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ソリオンのハガネ  作者: 伊那 遊
第一章・新入生の問題児たち
35/75

 33 一夜明けて・続


 昨日も来たばかりの教官の準備室に、鋼達七人の姿があった。

「さて、お前達……」

 シシドが迫力と凄みをその眼光に乗せ、低い声音で問いかけてくる。

「朝一番にここに呼ばれた理由は分かっているな?」

 その視線の鋭さはもはや睨んでいると表現しても間違いではない。彼を怒らせる事をした自覚が一応鋼にもあるので、なんともばつの悪い気持ちを味わう。顔にはそれを出さないが。

「ええと、なんですか? 正直、分からないんすけど……」

 戸惑ったように鋼が答えれば、『しらばっくれるな』と言いたげな目がこちらに向けられる。ますます困惑したように演じて見せると、シシドも苛立ちをにじませて鋼の目をじっと覗き込んでくる。

 今こそ魔物相手のサバイバル生活で鍛えられた度胸と図太さが試される時である。本当に心当たりは無いとばかりに鋼は全力でしらばっくれた。

「あの、教官?」

「……昨日相談された誘拐事件、解決したそうだ」

「らしいですね! 今朝登校する前に店に様子を見に行って、俺達も知ったんです。誰が助けたのか知りませんが本当に良かった……」

 情感溢れる安堵のため息さえ鋼が漏らしてみせると、いくらなんでもわざとらし過ぎないかという視線がマルや有坂の立っている辺りから飛んできた気がした。もちろん気にしないが。

 鋼の他に呼び出されている六人は、日向・凛・省吾・有坂・片平・マルである。昨日の兜男がシシドに情報を伝えたにしても、あの男に直接向き合った鋼と凛以外も呼ばれている。昨日この七人は寮の門限までに帰るのが間に合わなかった。それを知ったシシドが、事件解決のタイミングから事実を推測したのだろうと思われた。

「お前達は昨日、放課後に出かけていて門限までに帰らなかったそうだな?」

「ええ、まあ。寮監から聞いたんすか? このメンバーで親睦を深めようと出かけてたんですが、ついつい時間を忘れてしまって……」

「ほお? あんな事件の最中だったというのに、お前達は暢気(のんき)に街を散策していたと?」

「教官に余計な事はするなと釘を差されてましたからね。だからといって放課後真っ直ぐに寮に帰っても鬱屈した気分になりそうだったので、気分を入れ替えようと俺が皆を誘ったんです。まあ確かに、あの店の前を通って様子を窺ったりもしましたし、そういう思惑があったのも否定しませんが」

 既にその設定で、簡単にだが全員で口裏合わせも済ましている。マルは嘘をつく事にかなり抵抗があったようだが言葉を尽くして丸め込んである。それに多少ボロが出ようと、はっきりした証拠でも無い限りはとぼけられるはずだという魂胆であった。

「……昨日、貧民街に近づいたか?」

「どこですか、それ? 変な場所には行ってないので、多分そこにも近づかなかったと思いますが」

「ほお。それはそれは。そこで昨日、騎士学校の生徒の目撃証言があるんだが?」

 兜男からの情報に違いない。それだって確たる証拠という訳でも無く、実際に見ていないシシドは話を聞いてそれが鋼だと推定しただけだろう。

「えっ。そう言われても、ほんとに心当たりなんて無いんですが……。誰か別の生徒か、生徒に成りすました誰かじゃないんすか?」

「……本当に、お前達ではないと? カミヤに似た特徴の男子生徒の話も出ている。もしそれがお前達なら、正直に白状するなら今の内だぞ?」

「いやあ、単に似てるか、見間違いでしょう。俺達じゃないです。なんなら目撃者の人をここに呼んでくれたって構いません」

「……」

 鋼の提案に苦虫を噛み潰したような顔をするシシド。そりゃそうだろう。兜男も鋼達と同じく、あの時あの場所にいてはいけない人物だったはずだ。あの男が言っていた顔を隠さないといけない事情とやらはそれしか考えられない。

