16 剣術実技の授業・続
「なんで俺? 別に誰が相手だろうとそう変わらんだろ?」
打ち合い稽古の相手をして欲しいと言ってきたマルケウスに、鋼は純粋な疑問を返す。
「いや、お前と打ち合ってみたいと思っただけなのだが」
貴族は貴族同士で組んだらどうよ? というのが正直なところだ。それが普通である証拠に、マルケウス以外の貴族達も意外そうな様子である。そこで鋼は気付いたが、貴族達の人数は奇数だった。
「あー、身分ごとに分けても貴族と日本人はどうせ一人ずつ余るのか。まあ別に俺はなんでもいいが」
「なら決まりだな」
……何故こうも最近、名指しされるのが多いのか。
マルケウスと組むのはいいが、これだけは聞いておかねばなるまい。
「なあ。なんでわざわざ俺なんだ?」
「噂が本当なのか、気になってな」
「噂?」
うむと頷き、熱血貴族少年は結構衝撃的な発言を放った。
「生徒の間で流れる噂を耳にしてな。お前が亜竜山脈から生還した迷い子だと」
「真紀の奴めええ!!」
有坂が小声で叫ぶという器用な事をしながら毒づく。省吾・有坂・片平にしかルデス山脈の話はしていないのを考えれば、どこから漏れた話なのかそれでだいたい察しがついた。
校庭の空気が少し静まる。
剣の心得がある経験者メンバーの内、噂を知っていた者は固唾を呑んで見守り、知らなかった者は大いに驚きを露わにしている。そういう感じの場の空気だった。亜竜山脈とは何なのかよく知らない日本人は周囲の雰囲気の変化に戸惑っているようだったが。
「どうなんだ? その噂は本当なのか?」
「お前はそれ、信じたのか?」
「信じがたい噂なのは確かだ。それで直接こうして訊いている」
疑うような視線でもなく、感嘆する様子でもなく。マルケウスはいつも通りのいかにも真面目くさった表情だった。
いや、まあ。ルデスの事は別に何が何でも隠したい、とかでもなし。拝むようなジェスチャーで謝ってくる有坂に気にするなと苦笑を送り、マルケウスに正直に告げる。
「……まあ、多分そこに落ちたっぽい」
「多分とはどういう事だ」
「いや、どっかの街からその名前の山に行ったとかじゃねえからな。こっちの世界に落ちていきなり山の中で、地名とかあんま気にしてなかった。気にする余裕もあんま無かったしな」
さすがにマルケウスも同情するように顔をしかめた。
「それはまた……、なんというか、ひどい話だな」
あまり考えたくないが、人里離れた場所に落ちてしまい人知れず命を落としている日本人もどこかにいるだろう。帰還できた鋼達はそれでも運に恵まれたほうと言える。
そこで話を聞いていた、周囲にいた男子生徒の一人が揶揄するように口を挟んだ。知らない奴だが多分貴族だ。
「おいおい、それならその辺りの山だったかもしれないじゃないか」
「かもな」
鋼が認めると拍子抜けしたようにその男子は口を噤む。
噂がもう広まってしまっているなら、これからもこういう面倒そうな性格の貴族が難癖つけてきたりするのだろうか。そっとしておいて欲しいのだが。
「雑談は後にしろ!」
シシドの怒声に尻を蹴飛ばされ、生徒達は慌てて竹刀を握るのだった。
マルケウスがそれを提案してきたのは、打ち合い稽古が一段落ついた頃だった。
「カミヤ。僕と試合をしないか」
「試合? 剣のか」
「他に何がある」
そのやり取りに周りの生徒の注目が集まる。シシドが眉をひそめて近づいてきた。
「勝手な事をするなガンサリット」
「もちろん許可を取るつもりでいました。教官、カミヤと試合をさせて下さい」
そんなものすぐ却下されるだろう。鋼は気楽な気持ちで構えていたが、予想に反してシシドは考える素振りを見せた。
それどころかこちらの様子を見て、試合なんて面倒くさいという考えを読み取ったかのようににやりと笑った、気がした。実際はそんな表情など浮かべていないのだが、なんとなくそう思えたのだ。
「……危険だと判断したら制止する。俺が声をあげたら絶対にそこで止めると約束するなら、構わん」
「ちょ、教官止めてくれないんすか!?」
「素振りや型の稽古だけとでも思っていたのか? これは実技の授業だぞ。遅かれ早かれ、いずれはどの生徒も試合くらいさせる」
「いやいや、ちょっと早くないですか? 俺なんか自己流もいいとこというか、ちゃんとした構えもまだよく分かってない半分素人っすよ? いきなり試合とか――」
「こほっ」
鋼が言い募る最中、不意に咳き込むような息の音。
発生源は俯いた凛の口からだ。それは思わず噴き出してしまった、という反応で、鋼が怪訝な面持ちで見やると凛は弁解しだした。
「いえその、冗談にしてもひどいじゃないですか。コウが半分素人って、いくらなんでも無理が……」
「ほう。中々期待できそうな相手らしいな、カミヤ」
マルケウスが目を光らせて鋼を睨み、これはもう避けれない流れなのかなと周りを見てみる。
「亜竜山脈からの生還者とは俺も初めて聞く話だが、それが本当ならガンサリットの相手も務まるだろう。ああ、知らないだろうから言っておくが、ガンサリット家は騎士を輩出する名門だ」
相手も務まるだとか太鼓判を押すような言い方をしながらも、シシドがやや皮肉げにトドメを差してくる。もしやルデスの事を秘密にしていた鋼に対する意趣返しもあるのだろうか?
