40 拝謁
「そういえば亜竜山脈の時はもう一人女の子がいたと思うんだけど。あの子とは合流できないのかい? 出来れば全員招待したいし、少しくらいなら待てるよ?」
満月亭を出てすぐレイゴルからそんな提案があったのだが、鋼は首を横に振ってそれに答えた。
「……あいつはそもそも今、この街にいなくてな」
「そうなのか。それはしょうがないね」
それから十分ほど彼について歩き。
案内された場所は、日本人街の中でも学園方向に近い、日本企業が出資している系列のとあるホテルだった。
思っていたよりも大仰な場所に連れて来られたが、それでも高級ホテルというわけではない。一国の姫を護衛する飛燕隊の騎士が、果たしてこんなところに宿を取っているのだろうか? 護衛対象と同じ場所に泊まるのが自然ではないのか。
疑問と僅かばかりの警戒を抱きながらも、鋼達四人は一階のある客室へと招待されたのだった。
「よく来てくれた。一方的に呼び立てる形になってしまい、すまない」
部屋のドアをレイゴルがノックし、許可をもらって入室した鋼達にまず投げかけられたのは謝罪の言葉だった。
声の主はカシュヴァーであり、その点について驚くべき要素があったわけではない。ルデスで会った時にも見た、彼の副官らしいレイキアという女性もいたが予想の範囲内だ。鋼が咄嗟に返答できなかったのは、室内にいた最後の一人――三人目の存在を認めたからだ。
ふわりとした光沢ある金色の髪を持つ、碧眼の少女がいた。
まとう空気がその辺の一般人のものではない。高貴とでも表現すべきだろうか。ぞんざいに扱うのは憚られる、強い存在感を持つ少女だった。学園で何人も貴族の生徒を見ているが、これこそ本物だと鋼に感じさせた。
どこか優しげな目鼻立ち。室内で彼女だけが椅子に座り、微笑みをたたえて行儀良く佇んでいる。鋼は彼女を知っていた。
面識があるわけではない。知り合いでもない。だがパルミナにやって来る前、セイラン王国と外交が始まった日本において、何度かテレビで見た顔だった。
「お呼び立てしたのはわたくしなのです。ご足労、感謝致します」
立ち上がりぺこりと会釈したその少女は、セイラン王国第二王女ヴェルニアその人であった。
「初めまして。ヒータ=トネト=ヴェルニア・セイリアスと申します」
それがフルネームらしい。驚く頭をどうにか働かせ、鋼は目上に名乗られた時の正しい対応をした。
「神谷鋼と申します、王女様」
「まあ、これはご丁寧に、ありがとうございます」
ヴェルニアは何故か意外そうな、それでいてどこか楽しそうな顔になった。心外だ。礼儀を知らない乱暴な口調だからそのつもりで、とか騎士に言われてたんじゃないだろうな。そんな事を思いつつも、鋼もさすがに安易には顔に出さない。
続いて凛が一歩前に出た。
「お初にお目にかかります、村井凛と申します。お会い出来て光栄です、ヴェルニア様」
貴族の作法に則った、いや鋼にそれを判断できる知識など無いのだが、とにかく貴族っぽい所作で凛は制服のロングスカートを摘み、丁寧なお辞儀を送った。かなりいいとこの育ちである凛だから、ヴェルニアから見ても恐らく堂に入ったものだったのだろう。鋼に対する時よりも更に驚いた風だった。
それから日向とかなり敬語が拙いクーも挨拶と返礼を済ませ、話題は呼び出された用件へと移る。
「二年前の事で、こうして直接お礼を申し上げたかったのです」
「お礼、ですか。彼ら騎士達を助けはしましたが、王女様に直に会ってまで感謝される心当たりはないんですが」
「まあ。もしかしてご存知ないのですか?」
「何をですか?」
「わたくしの病の事です」
「いえ……、病気なのですか?」
「以前はそうでした。竜脈草により、こうして完治できましたわ。騎士達とあなた方のおかげです」
自分が重病であり竜脈草が必要だった事、それを入手するためカシュヴァー達一行はルデスへと赴いた経緯を王女は説明してくれた。
セイランの市井では有名な逸話らしい。思ったよりもあの人助けは大きな影響をこの国に与えていたようだ。
「あなた方はわたくしとわたくしの騎士達の命の恩人。改めて御礼申し上げます」
そう言ってヴェルニアは深々と頭を下げた。凛はこの相手に頭を下げさせていいものかと戸惑ったようだが、鋼は素直に受け取っておく事にした。そうすべき場面だろう。王族の立場としては下げるべきではない頭だろうが、それでも実行したのはそれだけ配下の騎士達を大切に思っているから。そんな気がした。
「まあ、当時手伝った謝礼は既にもらってますし、今更謝礼金寄越せなんて言わないんで安心して下さい。今日の用件はそれだけですか」
早々に話を切り上げようとする鋼に、王女も騎士三人も焦ったような顔をした。
