27 口止め
あのやたら歴戦の戦士っぽい傷跡の男が、鋼に対しては戦うまでもなく降参してしまった。
伊織達も驚いたが、彼の部下らしき精鋭達はもっと驚いているようだった。
「バ、バートさん……!? こいつらがギルドを潰すのを止めないって……」
「あ? 言った通りだぞ。お前らもこれ以上戦うのはやめとけ。相手が悪過ぎる」
バートに対する不審と、ここまで言うのだからこの相手は本当にやばいのだろうという鋼達に対する畏怖。そういうのがないまぜになった表情で、男達は味方の手当てにのろのろと戻った。
「こいつら、何者なんですか?」
比較的軽傷な、手当てを受けている一人がバートに問いかける。伊織も興味津々に聞き耳を立てた。バートと鋼達はどうやら知り合いらしい、という事しかまだ、状況を見守る伊織達には分かっていないのだ。
「……俺が死の谷にいた頃、一緒に戦った奴らだ」
「ええっ!? こんなガキ達が? だってバートさんが谷にいたのって二、三年前の話じゃ」
「ああ、まだ体も出来上がってねえようなガキだったぜ、当時はな。死の谷にいた奴らの中じゃぶっちぎりで最年少だ。年なんてもんは本物の強さには関係ねえってのがよく分かる奴らだったよ。特にカミヤはな」
そこまで彼らのやり取りを聞いた伊織・省吾・マルケウスの三名は、まじまじと鋼達に視線を移す。面倒な奴らに聞かれちまったという表情を鋼は隠しもしなかった。
「えっと、神谷君達は死の谷にも行った事があるわけ? ルデスってとことは別に」
「ああ、まあ……。つーか、最初に死の谷に落ちて、そっから脱出してそのままルデスにって流れが正解というか」
「つまり貴様は、嘘をついていたのか?」
マルケウスの詰問口調に、面倒そうに頷く鋼。どうも乗り気じゃないというか、谷の事は隠しておきたかったようだ。
「……どうせ、こっちの世界じゃほとんど信じてもらえんような話だし。目立つのも嫌だったし。山はともかくあの谷にはいい思い出なんて全然ねえし。だから敢えて言わなかったんだよ。亜竜山脈に半年いたのもほんとだしな」
「……は? 半年? ちょっと待て、初耳だぞそれも!」
魔物の住処にそんな長い期間滞在して、どうして無事でいられたのだとマルケウスは言い募る。彼がどうしてそこまで動揺したのか最初分からなかった伊織は、それを聞いて確かにと思い直した。例えば日本にいて、登山家が山で遭難して半年後生きて戻ってきたなんてニュースなど聞いた事がない。軽く考えていたけども、鋼達がかつて置かれた状況から生還できたのはかなり奇跡的な事なのだ。
「んな話は全部後でいいだろうが後で。……ん?」
マルケウスの応対に辟易していた鋼が、伊織達の後方に顔を向けた。
つられて伊織も振り返る。伊織達三人がこの部屋にやって来る際に通った通路には、今でもその時の追っ手達が控えていた。室内の状況を戸惑ったように様子見していた無法者達だけど、何やら騒がしくなってきている。
そして今更ながら気付いたけども、鋼達の事をバートに報告しに来た顔を腫らした男が部屋からいなくなっている。
「こっちですラグルの旦那!」
騒がしくなった通路の向こうから、声と共に複数の足音。
追っ手達をかき分けて、新手の集団が現れようとしていた。
「……面倒な奴がきやがった」
バートが嫌そうな顔で呟く。鋼が訊ねた。
「呼ばれてるラグルとかいうの、強いのか?」
「俺は直接やりあった事はないからよくは知らん。弱くはねえはずだ。多分俺と互角くれーか?」
せこい犯罪組織のくせに、バートと同等の人材は他にもいるらしい。
その情報を聞いた鋼が無言で何やら考え込む。その間に、迫る足音はとうとうこの部屋に達してしまった。
まず現れたのは、禿頭の巨漢だ。
「おう? おいバートぉ! そのガキどもが侵入者だろお!? 何をちんたらやってやがんだ!」