 この場にあの男を呼んで鋼が嘘をついていると証明するのは、向こうにとっても望ましい展開ではないのだ。

「ガンサリット。本当か? お前達は事件解決に関係していないと、断言できるのだな?」

 鋼が相手では埒が明かないと踏んだのか、次に矛先が向けられたのはマルだった。

「は……、は、い。もちろんです、教官」

 少し焦ったような、若干不自然な声音だったもののマルはきっぱりと疑いを否定してみせた。正義感の強いこの少年の事、教官に問い詰められるとあっさり白状してしまう危惧があったが、この通り抜かりは無い。

 嘘をつく事に対し、鋼は事前にマルをこういう風に説得していた。

 鋼達が独断での人質救出を認めてしまえば、たとえそれが正義の行いであろうとシシド教官はその立場から、こちらに何らかの処分を下さなければいけなくなる。重要なのはシシドが事件の真偽を知っているかどうかではなく、鋼達がそれを認めるかどうかだ。こちらが認めない限り、シシドも処分を下さなくて済む。彼は正義感が強い立派な教官なので、正義を行った生徒に処分を言い渡すのは辛いだろう。

 そこらに『正義』という言葉を散りばめつつ、この嘘は教官のためにつく嘘だと言い聞かせると最終的には頑固なマルも聞き分けてくれたのだった。多少騙しているような気分にもなったが、犯罪行為に手を染めたわけでも無いのだし許される詭弁だろう。馬鹿正直に認めて損をするなんてそれこそ馬鹿らしい。

「……」

 やや意外そうな顔をした後、シシドは次の標的を見定めるかのように他のメンバーを見渡した。省吾はいつもの通りのんびりというか、平然とした態度だった。有坂はそれなりに真面目な顔で立っているが教官の視線に小揺るぎもしない。鋼から余計なボロは出すなと言い聞かせてある日向と凛は言うに及ばず。片平だけは居心地悪そうに身じろぎしたものの、それでも教官から目を逸らさなかった。

 実は、この場を誤魔化しきれたなら凛から片平に魔術を教えてやるように頼んでやろうと裏取引をしており、今回の件に限り片平はメンバーの中でも鉄壁だ。追及し易そうに見えてその実、片平はシシドに一切の情報を漏らしはしないだろう。

 様子を窺うように片平をじっと見つめたシシドは、普段の気弱な性格の彼女に似合わない強情さを感じ取ったかそのまま諦めたように視線を外す。鋼は一気に畳み掛けた。

「状況だけ見ると俺達が怪しまれるのは分かります。でも信じて下さい教官、俺達じゃありません。目撃証言も見間違いか、学校の生徒の仕業に見せかけようと何者かが変装してたんじゃ?」

「……あくまでもお前はそう主張するのだな?」

「もちろん。俺達じゃないのは事実ですから。それに誘拐された子を助けたいとはそりゃ思ってましたが、いくらなんでも誘拐犯達の元に直接乗り込むなんてのは……。俺も他の奴らも、そんな命知らずじゃないっすよ」

 マルや有坂が「うっ……」とでも言いたげな顔をしたが無視。多分シシドも気付いていたがいちいち指摘する事でもない。

「……。話は分かった。誤解から時間を取らせたようだな。もう行っていいぞ、お前達」

 勝った。追及はかわせたようだ。

 呼び出されたそれぞれが安堵から一息ついたところに、シシドの言葉が続いた。

「ただし、カミヤは残れ。個人的な話がある」



 ◇


 当然、別の用件で留まらせたわけではなかった。

 心配するような視線をカミヤに向けつつ、六人が退室していった後。準備室にはシシドとカミヤの二人だけが残される。

「まだるっこしい物言いはなしだ」

 この少年にはそれで通じるはずだと、シシドはそう前置きして言った。

「……何故待てなかった?」

 低い声でそれだけを問うと、先程からの白々しい演技とは違いカミヤも真面目な表情になった。

 ぴんと空気が張り詰める中、カミヤはどこか自嘲するように答えを返した。

「結局は……、こっちから頼っておいて、教官を完全には信用できなかったって事でしょうね。教官は解決のために手を尽くしてくれる人だとは思いつつも、それで何もかもが上手く解決するかは別問題なわけで」

