13 魔術実技の授業・続
重さ的に難しいようならけして無理をするな、等の注意事項をいくつか受ける。
次にクオンテラは見守る生徒達に向かい、最初に覚えてもらう《身体強化》を今からこの二人に実演してもらう、と改めて説明した。この樽は中に水が入っており、魔術なしでは軽々と扱う事が出来ない程度には重いとか云々。
とっととやらせてくれないかなと棒立ちで鋼は待つ。並ぶタルを眺めていてふと気付いた。
小タルと中タルは複数用意されているようだが、大きなサイズのタルは一つしか無い。
そしてクオンテラがようやく実演の許可を出した。
「君はそっちのタルにしておいてほうがいい」
大タルに近づこうとした鋼に、もう一人の実演者がきっぱりと言った。まあなんでもいいが。
ゲイルドという家名だけ分かっている名も知らぬ男子生徒は、言うだけあってその大タルの前に立つ。鋼は隣の中タルの前に立ち《身体強化》を発動させた。
ひょい。
「お、このサイズでもまあまあ重い」
持ちやすいようにか外付けされている取っ手を掴み、軽々持ち上げてみせた鋼はそう言った。
だが何故か、場に微妙な空気が流れる。
「鋼、もうちょっと演出しないと! そんな何も言わないで強化して持ち上げても、傍から見てたら中身空っぽみたいに見えるから!」
日向の指摘で鋼も気付く。確かにこれは、魔術を見せるのが目的なのだ。
「あ、悪い」
鋼は持ったタルを置き直し、他の生徒達を見渡して「じゃあ今から強化するからな。……今、強化した」と解説を加えながらひょいと持ち上げてみる。
……なんというか、いたたまれなくなってきた。
「先生、これ意味あるんすか? 外から見ても全く分からないんじゃ……」
「今分からなかった生徒は、この後持ち上げようとしてその重さに驚く事になるでしょう。しかし中々……お上手ね」
片眼鏡をくいっと直しつつ、クオンテラは鋼の強化をそう評した。もしやそのレンズには何かを見通す力でも備わっているのだろうか。
「ふ、ふん。まあ、そのくらいの大きさ、俺でも楽勝だけどね」
魔術師の家系の男子が誰にともなくそう言って、大タルの取っ手を右手で掴んだ。
「《身体強化》!」
宣言と同時に魔力が活性化し、その右腕には燐光が溢れた。さっきの平静と変わりなかった鋼の時とは違う。どよめきの声が観客の生徒達からもあがった。
なるほど、ああすれば良かったのか。
数秒はそのまま動かなかったセイラン人男子だが、そこで左手も取っ手に添えた。片手ではあの重さは無理だったのだろう。
ぐぐぐ、とタルが持ち上がっていく。
「ゲイルド君、もう結構。その重さのタルを持ち上げるのは修練を積んでも誰にだって出来るものじゃないわ。優秀ね」
「当然です!」
タルを置き、ゲイルドは胸を張った。クオンテラから更なる解説が入る。
「人が魔術を行使する時は、今のように魔力光が出るか、魔法陣という術式文字が浮かび上がります。魔法陣についての詳細はまた後日の授業で」
「質問いいですか?」
手を挙げて訊いたのは有坂だった。多分同じ疑問を他の生徒も抱いている。
「何でしょう」
「神谷君の時はどっちも出なかったのはどうしてですか」
「当然の質問ですね」
クオンテラが鋼へ向き直る。
「ではカミヤ君、今度はそちらの大樽を強化して持ち上げて下さい」
言われた通りに大タルの前に向かう。すれ違いざまゲイルドは「すごい重さだぞ。大丈夫か?」なんてからかい混じりに声をかけてきたが、「ああ」とだけ答えておく。
「ええと、《身体強化》……?」
なんで疑問系、と日向が言うのが聞こえるがスルーした。魔術を使う際、その魔術の名を宣言するという行為に鋼は慣れていないのだ。
よくさっきのゲイルドは恥ずかしげもなく宣言できたものだ。やはりあれだろうか、日本の漫画での必殺技的なものにありがちな、技名を叫ばないと味気ないみたいな慣習でもあるのだろうか。
もう既に魔術を発動させているが、鋼からは燐光も魔法陣も発生しない。
正確に言えば、外からは見えない。
「……」
クオンテラが眉をひそめるのが分かったが、ひとまずはそれで大タルに挑戦してみる。
