺達が行うのは弓矢での迎撃だ! ありったけの矢をぶち込んで奴らを落とせ! 使える者は魔術を叩き込んでも構わん! ネズミは迎撃の邪魔をするものだけ、最低限倒せばいい!」

 騎士の本分は剣か槍であって、弓や魔術は専門外の者がほとんどだ。だが牙狼隊は戦時における前線を引っ張る存在であり、あらゆる状況での戦闘技術を身に付けた者だけが配属されるエリート中のエリートだ。それほど上手くない者はいても、扱えない者など一人としていない。

「あの、ディーン殿! 仮に〈ランクス〉が自分達に構わず素通りするなら、そのまま行かせるという事でしょうか!?」

「そうだ! お前の懸念も分かるが、都市の防壁がある限りパルミナにとって危険なのは〈紅孔雀〉どもだけだからな。〈ランクス〉を殺す暇があるなら一匹でも多く〈紅孔雀〉を落とす事を優先しろ!」

 騎士達が頷き、ディーンは迎撃のための具体的な指示を出していく。そうしながら、恐らくは〈ランクス〉達はこちらを無視しないだろうと内心では考えていた。

 この場の指揮を預かる身として、先日のパルミナへの不審な魔物襲撃や、本日も同じ事が起きる可能性について十全の情報が彼には与えられている。戦時の活躍を想定されている騎士隊の副隊長なのだ。仮にセイランが戦争するならその相手として筆頭候補に挙がるであろうグレンバルド帝国についても、ディーンは多くの事を知らされる立場にあるし、また、知っておかなければならない。

 魔物を自在に操る能力者がいるというのは帝国軍にまつわる噂話の一つで、ディーンもそれは聞き及んでいた。半信半疑というかほとんど信じてはいなかったのだが、立て続けに起きるパルミナへの魔物襲撃には明らかな作為が感じられる。先程の速度差の報告で、これは確定したかもしれんと、ディーンは心の内で冷や汗をかいていた。

 空を飛ぶ魔物と地を行く魔物が同速度はあり得ない。それはこれから迎撃する魔物達が、〈紅孔雀〉と〈ランクス〉でそれぞれ構成された二つの群れではなく、両者が入り混じった一つの大きな群れである事を示していた。活動範囲の違う別の魔物同士が群れるのだって普通なら考えられないし、特に賢いわけでもない魔物の足並みも自然に揃うはずはないのだが、事実起きている事から考えていくとその結論しかないのだ。

 つまり、この襲撃が人為的に起こされたものだとして。それを行った何者かは千以上の魔物の集団に干渉でき、速度を調整できるほどに全体に常時影響力を持ち、魔物の種類が違っても同じように操れるという事になってしまう。

 まずいどころの話ではない。もし黒幕がいるならだが、それはふざけるなと言いたくなるほどの常識を逸脱した異能の持ち主だ。

 そしてその前提で行くと、パルミナ襲撃にはあまり役に立ちそうにないのに孔雀と同時に移動してくる〈ランクス〉の役割は、ディーン達の妨害としか考えられない。

「……パルミナ南東に展開している別働隊に伝令を送る。いくらか、こちらの〈紅孔雀〉の迎撃に戦力を回してもらおう」

 敵の先陣には到底間に合わないだろうが、むざむざ奴らを街に通すわけにはいかなかった。今は外交上極めて重要でもある一年に一度の祭りなのだ。日本からも人が来ているし、王族のヴェルニア殿下もやって来ている。ディーン達とパルミナの街の間へ増援を寄越してもらえれば、一匹でも多く街へ侵入する〈紅孔雀〉を減らせられるはずだった。

 既に街にも連絡役は向かっているし、そちらにも騎士は待機している。彼らとパルミナの警備隊に後は任せるしかない。緊急依頼をギルドから発令する事で、在住の冒険者や傭兵の助力も期待出来るだろう。

 ふと、ディーンは一月ほど前にやりあった日本人の少年を思い出す。

 そうだ。少なくとも騎士学校には一人、とんでもない生徒がいるのだ。今すぐ宮廷魔術師として活躍出来るであろう少女もセットで。そこの学校で教官をしている後輩騎士もまあ、頼りになるといえばなるのだが、彼には悪いがあの少年は別格だ。誘拐犯の根城に乗り込んだ事から見ても、きっと魔物から人々を守る助けになってくれるはずだった。