「……自分の方が、何もかも上手く解決できる自信があったと?」

「まあ、言葉を飾らずに言ってしまえばそういう事かも知れません。ちょっとした偶然で相手の組織の事を知っちまったんですよ。で、こりゃ厄介な相手だし、つい手を出したくなったと言いますか……」

「……」

 ここは普通なら、なんて無謀な事をしたのだと教師としては叱る場面だ。しかしシシドは、ディーン=グレイルから彼が現場で見聞きした状況を既に聞き及んでいた。この少年は本当に犯罪組織から人一人助けだせる実力がある。だからカミヤの不遜な台詞にも、安易に自信過剰だと断ずる事は出来ない。

「……厄介な相手だと分かっていたなら。どうして他に何人も巻き込んだ」

「それを言われると痛いんですが。俺も最初は、慣れてないような奴は置いてく気だったんです。それがまあ、色々あって……」

 つまり、全てがこの少年の主導というわけではなく。それぞれの生徒達が自主的に参加した救出劇だったというわけか。

 あまりにも多い問題児の数に、今にも頭痛がしてきそうだ。

「……お前が。結局は全て自分達でやってしまうなら。頼られた俺は一体何なんだ……!?」

 問題児に頼られたと奮起して、警備隊の知り合いを当たり、騎士の先輩を呼び出して。今回の一件ではシシドはとんだ道化だった。

 それなら最初から頼るなという感情的な言葉だけは、なんとかシシドは呑み込んだ。それは教師が言って良い事ではないからだ。それでもこの、腹に据えかねる苛立ちの感情が消えて無くなる訳でもない。

 対してカミヤは深く頭を下げた。

「本当に、すみません。頼っておいて完全に信じ切れなかった俺が身勝手でした」

 それだけ言って頭を上げようとしない。それでシシドもそれ以上、感情に任せた真似を続ける事は出来なかった。

「……顔を上げてくれ。俺も大人気(おとなげ)ない所を見せた」

「いえ。俺も少し、調子に乗ってたんです。多少腕の立つ騎士候補に解決出来て、本職の人に解決出来ないはずがないのに。教官に任せきりにするのは荷が重いかもと、侮ってました」

「……」

 思いのほか反省の色濃いカミヤに、シシドは黙り込んだ。

 非常に複雑な心境であった。本当の事を言えば、昨日の一件はシシド個人には荷が重い事件と言えたからだ。先輩騎士、ディーンがパルミナに滞在していたのはこの上なく僥倖(ぎょうこう)だったのだ。

 ――しかし、ここで素直に荷が重い事件だと認めるのは……っ!

「それで、教官にとって荷が重い事件だと思った癖に、自分達では解決出来ると自惚れて……。確かにそう苦労も無かったですが、楽勝なのは本職の騎士にとっても同じだと気付かず、要らぬ世話を焼きました。待っていれば解決した事件だというのに」

「……」

 そう苦労も無かったとか、楽勝だとか、なにやらとんでもない事をさらっと言われ、シシドの背を冷や汗が伝う。

「ま、まあ、軽率な判断だったとは言えるが、自分で問題を解決しようという、その心意気は悪いものでもない」

「そう言ってもらえると助かります。この際告白しますが、俺はこっちの世界の常識に疎いんです。以前こっちに来た時は一度も人里に寄り付かなかったもんで、騎士がどれくらい強いのかとか、そういうのがさっぱりで。騎士といっても、ルデスで生き残った俺達よりは弱いんじゃないかと昨日までは疑ってました。すみません」

 いや、それは疑いではなく事実だ。とは今更言えなかった。

 ディーンがやたらと強い少年、恐らくはこのカミヤと、成り行き上拳を交えたのもシシドは聞いている。そのディーンが本職の騎士で、シシドが差し向けた人質救出のための刺客だとカミヤも勘付いているのだろう。

