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ソリオンのハガネ  作者: 伊那 遊
第一章・新入生の問題児たち
30/75

 28 《隠身》

 ホールのような広い室内は、呆然とした空気に包まれていた。

 男達が倒れている。二人や三人ではない。二十人足らずもの、凶器を携えていた無法者達だ。

 足を折られ、気を失い、あるいは戦意を喪失し。そうして戦えなくなった男達は、意識ある者は這ってでもそこから離れようとしている。彼らの中心では現在も戦闘が継続中だ。立っているのはもはやその二人だけ、一対一の戦いが演じられている。

 斧を持った禿頭の巨漢と、ナイフを持つ小さな少女。

 ただし、倒れた男達と戦う二人を囲む離れた外側には、他にも立っている人間はたくさんいる。騎士学校の生徒達や、ギルドに所属する闇傭兵達だ。彼らは皆、息を詰めて一対一の戦いを見守るだけの観客と化していた。

「嘘だ……、ラグルの旦那が……」

 観客の一人、闇傭兵ギルドに所属するある男はぽつりとそう呟いた。

 皆の視線の先では、息を乱す事なく暗殺者のように無表情で立つ少女と、肩で息をしている苦しそうな巨漢が向き合っている。

 戦況はギルド側の大多数の予想を覆して、ラグルが劣勢だった。劣勢どころか、ただの一撃も有効打を与えられていなかった。毒を使うという話の少女は手のナイフを全く振るわず、打撃だけで戦っているというのに。明らかにその光景は、ラグルよりも少女が格上である事を示していた。

 闇傭兵達にとっては悪夢に等しい光景でもある。

 ラグルは腕っ節だけで組織の幹部にまで上り詰めた男で、無法者の中でも輪をかけて乱暴だが実力は本物だ。闇傭兵ギルドの人員で最も強いのは彼かバートだと言われており、荒事に関しては誰からも頼りにされている。組織に身を寄せる無法者達にとって、背後に控えているラグルやバートといった実力者の存在は、もはや精神的な支柱になっていると言っても過言ではない。

 だからこの光景はあってはならないのだ。

 バートが諦め、ラグルが勝てない敵が現れるなど、無法者達は想像した事もない。ラグルもバートも、彼ら雑兵が束になっても勝てない相手なのだ。その二人が勝てない少女に対し、もはやどうしたらいいか誰も分からない。ラグルを援護しようにも男達の力量では戦力の足しにすらならないのではないか。そんな予感がほとんどの男達を縛り、ただただ戦況を傍観させていた。

 それでも幾人かはラグルに助太刀しようとしたが、そうしようと動いた途端、奥にいる魔術に長けた少女に狙い撃ちにされる。

「くそっ。どうにかしてまずあの女に近づけないか?」

「知らねえのかよ? あの女近距離戦も滅茶苦茶に強えぞ」

 そんな会話が交わされる度、諦めの心境が男達を支配していく。まだ戦える者は多く残っているし、中には魔術を扱える者だっている。それでも彼らが一斉に攻勢に移らないのは、敵意を見せた者から少女達の容赦ない攻撃に晒されると知っているからだ。というより、少し様子見していれば嫌でも学習させられる。今もラグルの助太刀に動いた二人の男が、《魔弾》により倒れたところだった。



 ◆


「バートという男は互角くらいと言っていたが、買い被りだったようだな」

「そうなん? 強化で動きが速くなり過ぎてて、正直どっちが強いとか見てても分からんわ。各務ちゃんが圧倒的なんはさすがに分かるけども」

「ああ。まさかカガミがこれほどとは思わなかった。《身体強化》があまりにも凄まじい」

 日向とラグルの戦いを観戦しながら、マルケウスと省吾がそんな会話をしているのを凛は耳にした。

 外から見ている分には、防戦一方のラグルはそこまで強いようには見えない。現在のバートの実力を凛は目にしていないけども、マルケウスはラグルの実力をそれよりも随分下だと判断したようだ。

 ――残念ながら、的外れな意見でしょうけど。

 凛はこっそり内心で思う。しかしそれも、仕方ない事だ。マルケウス達は知らない。知らなければ、目の前の状況を勘違いしても仕方が無い。強化に物を言わせた日向が力押しで攻め、ぎりぎりでそれを防ぐラグルは無駄のある動きを繰り返し消耗していく――目に映る事実だけを描写すれば、そのような流れの戦いである。