「……ふう」

 安心できる要素をわざわざ探そうとしている辺り、どうやら自分は焦っているらしい。ようやくそれを自覚したディーンは小さくため息を吐き出した。この心情を部下に悟られるわけにはいかない。

 敵の質は低くとも異常な規模の襲撃だ。まず間違いなくかなりの数の〈紅孔雀〉を通すだろうし、パルミナにも被害が出る。それはもう確定してしまっていた。



 ◆


 ――パルミナ南東の草原地帯。


 帝国方面から魔物がやって来るとして、必ずしも直進してくるとは限らない。

 街の南東にも警戒が敷かれているのはその程度の理由だった。帝国との国境ルビナ山脈から魔物が現れるのなら、普通に考えてやはり直進ルートの東から来るはずで、要するにこちらはただの保険だ。

 そのはず、だった。


「牙狼隊に出した伝令はまだ戻らないのか!?」

 戦闘特化の牙狼隊でも、王都の警備や王族警護を任される飛燕隊所属でもないただの騎士は、セイランでは総じて『地馬隊』という所属名が与えられる。最も数が多く、最も市井に知られる一般的な騎士である。

 街の南東に配置されていたのはこの騎士達で、念の為にと雇い入れた冒険者と傭兵も加えて、十分過ぎる戦力がここには待機しているはずだった。騎士達が約五十名に雇われた者が二十名足らず。むしろ過剰な戦力だろう、と笑っていた者も多かった。

 だがそれも、数十分前までの話である。

「増援が来てくれないと守りきれないぞ!?」

 警戒を敷いていた地馬隊の騎士達は今浮き足立っていた。

 原因は明らかだ。草原の先には信じがたい光景が展開されているのだから。

「どうなってるんだ……。違う魔物同士で群れてるなんて」

 答えなど返って来るはずのない問いを、気付けばロア=レーダルは発していた。

 魔物の群れだった。十や二十じゃない。数百匹規模の魔物の大群が、地平線の向こうから迫っている。

 まるでこの世の終わりだとロアは思った。このような大群、見た事も聞いた事もない。

 騎士達と冒険者達は揃って、呆然と、あるいは騒然と、敵が迫るのをただ眺めていた。

「どーすんの、これ……?」

「ロア、こりゃ明らかに俺達の手に負える状況じゃねえぞ」

 共に依頼を受けた仲間であるマーリエとヨキも硬い表情だ。ヨキが『逃げるべきだ』と言外に言っているように、他の冒険者グループもどうやら逃げる算段を立てていて、身内で集まり小声で相談している。本来なら雇い主である騎士団の連中がきっちり冒険者達の統率を取るべきだけども、肝心の指揮官もどうやら相当に混乱しているようで、指示もなしにロア達は放置されている状態だ。

「〈グルウ〉だけならどうにかなるんだけどなあ……。さすがに『沼王』は」

 見たところあの軍勢は、何故だか知らないけども三種類の魔物で構成されている。

 野犬のような見た目の〈グルウ〉。

 空を飛ぶ〈紅孔雀〉。

 そして問題なのが最後の三種類目だ。目の無い巨大トカゲという外見の魔物、〈岩沼王(がんしょうおう)〉である。

 見える限りでは数匹程度視界にいるだけで、他の二種よりは圧倒的に少ない。それでも皆を戦慄(わなな)かせるに十分だった。例え一匹だけを相手にしても、たいした実力のないロア達のグループではまず手に負える魔物ではない。ギルドが定めた魔物の危険度の等級では、五段階あるうちの上から二番目に位置している。

 ちなみにこの等級は、一番下の『低級』以外は全て魔物の名が付けられている。低級の次から順に、『魔狼級』、『獅子級』、『沼王級』、そして最上位の『竜骨級』となっており、これらは全てそれぞれの分類における代表的な魔物だ。例えば上から二番目の沼王級は『〈岩沼王〉と同程度の強さの魔物』という意味合いで名付けられており、それで通じるほどにあの盲目トカゲは有名な存在であった。

