38 護衛官と近衛騎士
「……書類に不備は無いようだな」
こちらが提出した紙を手に、シシドがため息でもつきたそうなテンションの低さで確認を終える。
ここは授業の合間に訪ねた教官の準備室で、向かい合うシシドはどことなく不機嫌そうだった。
「そんな不満そうに言わんでも。……もしかして、何か問題あります?」
「特には無い。制度上は何も問題がないから、あとは学長に提出すれば受理されるだろう。が、なにせ前例が無い事だ」
「前例が無いのはそんなにまずいっすかね?」
「何事にも伝統と格式を重んじる貴族の生徒もいるからな。突っかかるきっかけ位にはなる。問題があってもその程度で、これがニホンの一生徒なら俺もそう心配はしないが……」
「ああ、なるほど。その前例の無い生徒が俺なもんで、また何か大きな問題に発展しやしないかと、今から気が気でないってトコですか」
「よくもまあ他人事のように……」
苦りきった顔で呆れられてしまったが、彼のそういう表情を最近見慣れてきた鋼は平然と受け流した。
シシドは軽く咳払いして、鋼の隣に立つ人物に対しては口調を改める。
「すいません、お待たせしました」
「ああ、大丈夫。このくらい待ったうちに入らない」
シシドは正面から彼女を直視するのをなんとなく避けている風に見えて、少し面白かった。
「それでは、これからよろしくお願いします。カミヤが何か無茶をしようとしたら、止めてもらえると助かります」
「承知した。……コウが無茶するような機会などそう無いとは思うが」
「いえ……。中々、目が離せない生徒ですので」
この人は犯罪組織に乗り込んだ例の一件については知らないのか、というような視線が鋼に向けられる。軽く肩をすくめつつ頷いておいた。
現在学長室には来客が来ているそうで。この書類はこちらで学長に渡しておくと言ったシシドに後の事は託し、鋼達二人は準備室を出た。
話しながら廊下を歩く。行き交う生徒達が皆、鋼の同行者に目を留めては振り返ってくる。
学内にいるクーの姿は相当に目立っていた。
「お、省吾達がいるな」
クーを引きつれ教室に戻ろうとしていた鋼は、その途上でばったりと友人を発見する。省吾と有坂、そしてそれぞれのルームメイトという組み合わせの四人が進路上にいる。
声をかけようと近づけば、有坂も目を丸くして意外そうな声をあげた。
「え、神谷君と……、クーさん? なんで学校に?」
クーと面識のある有坂と省吾は多少驚いてるだけだが、初対面のあとの二人はぽかんとしていた。やたらと存在感のある美女の登場に、驚きで言葉もないという様子だ。
「丁度良かった。改めて紹介しとく」
言って鋼がクーの肩を軽く叩けば、意図を読んだ彼女は一歩前に出た。
どこか自慢げというか誇らしげな表情でクーは胸を張る。
「今日からコウの護衛官となった、ダリア=クーレルだ。よろしく頼む」
「へ?」「護衛官?」
有坂と省吾が訊き返す。ああ、と頷いたクーに続いて鋼も説明を加える。
「貴族が連れて来てる護衛の人は学園じゃ護衛官って扱いだろ? あれの手続きを今済ませてきた」
そう。
クーことダリアクレインは、正式に鋼の護衛扱いとして学園に通える事となった。
昨日パルミナに帰ってきたクーがその提案を持ちかけてきた時は、そんな事が可能なのかといぶかしんだものだ。だが結局、一日準備に駆けずり回るだけでそれが成し遂げられてしまった。どうもルデスに様子見に帰った際に授かったニールの入れ知恵らしい。
クーだけ学園の生徒でないから、二年間は鋼達とあまり行動を共に出来ない。そういった不満を漏らしたところ、ニールが色々と手配をしてくれたのだという。魔術協会が保証する正式な身分証明と、高位の魔術師であるニール個人からの推薦状を携えてクーはこちらに帰ってきたのだった。人里離れて暮らすニールでも協会というものには一応所属しており、コネもあるのだそうで。
あとは鋼が日本の実家に連絡して承認を得てそちらの名義も貸してもらいつつ、しかるべき書類を用意するだけで済んだ。
ちなみにやはりダリアクレインという本名そのままは若干まずいので、気を利かせたニールが用意した名前が『ダリア=クーレル』である。これからはそちらの名前を使うそうなので、偽名というより改名だ。
「え、じゃあ、ほんとに?」
「日本人でも護衛官って連れて来ていいものなん?」
「ああ。俺もちょっとだけ調べたが、制度上は何の問題もなかった。日本人に護衛官がつくのは学園でも初めてらしいがな」
仮にも貴族の子女が通う学園なので、どこぞで雇っただけの護衛を連れて来ても認められたかは怪しいところだ。ちゃんとした身分証明がありニールという後見人もいて、鋼の実家が責任を負うという形なので、本来鋼の家とは何の関係もないクーでも認められたのである。
「あれ? でも男子生徒に女性の護衛官って認められるの? 寮に入れないんじゃ……」
「いや、寮は駄目だが問題ないらしい」