野太い濁声をあげたその男を見て、伊織はう、と思わず呻く。
無法者というイメージを集約させたような男であった。こう、言っちゃ悪いがいかにも知性があまり無さそうな顔つきと口調で、筋骨隆々の上所持している得物は斧だ。剣士や戦いというものに憧れを抱く伊織ではあるけど、こういった山賊っぽい乱暴者とは関わるのも遠慮したい。
いや、こういった手合いの者ともいつか実戦で剣を交わしてみたいとは思うけども。
「ああ、わりーなラグル。俺は降りる事にした」
「……あぁ?」
何を言ったか理解できないという様子で、巨漢が首を傾げた。ラグルの後からまた何人か、武器を所持した男達が部屋にやって来る。その中にはさっきの、顔を腫らした男も混じっている。
「このガキ達とは戦わねえと言ったんだ」
「は、はああ!? バートの旦那、何を言ってんですか!?」
顔を腫らした男が叫ぶ。他の男達も驚愕と当惑の入り混じった表情でざわめきだす。
それを止めたのは、がんっ! という斧を床に叩きつける音だった。
「おいバートぉ……! オルタムじゃあるめえし、まさかおめえがんな腑抜けた事言うとはな」
ラグルの斧が床に突き刺さっている。見た目通りの剛力なのだろう。
「まあそりゃ、納得できねーわな。だが俺が一番大事なのは俺の命でな。勝てる見込みが無さそうなんで、俺はこいつらとは敵対しないと決めた」
バートさんが勝てないって、と再びざわめきだす男達。
ラグルが殺気で目をぎらぎら光らせて、どのざわめきよりも大きく声を出した。
「この玉無し野郎が!! そのガキどもを始末したら次はおめえの番だ、覚えとけよお!?」
「お前らが勝てるとは思えんが、そんじゃそろそろ俺は退散するかね。なんせこいつらの目的は組織の壊滅らしいからな」
さらりと伊織達の目的までもすりかえられた。マルケウスが何か言おうとしたのを、省吾がまた口を塞いで防ぐ。省吾がそうした理由を考えてみて伊織にも思い至った。人質の救出が目的だと素直に言ってしまえば、それこそ人質の命を盾に色々要求されかねない。
「そんな数人のガキに俺達が壊滅させられる!? バートてめえ、ヤクでもやって狂ったか?」
「おいバート、退散する前に案内して欲しい場所がある」
ラグル達を無視して鋼がバートに小声で言う。
「……案内?」
「あんたには貸しがあっただろ? ここはヒナとルウに任せて大丈夫だから、俺をある場所に案内してくれ」
貸しという言葉が出た途端、かなり渋い顔をするバート。
「……それを出されたら、こっちとしても断れねえ」
「だから出したんだよ。……ヒナ、お前は主に敵集団への攻撃。ルウはそのフォローと、省吾達を守ってやれ。この場はお前ら二人に任せる」
「了解」「はい」
即座に頷く二人だけども、え、大丈夫なの? というのがこちらの本音である。
さっきも鋼は動かず二人だけでバートの部下を倒したけど、今度は更に一人減るのだ。凛が守りに入れば、日向がほとんど一人で戦う羽目になる。これはもしかすると、あまり戦力になれなくても伊織も手伝ったほうがいいのではないか。抜き身のまま持っていた長剣に目を落とし伊織が胸をわくわくさせていると、怪訝そうにこちらを見る鋼の視線に気付いた。
「お前らは何もしなくていい。二人に任せとけ。……ルウ、勝手にこいつらが動くようなら無理に守らなくていい」
「分かりました」
「無視してんじゃねえっ!!」
怒声に伊織達が振り向けば、ラグルが背中に差していた別の斧を手に取ったところだった。
床に突き刺さる斧と比べてそちらは小ぶりだ。もしかして手投げ斧というやつではないだろうか。
伊織の予測を裏付けるようにラグルはそれを投擲した。明らかに《身体強化》の魔力光を肩に宿らせながら。
剛速球。まさにそんな勢いで、空気を掻き分け回転する斧が飛来する。