「ああもう! 分かりましたよやればいいんでしょやれば」
「言うまでも無い事だが、魔術は絶対に使うなよ。強化もだ。取り返しのつかん怪我になりかねんからな。頭を狙うのも絶対にやめろ」
「そりゃまあ、そうっすよね」
そういうわけで、鋼はマルケウスと試合をする事になった。
◇
「ついに神谷君の実力を見れる時が来たわね」
どことなくはしゃいだ声で伊織が言うのが少しおかしかった。釣られるように日向も笑みをこぼす。
「鋼の実力が気になるの?」
「そりゃあそうよ。各務さんと村井さんもそうだけどさ、魔物の山を生き抜いて強くなった、みたいなのは物語の主人公とかじゃある意味定番とも言えるしね。村井さんは魔術すごかったし、神谷君もやっぱり只者じゃないのかな、ってつい期待しちゃうというか」
日向達はシシドのほぼ真後ろに位置取り、竹刀を持って向かい合う鋼とマルケウスを見守っていた。他の生徒達も全員がギャラリーだ。
「今日は無理だが、その内生徒全員にこのような試合をしてもらう事になる。よく見ておけよ」
教官に言われるまでもなく、生徒のほとんど全員が興味津々なようだった。視線の渦の中心で、対峙する二人がそれぞれに構える。防具さえも着けていないけど、こっちの世界ではこれが普通なんだろうか。
「二人とも、準備はいいな? 可能なら当てる直前に寸止めしろ。それでは――、始め!」
審判を務めるシシドの合図と共に、鋼とマルケウスの両者がゆっくりと動き出した。
お互いに向かうのではなく、様子を見るように横に動きあい、向き合ったまま円を描く。緊張感が高まり、観戦する生徒達はひそひそと声をひそめて隣の生徒と勝負の行方についてささやき合う。
「なあなあ、どっちが勝つと思う?」
鋼達から視線を外さずに、省吾がそう訊いてきた。
「ん? 鋼じゃないかな」
「コウでしょうね」
日向、そして凛は決まりきった回答を返した。相手の貴族を侮辱するわけでは無いのだけど。鋼の勝利を確信しているのに「どっちだろうね?」なんて返すのも、ちょっとどうかと思ったのだ。
「へー、二人とも即答なんだ。信頼されてるわねー、神谷君」
「でも相手も騎士の名門とかゆってたやん。あの男子だって強いんちゃうん?」
「うーん。きっと強いんだろうけどさ、鋼に勝てるとか、ちょっと考えづらいというか……」
日向が思うところを正直に吐露した時、状況が動いた。
痺れを切らしたようにマルケウスが強く一歩を踏み込む。日向も「おお!」と思うくらいの、鋭い突きが放たれた。
鋼が自らの竹刀でそれを弾く。攻撃を横に逸らされたマルケウスは、隙など見せないとばかりに素早く後ろへ下がるのだが、鋼がそれを追いかけた。こちらも鋭く振るわれた追撃はしかし竹刀で受け止められてしまう。ばしん、という小気味良い音が響いた。
更に鋼が攻勢に出る。縦横斜め、突きに払いと、様々な斬り方で攻めまくる。
しかし騎士貴族は、冷静に一つ一つに対処してゆく。大きな余裕があるわけではないけど、防御で手一杯、という風にも見えない。防御を切り崩せない鋼はより大胆に攻め始める。それはつまり、よりリスクを背負う選択でもあった。
急接近して竹刀を振り上げ、辛くも避けてみせたマルケウスに次は横への薙ぎ払い。ここで一連の流れががらりと変わる。下から上へと、鋼の竹刀が弾かれたのだ。
がら空きになった胴へ、痛烈なカウンターが放たれる。
少しでもこういう試合を見慣れている人なら、ここでもう勝負は決まったと思っただろう。
鋼は避けた。ぎりぎりの間合いで相手の竹刀が通過していく。教官が試合をここで止めるか見極めるために、特に集中して目を光らせているのが分かった。
鋼は体勢を崩したまま完全には立て直せず、次々と攻撃に晒された。さっきとは立場が逆転する。マルケウスがひたすらに攻め、鋼が余裕の無い動きでそれを防御していく。
くすりと日向は笑った。同じタイミングで、凛も同じように笑った。
「……鋼の勝ちだね」
