14 都市の抱える闇
「なんていうか、すごかったわね……」
一回目の魔術実技の授業が終わり。
有坂伊織は、そろそろ顔を合わせるのも慣れてきた面子の二人である長谷川と片平に合流していた。
「ほんまになあ……」
主語を抜かしたって、互いに何を話題にしているかは通じていた。この場にいない帰還者三人組、鋼・日向・凛の事だ。
あの三人は授業終了と同時に、クオンテラ教師に呼び出されて一緒にどこかへ行ってしまった。
「さすが、ばんばんモンスターと戦った事があるだけありますよね! 日向ちゃんとかあんなにちっちゃいのに、80キロのタルをぽーんと投げちゃうし!」
最近より仲良くなってきたようで、日向だけは下の名前で呼ぶようになっている片平が興奮した様子でまくし立てた。伊織はちらりと教師の助手達を見やる。授業で使ったタルを片付け始めている助手達は、大タルを二人がかりで重たそうに運搬しているところだった。
「ねえ長谷川君。すごい納得いかないんだけど、あのタルってやっぱり魔術で強化しても相当重いのよね?」
「メッチャ重かったで? わいも抱えるのが精々で、一人で運べ言われたらかなりキツイかなあ」
「他の魔術使える生徒が皆初心者なだけなのか、あの三人が異常に魔術が上手いのか、よく分かんないわね」
「そりゃあ習いに来てる身やし、わい含めてほとんど初心者やと思うけど。あの先生の驚き方見る限り、鋼ら三人もかなりすごいんちゃうかな。鋼と各務ちゃんは強化得意ゆっとったけど、村井ちゃんでさえあっさり片手で担いでたもんなー」
「力もそうだけど……、私的には」
「ん?」
「……なんでもないわ」
言いかけた言葉を首を振って呑み込む。怪力より、何より。伊織が一番驚愕したのは、大タルを回収する際の凛が見せたスピードだ。
街中で魔術を撃たれた時見た動きより、相当に速かった。物凄く大雑把な推測だが、時速100キロは恐らく超えていた。
あんな速度が果たして人間に出せていいのか。
言葉を飾らず言ってしまえば、伊織は畏怖の感情を抱いている。
伊織の実家は剣の道場である。
実戦的な剣術を教える風変わりな道場だ。代々続く由緒正しい古くからの流派らしいが時代にそぐわず廃れる一方で、門下生はたった数人。悲しい事だが、時代に取り残された消え行く運命にある道場だと伊織も感じている。
伊織はその道場で祖父直々に剣術の教えを受けて育った。強制された訳ではなく、自ら望んで剣の道にのめり込んだ。
どの門下生よりも熱意に満ちた伊織を見て、これでお前が男児だったら、としみじみ言われる事数知れず。中学時代は剣道部に所属し、そちらでは全国大会へ出場し準優勝にまで食い込んだ。まだまだ未熟なる身だが、伊織は生き方からして常々『剣士』でありたいと願う、かなり稀有だろう女子高生だ。
その剣士としての感覚が告げていた。
凛にあの速度で斬りかかってこられたら、対応できまいと。
ここまで強く、勝てないと感じたのはいつ以来の事だろう?