 それで本職の騎士の強さを知ったカミヤが、侮っていた事をこうして謝っているようなのだが……。

 もしかしなくてもカミヤは、ディーンが騎士の標準的な強さだと勘違いしているのではなかろうか。

 シシドはぼんやりと、事の顛末を知らせるためにやって来たディーンとの昨夜の会話を思い返していた。



 パルミナ騎士教育学園の教員用宿舎。

 マイトック=シシドに割り当てられている彼の私室に、二人の男の姿があった。

「何から言えばいいか……。事件は解決したんだが、俺の出番は無かった」

「はい?」

 解決という言葉に安堵しながらも、尊敬する先輩騎士の言っている意味が分からずシシドは首を傾げた。

「おう、そうだ。先に聞いときたいんだが、お前が言ってた例の問題児、どういう奴だ? 見た目とか」

 もうその時点で嫌な予感をひしひし感じつつ、カミヤの外見や印象をシシドは説明していく。聞いたディーンは「やっぱりそいつか」とため息をついた。

「んじゃあ、今日の事を最初から説明してくが。色々ツテ使って、誘拐犯の闇ギルド本拠地を突き止めて、侵入してきたんだが……。誘拐犯のアジトは既に混乱状態でな。そこらに傷ついた男が倒れてて介抱されてたり、慌しく走ってる奴が何人もいたりで」

 語られたのは初っ端からの意外な展開だった。

「しょぼいチンピラなんざ何人かかってこようがたいした障害にはならねえし、元々正面から突破するつもりだったんだが。俺を迎え撃つどころじゃない様子だった。なんか知らんがこりゃ絶好の機会だと思って、その辺の奴を締め上げて人質の場所を聞き出して、すぐそこへ向かったんだ。で、そこに先客がいた」

「先客……? まさか」

「多分お前が考えてる通り。騎士学校の制服着た少年がいてな。しかも聞いてみれば闇ギルドと和解して、堂々と人質を連れ帰ろうとしてるとこだった」

「ま、待ってください、なんですかその状況!?」

「まあ、信じられねえのは分かるよ。推測になるが、どうも俺がやるつもりだった事を先にやったみたいでな。正面から押し入って暴れ回って、ついに相手にも人質を連れ帰るのを認めさせたって感じの状況だったんだと思う」

「そんな無茶苦茶が出来るのはディーン先輩だけです!」

「ところがそうでもない。その少年にも出来る筈だ」

 ディーンはあくまで真顔で、冗談の類を言っているようには見えなかった。

「俺はその少年を見つけた時、制服からもしやお前の言っていた問題児かと推測した。まあその真偽はどうあれ、こんな少年を置いてくのはまずかろうと思ってな。人質と一緒に連れ帰って、お前の元に届けようとしたんだが……。出来なかった」

「それはまた、一体どういう理由で?」

「どういう理由も何も、そのままの意味だ。出来なかった(・・・・・・)んだよ。抵抗されてな」

「抵抗されたくらいで諦めて、置いてきたんですか……!?」

「だからっ。そのままの意味で受け取ってくれよ! 嫌がられたから連れてくのをやめたとか、そんな程度の話をしてるんじゃなくてな。力づくで取り押さえようにも、あんまりに強かったんで無理だった」

 今度こそシシドはその思考ごと硬直した。何らかの理由でディーンが連れて来られなかったとして、それはシシドが検討すらしなかった一番あり得ない可能性だったからだ。

「言っとくが、中途半端に強くて下手すると怪我させそうだから諦めた、とかでもねえぞ。もちろん剣は抜かなかったが、成り行き上本当に全力でやり合った。なんなんだ、あの少年は? 全く手加減なんてしなかったが、俺と互角だったぞ?」

「……。……いや。いやいや、嘘でしょう? ちょっとくらい、先輩も手加減したでしょう?」

「嘘なんかつく意味ないだろうが。手加減どころか《紅蓮壁(ぐれんへき)》使わされたからな。あれ使わんと負けてた」

「いや何やってるんですか先輩!? 本気過ぎでしょう!? 成り行き上とか言ってましたけど殺し合いでもしてたんですか!?」

 この国ではディーン=グレイルの名はかなり知れ渡っているが、彼の切り札である『紅蓮』の名を冠する複数の術式も、知っている人は知っている程度には有名だ。《紅蓮壁》はディーンが独自に開発した個人魔術の一つで、彼の他に使い手はいないと言われている。