「ひっ」
雪奈が短く悲鳴をあげる間に、日向が躊躇無く斧の前に立ちはだかった。伊織の動体視力をもってしても見切れない、縦回転している斧を掴み取ってしまう。
そんな芸当にもそろそろ伊織は驚かなくなってきている。バートが恐れる通り、日向も凛もこれくらい当然やってのけるのだ。それを最初から理解している鋼も、全く斧など気にする事なく平然としていた。
日向が斧を投げ返す。
プロ野球選手の投球並み、ラグルの投擲とほぼ同じ速度だ。自身に迫る手投げ斧を、ラグルは床から引き抜いた大斧で迎え撃つ。甲高い音をさせながら、手投げ斧は床に転がった。
「なるほど、こりゃただのガキじゃねえ」
警戒したように目を細めるラグルを完全に無視する形で、今度は鋼は日向の背に歩み寄った。その背中に手をつける。
「ヒナ、念のために少し魔力をやる。手加減なしでやれ」
「了解」
そういう風に魔力は受け渡しが出来るらしかった。伊織はその方面の知識がまだほとんど無いけども、魔力というものが尽きれば魔術が使えなくなる事くらいは知っている。
感心する伊織は、室内の妙な空気に気付いた。ラグルの傍の男達も、バートも、マルケウスも省吾も雪奈も。誰もが変なものを見る目で鋼と日向を見ている。何をやってるんだという表情だ。鋼の発言から、魔力を譲渡しているのだと分かるだろうに。
「ああ? 何をやってやがる。お前らとっととかかれぇっ!」
ラグルだけは周囲の雰囲気の変化に気付かず、そう号令をかける。気を取り直したように男達はそれぞれの得物を握り締めた。
敵集団がこちらに向けて走り出す。その一歩目が踏み出された瞬間、鋼の前から日向の姿が消失した。
「なっ!」
男達の誰かが動揺の声をあげ、倒れる。
男達が散らばり、何とか応戦しようとする。その光景を伊織は戦慄の思いで眺めていた。
――速過ぎでしょ!?
伊織の目をしても、最初消失したと錯覚した。実際は日向は、物凄い速度で男達に向かって駆け出しただけだ。
以前街中で《火矢》の襲撃に遭った時、凛の動きを省吾や雪奈は目で追えていなかったのを思い出す。似た事が今、自分の身に起きたのだ。注意して思い返せば、日向が動いた瞬間を伊織は思い出せる。目には映っていたのに、あのスピードに伊織の意識が追いつかなかったのだ。
処理が追いつかない速さで目の前の状況が次々に動けば、人の脳は途中経過を省いてしまう。対抗するには高い集中を維持して、その速度の世界に意識を置き続ける必要がある。
鋼は日向に手加減なしでやれと事前に言った。つまりはそういう事なのだ。今の日向の速さを見れば嫌でも思い知らされる。彼女は今までずっと、手加減していたのだ。
「そのチビ、毒使いです! 斬られたらしばらく動けなくなる!」
「言うのが遅えよバカが!!」
顔を腫らした男が皆に叫び、罵声を返されている。バートの部下と同じくラグルの部下も精鋭っぽい動きなのに、日向は彼らの間を駆け回り翻弄しながら敵の数を減らしていた。
伊織の視界の手前では、繰り広げられる戦いなど眼中に無いというように鋼と凛が向かい合っている。凛が鋼の胸に手を置く形で。今度は何やら、凛から鋼へと魔力を渡していたらしい。日向の戦いぶりからそちらに伊織が意識を移した時には、既にそれが完了して手が離れるところだった。
「コウ、お気をつけて。特にその男に」
「俺かよ」
凛が鋼に声をかけ、バートがぼやく。そんなやり取りに苦笑しながら、鋼はバートを連れて部屋から出て行った。伊織達が通ってきたのと反対側の通路からだ。よっぽど信頼しているのだろう、日向の方には特に何も視線を向ける事は無かった。
状況が変化しすぎて何がなんだか、といった様子のマルケウスが、我に返ったように伊織や省吾に訊ねてくる。
「い、いいのか行かせて!?」