伊織は我知らず口元に笑みを浮かべる。
「……私も頑張らないとね」
「魔術の勉強?」
「色々と。そりゃああの三人、ルデス山脈ってとこで生き残ったんだもんね。追いつくにはこっちもかなり頑張らないと」
この時伊織は迂闊にも、つい口を滑らせてその地名を出してしまった。すぐ後ろに声をかけてこようとしていた真紀がいたのにも気付かずに。
「ルデス山脈? それってリンリン達がこっちの世界来た時に落ちたとこ?」
「っ! ま、真紀アンタいたの!?」
「いたよー。なんでいおりんそんな驚いてるの?」
振り向けば伊織のルームメイトが、きょとんとした顔で立っている。鋼にあんまり言いふらしてくれるなよ的な言い方を以前されているので、例え日本人でも他の人に漏らすつもりは無かったというのに。己の迂闊さに顔をしかめ、伊織は手を合わせて頼み込んだ。
「ごめん真紀、聞かなかった事にして! 神谷君達を助けてくれた恩人が住んでる場所らしいんだけど、その人のためになるべく秘密にしといてって神谷君に頼まれてたのよ。私もあんまり事情は分かんないけど」
「ふうん? よく分かんないけどいいよー」
「お願いね。なんかアンタ、私より更にぽろっと言っちゃいそうでちょっと心配だけど……」
「いおりんヒドイ! 任しといてよ、絶対言いふらしたりしないからさ!」
◇
「ええと、やっぱ授業中のアレっすか? こいつがタルを投げ飛ばした件で」
「それもありますが……。改めて叱りつけようというのではありません。少し、あなた達は常識外れなところがあるようですから……」
頭痛をこらえるような表情で、鋼達を準備室のような場所へ連れてきたクオンテラが歯切れ悪く言う。
「常識外れ?」
「《身体強化》の精度の高さを見れば、的外れな表現では無いでしょう。問題児、というわけでは無いにせよ、あなた達はやや、その……個性的な生徒のようですから。教師として指導するにあたり、少し話をしたいと思っただけです。生徒の人となりを把握するための面談程度に思ってくれればいいわ」
個性的、という部分に頑張って言葉を選んでくれた感が見て取れる。はあ、と気の無い頷きを返して、勧められるままに室内のソファーに鋼は腰を下ろす。
その向かいにも空いているソファーはあったが、凛はいそいそと鋼の右隣に腰を落ち着けた。日向はきょとんと首を傾げてから、少し遅れて鋼の左隣に座る。
準備室とはいってもクオンテラに割り当てられた部屋のようで、来客に備えた設備がちゃんとある。部屋の配置的に、奥にクオンテラのデスク、やや手前に左右に向かい合う一組のソファーがあって、三人が詰めて同じソファーに座る必要は無さそうなのだが。まあいいか、と鋼は気にせず済ませた。
「……」
肩が触れるような距離で平然と座る三人を見てクオンテラがまた難しい顔をするが、諦めたようにため息をつき、鋼達の向かいのソファーまで移動してきた。
「あなた達は仲が良いようね」
「はい!」「まあ、それなりに」
前者が日向、後者が鋼の返答である。凛はただ無言でこくりと頷いていた。
「三人揃ってこちらの世界へ迷い込んだ事があるようだから、そういう理由もあるのでしょうね。私達はそういったニホンの人を『迷い子』と呼ぶけれど、あなた達は『帰還者』と呼ぶのだとか。以前こちらの世界で、あなた達は皆同じ人から魔術を?」
「そうっすよ。山に住んでる人嫌いの魔術師です。迷惑がかかるかなと思ったんで、名前は伏せさせてもらってますが」
「よほど腕の良い術師なのでしょうね。あなた達三人の《身体強化》の精度は、初心者の域を逸脱しているわ。私は強化の適性がさほど高い方ではないですから、正直に言えば《身体強化》に関しては、私からこれ以上教えられる事が無いくらいよ」
――それほどか。
薄々気付き始めていた事だが、鋼達は一般的な視点では中々に高いレベルにいるようだ。鋼が持つ魔術でその領域に達しているのはせいぜい強化くらいだから、学園で習う意味はもちろん十分以上にあるが。
「しばらく授業では《身体強化》を扱おうと思っていたのだけれど。あなた達に関しては、先に次の魔術に進んでもらってもいいかもしれないわ。あなた達は他にどのような魔術を使えるのかしら?」
