25 意外な邂逅
「誰か、誰か応援を呼んでぎゃあああっ!」
声を張り上げたナイフ使いの男が《圧風》で吹き飛ばされていく。
「さっきの奴らじゃねえ! こいつらだ! こいつらが俺らに喧嘩売ったっていう……ぇ?」
日向と向き合っていた斧を持つ男が、手を浅く斬りつけられ毒で倒れる。
闇傭兵ギルドの本拠らしい、大きな娼館っぽい建物を鋼達は順調に攻略中だ。前に立ち塞がる男がいれば全て日向が殴るか毒ナイフで斬り伏せ、後ろから追いかけてくる者があれば全て凛が殴るか魔術で吹き飛ばす。通路がそれほど広くないので囲まれる心配もなく、敵だけはうじゃうじゃ多いものの特に問題は無さそうだ。
まさに鎧袖一触。
一応は鋼も敵から奪った手頃な剣を手にしているのだが、抜くどころか鋼の出番すら無い。《加護》も問題なく継続中のようだ。戦闘時以外も極々微量の低出力の魔力で維持すれば、この術式は半日だって保つ。
「武装はしてもろくに鍛えてねえんだろうな。こりゃ省吾達も、焦って探す必要ねえかな」
「そ、そうなんでしょうか。……長谷川さん達が外で戦ってた時は、こんなに圧倒的じゃなかったと思いますけど……」
ゆったり歩きながらそう呟いた鋼の隣で、片平はぽかんとした表情だった。
「あいつら、苦戦してたか?」
「あ、いえ、ちゃんと勝ってましたし、まだ余裕って感じでしたけど。見ていてやっぱり、怖かったです。何か間違えば三人の内誰かが斬られるんじゃないかって」
「今も怖いか?」
「いえ……。今は、武器持った人達が殺しに来てるはずなのに、なんだかゲームの雑魚キャラみたいにしか見えなくなりました」
省吾達の戦いぶりは片平にそこまでの安心感を抱かせないものだったのだろう。
「ぐっ、……かはああぁっ!!」
強化を使って凛の打撃に耐えた男が、二撃目の《圧風》による速度上乗せパンチには耐え切れずに廊下の向こうまで吹き飛んで行く。その瞬間を目撃してしまった片平が青い顔になる。
「……い、いくらなんでもあんな漫画みたいに吹っ飛ぶのおかしくないですか!? いえ、私はそういうの嫌いじゃないですけど。むしろ大好物ですけど!」
「そ、そうか。大好物か……」
片平の事が分からなくなった鋼だった。
そんな緊張感の無いやり取りをしながらも、一行はほぼ一定のペースで前進し続けている。諦め悪く次々と武器を掲げた男達が挑んできているが、足止めさえも満足にこなせていない。
鋼達には知る由もないが、男達はこの四人組を待ち伏せ部屋に誘導しようと必死なのだった。大人数で通路を塞ぎ進路を限定する作戦だったのに、鋼達はそんなものお構いなしに行く先を決めてしまう。そしてそれが可能なほど圧倒的に強い。誘導しなければもはや勝てないと悟っているからこそ、なおも男達は決死の思いで挑んでくる。哀れな悪循環だった。
だがようやくそれも終わりか、状況が落ち着いてくる。遠くからこちらを窺う視線は前にも後ろにも残っているものの、鋼達に襲い掛かって来ている男は最後の一人となっていた。
その一人を日向がナイフで浅く斬る。《薬物生成》による毒が注入され、ぐらりと倒れ――
「効かねえよ!」
その直前で持ち直した男が、日向のナイフを握る手を掴もうと手を伸ばした。
《解毒》の魔術だ。体内の毒素を中和する術式。ここにきて初めて、使える者が現れた。
「日向ちゃん!?」
片平が悲痛な声を上げる中。男が触れようとした日向の手首部分に、ぼわんと魔法陣が浮かび上がる。
日向の得意魔術の一つが、ニールさえ絶賛させた相当な速度で発動する。
「ぎゃ、お、ご……っ!」
途切れ途切れの不気味な悲鳴をあげ、手を伸ばした相手の男は硬直した。びくびくと体を痙攣させ、そのまま日向の蹴りを腹に受けて吹っ飛んで行く。片平の大好物らしい飛び方だった。
「い、今のは一体……」
「あいつの得意な《電撃》って魔術。触れるぐらいの距離にいる相手に電流を流せる。……おいヒナ」