 と、いうか。本当に信じられなかった。この先輩騎士に切り札を切らせるほど追い詰めるなんて事は、騎士候補の剣術指南を任されているシシドでさえ恐らくは無理だ。それを教え子である騎士候補が成し遂げるなど、もはや笑い話にもならない。

 何せこの人、ディーン=グレイルはセイラン王国騎士団の中でも、有事の際には戦場の最前線を任される牙狼隊の副隊長を務めるほどの人物なのだ。王国の騎士(・・・・・)全体で見ても(・・・・・・)五指に入る(・・・・・)程の実力者(・・・・・)である。

「まあ、マイト。お前には同情する」

 哀れみの含まれた声で、ディーンはシシドの愛称を呼んだ。

「騎士団の副隊長と互角でやり合えるような生徒に剣を教えなきゃならんとか、俺なら絶対嫌だ」

「俺も嫌ですよ! というか、先輩と互角というのが未だに俺は信じ切れないんですけど! それ俺よりも明らかに強いじゃないですか!?」

「いやあ、言いたかないが……。その少年、お前よりも強いぞ。得意なのは格闘で、剣術が苦手というならまあ、教える意味はあるだろうが……」

 とにかくこれ以上この話題を続けるのは精神衛生上よろしくないと思ったので、シシドは強引に話を戻す事にした。

「そ、それで、どうなったんです? 手強くて連れ帰れなかったのなら、先輩から引き下がったんですか?」

「ああ、終盤はそのカミヤ? とかいう少年も、かなり本気になっててな。そいつの切り札らしい凄まじい魔術が連続して飛んでくるし、途中で少年の仲間らしい制服姿の女子生徒も乱入してくるしで、撤退するしか無かった」

 ディーンに凄まじいと言わしめる魔術とやらも非常に気になったが、それより訊かねばならない部分をシシドは優先した。

「その女子生徒の外見を教えて下さい」

 そうしてディーンから聞き出した女子生徒の特徴は、カミヤとよく共に行動しているムライの姿をシシドに想起させた。

「……そちらの女子の方も、心当たりがあります」

「そうか……。ほんとにお前の所の騎士候補、どうなってるんだ? そいつも相当やばかったぞ。現時点で宮廷魔術師に採用されてもおかしくない、十分やっていけそうな使い手だった」

「……。そうですか……」

 シシドはもう、驚くのも深く考えるのもやめる事にした。

 その二人はルデス山脈で一年間生き延びたらしい迷い子の日本人だと教えると、正直なところ半信半疑だったシシドとは違い、むしろディーンは深く納得したようだった。

 その晩、ディーンは最後に「まあ、あの問題児は俺でも手に負えんだろうし、……お前もめげずに、頑張れよ?」というなんとも言えない励ましを残して帰って行った。


 翌朝、裏付けを取ろうと朝早くから二つの寮を訪ねたシシドは、寮監から事件当日、門限を破った生徒が七人もいた事を知らされる。

 少しばかり多いこの問題児達に、これから先何度悩まされるのだろう。想像したシシドは春先から暗澹とした気持ちになったのだった。



 ◇


「それじゃ、色々と無事に終われた事を祝して!」

「「「乾杯!」」」

 日向が音頭を取り、何人もの声が続いて唱和する。

 中身は酒ではなくジュースだが、それぞれの杯がぶつかり合い打ち鳴らされた。

 シシドの呼び出しも乗り切り、その日の昼間である。満月亭に集合した鋼達七人は用意された料理を前に乾杯していた。店を営む親子からせめてものささやかなお礼として、昼食をご馳走させて欲しいと提案があったのだ。現在店は貸し切り状態となっており、宴会らしきものが開催されている。

「む、これでいいのか?」

 このような砕けた場で乾杯などした事がないというマルが、見よう見まねで木のコップをぶつけに行く。

 ちなみにマルの外出時、原則的に同行する護衛官のターレイは今日も一応この場に来ているが、マルからは離れ給仕役に徹していた。リュンや店主に恐縮されながらも二人を手伝っている。