誰から答えたものか、鋼達は顔を見合わせる。代表して一番手は鋼が言う。
「俺の場合はせいぜい《身体強化》くらいっす。それだけ極端に適性が高いって師匠にも言われてました」
「え、鋼他にも使えるじゃん」
「使えるだけで、学校で習う必要が無いってレベルに達してるのはそれくらいだろう」
「あ、そっか」
口を出してきた日向が納得し、「次は私の魔術かな」と続いて口を開いた。それにクオンテラは手をあげてストップをかける。
「いえ、ちょっと待ちなさい。カミヤ君、学校で習う必要が無い魔術がいくつもあるなどと、いくらなんでも思っていません。使える魔術であればいいから教えてくれるかしら」
「色々ありますが……、えっと、もしかして全部っすか?」
「ええ、もちろん」
と、言われても。ただ使えるだけでいいのなら、結構な数になってしまうのだが……。
面倒な、と少し思ってしまったが。自分の魔術の可能性を最近模索しようと決めたばかりなので、見直すのにこれはいい機会だろう。
「ええと、まず。《熾火》と《火矢》、《冷却》に《電撃》、《圧風》と《魔弾》。《隠身》、《無音》、《障壁》、《防熱》、《防電》、《暗視》、《望遠》、《念話》、……あと何があったっけな」
「《消毒》とか?」
「おお、それ忘れてたわ。《消毒》と《解毒》。まだあったな。《照明》、《火炎》、《穿風》、他は……《薬物生成》も一応」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!!」
クオンテラが目を見開いてすごい勢いで制止の声をあげる。
「あなた、今言った魔術全て使えるの!? 本当に?」
「ええと、いや、ほんとにただ使えるだけってのも含めてますが」
「どういう適性をしてるの……」
「他が並で《身体強化》だけは高い、て感じじゃ?」
「普通はそこまで節操無く、違う系統の魔術は扱えません。いえ、努力で覆せる部分も多くありますし、それなりの魔術師であればそのように修練している事もありますが……、間違っても初心者とは言えないでしょうね。その年齢で全く、非常識な……」
非常識らしい。
魔力の塊をただ放出する、というニールに言わせれば『魔術じゃない』攻撃手段も、強化と並んで鋼は得意としているのだが。これ以上何を言われるかも分からないので黙っておく。
「魔術師は本人が使えなくとも、理論だけは他者に教えられるよう勉強しているものですが……。もしかすると、あなた達の師匠もそれだけ多彩な魔術を扱えるのかしら。あなた達を見るにその方は《身体強化》も相当得意なのでしょうし」
「え、いや。あんまし上手くなかったっすよ。五人いた弟子の誰よりも、師匠が一番下手でしたね」
「……」
顔に手を当てて俯いてしまうクオンテラ。「話をすればするほど訳が分からなくなってくわ……」と小さな嘆きが聞こえてくる。
「いや俺の適性がやっぱり高いって事みたいで。強化に関しては、教えられてから割とすぐに師匠より俺のが上手くなったんで、それ以降他の奴らには俺が教えたってだけです。むしろ師匠にも教えたくらいっす」
「……よく、分かりました。あなたが非常識だという事は」
「そっちかい」
つい鋼は敬語を忘れた。クオンテラも普通にスルーしたが。
根掘り葉掘り聞くのもどうかと思ったのか、それ以後彼女はそれほど詮索してこなかった。
他には日向と凛の得意分野を訊いてきた程度で、数分で面談は終わり鋼達は解放された。そして次の授業からは、鋼達三人は《身体強化》以外の魔術を教えてもらえるという話に決まったようだった。
◆
その集団は、存在を知る者からは闇傭兵ギルドと呼ばれていた。
闇、と頭についている集団が、健全な組織であるはずがない。例えば冒険者・傭兵仲介ギルドが各国に正式に認定されている組合組織であるのに対し、この闇傭兵ギルドは全く違う立ち位置にある。所属する者達が勝手にそう称しているだけの、実態は犯罪組織そのものであった。
活気溢れる新しい都市であるパルミナであっても、その暗部と呼ぶべき治安の悪い地区は存在している。闇傭兵ギルドはそういった場所に、密やかに根付いている。