解説しつつ日向を呼び止める。鋼を振り返る小さな幼馴染はやはり完全な無表情だ。放課後学園を出てから今まで、ずっと彼女の表情はそれで固定されている。
「魔力残量は?」
「……八割くらい」
戦闘が小休止した今のうちに確認をとると、自身の魔力を把握するための僅かな間の後、簡潔に日向が答える。さすがにかなりの人数を相手にしただけあり、既に二割も消費していた。
「今みたいに余裕がある時、もし六割を切ってたら言え」
「分かった」
それだけのやり取りで日向はまた前に向き直る。片平が何か声をかけようとしていたのだが、すぐに背中を向けられたので気まずげに言葉を呑み込んだようだった。
「……あんま気にすんな。こいつ、こういう戦うような状況だと一切余計な事言わなくなるから」
「あ、そうだったんですか……」
この会話も聞こえているはずなのに日向は身じろぎ一つしない。へらへらしているか、一切の無駄をしないか。なんとも極端な奴なのだ。まるで二つのモードがあるかのように、日向はそれを切り替える。
それはかつて過ごした地獄の日々に対する、彼女なりの適応の形だ。戦友達の中では最も戦いに不向きな性格だった日向は、結果誰よりも上手く感情を凍結させられるようになった。鋼よりも、だ。
戦闘における心構えが既に出来あがっているからか、日向だけは《加護》による性格の変化も見受けられない。本人曰く『集中力が増す感じ』はあるそうだが。
「び、びっくりしましたけど……、でもなんだか、そういうのってカッコいいかもです」
もう少し普段の日向とのギャップに戸惑うかと思っていたが、片平は案外すぐに順応してみせた。そう言ってくれるのは鋼としても嬉しい。いや、殺伐とした精神に安易に憧れるのもどうかとは思うものの、どん引きされるよりはずっといいだろう。
その証拠に、戸惑ったような僅かな反応の遅れの後、背を向けたままの日向が限りなく小さく頷いたのを鋼は見逃さなかった。
「よし。敵の数も減ってきたからな、そろそろ人質か省吾達を探すか。適当な奴捕まえて訊けば分かんだろ」
「了解」「はい」
鋼の提案に日向と凛がそう返事して、四人は適当に、闇ギルドの本拠を進んで行くのだった。
◆
この戦いの何一つ、見逃してなるものか。
互いに打ち合うマルケウスとバート。呼吸さえ忘れてしまうような集中状態で、目を皿のようにして伊織は戦う二人を見守っている。
平和な日本で見る事などほぼあり得ない、真剣による果たし合い。伊織が憧れるものの一端がここにあった。
「ふっ!」
顔に傷を持つ男バートが呼気と共に踏み込んでくる。相当な速度だった。
振るわれた長剣をマルケウスも剣で受け流す。その顔に余裕は全く無かった。受け流されたと見るや更に無造作にバートは前に出て、マルケウスの足を踏み潰そうとする。
辛くもバックステップでそれから逃れたマルケウスは、剣士として優れた勘を備えていると言えるだろう。バートの戦い方はお行儀のいい剣術ではなかった。泥臭い、相手を殺し自分は生き残るためだけの剣と体術だ。マルケウスがただ型通りの剣術をこなすだけの少年だったなら、とうに敗北しているに違いない。
だからといって互角の勝負を演じているわけでもなかった。いかにも実戦慣れした型にとらわれない猛攻の前では、マルケウスは防ぐので精一杯のようだ。
バートが下がったマルケウスを追いかける。長剣を振るい、時折蹴りも飛ぶ。どれもが目を瞠るほど速く、伊織から見ても超常の動きだった。それを防ぎ、あるいはかわすマルケウスも通常の人間の動きではない。二人とも強化の魔術を既に使っているのだ。
その上バートの攻撃は、その全てが鋭い。どれもが殺意の乗った一撃だ。半端な判断で適当な防御をしようものなら、それをすり抜けて即座に殺されそうな気迫がある。強化に関しては両者に大きな差は無くとも、総合的に相手はマルケウスより格上だ。
バートの剣による突きをなんとか回避しながらマルケウスも反撃するけど、容易く弾かれてしまう。すぐに攻撃を返され、避けきれずマルケウスは肩を浅く斬り裂かれる。見ているこちらも緊張する一瞬だった。何かが違えば、斬られて彼が死ぬ未来もあったに違いない。