 実際は凛は驚嘆している。予想以上にラグルが強いからだ。

 手加減なしの日向の攻撃を何度も防ぐ。

 それがどれだけ(・・・・・・・)異常な事か(・・・・・)

「私はあのラグルって人が、バートって人に明らかに劣るようには思えないんだけど……」

 ぽつりと、自分でも自信の無さそうな声で伊織が言った。

「そうか? あのラグルという男は見たところ、強化が上手いだけだ。もっと強化に優れたカガミが相手とはいえ、毎回ぎりぎりでしか防げていない。動きに無駄があるという事ではないか?」

「そう、なんだけど……。なんだかあの人が、そんな弱い人に思えないのよね。それに……、ええと、上手く言えないだけど。あの戦い、何か変じゃない?」

「変? そんなようには感じないが」

 伊織の意見に、マルケウスを始め省吾と雪奈も首を傾げる。三人が鈍いのではないと凛は思った。伊織の直感と観察眼が、飛び抜けて優れているのだ。

「例えば、どこが変だと思います?」

「……やっぱり何かあるのね?」

 凛が会話に割って入った事で、伊織は自分の直感に確信を持ったようだった。

「何か、ラグルって人の動きが不自然な気がして。見てても分かるくらい完全に戦いに集中してるのに、その割りに少し反応が遅いような。……もしかして各務さん、強化以外に何か相手に魔術を使ってたりしない?」

「さすがに相手の動きを鈍くするような都合の良い魔術などないぞ。それにあんな速度の戦いの中で、強化以外の魔術を組み立てる余裕は無いだろう」

 伊織の推測にマルケウスが反論する。こんな敵地の真ん中でわざわざ真相を教える必要も無いだろうから、凛はお茶を濁しておいた。

 会話に興じる凛達に隙を見出したか、動こうとしている闇ギルドの男がいたので視線をやって牽制しつつ。あとは凛も口を閉ざし、日向とラグルの戦いの行方を見守る事にした。


 日向とラグルの戦闘は、そろそろ終着を迎えようとしていた。

 ラグルの動きは精彩を欠いてきている。疲労で判断力が鈍ってきているのだろう、無駄に決まっているのに後ろに下がり距離を稼ごうとする。強化の性能で勝っている日向の脚力は当然易々とそれについて行った。密着し、斧の振り辛い至近距離で左手で殴りかかる。

 全く呆れた事に、ラグルはぎりぎりで打点を逸らしてみせた。凛からすれば驚きの反応だ。殴られはしたものの、寸前で体を自ら浮かしダメージを最小限に留めた。支えの無いラグルの体は大きく飛ばされるも、倒れる事なく足を踏みしめ着地してみせる。

 なんという反応速度。いやこの場合、闘争本能というべきか。

 凛は確かに目撃していた。密着された瞬間、ラグルは日向のナイフを持つ右手に対し、構えようとしたのを。

 伊織の推測は全くの正解を突いている。

 日向が使う最も恐るべき魔術は《身体強化》ではない。そもそも今かかっている《加護》はそれ単体で敵にとっては最上級の脅威だろうけど、これは『彼』に与えられたものだ。『彼』と共に過ごした四人全員に言える事だけど、それぞれ本来の得意魔術は別にある。

 日向の場合、《隠身》の術式がそれにあたる。

 大抵の人が地味と思うはずの、なんてことのないマイナーな術式だ。術者の姿を少しだけぼやけさせて、夜間や暗所で視認される可能性を減らすというのがその効果である。難易度はそれほど高くないけど、好んで習得する人もとても少ない、恐らく騎士学校では習わないような類のものだ。

 その《隠身》と、身の回りの音を打ち消す《無音》、元々の自力での《身体強化》、そして《電撃》と《薬物生成》。日向が実戦レベルで使える魔術はその五種類だ。それ以外ほとんどまともに使える魔術が無い代わり、その五種類だけに絞り特訓した日向は接近戦の動きの最中でもそれらを発動できる。

「このガキィ……! なんだ? 何の魔術を使ってやがる!?」

 距離が空いた事で僅かな猶予を得たラグルが、息も絶え絶えに叫ぶ。もちろん『彼』に手加減なしでやれと言われている日向は、一切構う事なく距離を詰めた。

 迎撃しようとラグルが斧を振りかぶる。さすがに他の男達よりも強化はかなり上手く、相当な速度で迫る日向にもなんとか対応できている動きだった。

 斧が叩きつけられる。

 しかしタイミングが早過ぎた。日向が到着する一瞬前の空間を、ラグルの斧が切り裂いていく。その目には驚愕がありありと浮かんでいた。

 外野の目からは、ラグルが消耗と焦りから敵との距離を見誤り、盛大に自爆したように映っている。

 避ける必要の無くなった斧を無視し日向は懐に入り込む。ラグルが慌てて体勢を立て直そうとするも、疲労の蓄積した肉体では致命的な遅れが出た。顎に掌底が叩き込まれ、ラグルの体がぐらつく。それでも倒れないのは、どうやら強化の出力を瞬間的に引き上げ、意識が飛ばされるのを咄嗟に防いだらしかった。

