1 夢の中、かつての自分
夢を見ていた。
こちらはもう一人だというのに、鉤爪を振りかざして醜悪な悪魔達がこちらに殺到してくる。
悪魔、といってもそれは見た目で抱いた勝手なイメージであって、実際これらがどんな生物なのかはよく知らない。ホンモノの悪魔だろうが宇宙生物だろうが関係なかった。重要なのは、この化け物はちゃんと生きている存在であり、殺せば当然のように動かなくなるという事実のみ。
悪魔は小さな人型をしていた。全長は一メートルほどで、首はなく胴体の延長のように顔がついている。縦長の丸い体からは、ひょろりとした細い手足が伸びていた。肌は茶色がかったくすんだオレンジ色で、質感はなめらかな皮のようになっている。
明らかに地球には存在しない生物だ。十匹以上徒党を組んだその悪魔に、追い詰められつつある。
しかしこれ以上は下がれない。もう後が無いのだ。ここを通してしまえば、もっと多くの悪魔と戦っている仲間達のもとへ合流を許してしまう。できる、できないの問題ではない。やらなければ全滅するという状況だった。もはや壊滅一歩手前の人間チームは、あっという間に食い尽くされ蹂躙されるだろう。
この場所は地獄だ。悪魔がうろつき、救いなんてありはしない。こちらの戦力はたかだか二十人ほど、それが百を超える悪魔達に包囲され、孤立している。
恐怖を押さえ込もうとし、上手くいかない。手に握った剣の先は震えていた。
ちょこまかと動く二足歩行の小悪魔の一匹が迫り、こちらに向かって飛び込みながら爪を振るう。
――あ、死んだわ、俺。
不吉な確信と共に諦めが心中を占める。地獄にいてもいまだ捨てられずにいた、死にたくないと必死に思う気持ちはどこかへ行ってしまった。
そんな心など、結局何の役にも立ちはしなかった。
襲い掛かる爪を横から掴み、小悪魔を投げ飛ばす。これで数秒くらいは延命できたわけだが、まぐれを喜ぶ気にはなれなかった。
どうせ、死ぬまでいつまでも奴らの攻撃は続くのだ。どうせここで死ぬのだ。
多分、自棄になってたんだろう。死んだつもりで腹をくくれば、皮肉な事に緊張も恐怖も忘れた。
左から踊りかかってきた悪魔を縦に斬り伏せる。さんざん使いまわして切れ味が落ちているのだと感触で実感できた。
挟み撃ちするように攻撃が来たので、あえて一匹に近づきそいつの攻撃以外をかわす。
目の前の敵の爪は剣で受け、そのまま胴に突き刺した。これだと鈍った刃でも奴らの体を通ってくれた。
剣を抜き出しつつ、背後から来た敵の目に柄部分を叩き込む。怯んで縮こまった悪魔を踏み台に、囲まれつつあった状態から脱出する。
――まだ、生きてる。
不思議だった。命を諦めた途端、今までよりもなめらかに動けた気がする。
ああ、そうか。
諦めて、開き直って、気付いた。これまで自分は、命が大事だから安全に戦おうとしていたのだと。
それはそもそも戦いではないのだ。一瞬先の自分が死ぬ可能性を受け入れるからこそ、命懸けの駆け引きが出来る。そうして、死ぬしかない状況でも自らで変えていく。
悪魔のあまり硬くない足を切り落とし、蹴飛ばす。移動が困難になった離れた敵は、もはや何の脅威でもない。
攻撃の密度が増せば、こちらは後退しながら奴らの伸びてきた手を狙う。切り落とした手がこちらへ転がってくる。
奴らの爪付きの手はもはやなまくらの剣よりも殺傷力がありそうだった。拾い上げ、それを武器に体重をかけてぶち込む。そしてねじる。一匹を絶命させた。
要は相手を無力化できればいいのだと知る。どこかで見た通りに剣を振り下ろすしか知らなかった自分には、それは目から鱗が落ちるような発想だった。
幸運なことにそういう才能には恵まれていたらしい。
気付けば悪魔は全て地に伏していた。
そうして敵を皆殺しにした後も、息を潜めた悪魔からの奇襲を警戒し続ける。生き残れた喜びは一欠けらも感じていなかった。
この時、ようやく実感として思い知っていたのだ。安全など気にするだけ無駄で、悪魔の住処にいる限りいかなる時でも命は脅かされているのだと。
戦闘が終わっても安堵できず、敵を殺す事だけを考えるようになった昔の自分を。
夢を見る今の自分が、無感情に見下ろしている。
単に、環境へ適応しただけとも言えるだろう。なんとか生き延びて日本へと帰ってきてからは、さすがに四六時中物騒な思考が浮かぶなんてことは無くなった。だからこれは、一時だけの異常な精神状態だったに違いない。
それでも、この時を境に自分は大きく変わってしまったのだと思わずにはいられないのだ。
また日本で暮らし、平和な生活に適応しなおしても。こびりつくような違和感を覚えずにはいられなかった。また悪魔の巣に放り出されて、命のやり取りをしたいかと訊かれれば自分はNOと答えるだろう。しかし、これから先何者にも脅かされない穏やかな生活を一生送り続けたいかと訊かれれば、それにもNOと答えるだろう。
自分は人になりたいのか、獣になりたいのか?
答えの出ないその問いこそが、異世界での経験がもたらした彼の悩みだった。
そして、神谷鋼は目を覚ます。二度目にやってきた異世界の朝は、こうして始まった。