「命を助けて頂いたのです。言葉で謝意を示しただけで帰らせては王族の名折れ。せめて恩義に報いたいのです。何かお望みのもの、もしくは何かお困りの事はございませんか」
面倒な事になった、というのが訊かれた鋼の最初の感想だった。
王族の名折れとまで言われては、それさえも突っぱねてこのまま帰るのはいい感情を残さないだろう。しかし正直、この提案には魅力を感じない。
「コウ、それなら依頼してみてはどうだ? リ――」
「クー」
振り返り呼びかけた言葉は、口を滑らそうとしたクーの台詞を途中で縫いとめた。ほとんど睨むのに近い鋼の視線を受け、表情をなくして彼女は黙り込む。
そうして王女達に向き直り、鋼は意識して穏やかな口調を作った。
「王女様に直接言葉をかけてもらった事からして、育ちの悪い俺達には十分過ぎる栄誉ですよ。これ以上の望みはありません」
それは明確な拒絶だった。言葉の裏の意味が理解できないはずがない、貴族社会で育ってきた王女と騎士達は、はっきりと表情を硬くしている。
恩を売ったのがただの貴族ならまだ良かった。望みを聞かれたら、鋼は『彼女』の捜索を依頼していただろう。
だが王族は駄目だ。
軽々しくパイプを作っていい存在ではない。王女の名前で調査が行われ、首尾よく『彼女』を見つけられたとしても。王族が直々に関わったという事実はあらゆる興味を引きつけるだろう。
それは避けなければいけない。鋼達にはどうしても隠さなければいけない秘密が一つあるからだ。
明るみになれば、この国にすらいられなくなる秘密が。
それはただの一般人に知られたところで誤魔化しが効く事なのだが、相手が王族となると非常にまずい事態になる。
「……しかし、姫様はそれではご納得いかない様子。なんでもいいのだ、何か無いだろうか」
カシュヴァーに問われてもう少し考えてみるが、お金、くらいしか浮かぶものがない。もし要求して大金が用意されたとして、それは王女のポケットマネーから捻出されるのだろうか。
あって困るものではないが……。『彼女』を探すための資金にしても、鋼達がパルミナから出られないからアルバイトで悩むのであって、卒業後は解決するであろう問題だ。切実に欲しいというわけでもなし、やはり断りたいのだが。
何か気に障るような発言をしてしまったのだろうか、という不安そうな表情をそれほど隠せていない王女をちらりと見る。
内心でだけため息をつき、鋼は少し本音を見せる事にした。
「……俺達は日本人で、違う奴もいますが、二年はこの街を離れられないんです。気を悪くしないで聞いて欲しいんですが、王女様に直接何か褒美をもらって、学内で目立つのは避けたいんですよ。王女様と繋がりがあるのか、と近寄ってくる人間だっているでしょうし」
なので、強く欲しいと思うものも無いから、謝礼は辞退したい。そのような旨を鋼が語ると王女一行はほっとしたようだった。
「それではそのように配慮致します。内々に、となると国の予算は使えませんので、わたくし個人に出来る事はやや限られてしまいますが……」
「……あの、国の予算使う気だったんですか?」
「当然です。出来うる限りはご希望に沿うつもりですよ?」
にっこりと王女は笑う。
いやちょっと、そこまでの意気込みで恩返しされても重たいというか。迷った末に鋼は言った。
「国民が働いて納めた税金は、国と国民のために使ってやって下さい」
「まあ。ありがとうございます。ご心配なさらずとも、国の事を疎かにするつもりはありません。使った予算分は、わたくしのこれからの働きできっちり取り戻し、補填させて頂くつもりですわ。カミヤ様ご一行への謝礼として、ある程度の予算を割くのは既に承認されておりましたし……」
「え? あのちょっと、王女様? 何か今、聞き捨てならない事が……」
「はい、その。目立ちたくないという事でしたので申し訳ないのですけど、二年前の騎士達の報告もありまして、わたくしや議会の関係者にはあなた方の事は知られておりますわ。……あの、目立たないよう、話を広めるなと触れを出した方がいいでしょうか?」
冗談で言っているのかと思いきや、王女の顔は本気だった。この王女、かなり素でボケているというか天然らしい。
それは逆効果なのでとカシュヴァーにやんわりと窘められ、少し顔を赤くした王女は居心地悪そうに身を縮めた。誤魔化そうと思ったのか、話題を変える。
「あ、あの! それでは、何か謝礼については後で考えますので。良ければ亜竜山脈のお話をお聞かせ願えませんか?」
「それはまた、どうしてです?」
「わたくしにとって憧れなのです! 亜竜山脈を散策するような気楽さで探検するカミヤ様達のお話は、何度わたくしの励みになったでしょう。是非ともご本人の口から山脈での話をお聞きしたいのです」