たとえ鋼の護衛官でもクーが男子寮へ立ち入るのは厳禁だ。その代わり護衛官も寮生活を共にするので、寮にいる間は男子生徒は男性護衛官が、女子生徒は女性護衛官が、雇い主でなくともそれぞれ警護を担当する。そういった制度が騎士教育学園では取られている。
それに元々貴族が一人もいない学園から離れた第二男子寮・女子寮に関しては、学園自体に雇われた護衛官が派遣されて常駐しているくらいなので、性差があるから寮では護衛できない、という問題はたいしたものではないのだ。
鋼も調べてみて初めて知ったそれらの事情を語ると二人とも納得したようだった。それでもこの展開への驚きが冷めやらないのか、いまだ少し呆然としているようだが。
「そちらの二人もコウの学友かな? よろしく頼むよ」
「え、あ、はい! こちらこそよろしくお願いします! 私、魚住真紀って言います!」
有坂のルームメイトの魚住がやたらと挙動不審な態度で挨拶を返す。一ヶ月そこそこの付き合いでもっと遠慮のない快活な奴だと思っていたのだが、その彼女ですらキョドらせるとは。クーの容姿恐るべしと言うべきか。
最後の一人、省吾のルームメイトも大いに緊張しているようだった。
「よ、よろしくお願いします。ウチはケンネル=レゾナというモンです」
関西弁らしきものを喋っているが、省吾とは別。こちらの世界ではトリル訛りと呼ばれる方言であり、ケンネルはトリル共和国からの留学生だ。緑髪の外人顔の少年の口から関西弁が飛び出すものだから、入学当初は鋼も違和感が凄かった。どういう相似か、トリルの方言は日本の関西弁とほぼ同じものなのだ。省吾と同室になった理由にその方言が関わっているかは定かではない。
ケンネルとも一ヶ月そこそこの付き合いなので鋼もその人となりは把握している。魚住と並ぶやたらと快活で明るい、むしろ騒がしい類の性格なのだが、まるで別人のように大人しい自己紹介だった。
「それにしても驚いたわ……。しばらく見ないと思ってたらいきなり護衛官だもの」
「まあな。といってもあんまり俺の護衛ってつもりは無いんだがな。俺の受けてる授業なら一緒に受けてもいいらしいから、クラスメイトが一人増えた程度に思っといてくれ」
生徒として入学するよりは手段的に楽だったから、護衛官という体裁を取っただけだとはさすがに公然と言いづらい。ちなみに単独で冒険者稼業を長く続けていたクーは資金的にかなりの余裕があり、諸々の費用はそこから出ている。実態としても鋼が雇ったとは言いがたく、独力で入学してきた転校生といった感覚でこちらとしても扱うつもりだ。
「実を言うとな。日向にもルウにも、この件については伏せてたんだ。今から教室行くんだが、ついてこねえか? あの二人の驚く顔が見られるぞ」
「いい性格してるわね……。道理で私も聞かされてなかったはずだわ」
出歩いていたのはたいした用事では無かったようで、結局四人もついてくる事になった。
――教室でクーから新たな名での自己紹介を受けた凛の顔は、本当に見物だったとだけ言っておこう。
そういうわけで、鋼の学園生活にクーという護衛官が加わる事となったのだった。
「全くもう、何かこそこそしていると思ったら、私達を驚かそうと秘密にしていたなんて……」
「いい刺激になったろ?」
その日の放課後。
いざ帰ろうという段になっても愚痴らしきものをこぼす凛に悪びれず言い返しながら、鋼は学園の前庭を歩いていた。
既に学園敷地内の第一寮で暮らす、省吾・有坂・マルケウスといった面々とは別れた後だ。第二寮へと帰路につくのは鋼・日向・凛・クー・片平の五人である。クーは第二女子寮に住まうのが決定していた。
男一人に女四人なので鋼はこの時間になるといつも微妙に肩身の狭さを感じている。多分片平がいるからだろう。不思議と、谷と山脈を共にした戦友だけであればそういった感覚を抱いた事はないのだが。
「日向がそこまで驚いてなかったっぽいのが悔しかったがな」
「そんな事ないよー。すごいびっくりしたよ?」
「確かに日向ちゃん、なんだか普通の反応でしたよね……」
「『へえ、そうなんだ! びっくりしたよ。よろしくねクーちゃん!』みたいな感じだったからな……」
クーがその時の日向を真似て言う。本当にそんな感じに、さらっとした反応だった。むしろ片平の方が驚いているように見えたくらいだ。
ほんとにこの幼馴染は。ちびっこい背丈を視界の端に映しながら鋼は思う。鈍いのか鋭いのか、本当によく分からない。些細な事で大袈裟に驚いたりする癖に、異様な察しの良さを見せる時もある。今回の事も、クーが護衛官として現れても想定していたかのようにある程度は落ち着いていた。
「ん……? ね、ねえ鋼! あれ見て!」
その日向が突然慌てたように前方を指差しだしたので、鋼は一体何事かと反射的にそちらを向いた。クーに対する時よりも明らかに驚いている。
向いた先には校門付近に立つシシド教官の姿があった。
誰かを見送りに来ているようだ。校門から去ろうとしている人物に何かを言いながら頭を下げている。あれが学長室の来客だろうか?