ぐい。
結構きつかったが、それでもなんとか鋼は持ち上げてみせた。
片手で。
「……カミヤ君、重くないのですか?」
「いや結構重いですよ。これ以上だと片手じゃ無理っす」
「魔力光か魔法陣を見えるように出して欲しかったのだけど……、やってもらえるかしら?」
「ちょっと待って下さい」
強化に注いでいる魔力の出力を、慎重に上げていく。手の中で大タルはどんどん軽くなっていった。
そして出力アップに伴って、じんわりと鋼の右腕から白い光が漏れ始める。本来クオンテラはこれを出させるために大タルを持ち上げろと指示したのだろう。
「もういいっすか?」
「ええ、ありがとう」
大タルを置き、鋼は魔術を解除した。僅かな時間とはいえ、魔力を本格的に消費する行動は久々だった。
今のを見ても何がなんだか分からないだろう大多数の生徒達にクオンテラは向き直る。
「どんな魔術の行使でも、魔力光か魔法陣は発生します。これに例外はありません。逆に言えば、魔術を使っているはずなのにその二つが見当たらない場合は、見えない場所で発生しているという事です。つまり、体の中ですね」
魔力光、あるいは魔法陣のある位置こそがその魔術の根元、つまりは本体にあたる。炎を発生させる魔術を例にとると、魔力光あるいは魔法陣から、あまり離れた位置に炎を発生させる事は出来ないのだ。
「使用する魔術が大規模なものほど、また使用する魔力量が多ければ多いほど、この魔力光あるいは魔法陣の範囲も大きいものとなります。《身体強化》のように体内でだけ作用するような魔術はその兆候も体内で発生するのですが、多くの魔力を使って同じ魔術を使えば当然兆候は大きくなり、体からはみ出した分が外からは見えるというわけです」
つまり、魔力光や魔法陣が見えない魔術はあまり魔力を使っていない事を示す。
クオンテラが重くないのかとわざわざ訊ねた理由はそこにあるのだろう。ゲイルドが大タルを両手で持ち上げた時、魔力光は出ていた。鋼が片手で持ち上げた時は魔力光が全て体内に収まっていた。使っている魔力だけで考えればゲイルドより少ないはずなのだ。
よってゲイルドの術式は、鋼のものよりずっと無駄が多いのだと分かる。
なにやらゲイルドに睨まれているような感じがするが、そちらは見ずに鋼は日向達のもとへ戻った。
百人余りの生徒達は大まかに三つにグループに分けられた。
体内の魔力を自覚するところから始める必要がある大半の素人はグループ1。
魔力の感覚が身についてきて、次はとうとう魔術に挑戦、という初心者はグループ2。これには魔術基礎の授業で覚えの早かった日本人も早速混じっている。
そして鋼達、既に魔術の行使が可能な生徒がグループ3だ。
「ふんぬっ!」
妙な掛け声と共に大タルを持ち上げた省吾が、体を震わせながらすぐに地面に置き直した。
おお、という感嘆の声が見ていた者達の中から上がる。今のところこの大タルは、持ち上げられない生徒のほうが多い。
近くで見ていた鋼達の方へ省吾が歩いてきて、一言。
「あれ片手で持ち上げれるとか自分おかしいやろ……」
「あー、まあ。《身体強化》は俺の一番得意な魔術だしな」
「ハセガワ君」
クオンテラに呼ばれ、省吾は「はいはい!」と素早く返事をしてそちらへ行った。傍から見ているだけで色々と分かるらしいクオンテラが、魔力光の勢いが一定していない等々、今の魔術行使についてアドバイスを授けていた。
「あの眼鏡に分析能力でもあんのかね?」
「あるんじゃないでしょうか。あくまで補助的なもので、あれを使えば誰でも見えるという物でも無いと思いますけど……」
打てば響くように、鋼が疑問を口にすればすぐに凛から返答が来た。
クオンテラが微弱な魔術を常に使用しているというのは、魔力活性化の気配でなんとなく鋼にも分かるのだが。じっと見てみるがただの片眼鏡にしか見えない。そのうちアドバイスが終わり、省吾がこちらへ戻ってくる。
「次はカガミさん、やってみなさい」
現在三つに分けられたグループに対し、教師陣もそれぞれ分かれて個別に授業が行われている。グループ3では実力テストのようなものの真っ最中だ。呼ばれた順に前に出て行き、それぞれ《身体強化》の腕前を披露するのである。