「ええんちゃう? 鋼は考え無しに別れたんとちゃうと思うよ。それにわいらついて行ったところで足手まといっぽいし」
「だ、だが。カガミとムライの二人だけにこの場を任せていいものか? カミヤが抜けるなら、せめて僕達が。微力ながら、協力できる事があるのではないか?」
「いえ、必要ありません。その場を動かないで頂けると助かります」
にべもなく割り込んできた凛の声に、マルケウスはぎくりと口を閉ざした。足手まといだと暗に言っている割には、言い辛そうな態度でもない。淡々と凛はそう告げながら、魔法陣を指先に浮かべていた。
伊織の知らない、ガラスの弾丸のような魔術が放たれる。日向と戦っている男達の一人に命中したようだ。
「な、なんか二人ともキャラ変わってへん?」
声を潜めて言う省吾にうんうんと頷く伊織とマルケウス。日向は普段の態度は何なのだと言いたくなるほどの無口な少女と化しているし、凛は非常に攻撃的な性格に変わっている気がする。結構毒舌だし。今も凛は魔法陣を次々浮かべ、日向を的確に援護し始めていた。
「……日向ちゃんは、戦う時はあんな風になるって神谷君が言ってました」
「そういう切り替えって重要なのかもね」
雪奈がおずおずと口を挟み、伊織が頷く。気弱だったり明るいだけでは、死の谷や亜竜の山を生き残れなかったという事なのだろう。
「そういえば、さっきの何? 神谷君が各務さんに魔力をあげてた時、皆変な目で見てなかった?」
「あ、ああ。変なというか、あり得んからな。魔力を他者に渡すというのは不可能だ。どういう意味で神谷がああ言ったのか、気になってな」
「え、そうなの?」
皆知っているという事は、知っていて当然の常識に属する知識らしかった。知らなかったのが自分とあのラグルという男だけだったというのは、実に屈辱的である。
「意味も何も、そのままの意味ですよ」
透明な弾丸を撃ち続けながら凛が口を挟んできた。《魔弾》を複数展開して尚喋る余裕があるのか!? とマルケウスが別のところで驚愕している。
「私達はコウに対して、魔力の拒絶が起きませんから」
「な、なに? そんな事があり得るのか?」
「少なくとも私達の身にはあり得る事みたいです。私とヒナちゃんの組み合わせでも無理ですし、コウに対してだけですけど。何度もあの人に救われた命ですしね。拒絶する必要がないと、体の方も分かっているのでしょう」
どこか誇らしげに、どこか嬉しそうに凛が語る。
……なんというか。ここはご馳走様と言っておくべきだろうか。
「な、なんだかロマンチックですね!」
雪奈がそう言うと凛はこくりと頷いて、うふふと笑う。完全に恋する乙女の顔である。
何が怖いって、そんな表情のまま凛が的確に、《魔弾》を男達に撃ち込み続けている事だった。
◆
「案内って誘拐した娘のとこかよ。組織を潰すってのは嘘で、本命はそっちだったのか?」
「一応そうだが、人質がどうなってても闇ギルドは潰す気だぞ? 周りでちょろちょろ鬱陶しいし。気に入ってる軽食屋にはちょっかい出してくるし」
「そんな程度の理由でうちの組織は潰されんのかよ……。くそ、カミヤが関わってると知ってたら誘拐なんて絶対に提案せんかったものを」
「お前の発案かよ」
小走りで闇ギルド本拠内を駆け抜けながら、鋼は先導させているバートと緊張感の無い会話を交わしていた。誘拐がバートの案と知っても、今更こちらも恨むような気持ちは湧いて来ない。バートはもう敵にならないと、鋼の勘は告げていた。何もかも正直に教えてくれるのはそういう理由だろう。
さらっと今回の件のあらましを鋼は聞いた。
学園の近場という良い立地条件の土地を手に入れたい、とある有力な貴族だか商人だかがギルドに依頼を出したのが始まりだそうだ。