「当然です」
「え、なんでそうなるん? 今むしろ、鋼がメッチャピンチに見えるんやけど」
省吾が疑問の声をあげ、伊織はただ無言で試合を見守る。「見てれば分かるよ」とだけ日向は返し、試合の流れに集中する。
マルケウスは攻める手を休めない。しかしその猛攻に、三十秒ほど鋼が耐え続けたあたりで焦りが見え始めた。
試合を観戦する貴族の生徒達の間から「守ってばっかじゃ勝てないぞ!」と馬鹿にしたような野次が飛ぶが、戦う二人は気にした様子も無い。そうしてある時、ふ、と。何気ない動作で唐突に鋼は前に踏み出した。
そこからは、三太刀だった。三回の攻撃で、勝負は呆気なく決した。
鋼が竹刀を振るい、受け止めたマルケウスの竹刀が外へ弾かれる。再度振るい、咄嗟に相手が手元に戻した竹刀を、更に大きく外へ弾く。間をおかず振り上げられた攻撃が、マルケウスの胸のあたりに触れそうな位置でぴたりと止められる。
「やめっ! 勝負ありだ!」
シシドがそう宣言すると、生徒達はどよめきと歓声をあげた。
鋼の逆転勝利に、特に日本人生徒は沸き上がる。そして負けたのはマルケウスだというのに、彼以外の貴族の生徒が何人か、忌々しそうな顔をしていた。
――うん。まあ、鋼が無意味に敵を作っちゃうのはいつもの事だし。
のんびりとそんな思考にふける日向が他の観客達のように歓声をあげないのは、最初から最後まで鋼の勝利を疑っていなかったからだ。「すごいええ勝負やったなあ! 二人ともすっごいわ!」と省吾は興奮気味だ。多分観戦していた生徒のほとんど全員が、『いい勝負』をしていたように感じたのだと思う。
「……いい勝負なんかじゃなかったわよ」
硬い表情の伊織がぽつりと言った。
同じような顔をしている人は他にもいる。試合を見守っていたシシド教官と、試合を終えて鋼と握手しているマルケウスの表情にも、伊織と同じ理解の色があった。
「……ねえ。神谷君って、日本で剣道とかやってた事ある?」
「全く無いよ? だから、鋼が自分は半分素人って言ったのも間違っては無いんだよね」
「え、何? どうゆう事や?」
会話の意味が分からず省吾が首を傾げる。色々と鋭い伊織が簡単に解説する。
「神谷君の圧勝って事よ。剣道も剣術も経験無いのに、その土俵で戦って勝ったんだもの。実戦形式だったら多分、相手は手も足も出なかったんじゃない?」
「そんなん見ただけで分かるん?」
「だって神谷君の動き、すごく不慣れな感じだったしね。無理やり騎士剣術っぽく振舞ってたのよ、多分だけど」
「やのに勝ったから、本来もっと実力差あるって事なんか。なるほどなあ」
それだけであっさり済ました省吾も大らかというか、ある意味では大物と思う。とある貴族の男子生徒とは正反対だった。先程から野次を飛ばしたり、ルデスから生還したという鋼に『その辺りの山だったかもしれないじゃないか』と突っ掛かったりしていたその男子生徒は、試合を終えて日向達の方へと歩いてきていた鋼に向けてまた何か言っていた。
「お前、まぐれで勝ったからっていい気になるなよ! 必死こいて守ってばかりだったクセに!」
「そういうお前は見てただけの外野だがな」
「な、なんだと!」
減らず口を鋼が叩いて、無駄に相手を怒らせていた。見ていて日向はちょっとすかっとしたけど。
負けたマルケウスが本来関係ないその男子を窘めるのを尻目に、鋼がようやくこちらへ戻ってきた。帰ってきた親鳥にすり寄っていくひな鳥みたいに、すかさず凛が傍に駆け寄った。
「お疲れ様ですコウ」
「ああ。……なあ、貴族が相手だったら引き分けとかに持ち込んだ方が良かったと思うか?」
「もしコウを恨んだりするならただのやつ当たりです。あれ以上手加減する必要は無かったと思いますよ?」
「いや別に手は抜いてねえぞ」
さすがに手加減云々は抑えた声量でのやりとりだ。それにしても、わざと負けるではなく引き分けと言うあたり、鋼の負けず嫌いの性分がよく出ていると思う。鋼はたとえ訓練や練習試合であっても、負けるのはなんとなく嫌らしい。