クオンテラの観察の視線に晒されながら、まず中タルを持ち上げる。これがキツイなら小タルに、楽々クリアした者は希望者だけ更に大タルに挑戦するという形式が繰り返されていた。
「それじゃ、行ってくるね!」
ぐっと拳を握り締め、呼ばれた日向が省吾と入れ替わりに歩いていく。
意気揚々とタルに向かう小さな女子はそれだけで周囲の微笑ましさを誘う。日向の小さな体なら、余裕ですっぽりと大タルの中に納まるだろう。
「各務ちゃんは強化魔術はどうなん?」
「得意だぞ。大タルくらい余裕じゃねえか?」
「え、ホンマに!? 意外すぎて想像つかんわあ」
鋼と省吾の会話が耳に入ったらしく、やや離れた位置にいたゲイルドがぼそりと呟いた。
「無理だろ」
鋼が片手で持ち上げた事に対する負け惜しみからきた、単なる呟きだ。日向のお気楽な様子と非力そうな体を見れば根拠の無い断定とも言えないか。とにかく見れば分かる事なのだから、鋼も特に反応せず聞き流す。
しかし当の本人である日向がそれを聞きとがめ、びしりとゲイルドを指差した。
「言ったな!? それは遠まわしに、私がチビだと?」
「いや、そうは言ってないけど……」
「私も鋼ほどじゃないけど《身体強化》は得意だもんね。見てなさい、私が華麗に持ち上げるところを!」
びしっと言ってもゲイルドは怒るどころか、少し困ったような顔で頷くだけだ。鋼が日向を羨ましいと思うのがここだった。言いたい事は言っても相手を怒らせない、からっとした空気が日向にはある。
そして日向はいきなり大タルの前へと立った。宣言した手前、いきなりこの一番重いタルを華麗に持ち上げようというらしい。
「先生! こっちからやらせて下さい! インパクト重視で!」
「インパクト、という単語は分かりませんが……。いきなりそれを持ち上げるのはお勧めできません。かなりの重さです、腰を痛める危険もありますからね」
「ちゃんと全身強化しますから!」
それならそう危険な事も起きないと判断したのか、クオンテラは黙考の末頷いた。
「……いいでしょう。得意だと言うのなら、そちらからやってみなさい。けれど絶対に無茶はしないように」
「……えっと、そこまで重いんですか?」
「今更ね。その大樽だと、確かニホンの単位では80キログラムほどあるんじゃなかったかしら」
「はちじゅ……っ!?」
どよめきはむしろ外野、他のグループの生徒達から上がった。聞いていたらしい。そりゃあまあ、日本の常識で考えれば日向みたいな少女が扱うには無理がある重さではあるが。
日向はすーっと大きく息を吸って、うし、と気合の声を出す。「今から持ち上げます!」と宣言し、取っ手に自分の手をかけた。
そこで停止する。
小柄な少女が重量物を持ち上げる絵を期待して、他のグループからもかなりの視線を集めていたようだが、見物人達は揃って首を傾げた。何故持ち上げようとする様子もないのかと。
「……おっきくて持ちにくい!」
日向が叫んだその理由に、そこらで吹き出すのを堪えた小さな笑い声が上がった。なるほど確かに、日向の身長では取っ手を掴んでそこから上に、とはやり辛そうだった。生暖かくなった空気にぷんすか怒りを見せながら、日向はしゃがんでタルの下に手をかけた。
必然的にその下からの持ち上げ方は、両手を使う。
「《身体強化》!」
日向の全身、そして特に両腕から白い魔力光が溢れ出た。皆が感嘆の声をあげる中、鋼は思わず眉をひそめる。
――強化に魔力を注ぎ過ぎている。あれだと片手で十分だ。
そうして次の瞬間には、懸念通りの事が起きた。
「うりゃっ! ――あっ」
勢いよく大タルを持ち上げようとして、それが日向の手からすっぽ抜けたのだ。
日向の後ろ上空へ向け、高さにして五、六メートルは飛び上がる大タル。誰かの悲鳴があがった。
あれはまずい。人に当たる可能性がある。
「――私が」
聞き慣れたささやき声。
半ば反射的に《身体強化》で飛び出そうとした鋼の隣で、凛が発した一言である。
――私が行きます。