 相手のタフさを見て取った日向がすぐさまナイフで斬りつける。見ていた男達の一人が「旦那、《解毒》を!」と叫び、ラグルも瞬間的に浅く斬られた胸に手を添える。どうやら《解毒》が使えるらしい。本当にしぶとい男である。

 それでももう、ラグルの勝ちは万に一つも無くなった。

「かっ、は……っ!!」

 ラグルが口から血を吐き、とうとう膝をつく。男達が騒然となった。斬られたらしばらく動けなくなると先程皆に警告した男が、周囲から問い詰められる。その男も何がなんだか分かっていない様子だ。

《薬物生成》でただの麻痺毒が生成できるなら、それ以外の毒だって生成出来てもおかしくないと気付かなかったのだろうか?

 本日日向が多用していたのは、処置せずとも人の身で耐えられる、相当に軽い毒である。むしろそちらが例外的であり、本来彼女が使う毒物はこの通り強力な効果をもたらすものだ。ルデスの魔物にも通用する代物であり、瞬時に解毒しなければラグルは今頃絶命していたはずだった。

 膝をつくラグルの背後をとった日向は、その首筋に《電撃》を打ち込む。短く呻き、ラグルはとうとう意識を手放し倒れた。

 ――それにしても、えげつない。

 いくらしぶとかったとはいえ、消耗している体に打撃と毒と電流を受けたのだ。このままラグルが眠ったようにぽっくり逝ったとしても何ら不思議ではない。

「ラグルさんも、負けた……。もう終わりだ……!」

 絶望の滲む声音で言った一人の男が武器を手放すと、半数以上の男達も諦めたようにそれに倣った。無駄な戦いを避けられて良かったと凛は密かに安堵する。死なせないよう加減して戦うというのはとても面倒で、難しい事だ。男達が全員での徹底抗戦を唱えていたら、こちらも手加減できずに何人もの死者が出たかもしれない。

 いくら犯罪組織が相手でも殺人は殺人であり、今後の面倒を避けるためにも仕方ない状況以外はなるべく殺すなと『彼』に言われている。無法者達の命などどうでもいい(・・・・・・)けども、高威力の大魔術をまとめて叩き込んで終わりというわけにはいかないのだ。面倒な戦いを避けられたのは本当に良かった。

「日向ちゃん、やっぱり物凄く強いんですね……」

「ああ、本当に常識外れだ。あれだけの強化に、毒と《電撃》。絶対にカガミとは近距離で戦いたくはないな」

「多分それだけじゃないわよ。あの人も言ってたでしょ、『何の魔術を使ってやがる!?』って。ねえ、各務さん」

 ラグルを倒しこちらへ戻ってきていた日向に伊織が訊ねる。

「強化とか毒以外に相手に使ってる魔術あったでしょ? 私、魔術の名前なんて全然知らないけど……。相手の感覚を狂わすか、幻覚を見せる。そのどっちかじゃない?」

 伊織の推測に、日向は表情を変えないままぱちぱちと瞬きした。表情筋には一切現れていなくても、彼女は驚いているのだと凛には分かった。

 そんな魔術があってたまるか! とすかさず言ったマルケウスは、次の日向の答えを聞いてフリーズする。

「……戦ってる相手以外には、全く効果がないはずなんだけど。なんで分かったの?」

「や、やっぱりそうだったのね……。いくらなんでも反則過ぎるから最初はちょっと自信無かったんだけど、戦うとこ見てたらそれ以外考えられなくて……。だって、明らかに戦い慣れてる相手が攻撃を空振りするなんて、いくらなんでも不自然でしょ」