様々な条件を勘案して、満月亭を立ち退かせるという作戦になった。それで地味に嫌がらせを始め、相手が強情ならこちらも強引な手段に切り替えていく方針になった。最初の頃はバートは一切関わっていないらしいので、彼もそれほど詳しくは知らないらしい。
そして依頼の期日が迫ってきたある日。依頼を引き受けていた男達が、違約金を払ってでもやめたいとギルドに打診してきた。酒場で鋼が十人ばかりのした直後の話である。仕方ないので彼らにはペナルティーを課し、ギルドは別の誰かに依頼を引き継がせようとした。
ところが引き受ける者が出てこず、調べてみると酒場の一件に行き当たったという。鋼の酒場での暴れっぷり、凛の《火矢》鷲掴みなどの話が、おっかない騎士候補の噂としてギルドの闇傭兵達の間で広がっていたのだ。満月亭に手を出すとそいつらがやって来る、という話が主に酒場の目撃者達から広まり、無法者達を躊躇させていた。
いくら腕っ節が強かろうが、まだ子供とも言える少年達を怖がって依頼を失敗となれば闇ギルドの信用は地に落ちる。だが期日も相当厳しいところまで迫っていたので、これ以上の失態を重ねる前にとギルドは依頼人に断りを入れた。そういう状況に一旦はなっていたらしい。
それでは何故満月亭の娘が誘拐されたか。その原因は明確にバートにあるらしい。
面子を潰された形の闇ギルドだが、妨害した少年達は騎士教育学園の生徒で、日本人という微妙な立場。そちらへ直接報復するのはまずいだろうという意見が出たので、バートは間接的な報復を提案した。もう依頼されてはいないが、満月亭をやはり潰してはどうだろうかと。
市民の誘拐などの重犯罪は、何度も繰り返せばまず間違いなく警備隊に本格的に目をつけられるので、普段なら闇ギルドでも自重する方針にある。だが組織の利益を度外視するなら、実はそういう強引な手段も取る事は可能だった。
店を潰して常連の学園生徒達に間接的な復讐をしつつ、手に入れた土地の権利書は元々の依頼人にタダ同然でくれてやる。そうする事でそれなりの権力を持つ依頼人から、重犯罪の誘拐をお目こぼししてもらう。信用も回復するだろう。金銭的な得にはならないが、そのような計画らしい。全貌を聞いてむしろ鋼も感心してしまった。
「中々上手く出来てる話だったんだな……」
「……お前が感心してどうするよ。ほらついたぞ、この先の部屋だ」
バートが示したドアの前には、人質の見張り役らしい男が立っていた。「バートさん、どうしたんで?」とか訊いてきたその男を、問答無用で鋼は殴りつけて気絶させる。
「……バート、部屋に入る前に一つ話がある」
「ここじゃ目立つ。入ってからじゃ駄目なのかよ」
「ああ。わざわざバートと二人だけで別行動を取った最大の理由が、むしろこの話をしたいからだ」
鋼の言葉にうげ、とバートが嫌そうな顔をした。
「あんたへの貸しは、ほんと言うとこっちに使ってもらいたい。この話を守ってくれるなら、あの件についてはチャラだ」
「……一体何の話だってんだ」
「そう警戒しなくても、たいした話じゃねえから安心してくれ」
貸し、というのは。バートと最後に別れた際の状況の事である。
魔物の大群に囲まれ絶体絶命の窮地だったあの時。鋼は死ぬ覚悟で、皆を逃がすための囮役を引き受けた。
鋼の戦友の少女達は、鋼にその役目を引き受けさせた他の奴らを恨んでいるが。そうしないと全滅していたと思うし、だから鋼は正直、あまりバートや他の谷での協力者を恨んでいるわけではない。だがバートの対応を見るに、多少は気に病んでくれていたようだった。
「口止めを頼みたい」
恨んではいないが、これくらいは頼んでもいいだろう。鋼は用件を口にした。
「あんたは、谷で俺と一緒に行動してた四人の名前を全員知ってるからな。ある奴の名前を、これから先誰に対しても秘密にして欲しい」
もし約束出来ないなら、ここで死んでもらう。その程度には目に殺気を込め、鋼はバートを静かに見やった。