凛が言わんとする事を正しく読み取り、踏みとどまった鋼は彼女に任せた。台詞を最後まで続けるのすら惜しみ、一瞬で魔術を編んだ凛が風のような勢いでその場を飛び出していく。
先日の事件の際より更に速い、圧倒的高速。移動した周囲には旋風すら巻き起こり、生徒達の間を吹き荒れる。
そのスピードの秘密は凛の両足下に出現している小さな魔法陣にある。彼女は今、《身体強化》以外にもう一種類の魔術を同時に使っているのだ。
彼女が最も得意とする《圧風》の魔術。
両足にそれぞれ与えられた風圧の後押しが肉体の強化に上乗せされ、信じられないような速度へ昇華されているのだ。しかも確か、凛のこの移動時には空気抵抗を減らすための《圧風》も併用していたはず。それと両足の分で、《圧風》を三重に同時発動させているのだ。
空中に投げ出された大タルに凛が追いつくのに、一秒すらも必要としなかった。
取っ手を掴み、肩に担ぎ上げる。そのまま風を操り勢いを殺しながら、ふわりと凛は地面に降り立った。
「こんのアホ日向! 最初から手加減なしでやる奴があるか!」
「ごごごごめんなさい! あんなすぽっといくとは思わなくて……!」
「80キロ言われて重いように思えたのか知らんが、実際は大柄な男よりちょい重いくらいだぞ!? お前人間くらい片手で投げ飛ばせるだろうが! なのに出力だけ上げた雑な術式組みやがって」
しゅんと項垂れる日向に鋼ががみがみと叱っていると、大タルを担いだ凛がとことこと戻ってきた。
片手でそれを元あった位置にそっと置き直し、おずおずと鋼に声をかける。
「あの、コウ。もうそのへんで……」
言われて初めて他に意識がいく。
校庭に集められた人間は、三人以外完全に動きを止めていた。他のグループも、教師も助手も、例外なく。
注目の的になっている事に気付き、叱っていた口を閉じた鋼は気まずげに一つ咳払いした。痛いほどの静寂の中、日向の肩を少しつつく。はっとした日向が生徒達を順繰りに見て、クオンテラに向き直り、ぺこりと頭を下げた。
「すいません! かんっぜんに不注意でした! 次から気を付けます!」
「え、ええ……。はい、まあ、大事には至らなかったわけですし、反省もしているようですので……」
しきりに片眼鏡の位置を直しながら、クオンテラが動揺を隠せない声で頷いた。それで余計に、空気がなんとも微妙な感じになったまま戻らないという状況になっていた。
あれだけ皆が重そうに持ち上げていた80キロの重量物を、日向が軽々投げてしまったのを驚かれているのだとは分かる。だがここまで呆然と驚かれあまつさえ教師にすら絶句されているのには、鋼も戸惑いを覚える。
「こほんっ、それではええと、次の人、前に来てもらいましょうか」
雰囲気を立て直すようにクオンテラが先程の続きを開始し、それに伴い鋼と日向と凛の三人は、タルから離れて省吾の傍に連れたって戻った。他の教師や助手達もぎこちなく本来の授業に戻り、そうして表面上は何事も無かったかのように済まされた。
「まあ日向、次からは気をつけろよ?」
「うん、ごめん……。ルウちゃんもありがとね。タル拾ってくれて」
「はい。でも私かコウが動かなくても、きっとヒナちゃんはタルが落ちる前に自分で追いついて回収できたと思いますよ?」
「ううん。本気で走っても、あのタイミングだと間に合わなかったかも。誰かに怪我させなくてほんとに良かったあ……」
「ま、あのまま落ちても誰にも当たらさそうなコースだったから安心しろ。さすがに飛んでった瞬間は俺も着地地点が分からず焦ったが」
安堵し笑いあう三人を見て、省吾が疲れたようにぽつりと呟く。
「どっからツッコミ入れてええんか分からん……」
グループ3の生徒のうち、大タルの持ち上げに成功したのは19人中7人。
その内、大タルをつい投げ飛ばしてしまうという前代未聞のアクシデントを起こした生徒は除くとして、両手を使わずそれをなした生徒はたったの二人しかいなかった。
鋼と凛である。
『同じ場所に落ちたらしい帰還者三人組はなんかヤバイ』という噂が、この授業をきっかけに新入生達の間で広まっていく事になるのはある意味当然だった。