 それだけでそこまで言い当てるなんて。凛も言葉が出ない。伊織の目と直感は驚異的だ。

 マルケウスと省吾も、言葉を失いかなりの驚愕を顔に浮かべていた。雪奈は『何それすごい!』的なわくわくした表情だけど。

「あのラグルって人以外は、どの相手に対しても各務さん、絶対に一撃で決めてたしね。相手もド素人じゃないんだから、格上の相手でも一回くらい攻撃を防いだっておかしくないのに。ラグルって人も各務さんの攻撃避ける時は、ほんとに寸前でしかちゃんと見切れて無かったわ。瞳の焦点とか見ても、直前まで違う攻撃に見えてるようにしか思えないし。どういう原理かは知らないけど、攻撃を別の攻撃に見せかけて正面から不意打ち出来る魔術なのね?」

 根拠を次々に挙げ、核心に迫る伊織。日向もこの場で更に詳しく解説したりはしないものの、その推測でだいたい合っていると素直に認めた。彼女のあれは原理が分かっていようと対処できる攻撃ではないから、頑なに秘密にする必要も無いのだった。

 ……凛も思う。日向のそれは、あまりに反則じみた魔術の使い方だと。

 日向は脳に干渉して、幻覚を見せているわけではない。そんな事は不可能だ。魔術で人体へ直接干渉すれば、魔力の拒絶現象が起きてしまうのだから。彼女の場合は単に、《隠身》の魔術で光に干渉しているだけだ。

 ただし凛が同じ魔術を使っても、日向と同じ事は引き起こせない。あの術式は光の波長を弱めてぼやかす程度の効果しか無く、別に光を好き勝手に操れるわけではないからだ。それを幻覚の域にまで高める日向が少々おかしいのであり、彼女は《隠身》の使い方が天才的に器用なのだった。

 原理は一応、聞いてみれば理解は出来るのだ。

 あまりにも当たり前の常識として、人間は近くにあるものほど鮮明に見える。老眼でもない限り、普通小さな文字は目に近づけて読むものだ。逆に言えばぼやけている物体が鮮明になったら、人の目はそれが接近してきたように錯覚してしまう。

 日向はそれを利用して、相手の感覚を狂わせる。

 最初から気付かれない程度に薄っすらと《隠身》を発動し続け、フェイントの際はそれを解除、本命の攻撃の時は術式の効果を強める。している事といえば基本的にはそれだけらしい。

 急に鮮明になったフェイントの動作は、相手にとってはかなり急速な動きとして映る。

 本命の攻撃を近づけながら段階的に少しずつ《隠身》を強めれば、相手は近づいてくる攻撃を実際より遅く感じるだろう。

 まあ、言うが易しというやつで、これを不自然に見せず綺麗に錯覚させるのは相当に難易度が高い。神業と言ってもいいほどに。

 これを繰り返し、相手の距離感を麻痺させるのだと以前日向は語っていた。相手は次第に自分の感覚が信用できなくなり、《隠身》なしでも違和感がつきまといまともに戦えなくなるという。凛も訓練に付き合わされた事があってよく知っている。訓練であっても日向とはもう近距離戦をしたくない。

 その《隠身》に、人より数段優れた《身体強化》かそれ以上の《加護》が加わるのだ。反則もいいところである。対人戦の経験が凛達には今まであまり無くて、これまでは断言出来なかったけど。今日、ラグル以外の全員を日向が一撃で倒した事で、それがはっきりしたと思う。

「一体何なんだお前達は……。全員が一流以上の強化の使い手で、魔力の受け渡しに、幻覚。もはや何でもありだな……」

 疲れたようにマルケウスが言うけども、一番ひどいのは『彼』だと、凛は内心で付け足しておいた。我らがリーダーは、《隠身》全開の日向に《身体強化》だけで勝ってみせるのだから。あれこそ意味が分からない。

「なーなー、戦おうとする人いなくなったけど、どうするん? ここで鋼を待つんか?」

「そのつもりです。終わったら来いとも言ってませんでしたし。――っ!?」

 返事の最中感じた魔力活性化の気配に、凛は勢い良く振り返った。

 日向も全く同時に、視線をその壁に向けている。

 壁のすぐ向こうというわけではない。気配はそこそこ離れていて、だから他に感づいた様子の人間は室内にはいなかった。大規模な魔術の行使であれば離れた場所でも強い気配が届くけれど、それとも違う。ただの、建物内の離れた場所での普通の魔力活性化だ。

 それでも凛と日向がそれを見逃す事などあり得ない。今も《加護》としてこの身にも宿る、凛達にとって最も馴染みある魔力なのだから。

「いきなりどうしたん!? 壁の向こうになんかあるんか!? 敵か!?」

 省吾の問いかけに凛は首を横に振る。

「コウが……、少し(・・)本気を出して戦ってます」



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