――これが実戦だったら死んでいた、とか考えちゃって微妙な気持ちになるんだろうなあ。
よくも悪くも、鋼は物凄く現実的な男の子なのだ。
「ねえ」
鋼と凛が喋っているのをのんびりとした気持ちで眺めていると、いつの間にかすぐ隣に伊織が立っていた。
「……変な質問だっていうのは分かってるんだけど。神谷君って……、何者?」
鋼達に聞こえない程度の小声でそう訊いてきた伊織に、日向はぱちくりとした目を向ける。
「……ごめん、やっぱり忘れて。自分でも意味分かんない質問しちゃった」
「んー、そうなの? 多分、どういう意味か分かる気がするけど」
その言葉に伊織は意外そうな顔をする。日向はにかっと笑った。
「伊織ちゃん、気付いたんじゃないの? 次から鋼と今の相手が試合しても、もう勝負にならないって」
「……!」
反応からして日向の推測は当たっているようだった。それは試合の直後に彼女が浮かべていた表情からも分かる。対戦相手のマルケウスと、シシド教官と、そして伊織。この三人は、恐らく今の試合で気付いた。鋼の異常性に。
「鋼はね。同じ相手から同じような攻撃をされても、二回目からは通用しなくなるの。分かっていても反応できないってくらい高いレベルで攻撃しないと全く通らないんだよ」
技術や魔術、そういう問題では無く。戦闘における学習能力が、鋼は異常に高い。まあ、高いのは学習能力だけでも無いけれど。
途中から一方的に攻撃し続けていたマルケウスが徐々に焦りだしたのは、余裕の無い動きで回避や防御を行っていた鋼が、全く危なげなく攻撃を捌くようになっていったからだ。
もし万一マルケウスが勝てるとしたら、試合の流れが変わってからの最初の攻撃にしか可能性は無かった。戦いが長引くほど、鋼はその真価を発揮する。
「やっぱり、そうなの? だって神谷君、試合の最初と最後で別人みたいに動き方違ったから……」
「元からして鋼はすっごい強いんだよ? 始めのほうぎこちない動きだったのは、対戦相手に合わせて騎士剣術で戦ってたからね。多分だけど、蹴りとか入れたら反則取られるだろうなとか考えて、慎重に動いたんだと思う」
「それ、私もそういう事なのかなってちょっと思ったのよ。でも神谷君、合わせるも何も剣術の経験全く無いんでしょ?」
「そうだよ。さっきそれを訊いてきた時点で、伊織ちゃんはもうどういう事なのか予想ついてるんじゃないのかな」
日向が悪戯っぽく鎌をかけると、伊織はびくりと表情を硬直させた。自信が無さそうに、恐る恐る口を開く。
「戦いながら、……覚えたって事? 騎士剣術を。対戦相手から」
「うん、そうだと思う。一番最初の様子見で、あの貴族の人の足捌きを覚えて。最初の鋼の攻撃は相手の最初の攻撃の真似だったし、その後かなり色々なパターンで適当に斬りまくって、騎士剣術ではどういう風に防御するのか見てたっぽいし。切り返されてからはそれまでに相手が取った動きの真似だけで全部防御しながら、次は騎士剣術の攻撃パターンを覚えて、最後にはそれ使って組み合わせて効率良く仕留めたんだよ」
鋼は確かに半分素人と言ってよいし、試合では手加減もしなかった。それは嘘では無い。
だけど全く経験の無い剣術を用いて、見よう見まねで戦うという巨大なハンデを背負ったまま試合に勝利しているのだ。それがどれだけ異常な芸当か、剣道や剣術に慣れ親しんだ伊織を始めとする三人だけは気付いた。だからあれほどまでに表情を硬くした。
次から鋼とマルケウスが試合をしても、もう勝負にならない。
「…………ねえ。ほんとに神谷君って、何者なの?」
「何者って言われても……。んーとね」
一応肩書き的な意味では、鋼はただの日本人の少年だ。
それでも彼という人間を表現するのにふさわしい言葉を、日向は一つだけ知っている。だから正直に、そう言った。
日向が知る限り一番の、正真正銘ホンモノの。
神谷鋼は『戦闘の天才』である、と。