 丸みを帯びた体に、乾いた泥のような灰色の表皮。主にセイラン南部から大陸西方にかけての湿地帯などに生息する魔物であり、柔らかく鈍そうな見た目に反して恐ろしい強敵だそうだ。もし日本の者がこれを見れば、六メートル級の巨大なオオサンショウウオと形容するかもしれない。

「でもなあ。彼らを見捨てるのも、それはそれでちょっと……」

 もちろん慎重な気質のロアは、戦ってみれば案外勝てるかもなどと自惚れた事は思っていない。それでもやっぱり、騎士達に魔物の相手を押し付けてここから逃げ出すという選択は、彼の性格からすると非常に選びづらいのだ。

 ヨキがぎろりとこちらを睨みつける。

「おい、馬鹿な事考えるなよ? 街を守るのは騎士団の仕事、騎士団の心配すんのはあいつらの指揮官の仕事だ。金で雇われただけの俺達冒険者は、自分の命の心配だけしてりゃあいいんだ。どう考えても報酬に見合った仕事じゃないしな」

「で、でもさ。これ、このままだと騎士団の人いっぱい死ぬんじゃないか?」

「俺達がいても死ぬ。間違いなくな」

 ヨキは非情な事を言っているわけではない。自分達がいれば大丈夫かもしれない状況で逃げ出すなら、ロアもすぐに何か反論出来ただろう。ヨキは冷静だけど、冷酷な人間じゃない。状況をきちんと見て彼は言っているのだ。騎士達は見捨てろと。

 言い返せずに歯噛みしていると、ばしんと強烈な衝撃が背中を襲った。

「ごほっ!?」

「しゃっきりしなさい。何辛気臭い顔してんのよ、仮にもリーダーでしょ」

 不意打ち気味にロアの背をかなり強く叩いたのは、仲間のマーリエの手だった。いきなり何をするんだと目をやれば、赤毛の女冒険者は仕方ないわねという風に優しげな笑みを浮かべている。

「どうせさあ、あんたは他人を見捨てられるような性格じゃないのは分かってるし? 私達の安全重視でいきながら、出来るだけの援護をすればいいじゃないの」

「何言ってるマリ! ちょっと援護したところで変わる状況じゃ――」

「ヨキこそ黙ってなさい! あんなおかしな魔物の群れが一直線にやって来るのよ? どう見ても狙いはパルミナじゃない! ここで頑張らないと私達の街はメチャクチャよ!」

「街よりも俺達の命だろ!」

「そうね! でも街だって大事でしょ! 皆の住む街を守るのに、ちょっとくらいは手を貸そうってあんたは思わないわけ!?」

「二人共落ち着いて! どっちの言う事も分かる! 分かるからさ!」

 声高に口論を始めた二人の間にロアは必死に割り込んだ。なんとか宥め、固唾を呑んで見守っていた他の仲間達を順繰りに見て、決意した。

 マーリエの言う通り、仮にも自分がリーダーだ。こういう事はきっちりとロアが決めるべきなのだ。

「……僕は、限界ぎりぎりまで騎士団を援護しようと思う。沼王を避けて〈グルウ〉を減らすだけでも、助けになるはずだから。危険だし、報酬に見合った内容じゃないのは分かってる。だから強制は出来ない」

「……そこで『皆の命を預けてくれ』とは言えないとこがお前らしいよ」

「ヨキ、僕は大丈夫だ。ちゃんと引き際を間違えずに逃げると約束する。だからヨキは気にしないで――」

「誰が俺だけ逃げると言った」

 不機嫌そうにヨキが鼻を鳴らす。

「へ?」

「お前は甘ちゃんなんだから、どうせずるずると居残って逃げ遅れるのがオチだろう。俺が引き際を見極めてやる。もう無理だと思ったらふんじばってでも連れ帰るからそのつもりでいろ。……おいマリ、何がおかしい?」