だけども今回は浅い負傷だった。この瞬間こそが好機だと悟り、マルケウスの目に強い気迫が宿る。
「おおおっ!!」
攻撃の直後という隙を晒しているバートに対して、マルケウスは踏み出しつつただシンプルに長剣を縦に振るった。
あれでは軌道が丸分かりだ。容易く防がれ、がら空きの胴に攻撃を叩き込まれて終わる。剣の試合を見慣れている伊織はマルケウスが構えた一瞬だけで、決着までの流れを幻視してしまう。
いや、所詮は幻視だった。そうはならなかった。
剣を振り下ろし始めた瞬間、マルケウスの全身がほのかに白く輝いた。特に剣を握る両手は溢れんばかりに発光する。
――習ったし、授業で見た。魔力光だ。
瞬時に白い光に化けた攻撃の軌道ごと、長剣が恐ろしい程の加速を得て振り下ろされた。
バートがこの決闘で初めて、余裕の無い顔をした。既にマルケウスの斬撃を受けるために持ち上げていた長剣を捻る。剣の腹をマルケウスの剣に向け、片手でその裏側を支える。微妙に斜めになるようにして、両断しようと迫る白い攻撃を受け止めた。
これには敵ながら感心するしかない。よくもまあ、咄嗟にそれだけの行動が取れるものだった。
「ぐっ!」
ぶつかり合った剣と剣から耳に痛いくらいの甲高い金属音が鳴り、バートは苦しそうな声を発する。だけど、それだけだ。剣も折れず、吹き飛ばされず、バートはその場で耐えてみせた。渾身の一撃は届かなかった。
今度はバートが腕を魔力光で光らせ、お返しの剣を振るう。剣それ自体を狙った勢いのある攻撃に、受けてしまったマルケウスの手から長剣がすっぽ抜けた。
「はぁ、焦ったぜ。全力の強化に切り替えるまでの時間が相当短い。それがてめえの持ち味で、奥の手ってわけか」
「く……、はあ、はあ……っ」
じりじりと横に動き、落ちた長剣に向かおうとするマルケウスの息は荒かった。気の抜ける時が無い剣の応酬が続き、もはやかなり消耗しているのだ。
バートと一緒に待ち伏せていた、今はギャラリーとなっている男達が口笛を吹く。
「さすがバートさんだぜ! 今のでも防いじまうのか!」
「そろそろ決めてくれよ兄貴!」
男達はもう、いや最初から、バートの勝利を確信しているようだった。組織内でも実力の高さが信頼されているのだろう。マルケウスも自主的に修練を積んでいる、候補生の中では実力者のはずだけども、勝ち目はかなり薄そうだった。
伊織は確信する。
――相手は『本物』だ。
ひたむきに修行する騎士候補の少年や、剣道にのめり込む女子高生とは違う。死線を経験しなければ辿り着けない、本物の剣士の高みにいる。
ぞくりとした興奮に伊織の背は震えた。
「……何の真似だ、女。先にてめえから死ぬか?」
問いかけられて初めて、伊織は自分のしている事に気付いた。丸腰のマルケウスに斬りかかろうとしたバートの正面に立ち塞がり、剣を抜こうとしていたのだ。しかも一緒に動いてくれようとした省吾には手をかざして援護を断っていた。完全に無意識でだ。
我ながら呆れてしまった。でもなんだか、気分は晴れやかだ。
「今の決闘は彼の負けでいいでしょ。だから次は、私と戦ってくれない?」
それを聞いたギャラリーの男達が笑い声をあげる。
「おいおい、お前今の見ても兄貴の強さが分からなかったのか? 多少腕に自信があろうと、ガキが勝てるような人じゃないぜ?」
「なんせバートさんは『死の谷』からも生きて帰ったお人だからな!」
ついでにそんな情報を教えてくれた。あいにく聞いた事のない地名だったけど、亜竜山脈よりすごいのかしら、と伊織は首を傾げる。
「それがどれだけすごいのか、日本人の私には分からないけど……、別に、勝てるなんて思ってないわ」
剣の切っ先を突きつけて、伊織は本心から告げる。