瞳をキラキラさせながら、興奮を隠し切れないという様子でヴェルニアは話をせがんでくる。なんたる事か。王族と関わり合いになるのは御免だというのに、これは完全に気に入られていないだろうか。
――仕方が無い、か。
鋼はいよいよ観念してこの状況を受け入れる事にした。なんとなく、彼女とはこの場で別れてこれっきりとは出来ない気がする。
ただ、せめてもの抵抗というか最後の悪あがきとして、つい意地の悪い事を口走ってしまった。
「話すのは構いませんが、その代わり王女様の話も聞かせて下さい。病気だった頃の苦労話とか」
騎士達が一斉に眉をひそめる。レイキアが険しい顔で口を開いた。
「カミヤ殿。殿下に対し少々、気遣いの足りぬ発言ではありませぬか?」
「……へえ? あんたはそう思うのか?」
礼儀をかなぐり捨てて鋼が揶揄するように問い返すと、怒るべきなのかその意味を考えるべきなのか、判断がつかずに戸惑ったような顔を女騎士は浮かべた。それでも何か言い返そうとしたらしいレイキアを、カシュヴァーが手振りで抑えるよう示す。
騎士の分隊長は言わんとする事を察したようだ。
そして、王女も。
「いえ。すみません、カミヤ様。無礼はこちらでした。先にこちらが問いかけた事も、全く同じ意味ですものね。あなた方はほとんどがニホン人。望んで亜竜山脈にいたのではないと、こちらも察せられますのに。あなた方の過去の苦難を想像せず、軽々しい質問をしてしまいました。お許しください」
「ああ、いえ。怒ったわけではないんです、王女様。頭を上げて下さい」
ここまで殊勝な態度を取られるとは思っていなかったので、鋼は逆に慌ててしまった。この王女、王族というものの一般的イメージとは異なり随分と腰が低い。
「ただ、今の俺の質問で怒られるようだったら、こちらも王女様の質問に怒ってみせるべきだろうかと、そのような事を思った次第で。実際に気分を害したりはしていません」
「まあ。カミヤ様は思ったより意地悪でいらっしゃいますのね」
王女が口を尖らせて言う。そこに刺々しさは感じられなかった。
「すいません、王女様。以後なるべく控えるようにしますのでお許しを。そして王女様から謝罪の言葉を頂いたので、こちらも謝罪すべきですね。過去の病気の事、軽々しく口にして申し訳ありません」
「頭を上げて下さいカミヤ様。わたくしも気分を害したわけではありませんから」
まるで決められた台本の台詞を諳んじるように、王女はどこか楽しそうに頭を下げたこちらにそう声をかけた。先程とは逆の構図であり、互いに分かった上での言葉遊びだ。鋼は顔を上げ、目が合った王女とほんの僅かにだが笑いあった。
ああもう。
鋼の悪癖というか。ついつい試すような真似をしてしまったが。
この王女、ちょっと気に入ってしまったかもしれない。
いきなりの和やかムード到来に、レイキアはとても不可思議そうな顔をしていた。なるほど、マルと同じ系統の空気の読めない直情型騎士なのだろう。脳内で勝手に失礼な決めつけをしつつ、鋼は連れの少女達を振り返る。王女に対する鋼の感情を背後からでも察しているらしく、皆意外そうにこちらを見ていた。
「ルデスの話俺が勝手に出しても構わないか?」
「それは、はい。お任せします」
当然隠すべき事は隠す。言外の意味も察し少女達が頷いたので、鋼は王女の期待に沿うよう、適当な話を二、三聞かせてやる事に決めた。
とはいえ昼休みは有限である。
王女のお付きの騎士三人や鋼の連れ達も合わせてしばらくルデスの話に花を咲かせていたのだが、そろそろ帰らねばならない時間が迫っていた。
そろそろお暇すると告げると、王女は残念そうに頷き、そして突如慌てだした。
「謝礼を何にするか考えていませんでした!」
そういえば鋼も特に考えていなかった。
議会の関係者に鋼達の事は知られているというし、目立たぬよう断るというのも今更な話に思えた。適当に何かあっても困らないものをもらえばいいだろうか。
「あの、コウ」
悩んでいると、背後から近づいて来た凛から控えめな声がかけられた。
これを要求してはどうか、という提案がそっと耳打ちされる。吐息が微妙にくすぐったいが、そんなもの話を聞くにつれて全く気にならなくなった。
「へえ。なるほどな……」
「あ、あの、なんとなく思いついただけですから。コウの考えを優先して下さい」
「いや、俺のよりずっと名案だ」
恐らく鋼が悩み続けたとして、やはり金しかないか、という結論に辿り着いたと思う。凛が出したアイデアはそれよりも有用な報酬となり得るものだ。
「決まったのですか?」
何故だか嬉しそうに訊ねてくるヴェルニアに、鋼は望みを口にした。
聞いた彼女は、驚きと納得が入り混じった表情でしばらく考え込み「用意できると思います」と答えたのだった。