 マーリエが口元を手で覆い、大袈裟に笑いを堪えるような顔をしていた。

「べっつにぃー? もう一人甘ちゃんがいるなーとか、そんな事全然思ってないけどー? ……うぷぷ」

 ヨキじゃなくてもなんだかすごく腹立たしい表情でわざとらしく笑いを漏らすマーリエ。ヨキの頭で何かが切れた音をロアは聞いた気がした。

「てめえマリ何がおかしい!? おいこらこっち向け!」

 ぎゃーぎゃーと喧しい二人は放って、ロアは残りの二人の仲間達を見やった。なんというか、緊張すべき場面なのにどうにも気が抜ける。

 無理に一緒に戦ってもらうつもりは全くなかった。それでも残る仲間達も軽い調子で、ここに居残る事に同意してくれたのだった。



 ◆


 離れた上空から見下ろした光景は圧巻と言えた。

「すごい、人……」

 肉眼ではとても見えない距離が空いているが双眼鏡を使えば問題ない。魔術の存在する世界においても非常識と言える場所――雲すら近い空の上から、フードをかぶった人影がパルミナの街を眺めていた。

 帝国軍、第二特化兵団の女である。

 風でローブが激しくはためく。女が立っている場所はあまりにも異常だった。

 空を泳ぐ不可思議な巨大エイ――〈キャリイール〉と名付けられた、世界でも目撃例の少ない希少な魔物の背の上にいるのだ。

「あれだけの人が集まるなら、さぞかし騒がしいお祭りなんでしょうね。任務だから仕方が無いとはいえ、あれを今からぶち壊しにするのも少し気が引けるわ……」

 憂鬱そうな声音。彼女は何も、独り言を言っているのではなかった。もう一つの影――相方に聞こえるようにと漏らした呟きだ。

 とはいえ、その相方が何か言葉を返す事はない。

「クゥン?」

「ああごめん。相談じゃなくてただの愚痴。気が引けるとは言っても、今更止めたりしないわよ」

 エイの外縁部近くに立つ女の後方に、それは座っていた。

 大きな狼だ。よく手入れされ整った黒に近いグレーの毛並みに、精悍な顔に黒い瞳。その左目の上を横切るように白い傷跡が走っていた。ただしそのような傷を持ちながらも、狼の両の瞳は健在だ。

 知識のある冒険者か学者が見れば、まず〈群狼〉かと思った後、それにしては異常な大きさだと首を傾げるだろう。〈群狼〉の大きめの個体を想定しても、更に二回りかそれ以上の巨体だ。新種の狼型の魔物か、あるいは突然変異で生まれた巨体の〈群狼〉か。恐らくそのどちらかだと判断するはずだ。

 巨狼の近くでは何匹もの赤紫色のコウモリがぱたぱたと飛んでいる。ソリオンでも一部の洞窟にのみ生息する〈怪音コウモリ〉というあまり知られていない魔物だ。耳障りな鳴き声を発するだけで、人に対しては何の脅威もない――そう、思われている(・・・・・・)魔物であった。

 三種もの魔物が傍にいる、異常に過ぎるこの状況を。女はまるで至極当然の事のように受け入れていた。

「東も、南東も、手筈通り。騎士団の奴ら必死に応戦してるわ」

 愉悦も同情もなく女はただつまらなさそうに淡々と言って、双眼鏡を使わずに街の周囲を見下ろした。豆粒のような大きさの人か魔物かも分からぬ点が入り乱れ、激戦が繰り広げられている。

 他人事のようにひとしきり眺め、女は巨狼へと振り返った。

「それじゃ、本命(・・)を動かしましょう。ウルク、西の魔物達に伝令をお願い」

 アオン、と。まるで人語を解しているかのように、ウルクと呼ばれた巨狼が鳴き声を返した。

 巨狼の頭上を飛び回っていた〈怪音コウモリ〉の一匹がパルミナの西の空へと飛び立っていく。女はしばらくそれを見送り、気だるそうに息を吐いた。

 騎士団は街の東と南東で足止めをくらっている。前代未聞のこの事態に混乱し、警戒されていない街の西側からの襲撃に気付くのは遅れる事だろう。そもそもいち早く気付いたところで対応するための人員が足りない。それだけの戦力が今回用意されている。

「……これで何人、死ぬでしょうね」

 乾いた声音で彼女が漏らした呟きは、吹き抜ける風に紛れて消えていった。


 魔物と意思を通わせ、従える。

 ソリオンに生きる者達がほぼ例外なく一笑に付すほどの、冗談のような異能がここには実在していた。異質な力を持つ者が集められた、帝国軍第二特化兵団においても尚異質なその力。知る者達は畏怖を込め、女をこう呼んでいた。

『魔物姫』カーチア=ノーチェと。



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