 マルによると昨日寮に帰った直後に彼に見つかり、外で何をやっていて門限に間に合わなかったのか即座に看破された挙句、きつい説教を受けたと聞いているのだが。マル本人にも鋼達に対しても、彼の態度は特に不自然ではなく昨日以前と同じように見えた。デキる執事というのは感情を表に出さず、きっちりと区別して仕事に持ち込まないのだろう。実際腹の底ではこちらの事を『坊ちゃんに悪影響を与える悪い友人』くらいに思っていてもおかしくない訳で、あまり本音は知りたくないと鋼は思う。

「これが夜で、寮に門限が無けりゃ酒でも持ってきたんだがな」

「あはは、それいいわね! マル君が認めなさそうだけどね」

「アリサカ、お前まで僕の事をその呼び方で……」

 マルの控えめな抗議の声は誰もが無かったものとして扱った。

「有坂ちゃん、こっちの国は未成年の飲酒は禁止されてないで?」

「え、そうなの!?」

「わいが落ちたトリルもそうやったし、ソリオンやったらほとんどどこの国でもそうちゃうかな。法律でわざわざアレコレ定めてないんよ。酒も煙草も自己責任やな」

「それじゃあ私、こっちじゃ堂々と日本酒飲んでいいのね!?」

「おい日本じゃ飲んでたのかよ。しかもチョイスが中学生の趣味じゃねえ……」

 物凄くいい笑顔でいきいきと訊ね返した有坂に鋼が反射的に突っ込んだ。

「も、もちろん飲んだ事なんてないわよ?」

「嘘くせえ……」

 まあ、それはともかく。

 酒など無くても学生がこれだけ集まれば、騒がしくなるのは当然なわけで。わいわいと七人は好き勝手な事を言いながら料理をつまむ。並んだ料理はどれも手が込んでいて、腕によりをかけて作ってくれたのだとよく分かる品々だった。日本にいた頃料理が趣味の一つだった凛は何やら刺激されたようで、いくつかの料理の作り方を是非教えて欲しいとリュンに頼みに行っていた。

 授業のスケジュール的にも丁度よく、今日は昼休みが長い日だ。休み時間いっぱいまで鋼達はここで過ごすつもりである。


 そのうち、厨房での手伝いが終わったらしいリュンが鋼達の元へとやって来た。

「改めて御礼を言います。本当に皆さん、助けてくれてありがとうございました」

 店員モードなのか敬語で、リュンは深く頭を下げた。すぐにリュンの父親、満月亭の店主も厨房の方からやって来て何度も感謝の気持ちを言葉にしてくれる。

 気持ちは分からないでもないが、昨日もこっちが恐縮した程繰り返し何度も礼を言われている。

 その時マルは律儀にも「自分は役立たずで何も出来なかったので、礼ならこのカミヤ達三人に」と自分から言い出したりしたのだが、助けようとして犯罪組織にまで乗り込んできてくれたのには変わりないと、やはり何度も頭を下げられていた。

 昨日はそういう経緯があったので、今日は早々に手を打ちこちらからも言葉を重ねてなんとか頭を上げてもらった。むずがゆいと感じていたのは同じなのかマルや他のメンバー達も率先して説得に回ってくれたので、不毛な恐縮合戦は短時間で終了した。

「あ。ちょっと待っててくれる?」

 敬語をやめてもらい、普通の喋り方になったリュンがそう言ってこの場を離れる。厨房や居住スペースへと続く通路から密やかに顔を覗かせていた少女に気付いたのだろう。

 離れた位置から店内の様子をちらちら見ていた獣人の少女が、リュンによって引っ張り出されてくる。

「ミオンちゃん、今日こそちゃんとお礼言うんでしょう? ほらほら」

「リュンさん、あのっ、まだ心の準備が!」

 連れて来られた狐耳と尻尾を持つ少女が鋼を前にした途端びくぅっと体を強張らせた。その瞬間尻尾の毛が逆立ったくらいであった。

 どうもこの狐娘は救出の際に脅しつけたのが原因か、鋼に苦手意識を抱いているらしかった。もしくは単に怖がっているのか。昨日もずっとそのような様子だったので、錠を壊して以降は鋼からは関わらず話しかけず、彼女についてはリュンに一任していた。詳しい事は知らないが身寄りが無いのか、昨晩はこの店に泊まらせてもらったようだ。