「こんな機会、滅多にないもの。勝ち負けなんてどうでもいいから、ただ戦ってみたいの。まだ私すごい下手な強化しか出来ないけど、お相手願えるかしら? 殺されたって文句は言わないわ。もちろん殺されないよう、なるべく長引かせるつもりだけど」
バートは嫌いな虫でも見たかのような顔をした。
「てめえ、女でその年で、戦闘狂かよ。せっかくそれなりな顔してんのに勿体ねえ……」
「ふふ、褒め言葉として受け取っておくわ。ところで、その『死の谷』から帰ってくるのってそんなにすごいの?」
興味本位から訊いてみた伊織に答えたのは、背後にいるマルケウスだった。
「……はったりだ、まともに受け取らないほうがいい。この男が強いのは認めるが、さすがに信じられる話ではない」
「そんなすごい場所なの? 亜竜山脈より危険とか?」
「亜竜山脈からの生還者であればまだあり得る話で済む。だが、死の谷となると……。この国からだと亜竜山脈を越えなければ辿り着けない場所だが、生きて帰って来た者が誰もいないと言われているからその名がついた谷だ。死の谷への追放は、隣国のグレンバルドでは死刑を意味しているほどだぞ」
彼の言う通りはったりなのかと視線でバートに問いかけてみると、信じられんならそれでいいんじゃねえの、とばかりに肩をすくめられる。確かにまあ、どっちでもいいかもしれない。彼の強さは本物だし、伊織にとって重要なのはそれだけだ。
「まあいいわ。強い相手ならなんでも」
その台詞に呆れたような視線を向けられながらも、伊織は授業や自主練習の通り、体内にある何かに意識を注ぐ。
それは伊織自身の魔力だ。だけどまだ、あんまり上手くは感じ取れない。今日の午前中に行った凛との試合がいい刺激になったのか、直後の休憩時間での自主練習では、初めて《身体強化》の魔術に成功したのだけど。
――あれを、もう一度。
まだ成功したのはたったの一回だ。そんな不確実なものをぶっつけ本番で成功させなければいけないこの状況に、緊張しながらも笑いが込み上げてくる。強化出来たとしても敵う相手ではないけれど、強化なしでは間違いなく瞬殺だ。だから必ず、成功させなければいけない。
だからきっと、成功する。
「《身体強化》……!」
魔術を発動する際、術式名を口にする事で意識がその名に固定され、成功率が上がるのだそうだ。そういう話があるのだと教師が授業で言っていた。迷信や思い込みだと馬鹿にする人もいるけれど、日本でいう血液型性格診断くらいにはこちらの世界で広く信じられている、魔術における小技の一つだという。
それに倣い、宣言する。
手に持つ剣の重みが消滅し、伊織の全身から白い魔力光が噴き上がった。
「っ!」
これでは駄目だ。すぐに魔力が尽きてしまうと直感で分かった。
先程のマルケウスの、振り下ろす瞬間だけ魔力光が出ていた光景を思い出す。鋼が授業で大タルを持ち上げた時、教師に言われて徐々に魔力光を腕から出させていたのもイメージする。当然ながら、必要な分だけしか必要ないのだ。大タルを投げ飛ばしてしまった日向のように、必要以上の強化は思わぬ危険を招くだろう。
光が体の中に収まるよう、出力を絞っていく。なんとか無理やりにそれを成し遂げて、伊織はこれから戦う相手を見据えた。
「待っててくれてありがと。さあ、始めましょうか」
そう言って、いざ戦いを挑もうとしたその時。
高揚した気分に水を差すように、どたどたと騒がしい足音が部屋の外からやってきた。
「バートの旦那ぁっ!!」
悲鳴じみた情けない男の声も一緒だった。伊織達三人がやって来た通路から、顔を腫らした男が現れる。いかにも顔面を殴られましたと言わんばかりの、変色を伴った痛々しい腫れ具合だ。
「助けて下さい! 騎士学校の服着たガキが三人、暴れ回ってて止められません! ギルドに喧嘩売ってきた三人組はきっとあいつらです! もう無茶苦茶で!」
「とうとう本命が来やがったか。だが、おい。この部屋に誘導する手筈になってただろうが」
「そ、それが本当に無茶苦茶で、誘導なんか無理でした! こっちが何人でかかっても全員蹴散らしながら、好きなように進みやがるんです!」