「んで、どうすんだよ。ガキに邪魔されて失敗とあっちゃあ、ギルドの信用はガタ落ちだぜ。まさかこのまま放置ってこたあ無いだろうな?」
貧民街。ろくに明かりも灯されていない、とある建物の一室にて。
人相の悪い男達が、椅子・床関係なく思い思いの場所に座り、顔をつき合わせている。内三人が組織の顔役ともいえる幹部達で、後はそれぞれの部下である。
その幹部の一人、顔を縦断する大きな傷跡を持つ男が、残る幹部二人に問いかけていた。答えたのはその片方、禿頭の巨漢だ。
「へへへ、当たりめえだろ。俺たちゃあ、泣く子も黙る闇傭兵ギルドだぜい!? 邪魔してくるなら、ガキだろうがニホン人だろうがぶっ潰すまでよ!」
粗野で野太い声で、巨漢はげへへと下品に笑う。そこにもう一人の幹部、髭をたたえた遊び人めいた風貌の中年の男が口を挟んだ。
「ナメられちゃあ商売あがったり。その理屈は分かるがね……」
この場においては最も清潔な身なりの、帝国系移民らしき黒髪のその男は、大仰な身振りで額に手を当てた。
「騎士学校の生徒というだけでも厄介だが、おまけにニホン人ときた。これはさすがに、手を出すのはまずいんじゃないかね。他からの移民とは訳が違う。王国はニホン人相手には非常に慎重な交流を進めている。国に本格的に目をつけられれば、我々といえどもタダでは済まない」
「ああ!? だったらそのガキ見逃すのかよ!」
「私だったらそうするね。そのニホン人の少年は魔術に長けた騎士候補らしいし、有名な女冒険者『銀の騎士』や、貴族とも繋がりがあるかもしれないという話だ。今更もう金にもならんのに、手を出すのはリスクが大きいのではないかな。その少年にやられたという君のとこの傭兵も、せいぜい気を失わされた程度なのだろう?」
だん、と巨漢はすぐ傍にあった木箱を叩いた。
「メンツってもんがあるだろうがよ! オルタム、てめえタマついてんのか!?」
「おいおい、『タマついてる』奴がみんな君みたいだったら、我々はいまだに洞窟に住み獣を狩る生活をしてただろうな。野蛮人には少し、難しい話題だったのは認めるがね」
「ああ?」
売り言葉に買い言葉。巨漢の男から殺気が膨れ上がる。
室内が一触即発の空気に包まれ、組織の顔役三人の会合を見守っていた部下達の間に動揺が走った。
その緊張感の中、どうでもよさげに口を開いたのは顔に傷跡を持つ男だった。
「アホらしい。仲間割れすんなら勝手にやってくれ。俺は帰るから、勝ったほうがまた呼びに来い」
「いやいや、待ってくれたまえよ。ただの、そう、場の勢いというものだ。身内同士で争ったところで得をするのは、君のような様子見を決め込んだ第三者だけだと、我々は分かっているさ。なあラグル、さっきは言葉が過ぎた。すまんね」
「……ふん」
ラグルと呼ばれた巨漢は殺気を収め、それにより部下達はほっと胸をなでおろした。
「バート、君の意見をまだ聞いていなかったな」
「俺か? 別になんでもいいってのが本音だ。面子は大事、金にならん事はしない、どっちも納得できる意見だわな」
「それならこう訊こうか。君自身の判断に全てが任されたなら、君ならどうする?」
質問を変えた黒髪の髭男オルタムに、気乗りしなさそうに考え込む傷跡の男バート。このバートという男がかつて死線をくぐり抜けている実力者なのは闇傭兵ギルドではそれなりに知られた話である。幹部であっても組織の運営にあまり口は出さず、組織の『用心棒』を自称するこの男の事は、オルタムもラグルもそれなりに一目置いている。
「そうだな、俺なら――」
バートは語る。この件について、自分ならどう処置するかを。
オルタムも、血の気の多いラグルでさえも途中口を挟む事なく、ほう、と話に聞き入った。
それは部屋にいる人間達を納得させる妥当な措置であり、それなりに妙案と言えるものだった。
こうして、非合法な依頼を金次第で引き受ける犯罪組織『闇傭兵ギルド』のこの件に関する方針が、人知れず密やかに決定される。
一般人の与り知らぬところで、都市の暗部は今日も平常通り、蠢いていた。