「あの! た、た……。助けてくれて、ありがとうございました!」

 ミオンは口をぱくぱくさせてどもったかと思えば、大きな声で礼を言って頭をがばっと下げる。もはやこのまま土下座に移行しても違和感が無いほどの勢いだった。見るからにテンパっている。

 そのまま頭を上げないどころか一切の動きを見せず硬直してしまったので、さすがに鋼が声をかけようとした矢先。いきなり電源の入ったロボットみたいな挙動で彼女は飛び上がり、「すいませんすいません!」とか喚きながら素早く撤退して行った。もはや何に対してのすいませんなのか、彼女自身も分かっていないのではないだろうか。

「いや、まあ……。ちゃんと礼は聞いたし、他は気にしない方向でいいか」

「ごめんねカミヤ君。やっぱり目の前で素手で鉄格子を引き裂いたのがよっぽど衝撃的だったのか、今もカミヤ君を前にすると異様に緊張するみたいで」

 リュンが代わりに軽く謝る。背後では省吾達が「え、素手で……?」「鉄格子を……」とかひそひそ囁きあっていたが、それも気にしない方向で行く。

「あ、そうそう。ミオンちゃん、うちで住み込みで働いてもらう事になったの」

「へえ。……あいつ、帰るとこ無いのか?」

「うん。難民だって」

 そういえば、ミオンには精霊憑きだという疑いも残っていたんだと今更ながら鋼は思い出す。

 すっかり失念していたので彼女の電流体質についてはまだ日向や凛にも話していない。だがリュンはあの時見ていて知っているはずなので、それを承知の上で満月亭で引き取ると決めたのだろう。ならば鋼がとやかく言うものでもない。

 ちなみにミオンがこの店で雇われると聞いて一番喜んだのは片平だった。異世界らしいもの全般に憧れを抱く彼女は当然獣人という種族もその対象らしく、昨日もミオンの耳と尻尾を見て「狐っ子ですか!!」と目の色を変えて喜んでいたくらいだ。獣人というのはこちらの世界ではやや肩身が狭い種族と聞いているが、偏見の無い日本人の出入りが多いこの職場はミオンにとって悪くない環境と言えるだろう。

「何度か顔を合わせてたらミオンちゃんもさすがにカミヤ君に慣れてくると思うし、それまではさっきみたいな事があっても気を悪くしないであげてね? 昨日もあの子、カミヤ君にちゃんとお礼言えてないって悩んでたの」

「まあ、怖がらせるような事しちまったのも確かだしな。別にあんな程度で気を悪くしたりはしねえから安心しろって後でそっちから伝えといてくれるか?」

「分かったわ」

 リュンは快く頷いたが、その後ろでは再びミオンがこそっと通路から顔を出しており狐耳をぴくぴくさせていた。鋼の言葉は直接伝わったようだ。目が合った途端また通路の向こうに引っ込んでしまったが。

 その怯えた小動物じみたミオンの挙措を片平も目撃したらしく、「……持って帰りたい」とか不穏な呟きが小声で発せられたのだが、鋼は努めて聞かなかった事にした。




 何はともあれ。

 ようやくここからだと、鋼は密かに決意を新たにしていた。

 無茶をやらかす友人ができ、行きつけの店ができ、新たな環境にもそろそろ慣れてきた。多少の波乱はあったものの、周りをうろちょろしていた問題も無事解決した。これ以上ないほどの異世界生活のスタートだと言えるだろう。

 ――もうそろそろ、己の目的のために動き始めていい頃合だ。

 これから二年は学生という立場に縛られ、自由には動けないが。この期間を全て勉強と修行だけに費やすつもりはない。

 いまだ再会が叶っていない最後の戦友の少女。『彼女』を探すための、打てるだけの布石をこの二年間の内に打っておきたい。

 絶対に見つけてみせる。たとえ自ら失踪したのだとしても。

 改めて鋼は、そう己に誓った。



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