そんな推測はその人物の顔を見た瞬間、何もかも吹き飛んだ。
「あのおっさん……!」
知った顔だったのだ。
◇
来客を見送り、シシドは肩の荷が降りた気分だった。
――やはり緊張するものだ。同じ騎士の立場とはいえ、身分が違いすぎる。
相手は知名度でいえば『紅蓮の騎士』ディーン=グレイルにも勝るであろう、伝説の騎士。そして飛燕隊の分隊長である。
王城と王族を守護する飛燕隊といえば、最も栄誉ある騎士のエリート集団と言われている。その性質上平民が所属する事は許されず、権力を振りかざすだけの貴族もお断りという、血筋と実力、双方が必要とされる騎士隊だ。
加えて分隊長ともなれば、雲の上の人と表現しても過言ではないほどの地位にいると言える。セイラン王国では一人の王族につき一つの分隊が警護を担当する。ある王族を守護する複数の騎士の中で、分隊長とはその最高位にいる責任者なのだ。
彼が来客した用件は明日の警備計画の打ち合わせだった。警備上の理由からまだ公的には伏せられているが、明日はヴェルニア王女殿下の学校見学が予定されているのだ。
その打ち合わせも無事に終わったところである。
また明日はより一層気を引き締めなければなるまいが、本日はもう緊張する必要もないとシシドは一息ついていた。そんな時にこちらの背後から、一人の男子生徒が追い抜くように隣を通り過ぎていく。
その生徒がカミヤであり、その目的が明らかに今見送った客人であると気付いた瞬間、シシドを先程とは比べ物にならない緊迫感が襲った。
――また何かやらかすつもりか!?
そうして、カミヤは正門を抜け、かの騎士に追いつき声をかけたのである。
「よう、おっさん!」
……ああ。
あまりに礼を欠いたカミヤの挨拶に、シシドは半ば呆然としてしまった。
相手は貴族である。第二王女の近衛であり、英雄とも呼ばれる伝説の騎士である。発言力・影響力でいえば、この学園の学長より上かもしれない、そういう立場の相手である。
いや、だが間に合う。
かの騎士の性格は狭量なものではなかった。今すぐにカミヤに追いつき無礼を謝らせる。そうすればきっと、万事問題なく収まるはず。
奮起し、駆け出そうとしたシシドは見た。
かの騎士の予想外の反応を。
「カミヤ殿ではないか!」
なんだか旧友に再会したような口ぶりで、かの騎士――カシュヴァー=ニル・ルイーツは笑みを浮かべたのだ。
訳が分からず足を止めたシシドの横を、ムライとカガミ、そしてカミヤの護衛官の女性が通り抜けていく。彼女達も声をかければ、ルイーツ卿も驚いたようにそちらを見て、そして親しげに言葉を交わしだした。
「……?」
どういった状況か咄嗟に理解できず、シシドは立ち尽くす。
その隣にカミヤ達とよく一緒にいる女子生徒カタヒラが並んだ。
「あの、知り合いだそうですけど……」
シシドの心境を察してくれたのか彼女はそう教えてくれた。
「そう、か……」
カタヒラは特に知り合いではないのか、カミヤ達には混ざらず様子見しているようだった。なんとなくシシドも一緒になって、騎士とカミヤの歓談を眺める。
半ば伝説と化しているかの騎士の逸話を思い出す。亜竜山脈に落ちた迷い子であるカミヤ達なら、そこで知り合いになる機会もあったのかもしれない。そういう事で納得しておいた。
ルイーツ卿は敬語だというのにカミヤ達が普段の口調で話しかけている事がかなり気になったが。シシドは努めて、深く考えるのをやめた。カミヤとの付き合い方においてこの心構えは重要なのである。
なんだかどっと疲れた。
この光景を見なかった事にして学園に戻るか、シシドは真剣に検討を始めた。