騎士学校の服で三人組。もはや正体は確定したようなものだった。
それにしても、話を聞くだけでも確かに無茶苦茶である。個人がどれほど鍛えて強くなったところで数の不利を覆すのは難しいと、伊織の常識は言っているのだけど。魔術がある世界では、鋼達はそんなに圧倒的に強いのだろうか。
泡を食った男の報告を聞いて、バートは苦々しく舌打ちをした。
バートは彼の仲間の一人に視線を送る。魔法使いっぽい服装のローブを着たそいつは、マルケウスとの決闘を一人離れた場所から見守っていた男だった。今現在も、室内を一望できる部屋の隅に陣取り壁に寄りかかっている。
「もう遊んでる時間は無さそうだ。ここを手っ取り早く終わらせてくれ」
「んー、了解」
少し面倒そうにその男は壁から背を離し、大きな宝石がついた指輪をしている手を伊織達に向ける。あまり知識のない伊織でも、そんないかにもな格好でいかにもな動きをされたら嫌でも分かってしまった。剣士、魔法剣士、魔術師でいえば、この男は間違いなく一番最後の奴だ。
なんだか嫌な気配がびしびしと伝わってくる。同時に伊織は初めて見る、これが授業で言っていた魔法陣なのだろうな、という丸い紋様が男の手の先に浮かび上がった。
魔術を発動させてはならない。そう思うのに、前へ出るのも躊躇われた。あの魔法陣は引き絞られた弓矢や銃口と同じものだ。前に立つのは自殺行為だと伊織の勘は言っている。もし止めようと踏み出せば、その時点で未完成な術式であってもぶっ放されるビジョンしか浮かばない。そして未完成な威力の弱い魔術であっても、ド素人の伊織に対処する術は無いだろう。
「ちょっと、卑怯よ! 殺されるならせめて剣で斬られて死にたかったのに!」
「重要なのはそこか!?」
マルケウスの叫びも置き去りにして、魔法陣が強く光り輝く。マルケウスか省吾が何かやってくれるのに期待するしかない。もしくは放たれた何らかの魔術を、伊織が斬ってみせるしか。……いや、冷静に考えれば絶対に無理なんだけど、漫画とかではよくあるパターンだ。それが成功するのに賭けてみるしか、伊織に残された選択肢は無さそうだった。
そしてとうとう、魔術師の男から魔術が――
――放たれる直前。
ばきばき、という木の板が折れて軋むような音を、室内にいる誰もが耳にした。魔術師の男が慌てた様子で後ろを振り返る。めきめき、と致命的な音をさせながら、向こう側から何かに圧迫されるように、直近の壁がたわんで膨らんでいく。
そして、壁が破られた。
ぼぉん、と破壊音を撒き散らしながら、壁の一画、二メートルは超えている範囲が丸々壊されたのだ。
その破壊の余波だけで魔術師の男が壁の残骸と共にまとめて吹き飛ばされていく。男の体は反対側の壁まで達して、さっきまでは壁だった木材などがそこに降り注ぎ、哀れにも彼は残骸の中に埋まってしまった。
滅茶苦茶過ぎてその瞬間は何が起こったのかよく分からなかったけど、後から思い出してみるとそういう感じの出来事が起きたのだった。そして当然、原因となった空いた壁のほうに室内の視線は集中する。
魔法陣をその手に光らせて、穴の向こうに凛が立っていた。その後ろには鋼と日向、それに雪奈までいる。
「……なんだ、三人共無事か。話聞いた時はあいつらアホかと正直思ったが、要らん心配だったか?」
「いや、すごい助かったで! 正直メッチャ今ピンチやったから!」
鋼が誰に言うでもなく呟いて、それに省吾が答える。新しく開通した通路を使い、四人はぞろぞろと部屋に入ってくる。歩き方や振る舞いに、緊張した様子など全く見つけられない。
「まあお前らとの話はまた後でな。……それよりも」
話を切り上げ、バート達のほうを向く鋼。
いや、バート達ではなく、バート個人に対して鋼の視線は固定されていた。
「すげー懐かしい顔がいるな。まさかの再会だな、バート」
「んな、馬鹿な……。カミヤ、か? 嘘だろ?」
驚く伊織達の前で、二人はお互いの名前を呼び合ったのだった。